3. 幻となったアダム国家
■ 幻となったエバ国家による天使長からアダムへの国家復帰摂理
1 アダムとエバの復帰摂理と完成
図1
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<参照>
図2
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<参照>
2 準備された満州国とは
さて、全ページの2項で次のように述べた。
図3
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右図は、 文先生誕生の1920年代以降に予定された摂理である。1920年当時、朝鮮半島は日本国に併合されていた(図2左)。文先生誕生の国籍は日本である。
日本は、日清、日露戦争に勝利し、戦勝国となっていた。もしも日本が戦勝国のままで、文先生を中心とする復帰摂理が成功を収めれば、その功績は一挙に全世界へ拡大することとなったであろう。しかし、残念ながら日本政府は太平洋戦争へと舵を切り、結果的に敗戦を招いてしまい、右図の中央から右の摂理は幻となってしまった。
日本は、エバ国家となれないばかりか、戦前に準備された天使長国家も幻と消え去ってしまい、アダム国家としての昇格もできなくなってしまった。
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図4
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1932年に建国された満洲国(図4)は、建国にあたって自らを満洲民族と漢民族、蒙古民族からなる “満洲人、満人による民族自決の原則に基づく国民国家” であるとして、建国理念としての日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」と「王道楽土」を掲げた。
しかし、満洲国はこのような理想世界を標榜しながらも、日本がその道を誤って絵に描いた餅としてしまい、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦によって1945年8月18日、建国より僅か13年5ヵ月で滅亡してしまった。
そこでここからは、摂理国家となるべき建国された満洲国が何故この様な結果となってしまったのかを述べることとする。
3 孫文による中華民国の成立のと蔣介石の北伐
孫文は、清国広東省香山県翠亨村(現:中山市)の農民の家に生まれた。父親が53歳、母親は38歳の時に5番目の子として生まれ、当時は兄2人と姉2人がいた。兄と姉1人ずつは幼くして亡くなり、12歳の時に地域で信仰されていた洪聖大王の木像を地元の子供達と壊したことから兄の監督下に置かれた。
その後、当時のハワイ王国に出稼ぎに渡っていた兄からの支援を得て、1878年に母と共にオアフ島ホノルルに移住したが、兄や母は孫文が西洋思想(特にキリスト教)に傾倒することを心配し、1883年に中国に戻され、帰国後はイギリスの植民地の香港にある香港西医書院(香港大学の前身)で医学を学び、次第に革命思想を抱くようになった。
- 1894年に清朝の打倒を目指す革命団体興中会を結成し、以後、生涯にわたって革命運動に従事する。
- 1896年に日本からハワイ、アメリカを経てロンドンに入った孫文は、清国の公使館に連れ込まれ、監禁される。しかし、この事件を知ったイギリス政府が孫文の解放を求めて釈放となった。
- 1905年、これまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集して、東京に中国同盟会が結成され、孫文は総理となり、ここで東京に留学中の蔣介石と出会う。
- 1911年、辛亥革命が勃発して中華民国臨時政府が成立(中華民国は1912年に共和国として南京で成立した)し、孫文は臨時大総統に就任する。しかし、その地位を清朝の実力者であった袁世凱(第2代中華民国臨時大総統となった後、初代中華民国大総統に就任)に譲るが、政権を掌握した袁は孫文らの勢力を圧迫し、孫文は再び革命を起こすが敗れて日本に亡命する。
- 1912年1月1日、辛亥革命の中、南京で中華民国臨時政府が成立。
- 1912年2月12日、清の宣統帝(1934年に満洲国皇帝に即位)が退位し、清朝が滅亡。
- 1912年3月、袁世凱が臨時大総統に就任し、4月に北京へ政府を移転。
- 1913年10月、正式な「北京政府」が発足。
となる。
- 孫文が日本に亡命していたのは1913年から1916年の間とされ、1914年には中華革命党を東京で組織する。中国へ帰国した孫文は、1919年には中華革命党を改組して中国国民党を結党して北京政府を打倒するための準備を進めた。
- 1924年1月に、広州で孫文の主導する中国国民党の第1回全国代表大会が開催され、「連ソ・容共・扶助工農」を加えた新三民主義を掲げて、“中国国民党への共産党員の加入を認める” と改組され第一次国共合作が成立した。
- 1924年12月、孫文は北京に到着すると、その体は既に末期の肝臓ガンに冒されていて、1925年3月12日に北京協和病院で死去した。
国共合作は、中国国民党と中国共産党が協力関係を結んだ2度の歴史的提携である。第一次(1924年〜1927年)は軍閥および北京政府に対抗する共同戦線であった。1925年に孫文が死去すると蔣介石が国民革命軍総司令官となって実権を握り1926年に北伐を開始した。
蔣介石は1927年4月12日の上海クーデターを起こして共産党勢力や労働組合の粛清を図り、4月18日南京に南京国民政府を樹立した。蔣介石はこれに反対する武漢国民政府を屈服させ、1928年6月には軍閥政府の根拠地である北京を陥落させた。1928年10月、蔣介石は全国統一を受けて国民政府主席に就任し、これで国共合作は事実上の崩壊となる。
第二次(1937年〜1945年)は、抗日(日本軍への抵抗)を目的とした。北京での盧溝橋事件と第二次上海事変に至る上海で続いた日本軍との軍事的衝突の矢面に立たされた蔣介石国民政府は、ソ連との中ソ不可侵条約締結と共産党の合法化による共産主義勢力との連携で難局の打開を試みた。
<参照>
・ 孫文と日本
・ 中国の国共合作
4 満洲国の掲げた「五族協和」は “アジアの連帯” という明治維新の理想であった
<参照>
・ 満洲建国の真実 建国の高き志「五族協和」(京都大学名誉教授 中西輝政: PDF / 本サイト)
- @)日本の領有権とロシアと中国
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下関条約における遼東半島の割譲
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日本は日清戦争(1894年7月25日〜1895年4月17日)後の下関条約によって、日本は清国から遼東半島の全域と奉天のすぐ南までの広大な地域を割譲され、その永久の領有が認められていた(左図)。ところが、満洲への野心を持つロシアが、独仏を誘い武力による威嚇によって、それを清国に返還させる「三国干渉」(1895年)が起きる。
ロシアは、日本から奪った遼東半島を「租借(1920年までの25年間に渡る租借権)」という形で自らの支配下に置き、清国領の満洲全土を不法占拠し、朝鮮に狙いを定めた。これに日本の危機感は頂点に達し、日露戦争(1904年〜1905年)の開戦となった。
ロシアに勝利した日本は、アメリカのルーズベルト大統領の斡旋によって日本とロシアの間で結ばれたポーツマス条約(1905年9月4日)によって、ロシアから遼東半島の一部の租借権益と長春以南の鉄道権益(後の南満州鉄道=満鉄:右図の赤)を譲渡された。また、日露協約(1907年〜1916年の4次に亘る協約)の秘密条項では、日本はロシアの外蒙古における権益、ロシアは日本の朝鮮における権益を認めた。
<参照>
・ モンゴルと内モンゴルの違いは?5つのポイントで解説
・「外蒙古」と「内蒙古」
満洲国は、満洲事変(1931年9月18日)により日本軍が占領した満洲(現在の遼寧省・吉林省・黒竜江省の3省)と、内蒙古自治区の東部を範囲とする熱河省を領土として1932年に成立している。
さて、この様な満洲国建国の領有権における問題であるが、日清戦争、日露戦争と日本が戦勝を重ねて満洲南部の領有権を獲得した。しかし、外蒙古を含む満洲北部のエリアは、17世紀から19世紀にかけてこの地域は中露両国の国境が画定されておらず、両国の影響力が混在したり、実質的に無人の緩衝地帯であったりした期間が長かった。
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右側の薄い赤が外満洲:条約でロシア領と確定した部分。なお、ロシア帝国が設置した「沿海州」は「沿海地方」のほかオホーツク海沿岸全域に及んでいたことに注意すべきである。
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17世紀、ロシアがシベリアを東進する中で、清朝(女真族)の領土的故地である黒龍江(アムール川)流域は国境が明確でないため、ロシアの探索隊と清軍が小競り合いを繰り返していた。1689年に結ばれたネルチンスク条約で、清とロシアは初めて国境を画定したが、常に領有権を巡る緊張状態が続いた。
しかし、アロー戦争(第2次アヘン戦争:1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争)で英仏連合軍に敗れた清は、ロシアを仲介とした北京条約(1860年)によって漸く正式に国境が確定(右図)することになった。
<参照>
・ 満洲還付条約
ここで問題となるのは、内蒙古の熱河省である。
1932年、日本の関東軍は中国東北を軍事占領し「満洲国」を発足させたが、さらに隣接する内蒙古となる熱河省の併合を企図した。このため翌年2月より熱河作戦(1933年2月23日〜1933年5月31日)を行い、そこにいた東北軍閥張学良の勢力を駆逐し、同省を「満州国」の版図に組み込むことに成功した。
この熱河作戦に当時の中国は全土で激しい憤りを見せ、熱河省(当時は満洲に隣接する中国領)の喪失により対日抗戦の気運が極限まで高まりました。この作戦は、日本が国際連盟の勧告(リットン調査団報告)を拒否し、満洲国を完全に確保するために万里の長城を越えて侵攻した行動であり、中国国内では「長城抗戦」とも呼ばれます。これに対する蒋介石の怒りは頂点に達し、盧溝橋事件(1937年7月7日)を招いて日中戦争(1937年7月7日から1945年8月15日)の開戦となった。
- A)ロシア革命と翻った孫文の三民主義
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- B)袁世凱政権の満洲権益の租借権
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- C)アメリカによる日本への牽制
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- D)満洲国崩壊に至る日本国の誤算
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<参照>
・「満州国」 の 法と 政治―序説 (京都大学人文科学研究所名誉教授 山室信一: PDF / 本サイト)
・ 米ソに翻弄される日本
・ 三つの“外圧”に直面
・ 日英同盟締結
・ 五族共和
・ 関東州
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