復帰摂理歴史の真実
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■ 第三部 第二章 
     a. 幻となった基元節(下)


1. 基元節の失敗によって失ったもの
 (1)閉ざされた「解ける恨」
  @ キリスト教と「解けない恨」
 『概説 統一原理 レベル4』(右図)は、天地正教が1987年に宗教法人として認可された翌年1988年1月25日に初版発行となった。現在は発刊されていないが、編者はレベル4編集委員会となっている。序論には、次のように記されている。
 文先生は、この原理の重要な部分を、一九五〇年代初半から弟子たちに公式的に教え始められた。しかし、文先生がもっておられる原理の中には、まだ発表することのできない部分が相当あると思われる。ゆえに摂理の進展により地上の基盤が成熟するにつれて、原理の新しい部分が今後さらに多く発表されることは間違いない。
 初期から文先生に侍り、また、直接教えを受けられた劉孝元初代世界基督教統一神霊協会協会長が執筆された『原理解説』と『原理講論』は、出版されてより現在まで、統一教会の公式的な教理解説書として使用されてきている。
 ここに紹介する『概説統一原理レベル4』は文鮮明先生の指示により、「原理」を理解し、また講義するのを助けるために『原理講論』を参考にして記したものである。
 筆者はまた、先生の指導を受けながら、二十年以上も原理を研究し、講義をしてきたが、いまだ原理を完全に理解し、また表現するに不足な点が多い。「原理」自体の貴い価値を損なうことがないように、祈りながらこの文を書いたが、もしこの本の中で原理に対する表現に無理があったり、考証の誤りがあるとすれば、それは全面的に筆者の責任である。(『概説統一原理レベル4』p21〜p22)

 1966年発刊された『原理講論』は、文先生が教示された内容を劉孝元氏が編纂したものであるが、構成が意図的で文脈の乱雑さが否めなく「原理」の理解を難しくした。『概説 統一原理 レベル4』ではそれを改善し、その理解における難易度を1から4のレベルに原理講義を目的として出版されたものでる。しかし、実際に行われた原理講義ではこれを利用することは殆どなく、『原理講論』をそのまま講義することが強要され、ビデオ講義に移行するようになると、「原理」の理解も教会組織の目的に沿うように限定れることが否めなくなり、『概説 統一原理 レベル4』もその姿を消すことになった。

    (@) み言葉による人間の成長と完成
 完全であられる神は、完全なる対象だけを主管なさるようになっているので、未完成段階にいる人間と万物は、神が直接主管する対象とはならない。神は原理●●、すなわち創造の秩序によって人間を間接的に主管されるのである。(『概説 統一原理 レベル4』p73〜p74)

 万物は原理自体の自律性と主管性によって成長期間を通過していくが、人間は原理自体の自律性と主管性だけで完成するのではなく、神が人間にのみ与えられた戒め●●を、人間自らが信じて守る●●●●●という人間の責任分担を完遂することによって完成するように創造された。(『概説 統一原理 レベル4』p74)

 霊体は、肉身においての肉体と同じく霊人体の体である。霊人体の成長と完成のためには栄養素が必要である。陽的な栄養素は神からくる生素●●である。生素は神の生命の要素として人間(霊人体)に心情●●をもつようにさせ、また真理体●●●となるようにする根本要素である。(『概説 統一原理 レベル4』p83〜p84)

 すべての被造物が完成するには、その成長期間が蘇生期、長成期、完成期の秩序的な三段階を経なければならない。成長期間を経て完成した人間は、完全であられる神の実体対象として、神から直接主管を受けるようになる。神の心情の対象体としてつくられた人間であるために、神の直接主管は心情一体となった愛の主管となる。このとき人間は、神を中心として心と体が完全に一体となった個体的な四位基台をつくるようになり、また夫婦が神を中心として家庭的な四位基台をつくるようになる。それゆえ神の直接主管圏は、人間の創造目的の完成圏となる。この時、神を中心として完成した人間が、完成した万物を主管することを、人間の万物に対する直接主管という。
 完全であられる神は、完全な対象だけを主管なさるようになっているので、未完成段階にいる人間と万物は、神が直接主管する対象とはならない。神は原理、すなわち創造の秩序によって人間を間接的に主管されるのである。つまり、神は原理の法度の主管者としておられ、人間と万物が原理によって成長する結果を見て間接主管される
 ところで、万物は原理自体の自律性と主管性によって成長期間を通過していくが、人間は原理自体の自律性と主管性だけで完成するのではなく、神が人間にのみ与えられた戒めを、人間自らが信じて守るという人間の責任分担を完遂することによって完成するように創造されたためである(『概説 統一原理 レベル4』p72〜p74)。
 では、この人間に適応された間接主管圏の目的はどこにあるのだろうか。右図をよく見てみると、人間は肉身と霊人体からなっているが、これまでの内容からみると、人間の肉身には原理自体の主管性と自律性がそのまま適用されるが、霊人体には人間自身の責任分担が必要と言うことになり、人間が万物を主管するということは、霊人体が肉身を主管するということに等しい。つまり、霊人体の主体となる生心が、肉身の主体となる肉心を主管して心を完成することにある。文先生は、こうした心の状態を「良心」と呼んでいる。
 霊人体は、生心と霊体から構成されている。生心は人間の永遠の生命と愛と理想を主管する霊人体の中心である。生心の機能は真、美、善、愛などを求め、価値ある生活をするように作用する。生心は、神が臨在される霊人体の中心であり主体である
 霊体は、肉身においての肉体と同じく霊人体の体である。霊人体の成長と完成のためには栄養素が必要である。陽的な栄養素は神からくる生素である。生素は神の生命の要素として人間(霊人体)に心情をもつようにさせ、また真理体となるようにする根本要素である(『概説 統一原理 レベル4』p83〜p84)。
 文先生は、「生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として、我々の良心と一つになり、理想的な自分をつくり上げる動機的心です」(『天国を開く門 真の家庭』p162)と語られたが、人類始祖の堕落により、これまで人間の心と霊(神霊)が合わさることは無かった。霊人体の陽的(無形)な栄養素としての「生素」は “言魂ことだま” とも呼ばれていて、聖書でいう「命の息」(創世記2章7節)を意味する。言魂は、が合わさった言葉であり、ここでは “神の心情●●によって発せられた言葉●●” と解することができる。『概説 統一原理 レベル4』では、霊人体を「霊魂」とも表現している。
 この言葉はすなわち土と水と空気と日光など、有形世界の根本要素で肉身をつくられたということである。そして息をその鼻に吹き入れられたと記されているのは、無形世界の根本要素をもって霊魂をつくられたということである。(『概説 統一原理 レベル4』p79)

 以上のことは、旧約時代は “戒め”、新約時代は “福音” によって、復帰摂理の発展とともに人間の心情も啓発され、霊人体を成長させたと理解できる。

<参照>
 パウロの伝道と三位一体論の展開
 “心を養う” 必要性の根拠
 内村鑑三の武士道とキリスト教

    (A) 霊的イエスと聖霊から見たキリスト教のハン
     (A-a) 新生と重生
 『原理講論』において、従来使用されていた “新生” が “重生” に表記が変更された。では、新生と重生にどんな違いがあるというのであろうか。
 「新生」とは、キリスト教では神の恵みによって聖霊が人の心のうちに働き、罪を知らせ、悔い改めさせ、イエス‐キリストの救いを受けて、その心のうちに変化の起こることをいう。また「重生」とは、“生まれかわる”という意味では新生と同じだが、“死んだ●●●人間が再び生まれてくること” としての意味が含まれていることから、堕落による霊的死を意味したものと捉えることができる。しかし、『原理講論』の前編での「キリスト論」で “重生” の言葉を用いるのは適切ではない。
 『原理講論』で言う “霊的死” における「死」の意味は、“肉身の死” とは全く違う。人類始祖の堕落によって肉心とサタンの授受作用が生じサタンを主体とする肉心が堕落性本姓として実を結んだ。この肉心によって生心が機能できなくなってしまったため、生(心)に対して死(心)としての表現になったのであり、決して生心が肉身の様に死んだのでもなく、消滅した訳でもない。肉心が主体となって生心を “拘束” してしまったことを「死」と表現したのである。復帰摂理は、長い歴史をもって徐々にこの拘束を解いてきたのである。

     (A-b) 霊的真の父母としてのイエスと聖霊
 聖霊は慰労と感動の働きをされるのである。イエスは天において、女性神である聖霊は地において、罪の悔い改めの業をしてこられた
 我々がイエスを信じるということは、霊的な真の父である復活されたイエスと、霊的な真の母である聖霊の一方的な●●●●愛の懐に入るようになるということである。イエスを信じて聖霊を受け、新たに生まれるということは、霊的真の父母の愛によって、真の生命を受けて、新しい霊的自我として生まれてくるのであり、これを霊的新生という。(『概説 統一原理 レベル4』p217)
 イエスは地上界において、アダムとエバが堕落した長成期完成級までの第一祝福完成のみ言葉となる福音のみ言葉を実体化され、天上(霊)界へと行かれた。復活されたイエスは、長成期完成級を肉的死をもって超えられた立場に立ち、霊的真の父の立場を復帰された。霊的イエスの相対の立場に立つ聖霊は、イエスのように地上界を経て天上界へ着た霊人体ではなく、昼の神が女性神として人格化された霊体である。昼の神は、原罪を持った堕落人間には直接干渉できない。しかし、聖霊は、“イエスに対する信仰” と “福音のみ言葉” を条件として、その道を歩む信徒に慰労と感動を与え、悔い改めによってイエスの再臨までの道をなおくされてきたのである。

     (A-c) 恨を解くためにイエスの再臨が必然となった
 キリスト教では、神を三位一体の神として理解し、一人の神が我々に啓示される時は、父・子・聖霊、このように三人格として現れると考えてきた。すなわち、神は自分を創造者として啓示され、このとき神は、私たちの父なる神であり、次に神は和解者として啓示され、このとき神は子として現れ、最後に彼が贖罪者として啓示されるときは、聖霊として現れると言ってきた。
 人間の堕落がなかったならば、神はイエスと聖霊を立てて、救いの歴史を摂理なさる必要はなかった。イエスと聖霊は、神を中心とした霊的な三位基台をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけ●●●●●●●●●●●●●●●●で終わった。それゆえ、霊肉共●●●の真の父として真の母を迎え、霊肉共●●●の三位一体をつくるために、イエスは再臨されなければならなくなったのである。(『概説 統一原理 レベル4』p217〜p219)
 そもそも、人間始祖の堕落によって “心情の神” は、神と人間の断絶●●●●●●●が生じたこによって哀痛され、これが「ハン」となった。神ご自身の「ハン」を解かれるために、人類歴史を三次に渡る復帰摂理として開始されたのである。

<参照>
 二つの「恨」と文先生の摂理



  A 「解ける恨」とメシヤ再臨摂理
 原理によれば、神は愛と心情の本体であられ、神の創造の動機は、神の愛の理想を実現しようとすることにあった(『概説 統一原理 レベル4』p22)。
 心情は対象を愛そうとする心的な衝動として愛の源泉となる。それゆえ神は、必然的に愛することのできる対象を要求するようになり、被造世界を創造された。神が創造された被造物のなかで、人間は神に最も近い心情の対象であるが、神のみ旨と心情を知って応答する●●●●●●●ことで神の子女となるのである(『概説 統一原理 レベル4』p59〜p62)。つまり、神の “み旨” を知らしめるのが “み言葉” であり、成長期間の各段階におけるみ言葉の実践に応じて、神との心情体恤における応答が “父子の絆” となるのである。
 メシヤの仲保を必要としない本来的な神の創造目的の成就が「解ける恨」の意味するところであり、文先生のみ言葉、特に1993年から1995年に日本の食口に語られたみ言葉はそれを可能にするとしても、神の創造目的は具体的な理想世界の実現にある。そこで、又しても次のことが幻となってしまった。



  B 失った「霊連世協会」と「天一国憲法」
    (@) 霊連世協会の目的
 この基元節を迎えれば、その日から、本格的な実体的後天時代が始まり、天情時代が始まるのです。天情時代とは、物本主義の時代と人間が中心の人本主義時代を越えた人が神様の心情に感応し、本然の心情関係の中で生きる時代を言います。また、その日から「霊連世協会」が稼働するのです。
 創造本然の地上・天上天国が実現すれば、天一国の主人たちは霊人体が完成し、本然の霊性を備えることで、自然に地上・天上の2つの世界を往来し、共感して暮らすようになります。この時、既存の家庭連合、天宙平和連合などとは次元が異なる霊連世協会の機構を通して、地上世界と天上世界を実体的に主管するように計画されているのです。
 この基元節を通して、真の父母様は創造原理的で、堕落の影が一切なく、サタンの存在さえない環境圏において、天宙的に挙行される祝福式を、神様の前に奉献しなければならなかったのです。先に父母様ご夫婦が直接主管圏に進み、実体で天宙の前に完成的聖婚式を挙行し、その基盤の上に、神様の実体的な王権即位式がなければならないのです。それと共に、子女の立場にいる私たち祝福家庭も、小さな責任分担をもって、これまでの「付けの祝福」「条件祝福」ではない実体祝福、「天一国入籍祝福」を受けることのできる道が開かれるのです。
 基元節を迎えることで、私たちが神様の直接主管圏に入れば、どうなるのでしょうか。神様と、祝福を受けた人間の間には、これ以上、仲保者、メシヤ、救世主、その他の如何なる媒介者も必要ありません。正午定着した本然の人間、その人間自身の良心と本心の導きを受けるのみです。そして無形の縦的な真の父母となられた神様を中心に、真の父母様と祝福を受けた人間、今後祝福を受けるであろう子孫までも、皆、神様の息子娘になります。横的に見る時、真の父母様は祝福を受けた人間の永遠なる先祖であり、モデルであり、父母となります。祝福を受けた人間は皆、宗教、人種、民族、国家といったあらゆる障壁を越えて、神様を中心とした一つの兄弟姉妹となり、一つの家庭の家族になるのです。
 したがって、創造原理からも、お父様のみ言葉からも分かるように、完成した人間であっても、それ自体が、神様になることはできません。神様と祝福を受けた人間との間には、如何なる仲保者もいません。真の愛・真の生命・真の血統でつながれた最短距離で心情に通ずるようになるのです。(『事必帰正』p406〜p409)

 「霊連世協会」の霊は、人間の霊人体の霊。世は、地上と天上の2つの世界を現す世である。つまり、“霊連世” とは、創造目的を完成した人間の霊人体によって、天上界と地上界を真の愛によって繋げる(連ねる)といういみである。「世界基督教統一神霊協会」の、世界の基督教を神霊によって統一するという意味の “世界基督教統一神霊” の上位段階を意味する言葉となる協会(association)のことである。

    (A)「天一国」としての憲法
 お父様が憲法の必要性を語られ、同時に制定を指示されたのは1997年からでした。同年4月における世界平和統一家庭連合の公式的出発と共に、「宗教を越えて家庭を中心とした時代に合う規範と体制」を本格的に準備していた時です。(『事必帰正』p426)

 2005年5月1日、麗水で「新しい時代の平和祝祭」大会が終わった後、お父様が再び「『天一国憲法』を持ってきなさい」と指示されました。「天一国憲法」という表現を、その時初めてされたのです。(『事必帰正』p426)

 ただ時折、訓読会で「家庭盟誓が憲法だ、家庭盟誓を憲法の中に溶け込ませるようにしなさい」というみ言葉だけを私に繰り返されるばかりでした。
 そうした中、2008年12月初旬、お父様が再度、天一国憲法の草案を求められました。そこで以前にはなかった新しい指針と方向を追加されたのです。
 「天一国憲法には堕落、復帰、救援、罪悪のようなものが一切入ってはいけない。その影さえもないようにしなさい! 天一国憲法は創造本然の秩序だ。もし現実的に復帰や救援摂理のために手続きや組織が必要ならば、全て付則の経過措置として処理するようにしなさい!」。
 このみ言葉に従って、2005年6月に準備された天一国憲法の草案が大幅に修正されました。救援、復帰に関わる内容と摂理的組織を皆、付則の経過措置の条項として編入させ、「家庭盟誓」が志向する方向によって、天一国の体制と法的秩序を構成しました。
 ついに2008年12月30日、憲法の草案を差し上げました。お父様は天正宮でこの憲法草案をくまなく検討され、鉛筆とサインペンで直接修正されました。その場面を、私はそばで何度も見守りました。その後、2009年初め、お父様は訓読会で数回、「天一国憲法の草案●●が完成した」と語られました。
 「私が天一国憲法を作っておいたというのです。金孝律、分かる?(はい、そのような話を伺いました)全て私が作っておきました。2013年1月13日、基元節を中心として発表するのです」。(『事必帰正』p427〜p428)

 国家が成立するには、その統治権や統治作用に関する根本的な原則を定める基礎法としての憲法が必要である。もちろん、天一国における憲法は「天一国憲法」である。この憲法は、国家としての政治と経済が一体となるにおいての「真の愛」を築く秩序の根本とならなければならない。しかし、これは一朝一夕に築かれるものではなく、救援、堕落の復帰に関わる内容と摂理的組織を付則の経過措置の条項として編入させることは、極めて妥当なことであろう。
 ところで、文先生の描いた基元節は幻となり、現実的に行われた基元節は、これまで述べてきたことからも分かるように、天使長の誘惑に陥り堕落に至ったエバの “完全蕩減復帰完成” をひっくり返してしまう結果となった、いわゆる再堕落である。この人間の責任分担不履行によって神様のハンを解けなくしてしまったことに対抗して、悪戯いたずらに霊連世協会を成したりするのではなく、寧ろ文先生のみ言葉と原理を正しく理解し直して、神の原理結果主管圏における人間自身の責任分担を全うすることに務めるべきである。何故なら、神は4番目の鳩を放つ摂理などはせず、人類始祖の堕落によって失われたみ言葉を文先生が完全に復帰されたことで、間接的にではあるが、神は原理によって堕落人間を再創造し完成に至らしめることが可能となったからである。


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