■ 第三部 第一章
d. エバの摂理完了と男性復帰(上)
1. 堕落世界から理想世界建設へ向けて
(1) 王権復帰と皇族圏復帰
@ 八数定立と天父主義から王権復帰
縦的な蕩減、横的な蕩減、八段階の蕩減が全部終わったので、昨年(一九八九年)八月三十一日を中心として八定式というものを、西欧社会の一番高いアラスカに行ってしました。一番高いところなのです。そうして九月一日に天父主義を発表しました。天父主義なのです。愛援主義であると同時に父母主義なのです。父母主義は、愛そうというのです。愛するのにサタンは反対できません。(『宗族的メシヤ』p335〜p336)
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今回、アラスカで先生が一九八九年八月三十一日に宣布したのが八定式です。こうすることによってどのようなことが始まるのかといえば、世界の人類の前に蕩減を必要とする時代を越えていくというのです。その話とは何かといえば、統一教会の世界の前に、先生が行く所や、統一教会の信徒たちが行く所には、迫害時代がなくなるというのです。(『宗族的メシヤ』p337〜p338)
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最後に残るのは、永遠なる王権を中心として、長子権を中心とした統治理想世界であり、そこへ行くのです。例えば大韓民国の大統領は国の王であり、道知事は道の王なのです。このような観念なのです。ですから、王権と言っても変に思わないでください。
郡であるならば郡の王権なのです。面であるならば面王権、その次に、部落であるならば部落王権、これが本来アダムに許されていた王権主義なのです。その主義を私たちの家庭ももちます。私はここから始めましたが、この王権を通じて千年万年回っては、あのてっぺんまで経て、根まで通ずることができる自主的な木であるならば、木を代表した枝なら枝、葉なら葉になるというのです。
その話とは何かといえば、皆さんがこの位置にさえ立つならば、どこにでも通ずるというのです。真なる家庭は真なる氏族的な郡に通ずることができ、郡の真なる家庭は道に通ずることができ、道の真なる家庭は国に通ずることができ、国の真なる家庭は世界に通ずることができ、世界の真なる家庭は天の国に通ずることができるのです。通じてからどのようになるのでしょうか? そこで守って、自分のためにするというのではないのです。ために生きるのです。ために生きる創造原則を中心として範囲が広ければ広いほど、犠牲にならなければなりません。苦労をもっとしなければならないのです。(『宗族的メシヤ』p341〜p342)
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本来、アダムが完成するならば天国の父が完成し、エバが完成するならば天国の母が完成し、そして家庭の主人になるならば、家庭的天国の王権が生ずるのです。それゆえにアダム・エバは個人的王であり、家庭的王であり、氏族的王であり、民族的王であり、国家的王であり、世界的王になるのです。今やこのような国家基準を乗り越えることのできる時に来たので、サタン世界の王権をみな踏み、天の世界の王権を設定することができるのです。その日がきょう一九九〇年三月二十七日だというのです。(『宗族的メシヤ』p343)
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また、復帰の内容を見るならば、一番目は兄弟権復帰が終わり、二番目は父母権復帰が終わりました。三番目は、王権復帰です。(『宗族的メシヤ』p344)
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(@)神の創造原理と復帰摂理から見た「八定式」の意味
縦的八段階を踏破されたイエス様は、横的八段階の「個人」を超えても「家庭」以上はその時代背景における弟子たちと政治体制がそれを許さなかった。しかし、“イエス様の越えた縦的八段階” が霊界において聖霊と一体となって、地上階の心霊に影響を及ぼし、政治体制を昇格させてきた。それは、「独裁」によって封鎖されてきた被支配者側の “霊的な自由” の高まりによって、歴史をかけて築かれてきた「民主主義の確立」がイエス様を引き継いだ文先生の歩みを可能としたのである。
韓国では、民主主義体制はとっていたものの、大統領の政治的独裁が根強く維持された。1987年6月の「民主化宣言」が契機となって1988年に “ソウルオリンピック” が開催され、ようやくその牙城が崩された。そのことによって、正妻国としての基準が立ち、翌年8月31日に、「八定式」によって日本が妾の国、エバ国家としての正式な出発が成されたのである。ソウルオリンピックが開催された1988年は、1948年8月の李承晩大統領の就任によって韓国政府が樹立して40年となる。
「八定式」の “8数” は、原子核の周りを回る電子軌道に起因する科学的根拠に基づいた原理数である。L殻から外側の電子殻を回る電子の数はいずれも8個であるとともに他の原子核と共有して分子を形成する最外殻電子数となる(右図)。こうした観点から、「八定式」は、妾としてのエバ国家の役割を考える場合の重要な内容を示していると言える。
左図の水の分子構造とA図を比較して頂きたい。左図の真ん中の酸素原子をA図の文先生とすれば、両端の水素原子は米国と見ることができる。この2種類の3つの原子を結合させている電子の一方を日本とすれば、もう一方は韓国となる。しかし、酸素と水素を共有結合させている2つの電子は、酸素の電子1つと水素の電子1つである。つまり、1つは酸素の電子で、もう1つは水素の原子を共有して酸素原子と水素原子を結合させているのであって、決して水素原子と水素原子が結合していない。この事は、日本と結びついている米国と、韓国と結びついている米国は、同じ米国でも違う米国でる事を意味している。この事は、何を意味しているのであろうか。
韓国にキリスト教を正式に伝えたのは米国である。このキリスト教は、イエスの十字架によって神の復帰摂理が中断されて発生した宗教で、韓国でいうところの “解けない恨” としての宗教である。また、日本は戦後、日米同盟を結んだ国である。しかし、文先生の摂理におけるエバ国家としての内的意味合いは、戦前に確立されていた新渡戸稲造の『武士道』に示された伝統的精神である。ところが、この伝統的精神の中核を成す“天”はその方向性は同じであっても、文先生の具体的に述べられた天父としての神主義と比較すればあまりにも抽象的である。文先生の妾に立つエバ国家というのは、この神主義を中核とした日本の伝統的精神でり、新渡戸稲造の言う「古い皮袋に新しい酒をもる」という表現で、武士道精神にキリスト教によって打立てられた天父としての神主義が “接ぎ木” された信徒の国であることを明確に示している。
<参照>
・ 文師の電気工学専攻と原理の解明
・ 内村鑑三の武士道とキリスト教
(A)アダムを先惟して創造された天使長
七年も延長させてしまったのですから、エバ国家の日本が全世界の女たちと再び組んで、方向を固めるのです。それによって、全世界が方向をまとめるようになります。エバ国家の日本の女は、旦那さんが誰であるかということを知っているのです。
全世界の女はエバ、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前において、真の完成アダムは一人であり、それが再臨の主です。女と再臨主は一つで、こちらは天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はいません。分かりましたか? 母の分身になって、お母様が姉さんだとすれば、君たちは妹です。先生から見た場合には、正妻と妾の立場です。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p98)
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カイン(長子)とアベル(次子)の蕩減復帰原理は、堕天使ルーシェルとアダムを代理した蕩減復帰原理と言えるが、何故なのだろうか。それは、神がアダムを “先惟”として天使長ルーシェルを創造したからに他ならない。「先惟」とは、 “先に惟” こと。つまり、「惟」は “よく考える” という意味であるから、神はアダムを先に熟慮して天使長を創造されたと言うことに他ならない。
神は、人間を霊人体(主体)と肉身(対象)の二性性相として創造された。また、霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相によって成り立っている。生心は、神の御言葉によって成熟すれば、肉体の主管する肉心をも主管し、神の御言葉が人間の心を主管し、人間は神の御言葉を自らの意思として行動する “神の御言葉の実体” となる(「“心を養う” 必要性の根拠」参照)のである。この事によって、人間は神の御意を感受して愛を実践するようになるのである。この神の御意を感受できる心のことを、文先生は “良心” と呼んでいるのである。『原理講論』の52ページにある「良心の主体を神と呼ぶ」とは、正しくこの事である。
しかし、天使は人間とは全く異なって肉身がない霊的存在なので、生心と言っても肉心の主体と成り得ていない生心であるから、肉心が要求する欲望に勝てないのである。衣食住は勿論であるが、これらは全て肉身を生かす為のものである。生心が肉心の主体と成って主管できるということは、“肉身の生きようとする欲望” を越えた立場に立っての上である。「死なんとする者は生きる」というイエスの御言葉は、正しくこれを表現したものに他ならない。仏教でいう “六道” とは、この肉身の欲望から抜け出せない状態を表現した仏教用語であり、これが6数の持つ数的意味合いとなり、人類始祖のアダムとエバの堕落した長成期完成級を表した数ともなる。
天使長(穂木)を、再臨主(台木)に女が接ぎ木して第二のアダムにつくり始めるのは、再臨主が6数を越えて7数に達した以降に可能となるのであるが、勿論そこには接ぎ木を担える女として培われた “性” が重要な要素となる。それは、文先生が日本女性幹部修練会において「現地の整備」として語られた特別な御言にある。
(B)エバを先惟してアダムを創造したという『原理本体論』の出鱈目はこの世を滅ぼす
そうなると、母が問題です。母は天から降りてくるのです。再臨の主も天からです。アダムは神様が直接つくりました。エバもアダムをかたどって、神様がつくったのです。(文字どおりに)肋骨を取ってつくったというのではなく、かたどってつくったというのです。ですから、本を要約するときなども、「その骨子を抜け」と表現するのです。それは、標準の基準を探せということです。肋骨は、人間の骨の中でも一番重要です。なぜかというと、内臓の重要器官をみな、守っているからです。これがなかった場合には大変です。肋骨は貴重な骨を象徴しています。神様はそのようにアダムをかたどって、エバもつくったのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p304)
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文先生の語られた「母は天から降りてくるのです。再臨の主も天からです」と言う内容は、左図の様に聖霊と神霊が母と再臨の主に降りてくると言うことである(「怨讐を愛する原点」参照)。どちらも神から降りてくるもので、唯一神の二性性相としてあるものである。
これを後先を付けるだけでなく、敢て後先を逆にして述べている『原理本体論』にはある悪意が隠されている。それは「神様は男性格主体なので、女性を先惟し、男性をつくりました」(「理趣経と生殖器のみ言葉」参照)と言うところで、次のような問題を齎すことになる。「女性を先惟し、男性をつくった」と言うのは、先惟された女性は正妻の立場を、そして男性の妻を妾の立場に立てるのは、正妻と妾の順序からしてそうであるとしても、その意味するところは全く無にされて、文先生の先惟となったのは韓鶴子で、文先生の妻も韓鶴子となって、正妻も妾も同じ人物となり、復帰摂理としての原理的内容はもみ消されてしまっている。
文先生の語られた「本妻としては上がることができないのです。これが妾です。妾、妾です。妾の系統を中心として上がっていく」(右図:「『原理講論』にないヤコブ家庭摂理」参照)と言うことから考えると、上がることはできず下がる一方となり、7数まで上がれたのも6数、5数… と下がっていくと言うことを意味している。これはまた、世界大戦の危機を招きかねないことをも意味していると言わざるを得ない(「第三次世界大戦とは」参照)。
(C)天父主義と長子権復帰
今や、天の国に王国を建てるとか、何をするとか、私たちがありとあらゆることをするとしても、誰も讒訴できません。それで、その基地として定着する式が八定式です。この八定式を基盤として、一九八九年九月一日に天父主義を宣布しました。
これは何かといえば、八定式が終わる時までは長子権復帰時代です。今や長子権が復帰されたので、長子権も天側に復帰されることによって、サタンが反対することのできない世界的頂上圏に上がってきて立つのです。今や私たちが強く大胆に押すならば、アメリカも押されるし、共産世界も押されるし、韓国も押される時が来ました。日本も押されるのです。ですから、強く大胆であれというのです。(『宗族メシヤ』p338)
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エバ国家と言うのは、日本国がエバ国家と言うのではない。日本国の中で、文先生の示す明確な神観が確立された信徒の国。つまり、「神の恨が解かれる」ことを可能とする神的愛を「天」と呼んで、それによる情緒的根源となる場所を「家」として尊重する文化を、歴史を通して培った伝統を有する国をエバ国家としているのである。新渡戸稲造の『武士道』は、正にそれを大系化した名著と言ます。
長子権と言うのは、母子協助によってアベルの立場にある次子が長子の権限を復帰した者を言う原理用語となっているが、この母子協助には正妻の母の協助も含まれる(左図左を参照)ことに注目すべきである。この協助によって妾がアベルの立場を復帰することができる(ラケルの立場)ようになるので、正妻の長子に対して妾の子が長子権を取り戻す(ペレヅの立場)ことのできる根拠となるのである(左図右を参照)。
文先生の言う、「アメリカも押されるし、共産世界も押されるし、韓国も押される時が来ました」と言うのはそのことを意味しています。ただ、「日本も押される」と言うのは、文先生の妾の立場に立った “日本の女性信徒に対して日本国が押される” という意味であることに注意しなければならない。日本の女性信徒が、カインとしての日本国に対してアベルの立場を復帰することを意味しての言葉なのである。このことが、“女性時代の到来” を意味している内容となるのです。
<参照>
・『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
(D)天父主義から王権復帰の目的とするところ
イエス様は、氏族の代表であると同時に、民族、国家の代表になるはずでしたが、自分の家庭的父母圏をもてなかったので死んだのです。それで私たち統一教会は、今や兄弟圏を解放したので、父母圏を解放しようというのです。今日、氏族的メシヤを押し立てることにより、皆さんの父母が統一教会に反対していたのを、堕落したアダム・エバが失敗したことを、皆さんが再び復活させて、探し求められた家庭の資格を、天の国の天権をもって是認公布するのです。それが氏族メシヤ宣布の目的なのです。(『宗族メシヤ』p338〜p339)
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今日、私たちがここでいう天父主義時代、八定式が終わることによって発表した天父主義時代は、何をもってつくるのかといえば、個人ではないのです。家庭なのです。それが分からなければなりません。天父主義は何をもって成すのかといえば、家庭なのです。ですから、神様がこのみ旨を成す時、サタン世界や民主世界の一番の問題が何なのかといえば、家庭の破綻なのです。
共産世界は、家庭というものを認めません。家庭は、搾取基盤の基台だといっているのです。神様との関係ができていません。民主世界も同じなのです。ですから、事実上家庭形成のすべてのものが傾きました。社会基盤であり、国家基盤であり、世界の基盤であるにもかかわらず、これが今まで散らばっているのです。ですから、今後、私たちの家庭基盤を中心として右翼世界と左翼世界は、自然に吸収されるというのです。
それでは、ここにおいて天父主義は何を中心として成すのでしょうか? 家庭を中心として成すのです。(『宗族メシヤ』p339)
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統一国は、家庭を統一した国ではありませんか? 家庭を中心としてなされるのです。民主主義がどうなったのかといえば、サタンが民主主義を引っ張っりながら、家庭を破綻させてしまったのです。キリスト教思想圏内にあるアメリカの家庭が、なぜ破壊されますか? 聖書にはそのような法がないのに、なぜでしょうか? 完全にサタンに利用されたのです。(『宗族メシヤ』p340)
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天父主義は、家庭を中心とした王権を回復させて連結させることにより、王権が復帰されるのです。天宙的王権が復帰されるのです。ですから、家庭がなくてはならないのです。これは、必ず家庭が中心なのです。統一的家庭基盤を通じてアダム的統一家庭、氏族的アダムの統一家庭、それなのです。アダムの氏族がいたのではないですか? 民族的アダムの家庭を中心として、統一してこれがずっと連結されなければならないのです。それで、統一的家庭基盤を通じて王権が復帰されるはずだというのです。(『宗族メシヤ』p340)
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父母の愛を兄弟の中で否定する者がいないので、ここから統一的運勢の家庭的基盤が設定され、宇宙が初めて従い戻り始めるというのです。昼夜の正常な軌道に従って、世界が回り始めるのです。このように天父主義を宣布することによって今後、統一王権主義時代へ越えていかなければならないのです。神様が王にならなければなりません。それが私たち統一教会の誓い五の一条なのです。
私たちは、神様を中心とした何なのですか? 一つの王権を誇るのです。私たち統一教会が標榜する、イエス様が願った、神様が願った統一王国をつくり、天上世界と地上世界の地獄を撤廃し、神様が直接統治することのできる愛万能圏時代へと越えていくのです。愛の伝統に従い、垂直的愛が何であり、縦的な愛を中心としてどのように連合されるのかということをはっきり知り、生活舞台に適用するのです。そして、万国、万象世界、天上世界のどこであってもこれを拒否され得る圏を乗り越えることにより、自然に解放の時代が来るのであり、統一の時代が来るのです。(『宗族メシヤ』p341)
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八定式の終了は、縦的八段階が定立したことを意味し、このことによって堕落したアダムとエバを復活させて父母圏を立てることができるようになって横的八段階が解放できるようになった。神はその基点となる家庭に干渉できる時代になったことで天父主義を宣言できたのである。“神様が直接統治することのできる愛” とは、家庭における復活したアダムとエバが夫婦となって神の似姿となり、見えない神の愛を見える神の愛の実体として顕現する四大心情圏の「核芯体」となることによって成就する環境圏を構築することに他ならない。ここで言う「核芯体」とは、神の御言を種(軸)として、四大心情圏の織りなす関係として、神の愛の実存体と成ることを意味する。この愛は、既成の愛ではなく、イエスが最も重要な掟として語ったマタイによる福音書の22章37節から40節にある “自分中心の感情を棄てて神の御言に従い、神が自分を愛したように隣人を愛せよ” という愛である。文先生は、この事の種(核)となるのは “良心” にあるとしたのである。感情ではなく、良心である。「自らの良心に従う」とは、“瞑想” によって “禅” の境地に至ることで、「自分の心が “神の心情の対象” となれる心に従う」ことを意味する。
<参照>
・「核」と「芯」の違い・意味と使い方・由来や例文
家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校は何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練する所です。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会生活のための実験的な訓練所です。(『天国を開く門 真の家庭』p36)
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かといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかというと、国に帰結するのです。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってからどこに行くのかというと、もっと大きな所に行くのです。(『天国を開く門 真の家庭』p36)
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1988年、韓国のソウルでオリンピックが開催された。その時、北朝鮮との共同開催案が提案され、南北統一チームの結成が呼びかけられた。実現には至らなかったものの、その後の韓国には南北統一の気運と同時に日韓関係も改善の方向に向かった。朝鮮動乱後に国家としての成立を成せないまま、南北に国家としての形態を持ちながらも、休戦ラインを挟んで対峙することとなった。いわゆる分断国家となって、堕落したアダムを善悪に分立したアベルとカインを象徴する立場に韓国と北朝鮮が立ったのである。この南北の分断国家が統一の方向に向かえることができるようになって日本が八定式を成すことが出来たのである。
<参照>
・ 1988年ソウルオリンピック
つまり、アベルとカインが一体となることが出来てエバが妾として復帰さるようになり、正妻をカインとし、妾をアベルとした “エバによる復帰摂理” を行なうことができるようになる。カイン・アベルの復帰に必要なのが母子協助なら、次の正妻と妾の復帰に必要なのは「父娘協助」である。その為、母の立場の次に父の立場が必要になって1989年9月1日「天父主義」が宣布された。これは、妾の国である日本の女性信徒を文先生が娘として愛することで、娘に夫を迎えることのできる男性復帰の摂理としてを展開することができるようになったのである。そこで文先生が父の立場に立って、日本の女性信徒を娘として、御言による協助として日本女性幹部特別修練会を1993年より開催されたのである。この時点での父娘協助においては夫婦協助が確立が前提となっていなければならないのは当然のことである。
<参照>
・『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
この家庭における母子協助から夫婦協助、父娘協助までの一連の摂理は、エバの母としての立場から妻の立場、そして娘の立場として本来の順序とは逆を辿りながら復帰が成されて来たことが理解できるが、更に神の娘に立つエバは、迎える男性の姉の立場でその男性を神の息子に育成し夫として迎え妻となる。そして妻となれば夫を兄としてその妹のように寄り添っていく夫の相対となるのである。ここに、内外における女性特有の情緒によって、男性を神の愛に対する神の喜びの実体となるように立てて行かねばならないのが女性の時代といての摂理である。その先駆けとして、日本女性幹部特別修練会で、日本の女性たちに次のように語られたのです。
それは仕方がありません。なぜかというと、蕩減復帰をしなければならないからです。蕩減復帰です。堕落した時に、エバが四大心情圏を一人の男のために、みんな破ってしまいました。それを復帰するには、この世の中で、そういう心情圏を一遍に体恤できるような男を迎えなければなりません。そうしないと、越える道がないのです。父母として、お母様の立つ道が生じてきません。ですから、そういう四大心情圏を一遍に体恤させるのです。分かりますか?(「はい」)。
先生を見た場合に、先生は息子の王様であり、兄さんの王様、旦那さんの王様、そして、お父さんの王様です。四大心情圏は、子女と兄弟と夫婦と父母(の心情)です。(先生は)四大心情圏を勝利した結実体の中心なのです。だから女としては、先生が自分の旦那さんのように感じられるのです。
そういう心情をもって、子女の心情から、兄弟の心情、父母の心情、お母さんの心情を通過した条件を立てさせないと、収まらないのです。蕩減復帰ですから仕方がありません。蕩減復帰というのは、サタンのほうへ越えて地獄へ行ったのだから、同じ状況でもって、同じ立場を越えて転覆するのです。一八〇度違います。そういう心情圏に立った女が、反対の方向に行くのは大変なことです。それで、たくさんの霊的な女たちが、「自分はこういうふうに霊界と直接関係を持って、先生を見つけてきたのに、先生は無慈悲だった」と言って落ちていったのです。
ある程度までは、霊的にみんなコントロールされていくのです。こういうふうに妹として、それから姉として、相対関係において約婚段階で堕落したのだから、そこまでずーっと霊的に教えてくれるのです。
それで、いろいろな所を歩きながら、花の首飾りをかけてあげたりして、結婚式の準備まで、みんな霊的にコントロールされるのです。ですから一〇〇パーセント、(先生を)自分の旦那さんだと思うのです。みんなが、そうなのです。今までの自分の旦那さんや父母は見たくもなくなります。統一教会の「原理」は、否定することができません。堕落したということを、否定することはできないのです。
四大心情圏の体恤を通じて反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌いではないのです。みんな先生が、双子の兄さんみたいになるのです。それから、自分の旦那さんみたいなのです。ですから、お母様は姉さんであり、君たちは妹です。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し、勝利した代表として立っているのだから、そのお母様の分身にならなければ、復帰ができません。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p290〜p291)
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<参照>
・「神様王権即位式」における御言
・ 文先生誕生のルーツと日本の摂理
・ 驕りし選民 繰り返される摂理の失敗
・ 韓国民主化36年/成長と民主主義の夢いずこ/明るい明日信じた80年代(鈴置 高史)2023年6月
・ 北朝鮮拉致被害者 5人帰国
A 再臨の主の直系と皇族とは
(@)真の父母と皇族圏
四番目の皇族圏復帰は、正妻圏が復帰されてきて、妾が正妻になり、正妻が妾になるような立場で立つのだから、マリヤの立場が姉さんになり、エリサベツは妹として神様の妾の立場で蕩減復帰して、まるっきり反対にして、神に帰らなければならないのが蕩減復帰原則です。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p139)
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一族が復帰されたヤコブ圏において、反対になったのと同じようなものを皇族圏というのです。復帰された、神様から見た正妻の立場に立った女と子供の所が長男です。(彼らが)長子権復帰の権限を持ち、(サタン側の)長子が次子として、ここに一体となっていくのです。そうなると、本妻にラケルとマリヤがなって、エリサベツとレアが妾の立場に立って、復帰していくのです。サタンのほうの姉さん、本妻が、妾の立場で一つになっていかなければ復帰はできません。ちょうど反対です。分かりましたか?(「はい」)。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p135)
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さて、皇族とは、皇帝の一族、あるいは日本の天皇の親族のうち、既婚の女子を除く男系の嫡出の血族およびその配偶者の総称とされています。また、皇帝は帝国君主の総称であり、王の中の王(諸王の王)、君主国の君主の称号である。皇帝という君主号には「唯一神」の意味や模倣・僭称も存在し、一神教では、人間が崇拝すべきは唯一神という「唯一の皇帝」・「宇宙で唯一の正当な王者」・「全人類の皇帝」のみであるとされています。 文先生の宣布された「王権復帰」はこのことを意味し、「神様王権即位式」が可能となるのである。ここで皇帝(真の父)の天の種が皇后(真の母)の愛によって地に蒔かれるのであるが、ここ(左図)では皇帝の正妻となる皇后は、堕落エバの立場から蕩減復帰の路程を歩み、皇帝の相対となる皇后の立場を復帰することとなる。皇后(真の母)の立場を確立させたのは四大心情圏の復帰にある。再臨主の正妻(真の母)の四大心情圏を相続し、天父主義に立った真の父より神の御言を受けることによって神の正妻となり、天使長を愛と御言によって夫(神様の息子であり、神様の正妻の夫)として再創造する時代が「女権時代」となるのです。
お母様が勝利して、世界的に女子解放を宣布して、「真の父母と成約時代」を宣布したから、家庭的完成圏ではなく、世界的な最頂上で勝利圏を発表したのだから、世界頂上を中心として、先祖たちがすべて降臨して援助するようになるのです。
特にお母さんたちが、今こそ働く時代になっています。分かりましたか?(「はい」)。昔は男たち、天使長の直系の男たちだったのだけど、今はそうではないのです。再臨主の直系になるには、お母様の胎中を通して再び生まれなければなりません。女が霊界、地上界を統一する時代になったので、女権時代に移行してきているのです。分かりましたか?(「はい」)。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p143〜p144)
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<参照>
・ 原罪からの解放
(A)四大心情圏と良心
これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のゆえに四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたのと同じような所で、一八〇度転覆するのです。
四大心情圏を女が体恤しないと、宇宙の転換点を正すことができません。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊させてしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤するのです。それが、キリスト教を中心として、歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦が出会う時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないと、変わらないのです。
そのような大もとが、再び生れてこなければならないのです。そういう体恤をした場合、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるのではありません。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そのような愛の本郷地を求めていくのが、人間の本来の生来の生涯、生活です。真の父母という観念が分かりましたか? それは宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p172〜p173)
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君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤して一つにならないと、四大心情圏につながる道がありません。心身一体を成さなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか?(「はい」)。
四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしい、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子をつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっています。分かっているのだから、「君、何だ、これは!」と、堕落した基準まで下がって指導することができるのです。
真の父母と完全に一つになると、良心が神様ともっと一体となるような道が近づいてくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ではなくなります。そうして、肉身と一つになることによって、四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできません。分かりましたか?(「はい」)。
旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。一方的に反対する父母がいた場合には、談判しなさい。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p301〜p302)
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韓鶴子が真の母として打立てた四大心情圏は、真の父としての文先生を通じた “神に対する四大心情圏” となる。これは、人類始祖となるエバが堕落によって失った四大心情圏であり、韓鶴子は、これを蕩減復帰した立場を取り戻すことによって真の母の立場に立つことができた。勿論、文先生の正妻としての立場として、以前からそう呼ばれていたのであるが、内実を含めてはこの四大心情圏を回復した時点よりとなる。四大心情圏の回復とは、神の娘・妹・奥さん・お母さんという愛に対する喜びの対象の立場を立ったことを意味するが、人類始祖となるアダムは、この時、神の愛にたいする喜びの対象に立った真のアダムになっていなければならない。この真のアダムと真のエバの新郎新婦の遭遇によって人類始祖となる真の父母を神が取り戻すことができたことになる。
ところで、ここで問題となるのが、再臨主の妾となるエバであるが、この妾の立場は復帰されたエバを象徴しているので、神は愛の対象として愛せるが、四大心情圏による愛に対する喜びを返せる完全な対象にはなっていない。そこで、真の母となった韓鶴子より、四大心情圏を相続して自分の夫を天使長の立場からその愛によって旦那さんとして正しなさいというのが、“母の体(胎)を通して再び生れる” という真意である。
良心は、神との心情的授受を御言によって確立することで、生心が肉身の主体の立場となった心のことであるから、この良心を主体とした行動によってのみ本然としての喜びをえることができるので、四大心情圏は良心の本然の基準を回復しないとできないのです。
こうした妾の立場は、「内村鑑三の武士道とキリスト教」で述べた、“古い酒”、四大心情圏は “新しい酒” となるのである。イエスの語ったマタイ福音書22章39節にある「自分を愛するように」の “自分を愛する” とは、「自分に内在する神としての “良心” を愛せよ」ということに他ならない。
B 訪韓修練会が済州島で行われた理由
(@)朝鮮社会の女性に対する不当な抑圧
<参照>
・ 朝鮮に渡ったアメリカ・プロテスタント女性宣教師 (筑波大学准教授 朴宣美 : PDF / 本サイト)
朝鮮で、は女性に対する外見的尊重は一応みられる。女性は尊重の対象だと言われたりもする。男性は道端で彼の前を通り過ぎる女性を避けなければならない。彼の顔の前にうちわを開いて、彼女を一目でも覗くことがないようにしなければならない。庶民階級の女性は、顔を隠さず、共同の井戸へ水を汲むために出かけるが、誰も彼女を眺めない。男性が女性に声をかけることは彼女を侮辱することであり、その人は無礼極まる者になる。このように女性に対する形式的な尊重があるにもかかわらず、朝鮮人は女性は道徳的には欠けている存在だと信じている。気概のない存在、いいかげんに名前が付けられる存在、権利も責任も持たない被造物、何人もの男、すなわち、父の娘、夫の妻、息子の母として男に従属する存在だと信じている。(「朝鮮に渡ったアメリカ・プロテスタント女性宣教師」より)
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このように、朝鮮文化に見られる女性に対するエチケットを肯定的に捉えつつも、朝鮮社会には女性に対する酷い偏見や差別があると見た。「本当に私たちは、キリスト教の地で生まれたことを神に感謝すべきである」と述べられたように、アメリカ女性の高い社会的地位と正反対に、朝鮮女性は従属的な立場に置かれていると見た。
このように、女性宣教師にとって朝鮮は女性に対する不当な抑圧に満ちた社会だった。なかんずく、女子教育を否定する朝鮮人の考え方や、男女の住居分離、女性たちの外出の制約、親戚以外の男性と女性の接触禁忌、不合理的な家事などの生活様式と慣習は、「外」から来た女性宣教師の脳裏に、朝鮮女性の「惨めさ」を刻印した。
たとえば、アメリカ北部メソジスト監督教会が朝鮮に派遣した最初の宣教師ヘンリー・G. アペンゼ、ラー(Henry G. Appenzeller) の妻として来朝し、KWCMに所属したエラ・D. アベンゼラー(Ella D. Appenzeller) は、次のように語った。「私たちは小さい女の子を道端でよく見かけるが、それより大きい女の子は【見かけないので】どこにいると思う? 福音の光が朝鮮を照らしており、私たちは彼女らを探し出すことができた。どこに行ったと思う? 門のベルを押したと思う? 違う。私たちはよりいい方法を知っている。父と兄弟は門に近い建物に暮らしているが、そこには女の子はいない。別のところに行かなければならない。ゲートを2つか3つ通過し、泥の壁に囲まれている別の建物に行くと、私たちは忙しく仕事をしている女性と女の子を見つける」(【 】の説明は筆者、以下も同じ)。
また、スクラントンは、「【教会に来る女性の人数が減った理由を説明する中で】朝鮮女性は裁縫の奴隷だ。男女の衣服は白い木綿だ。この衣服は頻繁に洗わねばならないが、そのつど、衣服をほぼ解き、仕立て直さねばならない。……もちろん彼女らは主日も平日もいつも働く。私たちはより良いやり方を教えており、多くはそれを喜んで受け入れている。しかし、夫たちや息子たちの考えが変わるまで、彼女たちが生活習慣を変えることは難しい」という。(「朝鮮に渡ったアメリカ・プロテスタント女性宣教師」より)
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朝鮮の男尊女卑はその歴史は古く、李氏朝鮮時代まで遡る。李氏朝鮮時代(1392年〜1910年)には、約500年以上の間、儒教道徳により国を治める時代が続いた。儒教にはもともと男尊女卑の考えはなかったと思われるが、唐代以降、「夫に妻は身を以って尽くす義務がある」という思想が強調され、男尊女卑の傾向が次第に強まっていった。朝鮮時代の 500 年に及ぶ時間の中で、儒教道徳は社会の隅々にまで影響を及ぼした。こうした傾向は、朝鮮における両班制度が大きく関わっていたことは言うまでもない。済州島は、王族や外戚、両班や学者をはじめ、盗賊や国境を越えようとして捕えられた罪人の流刑の地とされていたのである。
こうした女性に対する不当な抑圧は、ユダヤ社会にも、イエス当時にもあったことは先に
「怨讐を愛する原点」と「『原理講論』にないヤコブ家庭摂理」のところで述べた。しかし、済州島の意味するところはそれを論じるものではない。日本の敗戦後、朝鮮の南北分断には南と北の正妻と妾の摂理が重なっているところに注視しなければならない。違うのは南の有神論と北の無神論を摂理の核芯となっているところである。そしてこの二つのポイントとなるのは日本であるから、文先生は、男性訪韓修練会の最後に “民団と朝総連の統一” を日本(エバ国家)の使命として語られたのである。
今までは家庭的、国家的エバ(の基準)を成してきたのですが、これからは世界的なエバ国家が必要になってきます。イギリスを見ても、その腹の中には旧教のアイルランドと新教のスコットランドが紛争を起こしているのですが、それを消化していません。それと同じように、日本はエバ国家として選抜されているので、相反する朝鮮総連と民団がいるのです。それを一つにして、(アダム国家を)生み直さなければなりません。サタンの子供をはらんだのですから、サタンの二代目の子供を生んで愛し、統一させなければ、エバ国家の道はありません。日本がエバ国家になるために、民団と朝鮮総連、南と北が別れているのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p351〜p352)
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<注意!> 上の文中における「アダム国家」は、“堕落したアダムを善悪分立したカインとアベル国家” という意味での北朝鮮と韓国の朝鮮半島全体を表現した言葉です。
復帰摂理上、朝鮮半島を “姉・正妻” としての「カイン(長子)の立場」で、日本を “妹・妾” としての「アベル(次子)の立場」として摂理せざるを得なくなったため、朝鮮半島を “兄” とするアダム国家、日本を “アダムの妹” としたエバ国家に見立てたのです。子供を孕むのは、女性に限るためである。
<参照>
・ 韓国における取組と日本への示唆 (お茶の水女子大学准教授 森山新 : PDF / 本サイト)
・ 韓国大統領秘書官「朝鮮時代の女性の半分は性的慰みもの」
・ 済州の歴史
・ 朝鮮の両班社会 (韓国国史編纂委員会委員長 李成茂 : PDF / 本サイト)
(A)韓鶴子と母
韓鶴子(1943年2月10日(陰暦1月6日)〜)は、世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。通称: 統一教会、統一協会)の教祖・文鮮明の三番目の妻。世界平和統一家庭連合の総裁。関連団体である世界平和女性連合、天宙平和連合の総裁。本貫は清州韓氏。金聖道率いる朝鮮独自のキリスト教の一派、聖主教の信者であった母の洪順愛(右図)が宗教活動に熱中していたため、祖母に育てられたという。
洪順愛(韓鶴子の母)は、1914年3月18日、平安北道定州にて、洪唯一と趙元模の長女として生まれる。平安南道安州郡新義里で育つ。弟に洪順貞がいる。1933年または1934年3月5日に結婚。1933年から復興師である「黄国周」の伝道隊員として活動。1936年4月、平壌聖徒学院卒業。同年、母の趙元模と共に「新イエス教会」をやめ、鐵山の「聖主教」に移る。1942年2月末、韓承運(韓鶴子の父)と出会う。1943年2月10日、平安南道 の安州郡の信里で、韓承運とのあいだの子である鶴子を出産。1952年、済州島に避難。何ヶ月か生活し、婚約者(もしくは夫)である「鄭錫鎮(錫珍)」(鄭恒俊と金聖道の次男。「鄭錫天」の弟。別名「鄭平和」)と暮らした。教義により性交が禁じれていため、鄭錫鎮が出て行き、別れた。1955年12月、統一教会に入信。1989年11月3日に死去。享年76。
韓承運は1909年生まれで、1942年10月頃、妊娠中の洪順愛の親からの「婿養子として迎える」という話があるが、これを断り、鶴子の出産前に洪順愛と別れた。1978年に死去。2016年、洪順愛生誕103周年を記念して、韓承運の墓は洪順愛の墓と合葬された。(以上「ウィキペディア」より)
<参照>
・ 真のお母様の誕生と成長期
・ 真のお母様の家系
・ 韓鶴子
・ 明水台教会(イエス教会所属)・李龍道牧師
韓鶴子の誕生は、三代に渡り一人娘として、母性だけで育まれた生粋の女子の誕生と言える。男性の堕落的な愛で愛さることも、男性を堕落的な愛で愛することもない環境の中で誕生し、育った女性であると言える。韓国の極端な男尊女卑は、この様な女性を誕生させるための神の復帰摂理であり、文先生は、それ故に韓鶴子を堕落エバの立場から蕩減復帰によって神の心情的と相対可能な正妻として迎えたのである。それとともに、唯一神としてのハナニムが、明確な人格的神観があったことは特に重要な要件となる。
洪順愛と韓承運は「聖主教」を通じて出会った。この「聖主教」は、李龍道から引き継いだ黄国周の「イエス教会」から分派した金聖道を創始者とする「恨解き」儀礼を行っていた団体である(「二つの「恨」と文先生の摂理」参照)。この「恨解き」こそ、古朝鮮の巫俗の自然観や霊魂観を発生とした鎮魂儀礼としての「恨プリ」文化に相当する。韓鶴子は12歳(1955年)で済州島からソウルに転居するようになると、洪順愛の弟に引き取られることで、母が影響を受けた「聖主教」よりも既成キリスト教の影響を強く受けるようになった。この時既に、李承晩政権であったことは、日本に対する認識も注意すべきポイントとなる。
韓鶴子の姓名には、韓国を代表する “韓” 氏と “恨”、“鶴” は一度つがい(夫婦)となったら、相手が死ぬまで二度と浮気をせずに添い遂げるとされ、ペアは基本的に生涯解消されない鳥とされている。
<参照>
・ 朝鮮語における神の訳語ハナニム (京都大学文学博士 金香花 : PDF / 本サイト)
・ 東学・天道教と統一原理
・ 離婚も浮気もしない動物から学ぶこと
・ 二つの「恨」と文先生の摂理
・ 韓国の死霊信仰と鎮魂(「恨プリ」)文化 (帝塚山学院大学教授 古田富建 : PDF / 本サイト)
(B)済州島四・三事件と在日朝鮮人
前ページ(「二つの「恨」と文先生の摂理」)でも述べた1948年8月の李承晩大統領による韓国政府の樹立以来、1987年6月の民主抗争の勝利による「民主化宣言」までの40年間は、そのスタートとなる1948年には、朝鮮半島において南北分断の魁となった米軍政による単独選挙が強行されたのは1948年5月10日のことである。そして1948年8月15日に李承晩が初代大統領に就任し、大韓民国が樹立されたのである。李承晩は、熱心なキリスト教徒であるとともに強烈な反共主義者であり、封建的な家父長主義の独善者であり、政治権力に執着する権力亡者でもあった。この様な状況下の済州島で、李承晩支持派によって引き起こされたのが「済州島四・三事件」である。
済州島四・三事件は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮李承晩政権下の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察など朝鮮半島の李承晩支持派が1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件である。李承晩の統治下で1948年8月15日に韓国が独立すると、暴動に対する暴力的な鎮圧が激化した。南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察及びその支援を受けた反共団体による大弾圧をおこない、少なくとも約1,4200人、武装蜂起で多くの民間人が死亡した。 合計25,000人から30,000人が死亡したと推定され、一部の情報源は80,000人もの死者を出したと推定しているともいわれる。また、済州島の村々の70%(山の麓の村々に限れば95%とも)が焼き尽くされたという。
この事件は、1945年9月10日、朝鮮建国準備委員会支部が済州島にも創設され、まもなく、済州島人民委員会と改められた。1947年3月1日、済州市内で南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民に対して警察が発砲し、島民6名が殺害される事件が起きたことがその背景にある。
この事件を機に3月10日、抗議の全島ゼネストが決行された事を機に、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は警察官や北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体「西北青年会」を済州島に送り込み、白色テロが行われるようになった。 特に上述の西北青年会は反共を掲げて島民に対する弾圧を重ね、警察組織を背景に島民の反乱組織の壊滅を図った。島民の不満を背景に力を増していた南朝鮮労働党は、1948年4月3日、島民を中心とした武装蜂起を起こした。
処刑直前の済州島民(1948年5月)
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1948年に入ると、南朝鮮当局が南側単独選挙を行うことを決断し、島内では選挙を前に激しい左右両派の対立がはじまった。左派弾圧のために島外から送り込まれた団体の中には、応援の島外の警察官の他、反共青年団体の他、ヤクザ組織や米軍の反共路線により息を吹き返した旧日本軍協力者からなる団体もあったという。彼らは島民を少しでも怪しいと思うと、容赦なく連行・投獄・拷問した。
済州島は歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮半島から差別され、また貧しかった。済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ密航し、定住する人々が人口比で多の朝鮮半島の地域よりも特に多かった。韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。 こうして難民となり日本に逃れ、そのまま移住した非合法・合法の人々数千人(数万人説あり)が現在の在日朝鮮人の血族としてその大半を占めているのである。
この様な歴史を経ての済州島は、洪順愛が韓鶴子を出産後の1952年、済州島に避難し、1955年に済州島からソウルに転居することで聖主教から統一教会に入信することとなった切っ掛けの島である。同じように、北朝鮮の金日成の息子である金正日は済州島生れの高容姫(名前は「高英姫」として知られている)という愛人から金正恩が誕生した。金正恩は、2011年の父の死により事実上最高指導者の地位を継承している。
文先生が1993年よりアラスカ・コディアックで始まった日本女性幹部修練会が済州島を通過して行われたのは、以上のような歴史的背景があってのことである。韓鶴子と高容姫はどちらも済州島から、方やソウルへ、もう一方は日本で在日朝鮮人二世として過ごしたのち平壌へ向かった。それは、既に一つであった朝鮮半島が南北に分断された後のことである。
<参照>
・ 韓国の民主化運動とキリスト教(1)(横浜市立大学学術研究会 倉持和雄 : PDF / 本サイト)
・ 済州島の悲劇を語り継ぐ、大阪の在日コリアン「私たちのルーツ知って」…「四・三事件」の報告書作成へ
・ 祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄
・ 正恩氏の実母が在日朝鮮人という「不都合な真実」
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