復帰摂理歴史の真実 | |||||||||||||||||||||||||||
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■ 第三部 第一章 b. 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理 1. ヤコブ家庭における正妻(レア)と妾(ラケル) <参照> ・ 訪韓修練会御言集 ・ 世界基督教統一神霊協会の年表
(1)復帰摂理における母子協助 @ ヤコブを中心としたレア(正妻)とラケル(妾)
人間始祖の堕落は、アダムが “神の御言葉に対す信仰” を失い、そのアダムがエバとの間に “神の御言葉による愛の関係” を結ぶことが出来なかったことが “堕落の本質的問題” である。結果としてカインとアベルの関係に現象化され、血統として相続された。その為、エバの “神の御言葉に対する不信仰” による堕落(霊的堕落)は、御言葉を信仰するアダムの相対となって愛の関係を結ぶエバ、霊的堕落のエバからみれば怨讐となるエバを愛することによって “蕩減復帰” されるというのが本来の摂理的原理観である。 (@)古代メソポタミア宗教から分立したアブラハムとナホルの子孫における摂理 アブラハムとナホルの父はテラであり、ナホルはラバンの祖父であり、アブラハムはヤコブの祖父である。ラバンの妹リベカがヤコブの母であったので、ラバンはヤコブの叔父である。テラが信仰していた古代メソポタミア宗教をみる前にも、そもそも古代における多神教をどう理解すべきかでるが、『原理講論』には次のように述べてあることが、これを理解するのに最もなポイントとなる。
ナホル(父テラのカナン行きの旅には同行せずにカルデアに残った)を祖父とする北方セム族を代表するラバン(ハランに住む)は、南方セム族を代表するアブラハムの孫であるヤコブと、それぞれにおいて継承した神(古代メソポタミアの多神教と唯一神ヤハウェへの信仰)の名において契約を結ぼうとしたが、ラバンの神認識の曖昧さがアブラハムの信仰を継承したヤコブの神を理解できず、ラケルが父ラバンのテラフィムを盗み出す行為(創世記 31章19節)に至らしめた。この時すでに、レアはラケルをヤコブの愛を奪う怨讐として恨み、イッサカルとゼブルン、娘のデナを産み、ラケルの初産となるヨセフが誕生したのである。これらの事がレアをヤコブの復帰摂理上の正妻に立たせ、ラケルをヤコブの妾として、ヤコブが天使との組打の勝利によって “イスラエル”(「イシャラー(勝つ者)」と「エル(神)」の複合名詞)の名を得て(創世記 32章28節)天使に対する主管性を復帰した。こうして、ヤコブを中心とする復帰摂理が始動したのである。 <参照> ・ 創世神話の系譜 : 古代メソポタミアの資料から(1) (北海学園大学教授 桑原俊一 : PDF / 本サイト) ・ テラフィムの実相 (東北学院大学名誉教授 佐々木哲夫 : PDF / 本サイト) ・ 怨讐を愛する原点 (A)妾としての “愛の怨讐” に対する恨みを残してはならない
こうした関係性での母子協助の終点は、この段階での復帰摂理を完結すべきレアにあるので、レアを正妻として、正妻以上にヤコブの愛を受ける妾の立場に立つラケルを、文先生の言われる様に、正妻(本妻)としてのレアが「姑(リベカ)と婿(ヤコブ)の補助」によって、「本妻であるレアが妾の立場の様に成って」愛の怨讐としてのラケルを愛せば、ラケルを愛することを通して “レアはヤコブの愛する神を愛した” ことになり、レアが堕落エバを象徴した正妻の立場から、復帰されたエバの立場を取り戻した立場に立つことが出来る神の復帰摂理として課せられていたのです。 (B)ユダとヨセフはペテロとパウロの摂理を象徴 創世記32章において、ヤコブは兄エサウの恨みが解かれることを、父アブラハムと父イサクの神に願った(9節〜12節)。途中、イスラエルと言う名を与えられると、ヤコブは兄エサウに敬意をもって出迎えたことで、兄エサウは弟ヤコブを歓迎した(創世記 33章1節〜11節))。その後、ヤコブは兄エサウと別れ、カナンの地に着くと祭壇を建てて「エル・エロヘ・イスラエル」と名づけた(創世記 33章18節〜20節)。この祭壇の名を訳すると「イスラエルの神が神である」となり、イスラエルをヤコブと置き換えてみると「ヤコブの神が神である」となる。 さて、ここから神の復帰摂理は、ヤコブを中心とした正妻と妾による摂理となっていくのですが、その前に、摂理の障害となる問題があります。それは、当時から南北に及ぶセム族には男尊女卑が根強くあったことであり、ラバンの娘に対するのもそうであったし、イエスの時も、女性信徒に対する男性信徒もそうでした。 (B-1)創世記34章 デナ事件の発端となるのは、ハモルの子シケムの直轄地を買い取り祭壇を築き、そこを取り囲むシケムの地の女たちに会おうと宿営から出かけた時のことである。シケムはデナと出会い、シケムはデナに性的暴行を行なった。シケムは懇ろにデナを説得し、父ハモルの許しを得て妻とした(1節〜4節)ことである。 ヤコブとその子らは、この事を非常に悲しみ怒った(7節)。その怒りの矛先を、シケムが割礼を受けていない事とし、シケムと町の人々に割礼を施すことでその場を引き払った(13節〜22節)。しかし、それはヤコブの財産が欲しかっただけで(23節)、決して “割礼による純潔の意義” を理解してのことではなかった。また、ハモルとその子シケムは、妹デナを遊女の如く扱ったので、ヤコブの子シメオンとレビはその怒りを抑えきれず、シケムの町を襲い、男子とハモルとその子シケムを殺し、デナを連れ出した(25節〜31節)。但し、ヤコブは死に際にこの事件を思いだし、二人の息子の残虐な行為を厳しく咎めている(創世記 49章5節〜7節)。 この創世記34章の出来事は、単なるヤコブの物語の一節ではない。これから成される神の復帰摂理の重要な準備的出来事なのである。それは、血統に関わる割礼の問題と、「正妻と妾の摂理」を成す上で、レアを “復帰摂理上の妾に対する正妻としての立場” に立たせるため、レアの “恥” として起こった事件である。ところが、ヤコブの一人娘として生まれたレアの娘デナは、“愛らしく美しかった” のである。その為レアは、娘のデナを妹ラケルと重ね合わせ、この事件を軽視して自らの立場を顧みようとはしなかったのである。この事件のもう一つの問題となるのは、デナの貞操観念は希薄であったことで、シケムの誘惑にひかれる気配を見せたことで起きてしまったことにある。それは何よりも、レアが、夫ヤコブがラケルを愛するのは、正にそれであると頑なに思い込んでいたからに他ならない。 <参照> ・ ヤコブの妻レアの人生(6)試練の連続 ・ 2021年10月17日 主日礼拝説教「ヤコブの娘ディナの悲劇」 (B-2)創世記35章
レアは、夫ヤコブの妻(正妻)であるという立場(有限性)を捨て、イスラエルとしての夫の愛するもの(唯一神とラケル)を愛する(無限性)ことで、新渡戸の言う「信仰の弁証法」によってヤコブの愛を受けることができるようになり、ヤコブを夫とする正妻としての立場を復帰することが可能だったのである。新渡戸の「逆説的に謙虚な信仰の勇気」とは、イサク献祭における勇気を言ったものではあるが、「正妻と妾の摂理」において、堕落したエバの立場から復帰されたエバとしての正妻の立場を取り戻す重要な点であり、“怨讐を愛する” とはそのことに尽きるのである。 <参照> ・ キェルケゴールと新渡戸稲造 ―もうひとつの道― (キェルケゴール協会 早乙女禮子 : PDF / 本サイト) さて、神はヤコブをイスラエルとして祝福し、ベニヤミンを産んだラケルが亡くなると、レアとラケルの正妻と妾の摂理は出来なくなった。レアが産んだ男子は先に産んだ4人と後に産んだ2人。後に産んだ2人は、レアがラケルを妬んで産んだ子なので摂理の対象外。次男シメオンと三男レビも、創世記34章のデナの事件における暴虐によって摂理の対象外(創世記 49章5節〜7節)。更に、嫡子としてのルベンは、父ヤコブの妻ラケルが死んだ直後に、そのラケルの侍女ビルハと姦淫した。その為、父ヤコブの嫡子となる立場は、ラケルの長子であるヨセフに移されることなった(創世記 49章22節〜26節)。 ここで、レアの子で残されたユダは、母レアを代理するための摂理があり(創世記38章)、イスラエルとしての父ヤコブを中心としたユダ(カイン)とヨセフ(アベル)の摂理が始まることとなる。ただしこれは、『原理講論』のアダム家庭から始まるカイン・アベルの摂理ではなく、あくまでもレアとラケルを代理した「正妻と妾の摂理」として成されるもので、摂理上重要なのはヨセフではなくユダである。 <参照> ・ ヤコブの妻レアの人生(5)ラケルの死 (B-3)創世記37章 創世記37章は、ヨセフが夢を見て、それを兄弟たちに話したことに端を発している。ヨセフが預言の如く信じて話す夢の内容を妬んで、ヨセフを亡き者にしようと兄弟たちが企んでいた。そこで長子ルベンはヨセフを助けようとして穴に入れたのは、お仕置きとしてヨセフが身動きできないようにすることによって、兄弟たちの気持ちを鎮めようと目論んでのことである。 丁度ルベンが不在となっていた時、他の兄弟たちはエジプトへ向かうイシマエル人の隊商に遭遇し、四男ユダはヨセフを隊商に売り渡した。 こうした経緯をず知らず、戻ってきた長子ルベンは、穴の中にヨセフがいないことに気付き、辺りの状況から “ヨセフは獣に食われた” と判断して、帰ってから父ヤコブに報告した。ヤコブは、最愛の子ヨセフが亡くなったことを知らされ大層嘆き悲しんだ。ユダは、父をこんなに悲しませ涙させたのは自分にあると、自らの行ないと父に対する無知を悔いたのである。 (B-4)創世記38章 ヨセフを売り渡したユダは、父ヤコブの悲嘆に暮れる姿を見て自責の念に駆られ、ユダは父ヤコブの元を離れて、異邦人でカナン人のシュアの娘を妻に娶った。そして彼女は、長子エル、次子オナン、三子シラを産んで、ユダは長子エルの為にタマルという妻を迎えた(1節〜6節)。 ところが、長子エルは主の前に悪を行い、主によって彼は殺された。更にタマルは、ユダの言い付けでオナンの下に入ると、オナンは兄の代わりになって兄の子を儲けるのを躊躇った。そのため主は、オナンをも殺された。また、ユダは立て続けにシラまでも主に殺されることを躊躇い、タマルに寡婦のままでいさせた(7節〜11節)。 ある時、シュアの娘ユダの妻が死んだ。その後、成人したシラの妻に成れないことを知ったタマルは、ユダの長子としての血統を残すことが出来なくなったので、それを絶えてはならないと舅を騙して関係を結び身籠ったのである(12節〜19節)。この時、タマルが被衣で身を覆い隠していた(14節)ことでユダに無垢な娘と思わせ、血統を按じて覚悟の上でユダの子を孕んだのは媵の立場に立てるようになってのことである。 媵とは、中国の周代の婚姻の形態による側室の一種のことで、当時の天子や貴族が正室を娶るときは、正室の女性の他に同族の姉妹や従妹が媵として付き従ったのである。正室となる女性が子供を産めなかった場合、その代理として媵が子供を産む役目を負った側室の一種である。媵が産んだ子供は正室の子として扱われたことは妾とは異なが、側室とは一夫多妻制の下の身分の高い階層における夫婦関係において、夫たる男性の本妻である正室に対する概念で、本妻以外の公的に認められた側妻や妾にあたる女性指している。嘗て儒教においては、直系の男子が先祖の祭祀を守ることが重視された。また、婚姻制度にも、子孫繁栄や男系相続者の存在が重要視されたことは、ヤコブ家庭の復帰摂理における重要な特徴となる。日本には、ヤコブの子ユダ家の嫁であるタマルの取った行動の根底にある重要な要素を歴史的に培われて来たことは見逃すことの出来ない特質であり、これもまた「正妻と妾の摂理」という視点から捕らえることで浮き上がってくる重要なポイントとなる。 <参照> ・ 創世記 第38章 ・ タマル (創世記) ・ 花嫁衣裳の歴史 ・ 白無垢には綿帽子を合わせるの?角隠しとは何が違うの?憧れの綿帽子について徹底解説 ・【戦国ことば解説】将軍や大名を支え続けた「側室」とは? 徳川」家康の正室と側室も解説
タマルの産んだ双子のゼラとペレヅは、次のように捉えると “血統転換” という「ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理」のページで説明した意味が理解できるでしょう。 そもそもタマルが夫エルの死後、次子オナンと関係したのも長子エルの子を得るためでした(8節〜9節)。しかしそれも叶わず、タマルはその延長線上にあるユダと関係を持ち、その目的を果たさざるを得ない窮地に立たされたと言わざるを得ません。そうしたことから、タマルの産んだ双子のゼラとペレヅにおいて、ゼラが母の胎から手を出したのでその手に緋の糸を結んで長子としての印としたのだが、先に母の胎から出てきたのは糸の結んでいないペレヅの方だった(28節〜29節)。そこで、ゼラはユダとシュアの娘を母とする嫡子エルの長子とされた。これを整理すると、右図の様になる。 ユダの妻の死後、嫁に入ったタマルは、ユダの子ゼラとペレヅを産んだ。シュアの娘をユダの先妻とするならば、タマルは後妻となる。しかしタマルの産んだ子は、その長子がユダと先妻の血統となるゼラであり、次子ペレヅはユダとタマルの子としての立場で生まれた。この先妻と後妻の関係は、広い意味で正妻と妾の関係とも言える。先にの述べたように、復帰摂理上の正妻は堕落したエバを、妾は復帰されたエバを象徴している。嫡子の印のついたゼラが後に母の胎から出て、印の無いペレヅが先に母タマルの胎から出てきたことは、兄が弟になり、弟が兄になって、ユダの摂理的血統は弟ペレヅの方へ転換したこことなる。これが文先生の言われる、血統転換の真の意味であり、ヨセフの夢見た「日と月と十一の星と が “わたし” を拝みました」(創世記 37章9節)の “わたし” は、ヨセフではなくユダとなったのである(創世記 49章8節)。また、このことがマリアという妾の立場から、イエスがキリストとして誕生できる典型的原理となったのである。 (C)ラケルの子ベニヤミンとレアの子ユダ
この事は、正妻としてのレアをユダが代行して、イスラエルとして神が祝福するヤコブの愛する妾としてのラケルの子ベニヤミンをユダが愛したことは、レアが怨讐となるラケルを愛したことに繋がるのです。このことは、ユダ族とベニヤミン族の南朝イスラエル(ユダ王国)と北朝イスラエル(北イスラエル王国)に分裂する遠因ともなっています。 <参照> ・ ヤコブの妻レアの人生(7)死、埋葬、そしてメシアの誕生 ・ 古代イスラエル
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