復帰摂理歴史の真実
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■ 第三部 第四章 
     b. 四大心情圏と良心


1. 未完となった四大心情圏と良心
 (1) 真の母として復帰すべき四大心情圏
  @ 復帰摂理上の真の母と四大心情
    (@) 堕落前の「神の独り娘」としてのエバと「堕落アダムの正妻」としてのエバを代理する
 そういうふうにして、お母様を選抜して、お母様に伝授してあげないといけないのです。しかし、肉的、霊的に伝授されたという内容は伝えられても、実際には、その女性のために、おばあさんとお母さんと孫娘三代が、みんな乗っ取られてしまったと思うのです。それをなだめるために、三年半はお母様を迎えて一緒に暮らすことをしませんでした。三年半は、お母様を他の所に置いて、電話で連絡しながらやってきたのです。
 お母様のお母さん(ホン順愛スネ大母テモ様)は、先生が何をするかという一日の予定を霊界から詳細に教えられ、見せられるのです。それをお母様に報告するのです。お母さん(大母様)が教えることは間違いありません。そういうふうにして、大母様が正門でお母様に手紙を手渡したら、みんなおばあさんたちがにらみつけるのです。「うー、悪いおばさんだ! あの女が先生を誘惑して、自分の娘を(先生の)奥さんにしてしまった」と思うのです。間違いなく、そう信じているのです。そういう環境を三年半通過する中で、どういうことが起きたかというと、青少年、中高年たちがそのことを知って、反対するようになったのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p286)

 それは仕方がありません。なぜかというと、蕩減とうげん復帰をしなければならないからです。蕩減復帰です。堕落した時に、エバが四大心情圏を一人の男のために、みんな破ってしまいました。それを復帰するには、この世の中で、そういう心情圏を一遍に体恤たいじゅつできるような男を迎えなければなりません。そうしないと、超える道がないのです。父母として、お母様の立つ道が生じてきません。ですから、そういう四大心情圏を一遍に体恤させるのです。分かりますか?(「はい」)。
 先生を見た場合に、先生は息子の王様であり、兄さんの王様、旦那さんの王様、そして、お父さんの王様です。四大心情圏は、子女と兄弟と夫婦と父母(の心情)です。(先生は)四大心情圏を勝利した結実体の中心なのです。だから女としては、先生が自分の旦那さんのように感じられるのです
 そういう心情をもって、子女の心情から、兄弟の心情、父母の心情、お母さんの心情を通過した条件を立てさせないと、収まらないのです。蕩減復帰ですから仕方がありません。蕩減復帰というのは、サタンのほうへ越えて地獄へ行ったのだから、同じ状況でもって、同じ立場を越えて転覆するのです。一八〇度違います。そういう心情圏に立った女が、反対の方向に行くのは大変なことです。それで、たくさんの霊的な女たちが、「自分はこういうふうに霊界と直接関係を持って、先生を見つけてきたのに、先生は無慈悲だった」と言って落ちていったのです。
 ある程度までは、霊的にみんなコントロールされていくのです。こういうふうに妹として、それから姉として、相対関係において約婚段階で堕落したのだから、そこまでずーっと霊的に教えてくれるのです。
 それで、いろいろな所を歩きながら、花の首飾りをかけてあげたりして、結婚式の準備まで、みんな霊的にコントロールされるのです。ですから一〇〇パーセント、(先生を)自分の旦那さんだと思うのです。みんなが、そうなのです。今までの自分の旦那さんや父母は見たくもなくなります。統一教会の「原理」は、否定することができません。堕落したということを、否定することはできないのです。
 四大心情圏の体恤を通して反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌いではないのです。みんな先生が、双子の兄さんみたいになるのです。それから、自分の旦那さんみたいなのです。ですから、お母様は姉さんであり、君たちは妹です。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し、勝利した代表として立っているのだから、お母様の分身にならなければ、復帰ができません。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p290〜p291)

 真の母としての韓鶴子女史は、1943年2月10日(陰暦1月6日)平安南道安州郡安州邑信義里二六番地において誕生された。父母となる韓承運洪順愛の間に一人娘として誕生(「エバの摂理完了と男性復帰(上)」参照)し、母である洪順愛は、娘である韓鶴子から見れば外祖父母となる洪唯一趙元模の間に生まれた一人娘である(右図)。この女系三代に渡る独り娘の家系では、神の独り娘としてのエバの創造を象徴しているかの如くである。特に父の韓氏は、新イエス教の篤実な信仰者で、李龍道牧師や李浩彬牧師ら(「二つの「恨」と文先生の摂理」参照)に従って母の洪順愛と一緒に信仰生活を成していた(「エバの摂理完了と男性復帰(上)」参照)ことがそれを物語っている。文先生は、その三代における縦的な信仰と神の愛を壊さないようにする為に、文先生は3年半はお母様を迎えて一緒に暮らすことをしなかったのである。
 この様な父と母から誕生した一人娘は、父からの愛を受けることなく、母からの愛のみで成長し、結婚に至っている。このことは、結婚前は実体のない無形の神から実体としての母の信仰と愛によって、神の愛を受けた堕落前のエバの立場を形造っている。
 そしてまた、結婚後は、実体験したことのない “父(母)の愛” と “夫婦の愛”、“子女の愛” の「三対象愛」と、それに “兄弟姉妹の愛” を加えた「四大愛」として完成しなければ「人類の真の母」とはなれない、堕落エバの復帰完成までを含めた立場をも意味しているのである。
 そしてそのことは、文先生との年齢差が23歳であることから、文先生が70歳(復帰完成の段階に入ったことを象徴する7数)を迎える1990年から23年後となる2013年が「完成の聖婚式」と「基元節」の期限となったのである。

 第一節 真のお母様の誕生と成長期
 エバの摂理完了と男性復帰(上)
 幻となった基元節(上)

    (A) 四大心情と真の母
     (A-a) 四大心情と格位の差による授受作用
 四大心情または四大愛を正確に理解するためには、愛の方向性すなわち縦的な愛横的な愛に対する理解が必要である。縦的な愛とは下向性の愛、すなわち上から下に向かう愛をいうのであり、神の人間に対する愛父母の子女に対する愛をいうのである。横的な愛は、横に向かう愛のことで、兄弟姉妹間の愛夫婦間の愛をいうのである。ここで兄弟姉妹間の愛とは、兄弟同士の愛と姉妹同士の愛、および兄弟と姉妹の間の愛をいう。そして父母の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛は、みな家庭で行われる愛であるために、これらは家庭的愛となるのである。
 ところで父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の三つの愛を、原理では「三対象の愛」というのである。したがって、四大心情を基盤とする四大愛は、三対象の愛に兄弟姉妹の愛を加えたものである。(『統一思想要綱』p735)

 主体と対象の間においてのみ授受作用が行われる。すなわち格位の差がある所に授受作用が行われる。言い換えれば、二つの要素または個体が同格の場合は授受作用が行われず、むしろ反発が起こりやすいのである。陽電気と陽電気の間に行われる反発がその例である。(『統一思想要綱』p84)

 「心情」とは、愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動であることから、「愛」の行為は “喜び” という結果に帰結しなければならない。この喜びのもととなる愛は、第一に “愛される対象(人間)の喜び” となって、これが “愛する主体者(神)の喜び” ともならなければならない。つまり、愛する側(主体)と愛される側(対象)の「喜びとする “価値観” が同じ」となって決着する。そこで、神と人との共通と成り得る価値観は「精神的価値」となる。
 統一思想では、価値を大きくは物質的価値と精神的価値に区分する。物質的価値とは、商品価値のように生活資料の価値を意味し、精神的価値は知情意の機能に対応する真美善の価値をいう。(『統一思想要綱』p287)

 神の創造目的とは、神においては、対象(人間と万物)から喜びを得るということである。しかし、被造物の立場から見れば、その創造目的は、被造目的のことである。特に人間は、神に美を返し、神を喜ばせるということにその目的があるので、人間の創造された目的すなわち人間の被造目的は、人間が、生育し、繁殖し、万物を主管するという三大祝福を成就することによって達成される。(『統一思想要綱』p291)

 価値の本質的要素とは、具体的にいかなるものであろうか。それは対象のもっている創造目的と、対象の中にある対象的要素の相互間の調和である。すべての被造物には、必ず創造目的(被造目的)がある。例えば、花には美でもって人間を喜ばせようという創造目的がある。人間が造った芸術作品や商品の場合でも、必ず造られた目的がある。
 それから相対的要素の調和とは、主体的要素と対象的要素の調和のことである。万物は個性真理体であるために、原相に似て必ずその内部に性相と形状、陽性と陰性、主要素と従要素などの、主体的要素と対象的要素の相対的要素が宿っている。この相対的要素の間には、必ず授受作用による調和が現れる。その時の授受作用は、対比型の授受作用である。そのように、創造目的を中心として相対的要素が調和している状態、それがまさに価値の本質である。(『統一思想要綱』p296)

 「縦的な愛とは下向性の愛」というのは、主体と対象が上下に固定された関係においての授受作用による愛を意味する。これに対して、「横的な愛」とは、“主体と対象” の格位間の大小や角度における “差” によって生じる「相対的愛」となるため、その主体と対象の授受作用による喜びもその差に相応した喜びとなる。

     (A-b) 真の母と四大心情
 愛には、縦的な愛と横的な愛がある。縦的な愛とは、下向愛であって、「父母の愛」と「子女の愛」とをいう。この間に、一旦、横的な愛である「夫婦の愛」が加わって、父母による子女への愛(父母の愛)が、新たな夫婦と、その夫婦の愛によって子女が誕生する。そして、夫婦は父母となって子女を愛する(子女の愛)。この父母の愛から夫婦の愛、子女の愛へと、愛は正分合作用の三段階を経て、「三対象の愛」として継承されていく。
 しかし、この愛が永続的に継承されていくには、複数の子女が必要であり、「兄弟姉妹の愛」としての横的な愛が問題となってくる。この愛も、縦的な愛と同じように下向愛となる。兄・姉から弟・妹への愛、長子から次子への愛としてである。この愛の完成によって、神の愛が、“永遠性をもって継承される「四大愛」の完成” となる。
 さて、ここで問題となるのは「夫婦の愛」と「兄弟姉妹の愛」の横的な愛である。堕落以前のアダムとエバは、兄と妹の横的関係であった。それが、堕落によって突然打ち消され、夫婦の関係を結んでしまった。別の言い方をすれば、間違った夫婦関係によって、兄妹関係を壊してしまったことになる。この夫婦関係の間違いは、エバからの堕落の愛によってアダムと関係を結んだことにあるのだから、アダムが “真の愛” によってエバと “真の夫婦関係” を結び、その “夫婦の愛” によって、壊れた兄妹としての “横的な愛を復帰” しなければならなくなった
 そこで文先生は、先ず妹の立場に立つ「妾」を愛して “真のアダムの立場を復帰”@矢印)して、「正妻」との間で堕落によって間違った夫婦の関係を正して “真のエバを復帰” (A) 夫婦協助)しなければならない。その上で、サタン側から見た正妻(カイン)と妾(アベル)の関係は、妾(アベル)を “真のアダム” が愛したように、正妻(カイン)が妾(アベル)を愛さなければならないという蕩減復帰の原則が課せられA矢印)、いわゆる姉妹の愛である横的な愛を復帰することによって、神の立場から見れば妾の長子権復帰となって妾が正妻の立場を復帰し、正妻が妾の立場に立つことになるのである。こうした正妻と妾の一体化は、“真のアダム” と “真のエバ” が相対基準を結んで、“夫婦の愛の完成” が成されることとなるが、この “横的な愛の完成” を、子女によるカイン・アベルの一体化(B矢印)を結実して「真の家庭」完成とすべきだった。これが2008年4月6日での特別儀式(「幻となった基元節(上)」参照)だったのである。
 この「真の家庭」完成は、先ず、真の父の協助(@) 父子協助)によって真の愛を享受した長子(顯進)に、真の父と夫婦共助(A) 夫婦共助)によって一体となった真の母の母子協助(B) 母子協助)によって次子(國進)が一体となれば、これが本然の原則としての父子協助から夫婦共助、母子協助の順での完成する「真の家庭」となったはずでした。
 しかし、結果としての長子(顯進)に対する次子(國進)の不一致と反発は、正妻(韓鶴子)が妾を怨讐としてこれを拭えなかったことに元返えされ、レア(正妻)が最後までラケル(妾)を怨讐として愛せなかったことに同位します。

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理

     (A-c) 復帰摂理の完結は「“真の父の御言” の体恤」で可能となる
 四大心情圏の体恤を通じて反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌いではないのです。みんな先生が、双子の兄さんみたいになるのです。それから、自分の旦那さんみたいなのです。ですから、お母様は姉さんであり、君たちは妹です。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し、勝利した代表として立っているのだから、そのお母様の分身にならなければ、復帰ができません
 それで「一体となりなさい」と言うのです。そういう内容が背後で絡んでいるということを話さなくても、そういう意味において一つになるのです。ですから先生のことを、そっくりそのように思うのです。女たちは自分の相対として、先生のような男を夫にできればいいと思うのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p291)

 正妻(カイン)が妾(アベル)と一体化することによって、妾が長子権を復帰して正妻の立場を復帰した立場に立ちます。このことは、天使長を主管する立場でもあるので、現実的な面においては夫を愛で主管できる立場に立ちます。そこで夫を “四大愛” で主管して、御言の実体となる主体者として立てていかなければなりません。正妻の夫が “真のアダム” であるように、妾も正妻の立場を復帰した後は、夫をそのようにしていくのです。御言を体恤したことによる “四大愛” でその様にするのです。「体恤」とは、中国の言葉で、“相手の立場に立った心遣いを示す” ことを言います。この場合、「御言に則した心遣い」となります。そうするためには、自らの行動が御言に裏付けられていなければなりません。御言を夫に語るのではなく、文先生の御言『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』(p303〜p324)の作法さほうに従って “愛による喜びを通じて心情を育む” のです。自らが、妾としての立場から正妻の立場に成長したように、奉仕だけの天使長の立場から愛の主体者としての主人(夫)に成長させ、夫婦が子供の手本となり、姑とは実の親子以上の関係になるのです。

<参照>
 エバの摂理完了と男性復帰(上)



  A 堕落エバの残された蕩減復帰摂理は失敗
    (@) 「再教育が必要な家庭連合」の神観と真の父母観、アベル女性
     (@-a) 男子と女子における陽性実体と陰性実体としての意味
 ここで問題となるのは、陽性・陰性と男子・女子との関係である。東洋では古来から、男子を陽、女子を陰と表現する場合が多かった。しかし統一思想では男子を「陽性実体」、女子を「陰性実体」という。表面的に見ると東洋の男女観と統一思想の男女観は同じように見えるが、実際には同じではない。
 統一思想から見るとき、男子は陽性を帯びた「性相と形状の統一体」であり、女子は陰性を帯びた「性相と形状の統一体」である。したがって男子を「陽性実体」、女子を「陰性実体」と表現するのである(『原理講論』四八頁)。(『統一思想要綱』p43)

 このように陽性と陰性は男女間において量的または質的差異を表すのであるが、男子の陽性と陰性をまとめて男性的、女子の陽性と陰性をまとめて女性的であると表現する。したがってここに、「男性的な陽陰」と「女性的な陽陰」という概念が成立するのである。(『統一思想要綱』p45)

 言い換えれば、今日、最も難しい現実問題の一つである男女問題は、男女共に家庭完成の前に(結婚前に)人格を完成することによって、つまり斉家せいかする前に修身することによって、初めて解決することができるのである。このように「陽性・陰性が性相・形状の属性である」という命題は、現実問題の解決のまた一つの基準となっているのである。(『統一思想要綱』p47)

 神は、唯一なる存在である。唯一ではあるが、特定の所に存在する神ではない。地球には、夜と昼が同時にあるように、御独りであられる神も闇(夜の神)と光(昼の神)の御方であられる(創世記1章1節〜5節)。御独りであられる神も、神の愛の対象となる人間が、愛によって一体となるように、神の男性と女性に似せて、神の一人の子女としての人間を男子と女子の分立体として創造されたのである。
 本陽性と本陰性は、神の本性相と本形状における積極的・消極的表現様式としての属性である。その表現は無限となるので、神に似せて創造された人間も無限の個性を持つ個性真理体として創造された。積極的面が多い方を男性、消極的面が方を女性とに分け、人間もそれに似せて、心と体の属性として、それぞれの陽性と陰性の組み合わせによって男子と女子とに創造されたのである。

<参照>
 父なる神とアダム国家

     (@-b) 神(原相)における陽性と陰性
 神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(『原理講論』p47)

 原相において、陽性と陰性をそれぞれ本陽性と本陰性ともいう(『原理講論』四六頁)。原相の「本性相と本形状」および「本陽性と本陰性」に似ているのが人間の「性相と形状」と「陽性と陰性」である。すでに述べたように、被造世界では性相と形状は共に実体の性格をもっており、陽性と陰性は実体としての性相と形状(またはその合性体)の属性となっている。そのことを原相において示したのが図1ー2である。
 原相における性相と形状および陽性と陰性の関係を正確に知るためには、人間における実体としての性相と形状、そしてその属性としての陽性と陰性の関係を調べてみればよい。人間の場合の性相と形状および陽性と陰性の関係をまとめると、表1ー1のようになる。
 そこに示されるように、性相(心)の知情意の機能にもそれぞれ属性として陽性と陰性がある。例えば知的機能には明晰、判明などの陽的な面と、模糊、混同などの陰的な面があり、情的機能には愉快、喜びなどの陽的な面と不快、悲しみなどの陰的な面がある。意的機能にも積極的、創造的などの陽的な面と、消極的、保守的などの陰的な面がある。そして形状(肉身)においても陽的な面(隆起部、突出部)と陰的な面(陥没部、孔穴部)があるのは言うまでもない。
 ここで明らかにしておきたいのは、ここに示したのは人間の場合にのみいえることであるということである。神は心情を中心とした原因的存在であって、創造前の神の性相と形状において、属性としてのみ存在しているだけである。そして創造が始まれば、その可能性としての陽性と陰性が表面化されて、知情意の機能に調和のある変化を起こし、形状にも調和的な変化をもたらすのである。(『統一思想要綱』p41〜p43)

 初めにことばがあった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネによる福音書1章1節〜4節)

 そもそも、性相と形状の属性として陽性と陰性があるのは人間の場合に該当するのであって、創造以前の神は、「心情」を中心とした性相(理性)と形状(法則)の調和体としての “情的存在” としてのみ居られた。いわゆる「理法」としての “ロゴス”、ヨハネによる福音書1章1節にあることば」としての神であり、本性相としての「夜の神」である。
 心情は、喜びを得ることを目的とする情的衝動であるが、その目的を達成するための手段となるのが「愛」であり、その “愛の在り方” として規定するのが「ロゴス」である。つまり神は、本性相(ロゴス)と本形状(質料と無限応形性おうけいせいとしての前エネルギー:『統一思想要綱』p32、p127〜p129)の授受作用によって一体(昼の神)となって人間を始めとする万物を創造をされた。
 神の創造における無限の可能性が、人間の陽性と陰性の調和となって無限な個性が表面化される。こうした男子と女子における個人としての陽陰の調和が、夫婦という関係性における陽陰の調和として発展し、神の創造目的を中心とした本性相と本形状に対応する相対的立場に立って一体となり、“神の似姿” となって、神の喜びの対象となることが神の創造目的であった。
 そして何よりも、「夜の神」は “心情を中心としたロゴス” が主体(性相)となって、“心情を動機とした愛による喜びを得る” という目的は、「昼の神」がそれを目的とするロゴスの対象となった愛(形状)によって成就する。つまり、神は、「夜の神」(主体)と「昼の神」(対象)の “統一体” であり、“愛の神” であられる。
 以上のことを踏まえて、神にはて本陽性と本陰性の明確な区別がないので、神を「父母なる神」としてではなく、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実(『原理講論』p47)から「父なる神」と呼称すべきである。

<参照>
 空海による仏教思想の大転換
 理趣経と生殖器のみ言葉

     (@-c) 二性性相として存在してい天使と霊的イエス
 善神というのは、神と、神側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタン側にいる悪霊人たちをそうしょうする言葉である。(『原理講論』p120)

 天界とは、神と天使、人間の死後の世界としての霊界とを総称する。これが人類始祖の堕落以後、善神側と悪神側の二つに分立された。
 本来、天使長ルーシェルは、神の相対となって、神を父とするなら、ルーシェルが母のような立場に立って、神はアダムを協助(協助A)し、ルーシェルはエバを協助(協助B)すべき立場に立っていた(図1)。ところが、ルーシェルは “神の愛に対する不信” から生じた「愛の減少感」を満たすためにエバを誘惑して堕落したのである。
 これと同じように、“霊的真のアダム” となった善霊人としての霊的イエスは、失敗した天使長ルーシェルを蕩減復帰する立場に立って、真の母として完成すべき韓鶴子女史を協助する立場に立っていたのである(図2)。

<参照>
 原罪からの解放

     (@-d) 文先生のアベル女性UN創設大会での嘆き
 2012年7月16日に開催されたアベル女性UN創設大会で使われている「アベル女性」とはどういう意味でしょうか。
 長子権復帰の次に父母権復帰、王権復帰が成されて、四番目の皇族圏復帰としての正妻圏が復帰されくることによって、妾が正妻になり、正妻が妾になるような立場で立つ(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p139)のであるから、復帰摂理上で姉としてのカインの立場に立っていた正妻が、完成圏においては王権復帰されたアベルの立場となるという意味での「アベル女性」である。復帰摂理上で、カインがアベルに屈服することによって妾の正妻圏(妾の長子権復帰という意味での正妻圏復帰)が皇族圏として復帰されることによって王権復帰された立場における「真の母」に立てるということでる。

<参照>
 エバの摂理完了と男性復帰(上)

 次に提示したのが、文先生が語られた『「アベル女性UN創設大会」基調演説』の 前提(演説に先駆けて真のお父様が語られた御言葉) となる説明部分で、郭グループとされるUCI(Unification Church International)側を支持する人物が取り挙げた御言の部分を家庭連合が忠実にディクテーションして翻訳した文章となります。なお、アンダーラインの部分は講演文で、それ以外はアドリブで語られた部分となります。
 大会の前に、私の話を約30分間、前提として話してから、結果としての話を始めます……
 今に至るまで、数多くの宗教がありますが、父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、母のいない宗教を信じてきたという恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ、その歴史的な、あってはならないその悲運の痕跡を取り消すために、ここに現れた……私の歩む道は、平和な道ではありませんでした。……(略)……
 A編の天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会も、B編のアベル女性連合創設大会基調演説…アベル女性、女性…。@母がいません。父なる神様は知っていますが、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと国の権威の喪失を、誰が是正してあげるのですか。
 私の名前は龍明でした。姓もありません。龍明が17歳の2月にイエスが現れて、「やぁ、龍明兄さん」と。いきなりイエスという者が、ハンサムなイエスが現れて、「結婚式、祝福を受けに行きましょう」と言うので、「あいつは、夜の神様と昼の神様が分かれて争うのを知っているのか」と思い、「お前、誰なんだ」、「どこから来たんだ」と聞くと、にっこり笑い、微笑みを浮かべながら、「すべてご存じでありながら…どうすればいいのですか」と応じ、「きょうは(このまま)行きますが、再び時を見て、もう一度来る時は、あなたが動かなければ、私が引っ張っていくか、もしくは私が捕えられていくか、二つのうち、どちらかをあなたが決めておいてくださるように」と言われたのですが、今に至るまで、再臨主であるとか何だといって現れてこないのです。それがなぞです。

 さあ、そのような意味において、話を始めましょう。B編がアベル女性UN創設大会です。アベル女性UN創設大会に現れるA母がいません。母を失ったのは誰のせいですか。アダムが責任を果たせずに、母を失いました
 アベル女性UN創設大会の基調演説、よく聞きなさい。
 先生の一生の重要性は、母自体が父を追い払い、天地を追い払い、逃げてきた家から尋ねてきて、侍ることのできる教育を私が準備したので、母を再創造して、いくら反対したとしても、母を満天下に、神様の…。夜の神様、昼の神様、一つになって、創造主の母の位置に立ててみせようという、鉄石のように固い…定州の谷間、猫頭山の前の五峰山(オボンサン)の谷間…。
 東北のほうにはダムがあり、西北のほうには弥勒仏があります。そのダムと弥勒仏が、文総裁の遊び場です。それを知って、生きてきたという人は、今から統一教会に入ってきて、調べてみなさい。「ああ、本当にそうだな」ということが分かるでしょう。さあ、次に行きましょう。(「UCIを支持する人物の『アベル女性UN創設大会のみ言_教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(2)』への応答」より)

 それでは、このアドリブで語られた重要な部分を、順を追って見てくこととする。

 ● 「母のいない宗教」とはキリスト教である
 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神●●●であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントT一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。(『原理講論』p265)

 『原理講論』第七章の第四節には、女性神(昼の神)としての「聖霊」は、真のアダムの相対となる正妻に作用し(作用エネルギー:『統一思想要綱』p34)、慰労と感動を呼び起すことによって、堕落エバの蕩減復帰完成を “協助する愛の根源的力” である本形状としての「前段階エネルギー」(『統一思想要綱』p33)であることを述べている。このことから「真の母」とは、堕落エバの蕩減復帰を、真のアダムの総体に立つ責任として完全に成し得た真のエバことを言う言葉である。
 「母のいない宗教」のところを、家庭連合では、「今まで宗教が母のいない神様≠信じてきた」として歴史上における宗教全般のことだとしているが、文脈からすると特に次に続く(黒枠で囲んだ)部分がイエスとのことを語られていることから、「母のいない宗教」とは “キリスト教” を指していると見ることができる。
 「父なる神様を信じる宗教にはなりましたが」のところは、イエスを真のアダムとして迎えることができたことによって、「夜の神」を “父なる神様” として、キリスト教において信じることができるようになったということを意味する。統一思想によると「父なる神様」とは “愛の根源となる心情としての神” を意味し、「母なる神様」とは “その心情を土台とした授受作用を成すための力の根源となる神” として、「愛の根本原因」としておられ、その愛を実体的・具体的に体現できる夫婦としての男子と女子を「真の父」と「真の母」と表現している。それ故、「“母” のいない宗教」を「“真の母” のいない宗教」と言い換えることができるが、キリスト教こそ「真の母のいない宗教」なのである。

<参照>
 空海による仏教思想の大転換

 ● 龍明兄さんと弟イエス












<参照>
 原罪からの解放


 ● 二つの「母がいません」の母




<参照>
 神山威元会長の良心宣言 | 聖和前後の神の摂理
 アベル女性UN創設大会
 アベル女性UN創設大会に母はいなかった
 サンクチュアリ教会側の「アベル女性UN創設大会」に関するお母様批判への応答



 (2) 四大心情圏と良心による愛の権威者となるべき夫復帰
  @  
 君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親にまさる、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤たいじゅつして一つにならないと、四大心情圏につながる道がありません。心身一体を成さなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか?(「はい」)。
 四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしまい、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子はしごをつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっています。分かっているのだから、「君、何だ、これは!」と、堕落した基準まで下がって指導することができるのです。
 真の父母と完全に一つになると、良心が神様ともっと一体となるような道が近づいてくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ではなくなります。そうして、肉身と一つになることによって、四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできません。分かりましたか?(「はい」)。
 旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p301〜p302)

 ですから、自分の旦那さんに対して、同じ立場に立っては駄目です。天は高く、地は低いのです。愛を絞り出すようにしなければなりません。愛は下に流れるものであって、上に上がるものではありません。角度があればあるほど、流れが大きくなります。ですから女は、男のために完全に奉仕しなさいというのです
 お母さんが、自分の子供を本当に養育する秘訣ひけつは、子供に奉仕することです。それによって立派な子供に成長していくのです。奉仕しなければ、めちゃくちゃになります。奉仕しかありません。旦那さんもそうです。
 結婚生活は、すべてが初めてです。(旦那さんが)自分の主張を奥さんと共に分け合ったり、自分の主張を譲るような立場に立たせてはいけません。ぶつかる立場なのですから、自分も共に高くなると思ったら駄目です。誰かが低くならなければなりません。低くなった場合には、殴ろうとしても、低いから殴るのが大変です。殴るときには、こういうふうに殴りたいのです。高いから殴られるのです。下を向いている女を殴る者はいません。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p304〜p305)






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<文先生のみ言葉>
 「全体全般全権全能の日」宣布 (PDF)

<参照>
 幻となった基元節(下)


原理の力 <トップ> なぜ正妻と妾の摂理となったのか(上)