復帰摂理歴史の真実
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■ 第三部 第四章 
     b. なぜ正妻と妾の摂理となったのか(上)


1. 男のカイン・アベルと女のカイン・アベルによる復帰摂理
 今からは、家庭における女たちが問題です。サタンを中心として、天使長を中心として、アベルの女とカインの女が闘うのです。そこにおいて、アベルはお姉さんではなく、妹です。しかし、サタン圏で生まれた順番からして、お姉さんは妹を絶対的に主管することができるので、これが問題です。原理原則によって主管されるような立場に立った妹が、お姉さんを自然屈伏させて、姉の立場を復帰しなければなりません。女もカイン・アベルと同じような立場で、復帰していかなければならないのです
 そのような異なった姉妹関係の基台が、家庭なのです。ですから、家庭に正妻とめかけがいた場合には、喧嘩けんかして大変な問題になります。男性がもし妾をつくった場合、本妻が黙っているでしょうか? 「殺してしまえ」とか、「死ぬんだ」とか言って、家中が大変なことになってしまいます。しかし復帰路程は、正妻一人では行けないのです。妾と一つにならなければ、帰る道がありません。なぜかというと、堕落したために、神様の前に二つの流れの子女が生まれてきたからです
 それは、カイン側のお母さんと子供と、それらを復帰していくアベル側のお母さんと子供という、二つの流れです。そのような子女が立つようになったのです。もし堕落しなかったならば、一つの流れだけです。堕落の結果、二つの流れになってしまいました。神様は、これを収拾しなければならないのです。
 そこで、いかに二つの流れを一つにするのでしょうか。サタン的な長子を中心として一つの流れにすれば、サタン的なものになってしまいますから、これを蕩減復帰していかなければなりません。妹が神側のアベルです。その妹を中心に立てて、姉が一つになることによって、神様が本来創造した絶対主体の立場の氏族圏が生まれるのです。サタン側の長女を立てた場合には、大変です。
 女性も、カイン・アベルの長子権復帰と同じように、姉と妹が家庭内で一人の旦那さんとの関係で喧嘩するようになるのですから、それを一つにしなければなりません。その重要な女の家庭的使命を果たして、外的カイン・アベル復帰とともに、内的問題の復帰をしていくのです。最後は姉妹関係を越えて、エバ個人の問題まで解決しなければならないのが、家庭における女たちの使命です
 この個人的エバの問題を解決することによって、すべての蕩減とうげんの峠を超えることができます。それが、歴史上で今まで展開してきたことなのです。外的な面ではカイン・アベルの長子権復帰です。弟が兄になり、兄が弟になります。そのように、二つの流れを一つにするのです。女性も、妹が姉になり、姉が妹になって、一つの流れとして帰ってくるのです。そのような家庭的問題を解決した上で、次にエバ自体の個人的問題が引っ掛かってくるのです
 長子権復帰はカイン・アベルの問題です。家庭的問題として、こういう絡み合った兄弟圏の紛争が、神様の前に残っています。堕落した正妻圏の親子と、めかけのほうの立場に立つ親子がいるのです(図13を参照)。ですから復帰は、妾を通して、二番目を通してやらなければなりません。末の世になると、こういう問題が交差するので、神様は離婚を許さざるを得ないのです。離婚を許すことによって、少ない被害で神様に帰ってきやすくなるというのです。そのような公式によって、神様は離婚を許さざるを得ないのです。
 末の時代になると、男はみんな一人以上の女を持って、大変な問題を起こします。一人の人が何百人とも関係するようになるのです。ですから正妻も嫌がって、「あなたがそんなことをするなら、私も」ということになります。それで、金持ちの正妻なんかに「ツバメの群れ」という言葉が生まれたのです。若い男を中心とした売春行為です。そのように、公娼こうしょう街の男にお金を渡して、「あなたがそうするのだから、私も男遊びをします」と、本当にそのようなことをするのです。それは、悔い改めて精誠を尽くしていけば、かえって神様のほうに帰っていく道につながるともいえます。ですから、「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」(ルカによる福音書七章四十七節)という聖書の言葉があるのです。
 末の時期は、悪いことばかりではありません。悪い者も、末の時期には同じく救われる道があるのです。妾が正妻を救うことができるというのです。ですから、妾は男を相手にしやすい環境になっているのです。正妻が神様に帰るに当たって、妾を通して自分の主体者を紹介してもらうようになれば、完全に長子権、長女権を復帰することができます。それで、家庭的にも男女関係が乱れていくようになるのです。切り替えの時には仕方がありません。その切り替えの時に、悪なる女も天のほうに帰れば、天の祝福を受けられるのです。その反対に、天のほうにいたとしても、信仰生活が悪かった場合にはサタンのほうに連れていかれて、悪なる女の立場に立ちます。ですから、「謙遜で素直な人になりなさい」と言うのです。
 このように家庭を中心として、創世以来、子供をまとめてきました。そうして、家庭の外的な世界をまとめた後で、今から家庭的に、内的なお母さんたちの収拾をしなければならないのです。お母さんが二人いては駄目です。一つになって、堕落した女の蕩減を逆に引っ繰り返さなければなりません。それをみんなが分かることによって、世界から家庭、個人まで、完全に越えていくのです。女によって堕落したのですから、女が重要な責任を持たなければならない時代になりました。
 それで末の世には、女性全盛時代が来るのです。女たちが男妾おとこめかけをいくらでも持ってしまう時代になりました。堕落した時のことを考えれば、エバが二人の男を迎えたのですから、末の時期にも、一人の男だけでは足りないというのです。日本もそうです。女はいろいろなことをやっています。ホテルなどを使って売春をする女もたくさんいるのです。この乱れた女たちをいかに収拾するかというと、この原理原則を知らせ、二つの流れを一つにまとめて、天の理想に帰る道を教えるのです。それは全体から見ても、否定できません。自分たちが間違っていたことを知った場合には、それを正し、回れ右をして帰るのです。
 これが蕩減とうげん路程です。世界的蕩減路程、家庭的に女が誤ったことの蕩減路程、個人的女の蕩減路程です。男として、これを勝利的に越えていかなければ、本来の第二のアダムの立場に立つことはできません。夫婦になることができないのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p305〜p308)

 『原理講論』は、「男のカインとアベルによる蕩減復帰摂理」のみの記載となっている。それは、イエスが結婚できずに独身のままにその生涯を閉じることで、キリスト教による復帰摂理の延長線上として、文先生を中心とした蕩減復帰摂理が成されたためである。
 文先生はヤコブ家庭を、残された「女のカインとアベルによる蕩減復帰摂理」を自らの摂理と重ね合わせて語られているが、文先生とヤコブでは “原理的摂理” としての格の違いによって例えに無理が生じるのも致し方がない。
 そこで、『原理講論』の「蕩減復帰原理の “曖昧さ” を明確に捉える」ことで、その摂理的全容を明らかにしていく。

 (1) 人類始祖の堕落によって生じた堕落の経路と復帰摂理
  @ 堕落の経路とその結果
 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪の知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(創世記2章16節〜17節)

 善悪を知る木というその木は、創造理想を完成した女性を象徴するものである。ゆえに、それは完成したエバを例えていった言葉であるということを知ることができるのである。(『原理講論』p97)

 善悪の果とは何をいうのであろうか。すなわち、それはエバの愛を意味するのである。(『原理講論』p103)

 エバ●●善悪の果を取って食べたということは、彼女がサタン(天使)を中心とした愛によって、互いに血縁関係を結んだということを意味するのである。(『原理講論』p104)

    (@) 善悪の果を取って食べて死んだのはアダム
図1 堕落の経路
 人類始祖アダムとエバの堕落は、『原理講論』の堕落論に「エバが善悪の果を取って食べた」(p104)ことに始まると記されているが、これは「善悪を知る木」が何であり、その木に果実として実る「善悪の果」が何であるかという観点から見れば実に滑稽な話である。  『原理講論』では、「善悪を知る木」を “創造理想を完成した女性” を象徴し、「善悪の果」はその “女性の愛” を意味している。つまり、「善悪を知る木としてのエバの「善悪の果」は、堕落によって「悪の果」としての “堕落した愛” として結実したことを意味している。このことから、エバは、天使長ルーシェルの非原理的な不倫の愛によって「悪の果」を結び(霊的堕落)、その果をエバがアダムに与え、アダムはそれを食べた(肉的堕落)ことになる。その為、「取って食べて死んだ」のはアダムであり、エバではない。ここでの「死」とは、“神との断絶” を意味している(図1)。

    (A) この世の神となったサタン
 彼等が未完成期において堕落し、サタンを中心とする四位基台をつくったので、この世界はサタン主権の世界となってしまったのである。それゆえ、ヨハネ福音書一二章31節には、サタンを「この世の君」と言い、またコリントU四章4節においては、サタンを「この世の神」と言ったのである。(『原理講論』p116)

図2 堕落の結果






     (A-a) 神とサタンの中間位置とは
 アダムはサタンと血縁関係を結んだので、神とも対応でき、また、サタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。したがって、このような中間位置におかれた堕落人間を天の側に分立して「メシヤのための基台」を造成するためには、堕落人間自身が何らかの蕩減条件を立てなければならない。(『原理講論』p289)









  A 復帰の経路とカインとアベルによる蕩減復帰摂理
    (@) 男によるカインとアベルの復帰摂理
     (@-a) 復帰の経路は創造本然の経路
 蕩減条件をどのような方法で立てるかという問題である。どのようなものであっても、本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それから離れるようになった経路と反対の経路をたどることによって蕩減条件を立てなければならない。(『原理講論』p275〜p276)

 アダムが創造目的を完成するためには、二つの条件を立てなければならなかった。その第一の条件は「信仰基台」を造成することであったが、ここにおいては、もちろんアダムが「信仰基台」を造成する人物にならなければならなかったのである。その「信仰基台」を造成するための条件として、彼は善悪の果を食べてはならないと言われた神のみ言を守る●●●●●●●べきであり、さらに、この信仰条件を立てて、その責任分担を完遂するところの成長期間を経なければならなかった。(『原理講論』p277〜p278)

 第二の条件は、彼が「実体基台」を造成することであった。アダムが神のみ言を信じ、それに従順に従って、その成長期間を完全に全うすることにより「信仰基台」を立てることができたならば、彼はその基台の上で神と一体となり、「実体基台」を造成することによって、創造本性を完成した、み言の「完成実体」となり得たはずであった(ヨハネ一・14)。(『原理講論』p278)

 もし、アダムが堕落しなかったならば、彼は前述したとおりの経路によって創造目的を完成したはずであったから、堕落人間もまた「メシヤのための基台」を造成するためには、それと同じ経路をたどって、次に述べるような「信仰基台」を立てて、その基台の上で、「実体基台」をつくらなければならないのである。(『原理講論』p278)

図3 復帰の経路






     (@-b) メシヤのための基台は全てアベルの問題
 「蕩減復帰」というのはどういう意味なのであろうか。どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。(『原理講論』p273)

図4 蕩減復帰による長子権復帰






 その第二は、そのための「条件物」を立てなければならないということである。アダムは「信仰基台」をつくるための条件として下さった神のみ言を信じなかったために、それを失ってしまった。このように、堕落した人間は、「信仰基台」を復帰するための神のみ言を、直接に受けられない位置に落ちてしまったので、そのみ言の代わりとなる条件物が必要となったのである。(『原理講論』p279)







     (@-c) 復帰摂理の目的は、サタン側の長子(カイン)を神側の長子(アベル)として取ろ戻すことにある







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