復帰摂理歴史の真実
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■ 第三部 第一章 
 第一節 幻となった基元節(上)


1. 通らなければならない危機
 (1) 真の愛による秩序の回復
  @ 二人のエバと一人のアダム
    (@) 流れ下る愛
 父と息子、父子が一つになるときには、家庭はいくらでも築けます。息子の家庭も築け、父の家庭も築けます。父一人はだめです。息子一人でもだめです。息子がどうして父の家庭になれ、父がどうして強制的に息子の家庭になれるでしょうか? 父子が一つにならなければなりません
 母子が一つになって復帰しましたよね? 今は父子が一つにならねばならないのです。「父子一体は万事能通」なのです。皆さんはこれから戻って祝福を受ければ、母親の言うことではなく、父親の言うことを聞かなければなりません。大きくなって母親の言うことを聞けば滅びます。雌の鶏が鳴くと何ですか? 家が栄えると言われていますか? 滅びると言われています。それでは雄の鶏が鳴くとどうですか? 反対ですから、雌の鶏が鳴けば滅びるならば、雄の鶏が鳴けば家が栄えるという意味ではないですか? 統一教会の信徒たちは、雄の鶏が鳴くのです。
 男性の権威を取り戻すのです。天使長ではありません。愛の権威を取り戻すのです。浮気をして妻に「こいつ、何だ!」と言われたり、顔を引っかかれて追っかけられる者ではありません。(『主要儀式と宣布式 W』p41〜p42)

 旦那さんは天です。愛するときには旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係を持つときには、男は上、女は下です。ですから、愛を中心とすれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆てんぷくするのです。基本的に、男から愛をもらおうとする際、愛は一番下へ流れていきます。空気と同じです。ですから旦那さんも、愛をもらうには奥さんに頭を下げないといけません。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでからも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死ぬとしても、愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目なのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p305〜p306)

 これまで見てきた “解けないハン” と、“解けるハン” に対する「正妻と妾の2人のエバ」に対する復帰摂理は、最初となる夫と正妻となるのは、霊的真の父(イエス)と霊的真の母(聖霊)であり、キリスト教である。
 では、「解けないハン」とは “なぜ解けないのか” と言えば、人間始祖の堕落によって神と人間の関係が断絶されてしまったことが「神の恨」となってしまったことによって。そのため、キリスト教においては、人間と神との間に、“十字架●●●によって霊的キリストとなったイエス” が永遠に仲保者として必要●●●●●●●●●●●であり、神の愛を “犠牲的●●●無償●●の愛” と限定してしまったことにある(「二つの「恨」と文先生の摂理」参照)。
 一方、蕩減●●復帰摂理において長子権を取り戻したアベルは、神が愛することのできる対象となり得ることによって、解ける恨の立場に立つ妾を母とする “再創造摂理圏” に属するようになる。母子協助によって長子権を取り戻したアベルは、その延長線となる “御言葉と一体の愛” による父子協助によって、長子から次子、次子から三子へと神の愛が上から下へと流れなければならない。この流れを整えるのが、本来の「夫婦協助」としての父子協助と一体となった母子協助である。勿論、この夫婦協助は、父子協助となる “御言葉と一体の愛” に沿っていることが絶対条件となる。
 尚、愛に対する譬えとしては、霊界では呼吸する空気に譬えられるが、地上界では上から下へ流れる水に譬えた方が的確な表現である。

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
 エバの摂理完了と男性復帰(下)

    (A) 父子・夫婦・母子協助の正しい概念
 み旨から見た時、神様を中心として母子協助を成すためには、父娘協助と夫婦協助が成され、次に母子協助が成されるのです。これが原則です。分かりますか。ですが、神様は逆に摂理してこられるのです。父親と母親の関係がないのに、母子関係があります。夫婦協助がある前に母子協助があり得ると思いますか。聖書を見てみると、今まで母子協助だけしてこられました。異常でしょう? 逆にしてきたというのです。(『神様の摂理から見た南北統一』p1080)

 人類始祖となるアダムとエバに堕落が無ければ、神とアダムとの関係は父子関係が成立すると同時に、神からアダム(子女)への “父子協助” の愛の関係が成立するはずでした。これと同じくして、アダムの相対関係●●●●となるエバにも “父娘協助”(左図赤@)の基準が立ち、両者の結婚によってアダムを愛の主体とした “夫婦協助”(左図@)の関係が築かれます。こうすることによって、母から子女に対する愛は “母子協助”(左図赤A)となって、父から子女への “父子協助”(左図B)へ導かれ、神の愛が父母を通じて子女へ継承されていきます。
 しかし、これが人間始祖の堕落によって、神からの父子協助と父娘協助ができなくなったため、神の復帰摂理は母性を始めとする母子協助が出発点となったのです。男性が家長としての父権を取り戻していくに従い夫婦協助の道が開けて誕生したのがイエスの誕生でした。
 ところが、イエスの時は、奇跡●●によってエリサベツ(正妻:カイン)とマリヤ(妾:アベル)が一体となることによって、エリサベツとマリヤを母としてザカリヤを父とした夫婦協助の確立が可能となったのです。ところが、ザカリヤを父として、イエスをアベル、ヨハネをカインとするアベルからカインへの愛の秩序を確立するにおいて、ザカリヤからマリヤへの夫婦協助は勿論のこと、マリヤが天使長の立場に立つヨセフの言いなりになってしまい、母子協助としての使命を果たせず、この摂理はイエスの磔刑となって失敗してしまったのです。

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
 イエスの誕生の秘密(上)
 イエスの誕生の秘密(下)
 イエスの30年準備時代と十字架



  C「助け手」としての補完関係
    (@)秩序と愛の関係
 さて、「秩序」とは “物事の正しい順序”、“筋道” のことである。愛にも “愛するもの” と “愛されるもの” との間に筋道としての秩序が存在する。愛とは喜びを得ることを目的として愛する以上、愛を受け取る側がそれを「享受」しなければならない。享受とは「受け取って自分のもの」にすることであるが故に、愛することで喜びを得ようとする神の愛に対して、愛される人間が神の愛を “喜び” として受け取ることができなければ、神の愛に対しての喜びとして返らない。その為、神の愛を享受するということは、神の愛を謙虚に、至善として受け入れ、その目的を自らの目的にできなければ、「神の愛の享受」には到底至れないことになる。故に、“神は如何なるお方で居られるか” を知らなければならない。これが、神との相対基準を結んで、授受作用する筋道と言える。

<参照>
 愛の秩序と心の論理 (东西哲学与文明互鉴研究中心教授 張偉 : PDF / 本サイト

    (@)「助け手」としての聖書的観点
 さらに喜びの内容である相似性には、相補性という一面もある。つまり、主体は対象の中に自分に不足している特性を見て喜ぶのである。例えば、男性は女性の中に、自分に不足しているやわらかさや美しさを見て喜ぶのである。
 それは第一に、人間は単独では全一者ぜんいつしゃにはなりえず、神の陽性を属性としてもつ男性と、神の陰性を属性としてもつ女性として分立され、両者が合性一体化することによって、神の二性性相の中和の姿に完全に似るように造られたからである。
 ところで、この相補性を一種の相似性として見るのは、人間は誰でも、心の潜在意識の中に自己に不足している部分が満たされることを願う映像をもっているので、現実的にその映像どおりの対象に対するとき、不足した部分が実際に満たされ(相補性)、喜びを感じるようになるからである。そのとき、その対象は鑑賞者の心の中にあった映像と同じであるために、その点において相補性は相似性の性格をもつようになるのである。(『統一思想要綱』p420)

 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手●●●を造ろう」。(創世記 2章18節)

 創世記2章18節の「人がひとりでいるのは良くない」というとき、この「人」は二性性相であられる神に似せて創造された二性性相としての「人」であるから、男性と女性の総称として「人」という概念があり、二性性相としての「人」は相対関係にあり、互いが向き合って対応して、互いの不足を補い合うというのが「相補性」の持つ意味である。では、何が互いに足りないと言うのであろうか。
 神の愛は、上から流れ下る。この神の愛を、堕落によって失った天上の愛として地上で再構築できるのは、神のかたちに似た二性性相としての夫婦による家庭ということになる。家庭が “神の愛の核” となり、男性は夫あるいは父として、奉仕によって外的環境における秩序を正し、神の愛を家庭に下ろしてくる責務があり、女性は妻あるいは母として愛によって内的環境における秩序を正し、神の愛を子女を通じて未来へ繋ぐ責務があるのである。この女性の責務こそ本来の「内助」とされる。

<参照>
 『創世記』に見られる女性観 (藤女子大学人間生活学部人間生活学科教授 木村晶子 : PDF / 本サイト
 聖書的な妻 講座:助け手

    (A)「助け手」としての「内助」
 女がその夫、家庭そして家族のために身を捨てることは、男が主君と国とのために身を捨てるのと同様、自発的かつみごとになされた。自己犠牲 self-renunciation ――これがなくては、およそ人生の謎は解けない――は、男が忠義を果たすのと同じく、女の家庭生活の基本だった。女が男の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷ではなかったことと同じである。女性の果たした役割は、「内助」すなわち内側の助けとして認められた
 奉仕のヒエラルキーのもとでは、女は男のために自分を捨て、これによって男は君主のために自分を捨てることができ、主君はそれによって天に従うことができた
 私は、この教えに欠点があることを知っている。
 キリスト教の優れた点は、生きとし生ける者それぞれに創造者への直接の責任を要求すること●●●●●●●●●●●●●●●●●に、もっともよく現れている。それにもかかわらず、奉仕の教義――自分を犠牲にして高い目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中で最大であり、彼の使命の神聖な基調であった――に関する限り、武士道は永遠の真理にもとづいていたのである。(『 現代語訳 武士道 』p157〜p158)

 神は人間の創造主として全責任を有している。神の人間に対する愛(アガペー)は、無限において人間を愛しおられ、神が人間を愛することで何かの利益を得る訳ではないので「無償の愛」とされ、それは「不変の愛」でもある
 しかし人間の堕落によって、神の救いにも順序が生じた。復帰摂理において夫婦協助と母子協助の順序が逆となったように、その順序も逆となって、妻の夫に対する奉仕によって夫の神へ奉仕が回復され、愛の秩序を取り戻すことによって神の愛が家庭に下りてくる。また、母の子女に対する奉仕によって、子女達の秩序が回復され、下りてきた神の愛で家庭全体が満たされるようになる。この様な “妻” あるいは “母” の奉仕を復帰摂理上の「内助」と言ったのである。奉仕の教義” とは「自分を犠牲にして高い目的に仕えること」を言うのは勿論のことである。



 (2) 失われた基元節
  @ 蕩減復帰摂理の終焉となる基元節
『事必帰正』(郭錠煥 著)

 私のこれまでの信仰路程を通して真の父母様の摂理路程を見つめる中で、ここ10年余りの間に起こった統一家の不幸な事態に関して、特に重要であると思った内容について、可能な範囲でもれなく記録しようと努めました。
 本文で、私は個人的な信仰路程をはじめ、真の父母様の業績と遺志、統一家の試練と混乱、昨今の家庭連合の状況、そして最後に、顯進様のビジョンと活動について証言しました。私はこの本を書きながら、多くの反省と悔い改めの時間を持ちました。しかし、一つだけ確かなことは、この本は誰かを審判するためのものではなく、統一家の混乱の原因を正確に明らかにし、再びこのようなことが起こらないように、次世代に警鐘を鳴らすためのものだということです。<終わりにより>

 基元節という名称が、始めから存在していた訳ではありません。当時、公式名称こそ分かりませんでしたが、真のお父様が歴史のある時点に線を引き、目標とすることを示唆されたのが、2001年1月13日の神様王権即位式でした。それは言わば、象徴的な基元節であり、お父様はその時、未来に実体的な神様の王権即位式がなければならないと語られたのです。
 そうして数年が過ぎる中で、私たちは知りませんでしたが、真のお父様は準備しておられました。2005年9月2日、真のお父様は日付を定められ、2013年1月13日までに成すと確定し公布されました。「基元節」という名称を発表されたのは、それから5年後の2010年2月19日でした。初めて基元節を制定し、公布した当時の漢字は「起源節」でした。2011年10月17日に「基元節」として、再度、規定されたのです。
 基元節は神様の創造理想、地上天上天国が築かれる日です。
 アダムとエバが堕落せずに神様の真の愛を完成し、神様の前に完成した真の子女となり、真の夫婦を成して、真の子女を持てば、真の父母になります。その真の家庭は神様の真の愛・真の生命・真の血統の実体的根源であり、根となるのです
。この真の父母を中心とした真の家庭から、創造本然の理想世界、永久的な平和統一理想王国である天一国が始まるようになるのです。長子権・父母権・王権も、この真の家庭の四大心情圏と三大王権の家庭的完成の基台の上で、自動的に確立されるようになっています。(『事必帰正』p406〜p407)

    (@)13数の意味と基元節
 2013年1月13日に込められた「13数」はユダヤ教で聖数とされており、ヘブライ語で「愛」や「一つ」という意味がある。13に13を加えると26(13+13=26)になるが、26はヘブライ語でユダヤ教の神(ヤハウェ:Yahweh)を意味する。つまりこの数式は、「愛で一つとなった夫婦は神に等しい」ことを暗示している。文先生は、13年の13日という基元節の日にこの意味を併せられたのである。
 その「神に等しい夫婦」とは、正しく神様の真の愛を完成したという、堕落の陰りも無い●●●●●●●●真の家庭の中心核となることを言う
 それには、「“解けない恨” の立場を象徴する正妻(カイン)」が、「“解ける恨” を象徴した妾(アベル)」と一体となり、堕落によって生じた “カイン・アベル問題” を、自らも含めて●●●●●●全て解決し、解消したという立場に立たなければならないのである。

<参照>
 『13』という数字

    (A)完成期への出発点となるべき「長成の聖婚式」
 真のお父様がこの地上に降臨し、新婦圏であるキリスト教と、彼らが果たせなかった責任を代わりに果たすために設立された世界基督教統一神霊協会、通称「統一教会」の新婦圏の基台の上で、真のお母様を選び立て、1960年に聖婚されたのです。その聖婚式を真のお父様は蘇生の聖婚式と言われ、2003年の聖婚式を長成の聖婚式、そして基元節に行う聖婚式を完成の聖婚式だと言われました。このような基元節をみ旨の通りに探し立てることが、お父様の生涯の願いであり、使命でした。(『事必帰正』p407〜p408)

 さて、「蘇生の聖婚式」は1960年4月11日(陰暦3月16日)に挙行され、歴史を遡って蕩減復帰された摂理は、堕落によって失われたアダムとエバの真なる結婚を2003年2月6日(陰暦1月6日)に「長成の聖婚式」として取り戻しました。文先生はこの時を迎えるために「蘇生の聖婚式」から43(40+3)年、25歳(1945年)で公式的に摂理を担われた時から数えれば58年に渡る歳月を費やしました。この聖婚式によってアダムとエバの堕落した長成期完成級を超えることにはなりますが、その為には堕落によってアダム家庭に生じた傷跡を消し去っておかなければなりません。それは、堕落したアダムとエバの偽りの愛によって生じたカイン・アベル問題です。カイン(長子)がアベル(次子)を殺害したのですから、カイン(長子)がアベル(次子)を生かさなければなりません。これは、蕩減復帰上のカイン・アベル関係としてではなく、本然の家庭における兄弟関係として再構築することを意味します。その為には、復帰摂理のために逆になった “母子協助から夫婦協助” を、本然の “夫婦協助から母子協助” の順に正して “父子協助を確立” しなければなりません。
 その為、最初となる「夫婦協助」が真の母韓鶴子)に摂理として課せられた、1991年の「世界平和アジア婦人連合」(後の「世界平和女性連合」)創設以降に始動した世界巡回講演でした。
 次に「母子協助」となるのですが、それは1998年7月19日に米国ニューヨークのマンハッタンセンターで、文顯進ムン・ヒョンジン様が世界平和統一家庭連合世界副会長に就任され、父である文先生の使命と権威を継承する長子として祝福された。その後の午餐と祝賀公演が開かれ、兄である文孝進ムン・ヒョジン様が、文先生の摂理的使命を継承された顯進様の前途を祝賀された(『事必帰正』p141〜p144)たことによって、顯進様は実質的に “解けないハン” としての復帰摂理上のアベルから、“解けるハン” としての本然の長子としての立場を取り戻したことになる。これによって母子協助によって父子協助まで辿り着いた復帰摂理は、本然の夫婦協助から母子協助が成され、父子協助による “真の愛の承継” を完成させ、人類始祖における “堕落の根” となる痕跡を消し去っておかなければならないのである。しかし、この時から既に夫婦協助にひびが入り、母子協助が出来なくなっていたのである。
 2007年4月から6月まで、韓国と日本、米国でお母様を中心としたみ言葉巡回がありましたが、お父様は韓国大会から顯進様夫妻を共に随行させました。
 ところが、決定的にお母様の心境に大きな変化を与える契機が訪れました。日本巡回が終わり、お父様がお母様と顯進様に米国巡回を指示しながら、「お父様のみ言葉を顯進様が代読し、お母様は息子を紹介せよ」とのみ言葉を下さいました。このような指示は、梁昌植米国大陸会長とマイケル・ジェンキンス米国協会長を経て、行事を準備する実務者たちに伝達されました。
 お父様の措置は再度、お父様の権威を誰が相続するのか、世の中と全体の前に現す意味がありました。すでにお父様は、お母様が聞いている場で、顯進様に「これからお父様の代わりに、全てに責任を負うことができるようにせよ」というみ言葉を下さいました。すでに宣布された通り、母子協助時代が終わり、父子協助時代、二世時代が到来した摂理進展を実証されたのです。しかし、お父様は公的場でその意思を明らかにされたのです。
 以前のお母様なら、そういうお父様の指示に従い、協助されたでしょう。しかし、高齢になられたお父様に対するお母様の態度は、明らかに大きく変わっていました。
 結局、お母様は、大胆にもお父様の指示を無視されました。米国に到着した後、顯進様がお母様を紹介し、お母様がお父様のみ言葉を読むようにされたのです。
 「顯進様を立てたお父様の意思に同意しない」というお母様の公式的な反発でした。ある意味、お母様は、「妻を選ぶのか、息子を選ぶのか、決定せよ」という深刻なジレンマをお父様に投げかけたのです。
 こうした状況において、お父様周辺の不義なる指導者たちが先頭に立ち、「お父様の次にはお母様が実権を握る」という政治的判断によって、お母様の意思をより優先し、お父様を孤立させていくのです。(『事必帰正』p187〜p188)


    (B)2008年4月6日での特別儀式が意味すること
<参照>
 お母様、顯進様、國進様が一つになったという特別儀式 於:ハワイキングガーデン
 その最初の試みが2008年4月6日にあったハワイ儀式に関する広報でした。
 金孝律氏は、この行事を真のお母様の完成宣布儀式として宣伝しました。これによってお母様は完全であり、お父様と同格であるとしました。これが発端となって鮮文大学校神学大の呉澤龍(オ・テギョン)教授は、「真のお母様、神様の婦人論」を主張しました。
 一方、この行事でお父様は、顯進様と國進様を各々お母様の右側と左側に立てた後、祈祷をされたのですが、これを根拠に家庭連合は「顯進様は堕落したアダムの立場、國進様はイエス様の立場、亨進様は再臨主の立場」という論理を展開しました。「顯進様がカインであり、國進様はアベル」という論理も出てきました。
 お父様の摂理的な儀式を政略的利害関係に従い利用し宣伝する様子を見ながら、私は苦々しさを禁じ得ませんでした。神様を中心として侍る、堕落と無関係な真の家庭の中で、「神様の夫人」だとか、「カイン・アベル関係」だとか、「堕落したアダム」だとか言うことが、あり得る主張でしょうか。
 この儀式について、顯進様が記憶している内容は異なっていました。
 顯進様の説明によれば、霊界では長子の孝進様が弟の立場であり、次子の興進様が兄の立場となって、兄と弟の位置が入れ替わっていますが、地上では顯進様が霊界の兄である興進様の位置と役割を代身し、國進様が霊界の弟である孝進様の位置と役割を代身するという意味だったということです。お父様がこの儀式を行った背景には、「真の家庭内でお母様が家庭の秩序と兄弟間の秩序を正しく立てる責任を果たさなければならないという期待が込められている」と顯進様は見られました
 それにも関わらず、家庭連合側は真の家庭に復帰摂理の論理を引き入れ、「カインがアベルに従順屈伏し、お母様を通してお父様の前に出なければならない」という概念で解釈し広報しました。これは、母子協助時代を終結し、父子協助時代を拓いていかれるお父様の意図に逆行する主張でした。本然の兄弟間の秩序が定着すべき真の家庭内に、堕落したアダム家庭で適用されたカイン・アベル関係の原理を引き入れ、結果的に父母様の家庭を復帰摂理の原則に拘束される家庭へと転落させたのです。(『事必帰正』p197〜p198)

 一つ目は長子権復帰であり、二つ目は父母権復帰です。分かりましたか? そして三つ目は何かというと、王権復帰です。四つ目は、皇族圏復帰です。レアを中心とした女と子供、ラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っています。皇族というのは、イエス様の直系の子供ではないのです。分かりますか? 堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちが復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神側の正妻になります。残された者は妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。反対にして帰っていくのです。分かりましたか? (「はい」)。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p134)

 「顯進様と國進様を各々お母様の右側と左側に立てた」と言うのは、前ページの「日本神話に見る復帰摂理」でも述べたように、「右上位」を基本とした文先生の指示であり、お母様を中心にして、右側の顯進様が左側の國進様より上位に位置することを示している。
 これは、神の愛は秩序に従って “上から下へ” であるから、長子の立場に立つ顯進様の愛を次子の立場に立つ國進様が受け入れ慕うように、お母様は國進様に母子協助しなければならないのである(左図)。
 これによって長子と次子が愛によって一体となれば、サタンの前にアダムとエバの堕落による “偽りの愛” の痕跡が解消された “真の愛” による真の家庭の成立を実証することとなる。

 今から行う式典は、お母様が主管する。2人の息子はお母様に絶対服従すること。お母様を中心にカイン・アベルが一つになり、エバが夫の立場のアダム(上図)を堕落させたことを元返して、(上図にぴったり従い越えていくことによって、堕落以前の神様に直接連結された真の愛、真の生命の因縁に一致すれば、真の血統に連結されるので、サタン世界とは何の関係もない、神様とのみ対することのできる一心一体一念一和一核の自由・解放の地上天国にならざるを得ない
 真のお父様の前にカインとアベルを一つにしたお母様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、また全てが絶対信仰・絶対愛・絶対服従、自信満々に各者が完成の道を行かなければならない。真のお父様の道がどれ程難しいことであったかを理解しなければならない。そのような道を代りに行こうとする時に、難しいと考えるのではなく、千回万回死ぬようなそのように信じ難こも、感謝の思いでしか越えることはできない。解放的、釈放的生き方は心と体が一つにならなければできない。一生懸命準備して、2013年1月13日までに、一族全体を完成すべき召命的責任が残っていることを自覚しなければならない。勝利者となることを許諾したので、自信満々、堂々と各自が完成する主人とならざるを得ない。アージュ!(2008年4月6日「第49回真の父母の日」名節記念儀式にて)

<参照>
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理

    (C)2008年12月24日のみ言葉が意味する6数
<参照>
 神山威会長が全世界の祝福家庭と食口に送るメッセージ
 顯進が真ん中に立ちなさい。國進が左に立って!亨進は全体に責任を持つので右に立ちなさい!お兄さんを中心に、父母様と神様を中心に一つとならなければなりません。6数が一つになるのです。このような数を合わせなければならないということを知っているので、一つにならばければ駄目です。中心がなく、神様がいなければ真のお父様と真のお母様が一つになる道がありませんお兄さんがいなくて、中心がなくては弟が一つになることはできないのです。(天正宮 「新しい神殿と祖国光復」2008.12.24)

 さて、「顯進が真ん中に立ちなさい。國進が左に立って!亨進は全体に責任を持つので右に立ちなさい!お兄さんを中心に、父母様と神様を中心に一つとならなければなりません。6数が一つになるのです」とはどの様な意味を持っているのでしょうか。
 顯進様を中心として、亨進様が右で國進様が左というのは、右・左と言うのは先に述べた「右上位」のことを意味しますが、ここでなぜ7男の亨進様が右で、4男の國進様が左となるのでしょうか。
 顯進様は既に長子権を復帰されておられるので “解ける恨” 側に移行されておられます。しかし、“解けない恨” 側に残っている國進様と亨進様はカインとアベルの関係です。アベルの立場に立つ亨進様が長子権を復帰することで “解けない恨” から “解ける恨” 側へ移行し、亨進様は既に “解ける恨” 側で長子として立つ顯進様の右側へ位置することになります。しかしこの場合、亨進様は顯進様の意思を受け継ぐことのできる心情的関係を築いていないといけません。更に、残されたカインとしての國進様は亨進様を慕っていくことで、妾が正妻を慕うように、“解けない恨” 側の正妻が、“解ける恨” 側の妾を慕うことで人類始祖アダムとエバ以来面々と引き継がれた原罪としての罪の根が忽然と消え去り、“真の(神の)愛” を「根」とする理想世界への第一歩が成される「基元節」が成就するはずでした。
 なお、「6数」とは神の天地創造における6日目となる、初めに神を中心として父母が、次にその父母を中心として子女が、それぞれ三位一体を築き、“堕落の影が一切ない真の家庭を完成させて復帰摂理の終わりを告げる” 神が安息される前段階を示しています。

    (D)教会幹部の捏造と陰謀
<参照>
 第3章 誰のための陰湿な行動と捏造と讒訴でしょうか(『事必帰正』より)

 ところが、2009年1月「万王の王神様解放圏戴冠式」(「真の平和世界と真の父母UN世界の安着」参照)に以下のような事がありました。
 後日、天宙史的な混乱が発生し、末っ子である亨進様が「神様戴冠式の行事で王冠を被り参加したこと」を根拠に、または「お父様の寝室でお母様の強要によって作成された文書」を根拠に、自分がお父様の後継者であることを宣言された。(『事必帰正』p145)

 これまで述べてきたように、真の父として立たれておられる文先生の 後継者は顯進様です。しかし、お母様は亨進様を後継者に立てることによって神の “解ける恨” による「愛の秩序」を完全に狂わせてしまいました。
 2008年7月19日、文先生ご夫妻を乗せたヘリコプターが清平の山中に不時着する事故が起き、数人の負傷者が出たものの全員命に別状はなく奇跡的に助かりましたが、翌年の「束草ソクチョ霊界メッセージ捏造事件」(『事必帰正』p216〜p223)以降に顕進様は公職のすべてを剥奪され追放され、文先生は天暦7月17日(2012年9月3日)午前1時54分に聖和されることで “完成の聖婚式” と「基元節」は完全に幻となってしまいました

<参照>
 怨讐を愛する原点
 大人になれ!ペテロの最後の言葉
 エバの摂理完了と男性復帰(上)
 原罪からの解放


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