復帰摂理歴史の真実
日本神話に見る復帰摂理 <トップ> 幻となった基元節(下)

■ 第三部 第一章 
 第一節 幻となった基元節(上)


1. 通らなければならない危機
 (1) 真の愛による秩序の回復
  @ 二人のエバと一人のアダム
    (@) 流れ下る愛
 父と息子、父子が一つになるときには、家庭はいくらでも築けます。息子の家庭も築け、父の家庭も築けます。父一人はだめです。息子一人でもだめです。息子がどうして父の家庭になれ、父がどうして強制的に息子の家庭になれるでしょうか? 父子が一つにならなければなりません
 母子が一つになって復帰しましたよね? 今は父子が一つにならねばならないのです。「父子一体は万事能通」なのです。皆さんはこれから戻って祝福を受ければ、母親の言うことではなく、父親の言うことを聞かなければなりません。大きくなって母親の言うことを聞けば滅びます。雌の鶏が鳴くと何ですか? 家が栄えると言われていますか? 滅びると言われています。それでは雄の鶏が鳴くとどうですか? 反対ですから、雌の鶏が鳴けば滅びるならば、雄の鶏が鳴けば家が栄えるという意味ではないですか? 統一教会の信徒たちは、雄の鶏が鳴くのです。
 男性の権威を取り戻すのです。天使長ではありません。愛の権威を取り戻すのです。浮気をして妻に「こいつ、何だ!」と言われたり、顔を引っかかれて追っかけられる者ではありません。(『主要儀式と宣布式 W』p41〜p42)

 旦那さんは天です。愛するときには旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係を持つときには、男は上、女は下です。ですから、愛を中心とすれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆てんぷくするのです。基本的に、男から愛をもらおうとする際、愛は一番下へ流れていきます。空気と同じです。ですから旦那さんも、愛をもらうには奥さんに頭を下げないといけません。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでからも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死ぬとしても、愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目なのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p305〜p306)

 これまで見てきた “解けないハン” と、“解けるハン” に対する「正妻と妾の2人のエバ」に対する復帰摂理は、最初となる夫と正妻となるのは、霊的真の父(イエス)と霊的真の母(聖霊)であり、キリスト教である。
 では、「解けないハン」とは “なぜ解けないのか” と言えば、人間始祖の堕落によって神と人間の関係が断絶されてしまったことが「神の恨」となってしまったことによって。そのため、キリスト教においては、人間と神との間に、“十字架●●●によって霊的キリストとなったイエス” が永遠に仲保者として必要●●●●●●●●●●●であり、神の愛を “犠牲的●●●無償●●の愛” と限定してしまったことにある(「二つの「恨」と文先生の摂理」参照)。
 一方、蕩減●●復帰摂理において長子権を取り戻したアベルは、神が愛することのできる対象となり得ることによって、解ける恨の立場に立つ妾を母とする “再創造摂理圏” に属するようになる。母子協助によって長子権を取り戻したアベルは、その延長線となる “御言葉と一体の愛” による父子協助によって、長子から次子、次子から三子へと神の愛が上から下へと流れなければならない。この流れを整えるのが、本来の「夫婦協助」としての父子協助と一体となった母子協助である。勿論、この夫婦協助は、父子協助となる “御言葉と一体の愛” に沿っていることが絶対条件となる。
 尚、愛に対する譬えとしては、霊界では呼吸する空気に譬えられるが、地上界では上から下へ流れる水に譬えた方が的確な表現である。

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
 エバの摂理完了と男性復帰(下)

    (A) 父子・夫婦・母子協助の正しい概念
 み旨から見た時、神様を中心として母子協助を成すためには、父娘協助と夫婦協助が成され、次に母子協助が成されるのです。これが原則です。分かりますか。ですが、神様は逆に摂理してこられるのです。父親と母親の関係がないのに、母子関係があります。夫婦協助がある前に母子協助があり得ると思いますか。聖書を見てみると、今まで母子協助だけしてこられました。異常でしょう? 逆にしてきたというのです。(『神様の摂理から見た南北統一』p1080)

 人類始祖となるアダムとエバに堕落が無ければ、神とアダムとの関係は父子関係が成立すると同時に、神からアダム(子女)への “父子協助” の愛の関係が成立するはずでした。これと同じくして、アダムの相対関係●●●●となるエバにも “父娘協助”(左図赤@)の基準が立ち、両者の結婚によってアダムを愛の主体とした “夫婦協助”(左図@)の関係が築かれます。こうすることによって、母から子女に対する愛は “母子協助”(左図赤A)となって、父から子女への “父子協助”(左図B)へ導かれ、神の愛が父母を通じて子女へ継承されていきます。
 しかし、これが人間始祖の堕落によって、神からの父子協助と父娘協助ができなくなったため、神の復帰摂理は母性を始めとする母子協助が出発点となったのです。男性が家長としての父権を取り戻していくに従い夫婦協助の道が開けて誕生したのがイエスの誕生でした。
 ところが、イエスの時は、奇跡●●によってエリサベツ(正妻:カイン)とマリヤ(妾:アベル)が一体となることによって、エリサベツとマリヤを母としてザカリヤを父とした夫婦協助の確立が可能となったのです。ところが、ザカリヤを父として、イエスをアベル、ヨハネをカインとするアベルからカインへの愛の秩序を確立するにおいて、ザカリヤからマリヤへの夫婦協助は勿論のこと、マリヤが天使長の立場に立つヨセフの言いなりになってしまい、母子協助としての使命を果たせず、この摂理はイエスの磔刑となって失敗してしまったのです。

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
 イエスの誕生の秘密(上)
 イエスの誕生の秘密(下)
 イエスの30年準備時代と十字架



  C「助け手」としての補完関係
    (@)秩序と愛の関係
 さて、「秩序」とは “物事の正しい順序”、“筋道” のことである。愛にも “愛するもの” と “愛されるもの” との間に筋道としての秩序が存在する。愛とは喜びを得ることを目的として愛する以上、愛を受け取る側がそれを「享受」しなければならない。享受とは「受け取って自分のもの」にすることであるが故に、愛することで喜びを得ようとする神の愛に対して、愛される人間が神の愛を “喜び” として受け取ることができなければ、神の愛に対しての喜びとして返らない。その為、神の愛を享受するということは、神の愛を謙虚に、至善として受け入れ、その目的を自らの目的にできなければ、「神の愛の享受」には到底至れないことになる。故に、“神は如何なるお方で居られるか” を知らなければならない。これが、神との相対基準を結んで、授受作用する筋道と言える。

<参照>
 愛の秩序と心の論理 (东西哲学与文明互鉴研究中心教授 張偉 : PDF / 本サイト

    (@)「助け手」としての聖書的観点
 さらに喜びの内容である相似性には、相補性という一面もある。つまり、主体は対象の中に自分に不足している特性を見て喜ぶのである。例えば、男性は女性の中に、自分に不足しているやわらかさや美しさを見て喜ぶのである。
 それは第一に、人間は単独では全一者ぜんいつしゃにはなりえず、神の陽性を属性としてもつ男性と、神の陰性を属性としてもつ女性として分立され、両者が合性一体化することによって、神の二性性相の中和の姿に完全に似るように造られたからである。
 ところで、この相補性を一種の相似性として見るのは、人間は誰でも、心の潜在意識の中に自己に不足している部分が満たされることを願う映像をもっているので、現実的にその映像どおりの対象に対するとき、不足した部分が実際に満たされ(相補性)、喜びを感じるようになるからである。そのとき、その対象は鑑賞者の心の中にあった映像と同じであるために、その点において相補性は相似性の性格をもつようになるのである。(『統一思想要綱』p420)

 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手●●●を造ろう」。(創世記 2章18節)

 創世記2章18節の「人がひとりでいるのは良くない」というとき、この「人」は二性性相であられる神に似せて創造された二性性相としての「人」であるから、男性と女性の総称として「人」という概念があり、二性性相としての「人」は相対関係にあり、互いが向き合って対応して、互いの不足を補い合うというのが「相補性」の持つ意味である。では、何が互いに足りないと言うのであろうか。
 神の愛は、上から流れ下る。この神の愛を、堕落によって失った天上の愛として地上で再構築できるのは、神のかたちに似た二性性相としての夫婦による家庭ということになる。家庭が “神の愛の核” となり、男性は夫あるいは父として、奉仕によって外的環境における秩序を正し、神の愛を家庭に下ろしてくる責務があり、女性は妻あるいは母として愛によって内的環境における秩序を正し、神の愛を子女を通じて未来へ繋ぐ責務があるのである。この女性の責務こそ本来の「内助」とされる。

<参照>
 『創世記』に見られる女性観 (藤女子大学人間生活学部人間生活学科教授 木村晶子 : PDF / 本サイト
 聖書的な妻 講座:助け手

    (A)「助け手」としての「内助」
 女がその夫、家庭そして家族のために身を捨てることは、男が主君と国とのために身を捨てるのと同様、自発的かつみごとになされた。自己犠牲 self-renunciation ――これがなくては、およそ人生の謎は解けない――は、男が忠義を果たすのと同じく、女の家庭生活の基本だった。女が男の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷ではなかったことと同じである。女性の果たした役割は、「内助」すなわち内側の助けとして認められた
 奉仕のヒエラルキーのもとでは、女は男のために自分を捨て、これによって男は君主のために自分を捨てることができ、主君はそれによって天に従うことができた
 私は、この教えに欠点があることを知っている。
 キリスト教の優れた点は、生きとし生ける者それぞれに創造者への直接の責任を要求すること●●●●●●●●●●●●●●●●●に、もっともよく現れている。それにもかかわらず、奉仕の教義――自分を犠牲にして高い目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中で最大であり、彼の使命の神聖な基調であった――に関する限り、武士道は永遠の真理にもとづいていたのである。(『 現代語訳 武士道 』p157〜p158)

 神は人間の創造主として全責任を有している。神の人間に対する愛(アガペー)は、無限において人間を愛しおられ、神が人間を愛することで何かの利益を得る訳ではないので「無償の愛」とされ、それは「不変の愛」でもある
 しかし人間の堕落によって、神の救いにも順序が生じた。復帰摂理において夫婦協助と母子協助の順序が逆となったように、その順序も逆となって、妻の夫に対する奉仕によって夫の神へ奉仕が回復され、愛の秩序を取り戻すことによって神の愛が家庭に下りてくる。また、母の子女に対する奉仕によって、子女達の秩序が回復され、下りてきた神の愛で家庭全体が満たされるようになる。この様な “妻” あるいは “母” の奉仕を復帰摂理上の「内助」と言ったのである。奉仕の教義” とは「自分を犠牲にして高い目的に仕えること」を言うのは勿論のことである。



 (2) 失われた基元節
  @ 基元節は父母協助の基準完成
『事必帰正』(郭錠煥 著)

 私のこれまでの信仰路程を通して真の父母様の摂理路程を見つめる中で、ここ10年余りの間に起こった統一家の不幸な事態に関して、特に重要であると思った内容について、可能な範囲でもれなく記録しようと努めました。
 本文で、私は個人的な信仰路程をはじめ、真の父母様の業績と遺志、統一家の試練と混乱、昨今の家庭連合の状況、そして最後に、顯進様のビジョンと活動について証言しました。私はこの本を書きながら、多くの反省と悔い改めの時間を持ちました。しかし、一つだけ確かなことは、この本は誰かを審判するためのものではなく、統一家の混乱の原因を正確に明らかにし、再びこのようなことが起こらないように、次世代に警鐘を鳴らすためのものだということです。<終わりにより>

 基元節は神様の創造理想、地上天上天国が築かれる日です。
 アダムとエバが堕落せずに神様の真の愛を完成し、神様の前に完成した真の子女となり、真の夫婦を成して、真の子女を持てば、真の父母になります。その真の家庭は神様の真の愛・真の生命・真の血統の実体的根源であり、根となるのです。この真の父母を中心とした真の家庭から、創造本然の理想世界、永久的な平和統一理想王国である天一国が始まるようになるのです。長子権・父母権・王権も、この真の家庭の四大心情圏と三大王権の家庭的完成の基台の上で、自動的に確立されるようになっています。(『事必帰正』p407)

 今から行う式典は、お母様が主管する。2人の息子はお母様に絶対服従すること。お母様を中心にカイン・アベルが一つになり、エバが夫の立場のアダムを堕落させたことを元返して、夫にぴったり従い越えていくことによって、堕落以前の神様に直接連結された真の愛、真の生命の因縁に一致すれば、真の血統に連結されるので、サタン世界とは何の関係もない、神様とのみ対することのできる一心一体一念一和一核の自由・解放の地上天国にならざるを得ない
 真のお父様の前にカインとアベルを一つにしたお母様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、また全てが絶対信仰・絶対愛・絶対服従、自信満々に各者が完成の道を行かなければならない。真のお父様の道がどれ程難しい道であったかを理解しなければならない。そのような道を代りに行こうとする時に、難しいと考えるのではなく、千回万回死ぬようなそのように信じ難い道も、感謝の思いでしか越えることはできない。解放的、釈放的生き方は心と体が一つにならなければできない。一生懸命準備して、2013年1月13日までに、一族全体を完成すべき召命的責任が残っていることを自覚しなければならない。勝利者となることを許諾したので、自信満々、堂々と各自が完成する主人とならざるを得ない。(「第49回真の父母の日」 2008年4月6日)

    (@)13数の意味と基元節
 13数はユダヤ教で聖数とされており、ヘブライ語で「愛」や「一つ」という意味があ。13に13を加えると26(13+13=26)になるが、26はヘブライ語でユダヤ教の神(ヤハウェ:Yahweh)を意味する。つまりこの数式は、「愛で一つとなった夫婦は神に等しい」ことを暗示している。文先生は、13年の13日という基元節の日にこの意味を併せられたのである。

<参照>
 『13』という数字

    (A)完成期への出発点となるべき「長成の聖婚式」
  • 1989年8月31日、八定式
  • 1989年9月1日、天父主義。
  • 1990年3月27日、王権復帰。
  • 1991年12月6日、金日成主席と文師の会談。
  • 2003年2月6日(陰暦1月6日)、長成の聖婚式。 
 さて、「蘇生の聖婚式」は1960年4月11日(陰暦3月16日)に挙行され、歴史を遡って蕩減復帰された摂理は、堕落によって失われたアダムとエバの真なる結婚を2003年2月6日(陰暦1月6日)に「長成の聖婚式」として取り戻しました。文先生はこの時を迎えるために「蘇生の聖婚式」から43(40+3)年、25歳(1945年)で公式的に摂理を担われた時から数えれば58年に渡る歳月を費やしました。この聖婚式によってアダムとエバの堕落した長成期完成級を超えることにはなりますが、その為には堕落によってアダム家庭に生じた傷跡を消し去っておかなければなりません。それは、堕落したアダムとエバの偽りの愛によって生じたカイン・アベル問題です。カイン(長子)がアベル(次子)を殺害したのですから、カイン(長子)がアベル(次子)を生かさなければなりません。これは、蕩減復帰上のカイン・アベル関係としてではなく、本然の家庭における兄弟関係として再構築することを意味します。その為には、復帰摂理のために逆になった “母子協助から夫婦協助” を、本然の “夫婦協助から母子協助” の順に正して “父子協助を確立” しなければなりません。
 その為、最初となる「夫婦協助」が真の母韓鶴子)に摂理として課せられた、1991年の「世界平和アジア婦人連合」(後の「世界平和女性連合」)創設以降に始動した世界巡回講演でした。
 次に「母子協助」となるのですが、それは1998年7月19日に米国ニューヨークのマンハッタンセンターで、文顯進ムン・ヒョンジン様が世界平和統一家庭連合世界副会長に就任され、父である文先生の使命と権威を継承する長子として祝福された。その後の午餐と祝賀公演が開かれ、兄である文孝進ムン・ヒョジン様が、文先生の摂理的使命を継承された顯進様の前途を祝賀された(『事必帰正』p141〜p144)たことによって


    (B)「カイン・アベルの統一式宣布」の意味
 第2回目の聖婚式が2003年2月6日に挙行されると「カイン・アベルの統一式宣布」が成され、お父様は、一体化したカイン・アベルを2013年1月6日までにお父様に捧げるようお母様に指示されました。しかし、実際その時にはカイン・アベルの一体化は成されませんでした。

2006年2月4日、天一国指導者大会
顯進、何の話か分かっているのか? 國進、分かるか? 亨進は? 3兄弟が手をとり、アダム家庭において、三人の息子が一つになれず争って血まみれになり、涙の谷を作り、太平洋のような血の海を作った、そのような家庭の伝統を埋めなければならない責任がある。」と語られる。
・2007年5月13日
一体化したカイン・アベルを2013年1月6日までにお父様に捧げるようお母様に指示される。
2008年4月6日、第一回カイン・アベル統一宣布式
第49回真の父母の日、(ハワイ、キングガーデン)お父様は顕進様をカイン、国進様をアベルの立場として、お母様と共に3人が一つになったと言う特別な儀式を宣布



2008年12月24日、天福宮建築基金伝授式
顕進様を中心に、右側に亨進様、左側に国進様を立たされる。
 顯進が真ん中に立ちなさい。國進が左に立って!亨進は全体に責任を持つので右に立ちなさい!お兄さんを中心に、父母様と神様を中心に一つとならなければなりません。6数が一つになるのです。このような数を合わせなければならないということを知っているので、一つにならばければ駄目です。中心がなく、神様がいなければ真のお父様と真のお母様が一つになる道がありませんお兄さんがいなくて、中心がなくては弟が一つになることはできないのです。(天正宮 新しい神殿と祖国光復 2008.12.24)



 この事によって、母子協助の時代から父子協助の時代に移行していくことを意味していて、文先生は次のように述べている。
 「父と息子が一つにならなければなりません。分かりますか。今まで復帰歴史においては母子が協助してきましたが、その母子協助時代が過ぎ去るのです。蕩減の歴史は母子、母と息子娘が犠牲になって復帰しましたが、9・9節を宣布して、南北が統一され得る運勢に入って統一される日には、父子協助時代に入っていくのです」(『文鮮明先生御言選集』303巻、264ページ、1999年9月9日 / 『事必帰正』p145)

 「国を建てようとすれば、父子協助時代に入っていかなければなりません。母を見れば血筋が違います。血筋で残るのは父子が残るのです。分かりますか、何のことか。(はい)母は畑です、畑。種は畑さえあれば、どこに植えても、いくらでも実を結ぶのです。ですから父子関係は、血統が連結されているというのです」(『文鮮明先生御言選集』318巻、172ページ、2000年3月6日 / 『事必帰正』p146)




<参照>
 怨讐を愛する原点
 大人になれ!ペテロの最後の言葉

    (C)真の母と教会組織の天使長たち
・2009年2月28日。
教会幹部が、お父様を原罪があると認識。それをお父様が非難される。
・2009年3月8日。
束草ソクチョにおいて約500名近くの教職者達が集まる中で、梁会長が意図的に作成した偽りの霊界メッセージの内容をもって、顕進様は公職のすべてを剥奪され追放される。
2012年9月3日、文鮮明師聖和
天暦7月17日午前1時54分。
2013年2月22日(陰暦1月13日)、3回目の聖婚式。「基元節」は幻となる
 一つ目は何かというと長子権復帰であり、二つ目は何かというと、父母権復帰です。分かりますか? 父母権復帰です。三つめは何かというと、王権復帰です。四つ目は何かというと、皇族圏復帰です。皇族というのは、レアを中心とした女と子供とラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っているのだから、皇族というのはイエス様の直系の子供ではないのです。分かりますか? @ 堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちが復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神の正妻になって、妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。分かりましたか? (はい)。(『訪韓修練会御言集』p131)



<参照>
 エバの摂理完了と男性復帰(上)
 原罪からの解放

    (D)完成の聖婚式と「基元節」の失敗
 基元節はすべての堕落による人類歴史が清算されて、神を中心とした本然の世界の出発となるべきでした。イエスの復活後しばらくして“キリスト紀元”が定められたように、残された歴史が清算されて本来の基元節を迎えることできるのです。





  A 思想戦から大艱難時代へ
 このように、神様を完全に否定して、神側の人々を切ってしまおうと、サタンは取り組んできたのです。そうして、三分の二、すなわち七〇パーセントの地点である蘇生、長成までは勝利したのですが、完成圏は神様のほうに属するので、それは超えることはできません。第一次大戦も七〇パーセント以上、サタンが勝ったし、第二次大戦も七〇パーセント以上、サタンが勝ちました。さらに第三次大戦も、思想戦●●●を中心とした右翼と左翼の戦いとなり、七〇パーセントはサタンが勝ったような立場に立ったのですが、そこから急に滅びていくのです。サタンは完成圏を侵略することができないからです。このように、公式的な闘いをしてきました。先生の言うように、第一、第二、第三次世界大戦は、先に打って攻撃●●●●●●●してきたサタンのほうが、みんな負けたのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p293〜p294)



<参照>
 1. 「世界戦争」とは何だったのか
 11. 大患難時代、キリストの再臨、千年王国の到来|聖書の教え


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