復帰摂理歴史の真実 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 第三部 第四章 b. なぜ正妻と妾の摂理となったのか(上) 1. 男のカインとアベルから女のカインとアベルによる復帰摂理へ
文先生はヤコブ家庭を、残された「女のカインとアベルによる蕩減復帰摂理」を自らの摂理と重ね合わせて語られているが、文先生とヤコブでは “原理的摂理” としての格の違いによって例えに無理が生じるのも致し方がない。 そこで、『原理講論』の「蕩減復帰原理の “曖昧さ” を明確に捉える」ことで、その摂理的全容を明らかにしていく。 (1) 人類始祖の堕落によって生じた堕落の経路と復帰摂理 @ 堕落の経路とその結果
(A) 堕落人間の位置と状態
サタンの主管下に陥ったアダムは、神が全く対応できない立場となってしまった。そのため神は、アダムからエバを通じた間接的な主管となるカインとアベルを、堕落したアダムに見立てて、アダム自身が悪から善を分立したと見なすことで、神が対応できるアダムをメシヤとして迎えた再創造摂理が可能となるのである。 A 次子アベルの蕩減によって長子カインを復帰する摂理 (@) 男によるカインとアベルの蕩減復帰摂理 (@-a) 復帰の経路は創造本然の経路
その為の蕩減条件とは、第一の条件として「信仰基台」があり、第二の条件として「実体基台」がある。この「信仰基台」と「実体基台」を合わせて「メシヤのための基台」となるが、この“信仰”と“実体”の二つの基台を復帰の経路を担う “中心人物” が “御言”(条件物)に対する信仰を立て、“御言を愛として具現化” して、その “愛によってその対象を実体復帰” することによって「メシヤを迎えるための基台」が成立する。 メシヤを迎えるためには、メシヤの誕生のための父と母が存在しなければならないが、その父となる男性と母となる女性のどちらも “復帰の経路の側” に立った人物でなければならないことは当然のことと言える。 (@-b) 兄カインの正しい行いに対する弟アベルとしての態度
さて、ここで問題となるのは、創世記2章16節の神の戒めには2つのポイントがある。その一つは「取って食べるな」という部分と、もう一つは「食べると死ぬ」という部分である。アダムが神の戒めを破ったのは、「取って食べるな」とういう部分のみである。「食べると死ぬ」というのは、天使長ルーシェルが言った通り死ぬことはなかった(創世記3章4節)のである。 アダムとエバにとって、神の前に罪を犯した意識はなく、エデンの園から追い出されはしたが耕作の地を与えられ(創世記3章23節)、子女カインを授かった(創世記4章1節)。これが、アダムとエバにとっての嗣業となって、長子カインに地の産物を供え物として神に捧げさせた(創世記4章3節)のである。
このカインとアベルの供え物の行為は、新渡戸稲造の『武士道』にある “礼儀” のあり方からその問題点を理解することができる。その部分を、『対訳 武士道』から抜粋してみよう。
創世記4章6節から7節のカインに対する神の忠告は、アベルの傲慢さを諫めるのは母エバの成さなければならない母子協助としての要点となったのである。しかし、これは堕落したアダムに主管される堕落エバにとっては極めて困難なことであったことは容易に理解できる。そしてまた、この事は「蕩減」という言葉が意味する重要なポイントともなっている。 (A)“エバの愛の実” としてのカインとアベル (A-a) まずは「時ならぬ時」に堕落した “アダム” の復帰
「取って食べるな、食べると死ぬ」(創世記2章17節)という神の戒めは、アダムに対しての戒めである。そして、そもそも「信仰基台」はアダムが立てるべき基台で、その上で「実体基台」は、アダムがエバを愛することによって立てるべき “愛の基台” だったのである。その為の「信仰基台」の核となるのが “神の御言” であった。このアダムとエバを蕩減復帰を代理蕩減して、“神が対応できるアダムをメシヤとして迎える” ことのできる蕩減条件を立てる立場にあるのがアベルの立場である。その為の信仰基台を立てたアベルの立場は、蕩減復帰摂理の中心人物として(4図の左側の復帰された側)神側の長子権を復帰した立場にある(信仰基台)。その上で、堕落した側(4図の右側)のカインを(4図の左側)に愛によって蕩減復帰して来なければならない実体基台の中心的立場に立つことになる。この時の蕩減復帰とは、愛するものが遜る「父母の心情、僕の身体」となって愛することが重要となるので「蕩減」という表現になった。見えない愛は、上から下へであるが、それを立場として見ると下から上への逆向きとなっている。「蕩」とは “穢れを払う” という意味で、「減」は “遜る” という意味となる。“穢れを減らす” と言うことだ。 (A-b)アダムを象ったセツと女のカイン・アベルの始まり
その前提となったのは、カインがアベルを殺害して後、自らを苦しめ、主の前を去った(創世記4章13節〜16節)ことで、アダムに強い影響を及ぼしてセツの誕生となったことである。 そして時を経て、アブラハム、イサク、ヤコブの3代で男のカインとアベル、女のカインとアベルによる蕩減復帰摂理の基本形が築かれ、4代目のユダの時に、メシヤ誕生のための胎中聖別の原理が解かれた。そしてついに “真のアダム” による、“真のエバ” の蕩減復帰完成の道が開かれたのである。 <参照> ・ 幻となった基元節(上)
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