戦争とロシア正教

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一、世界大戦は何故起きるのか
     1. 世界大戦と大ロシア主義


1. 理想世界復帰のための戦争
 (1) 第三次世界大戦の必然性と摂理的概要
 神は、元来、人間始祖を創造されて、彼に世界を主管せよと祝福されたので(創1・28)、サタンが堕落した人間を中心として先にこの祝福を完成した型の非原理世界をつくっていくのを許さなければならなかった。その反面、神は復帰摂理によってそのあとについていきながら、それを天の側へ奪ってくる摂理をしてこられたことは、我々がよく知っている事実である。ゆえに、人類歴史の終末には、サタン側も天の側もみな世界を主管するところまで行かなければならないので、民主と共産の二つの世界が両立するようになる。そして、この二つの世界の最終的な分立と統合のために世界大戦が起こるようになるのである。このように、第一次、第二次の大戦は、世界を民主と共産の二つの世界に分立するための戦いであり、このつぎには、この分立された二つの世界を統一するための戦いがなければならないのが、これがすなわち第三次世界大戦なのである第三次世界大戦は必ずなければならないが、その戦いには二つの道がある
 第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵が武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心ちゅうしんから喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である人間は理性的な存在であるから、結局理性で屈伏し、理性によって一つになるのでなければ、完全な一つの世界となることはできないのである。この二つの戦いの中で、いずれの道によって一つの理想世界が成し遂げられるかは人間の責任分担の遂行いかんによって決定される問題である。それでは、この道に必要な新しい世界の理念はどこから現れるのだろうか。
 人類を一つの理想世界へと導くことのできる理念が、カイン型の人生観で立てられた共産主義世界から出てくるはずは絶対にない。なぜなら、カイン型の人生観は人間本性の内的な性向の伸長を遮っているからである。ゆえに、この理念は必ずアベル型の人生観で立てられた民主主義世界から出てこなければならないが、しかし、我々がこれまでに知っている民主主義世界のいかなる既存理念も、共産主義の理念を屈伏させることができないということは、既に歴史的に証明されている事実である。したがって、この理念は必ず民主主義世界から、新しく登場してこなければならないのである。新しい理念が出てくるために新しい真理が出なければならないが、この新しい真理がすなわちアベル型の人生観の根本であり、したがって、民主主義の根本となることはもちろんである。今まで、時代の流れに従って、より新しい真理を探求してきた歴史発展過程がそうであったように、このような新しい真理が出てくると、多くの人間が、今まで真理であると信じてきた古いものと互いに衝突するようになるので、今日の民主主義世界そのものも、再びカイン、アベルの二つの立場に分立されてお互いに争うようになるであろう。しかし、この新しい真理が民主主義世界で勝利の基盤をもつようになり、更に進んでは共産主義の理念を屈伏させることによって、ついに一つの真理による一つの世界が成し遂げられるのである
 神がこの新しい真理を下さって、全人類を一つの理念に統合させようとなさる摂理をサタンが先に知り、自分を中心として人類を統合させようと、偽りのものを真であるかのように説いたサタン側の真理がすなわち弁証法的唯物論である。弁証法的唯物論は理論的な根拠を立てて霊的な存在を抹殺しようとする。このような唯物論の立場から神は存在しないということを証拠立てようとしたが、結果的にはサタン自身も存在しないという論理を自ら被らざるを得ず、自縄自縛となり自滅の境地に自ら落ちこんでしまったのである。なお、サタンは歴史の終末をよく知っているので自分が滅亡することもよく知っている。したがって、結局はサタン自身も尊ばれないときが必ずくることを想定していながら、自分の犠牲を覚悟して神を否定したのがすなわち弁証法的唯物論なのである。ゆえに、民主主義世界でその理論を屈伏させる真理を出さない限り、天の側はいつまでもサタンの理論的な攻勢を免れる道がないのである。ここに、天の側で新しい完成的な真理を宣布しなければならない復帰摂理史的な根拠があるのである。(『原理講論』p552〜p554)

 第三次世界大戦は、復帰摂理が始められてからこのかた最終的に、民主世界によって共産世界を屈伏させ、理想世界を復帰させようとする戦争である。復帰摂理の観点から見れば、第一次世界大戦までは、天の側の世界では、植民地を世界的に確保して復帰摂理のための政治と経済の版図を拡大することにより、民主主義の蘇生的な基台を立て、第二次世界大戦では、民主主義の長成的な基台を世界的に樹立して民主主義の版図を強固にした。第三次世界大戦によっては、新しい真理により完全なアベル型の人生観を立てて民主世界の完成的な基台を造成しなければならず、この基台の上で全人類を一つの世界へと導いていかなければならないのである。ゆえに第三次世界大戦は、復帰摂理の歴史の路程で、三段階まで延長しながら天のみ旨を立てようとしつつも、サタンに奪われてきたすべてのものを、歴史の終末期に至って、天の側で横的に蕩減復帰する最終的な戦争なのである。(『原理講論』p554〜p555)


  @ 神の復帰摂理にとって世界大戦とはどの様な意味を持っているのか
    (@) 摂理国家としての責任
 神の復帰摂理において、その摂理における責任分担を担う摂理国家には、下記のような原理が適応され、神は創造原理に適応しない人間の行為やその結果に対しては一切干渉なさらない。
 人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、完成しなければならない。このような成長期間を、我々は間接主管圏、あるいは、原理結果主管圏というのである。それゆえに、人間がこの圏内にいるときには、彼ら自身の責任分担を完遂させるため、神は彼らを直接的に主管してはならないのである。そして、神は人間が完成したのちにおいて、初めて彼らを直接主管されるようになっているのである。もし、神がこのような成長期間に、彼らの行為を干渉し、彼らを直接主管されるとすれば、神は彼らが完成したのちに初めて直接主管するというその創造原理を、自ら無視する立場に立たれることになるのである。このように原理が無視されるようになれば、同時に、原理の絶対性と完全無欠性は喪失されてしまう。神は絶対者であり、完全無欠なる創造主であられるがゆえに、神が定められた創造原理も、また絶対的であり、完全無欠でなければならない。それゆえに、神は創造原理の絶対性と完全無欠性のために、未完成期にいた彼らの堕落行為に対して干渉されなかったのである。(『原理講論』p129〜p130)

 そもそも、神の創造原理(神の復帰摂理においては蕩減復帰原理)に適応して成長期間(蕩減機関)を歩むべきは、摂理国家としては善の表示体として選ばれたアベル側に立つ国家のことを言う。復帰摂理の中心人物に立つべきアベルが立てるべき信仰基台は、カインを復帰するためのアベルが持つべき基台となる信仰である。信仰が希薄になったり、行為の中心に信仰を据えられなくななってしまうと、カインにとってもはやアベルは救い主ではなく、カインの救いを閉ざす恨みの対象となって、カインが先にアベルを打つのである。
 神の復帰摂理的観点から見るならば、如何なる戦争においても問題とすべきはアベル側の摂理的国家にあるのであり、これに対して神は一切干渉なさることはできないのである。



  A 共産主義の最後で最大の指針となる「大ロシア主義」の克服
 第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国との間で繰り広げられた世界大戦である。また第二次世界大戦は、1939年9月にドイツのポーランド侵攻により始まった。翌年には英独戦争バトル・オブ・ブリテン)、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争大東亜戦争)を経て、1945年5月にはドイツ、同年8月に日本の降伏で終わる戦争をいう。この戦争の後、英米仏3国とソ連が対立し、1948年6月24日にソ連が英米仏の管理地区(西ベルリン)と西ドイツとの陸路を封鎖して「ベルリン封鎖」を行った。結果的に社会主義陣営に属するドイツ民主共和国(東ドイツ)と、自由主義陣営に属するドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立した。結果的にドイツは、ソ連(共産主義陣営)占領地域として建国された東ドイツアメリカ・イギリス・フランス占領地域の自由主義陣営としての西ドイツに分立された形になった
 ソビエト社会主義共和国連邦(略称でソビエト連邦またはソ連)は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、ロシア帝国を置き換える形で成立した臨時政府を打倒した十月革命を起源とする。1922年12月30日にロシア、南コーカサス、ウクライナ、ベラルーシを統合し、ソビエト連邦共産党による一党独裁国家としての “ソ連” が成立した。1924年のレーニンの死後にヨシフ・スターリンが政権を掌握することとなったのである。
 カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスは、1847年に設立された共産主義者同盟の綱領の起草を委託され、1848年に『共産党宣言』を書いた。これがアドルフ・ヒトラーによってナチスという潮汐が起こり、独ソ戦(1941年〜1945年)が潮流となってレーニンによるロシア・マルクス主義とされるマルクス・レーニン主義として案出し、マルクスによる共産主義をロシア革命の指導理念としてスターリンによって一般化・普遍化した思想である。レーニンは生来の共産主義者であったが、スターリンはロシア正教を弾圧(1930年代)した後、1943年にソ連で再び合法化したことによって、第二次世界大戦後のロシア正教は弁証法的唯物論化への道をたどることになる。ロシア大統領であり、ロシア正教徒でもあるウラジーミル・プーチンの背後にあるのは大ロシア主義ユーラシア主義)である

<参照>
 スターリンの宗教弾圧
 ロシア正教会は70年にわたるソビエト無神論時代をどう乗り切ったか(写真特集)
 スターリンはなぜ正教会の活動を再開させたか?
 ロシア正教会、コンスタンティノープル総主教庁との関係の断絶声明を発表
 プーチン大統領の戦争、背後に「ロシア世界」思想 米メディア「ウォールストリート・ジャーナル」が指摘
 ロシアの帝国主義的ナショナリズムにおける5本の柱
 地政学の(再)流行現象とロシアのネオ・ユーラシア主義
  (静岡県立大学国際関係学部准教授 浜由樹子 ; 明治大学政治経済学部准教授 羽根次郎 : PDF / 本サイト

    (@) 大ロシア主義を凌駕する完全な理念の必要性
 『原理本体論』によると、第三次世界大戦はこれまでの世界大戦によって分立された民主世界と共産世界が、民主世界の打立てる完全なアベル型人生観としての新しい真理によって、共産主義理念を屈伏させるとともに、この新しい真理による全人類の統合を可能とする、弁証法的唯物論を完全に克服した神の愛による真理でなければならないとしている。なぜならば、弁証法的唯物論は “闘争による統合” を目的としているため、「闘争による理想の実現」という究極の理念として登場する。そのため、神の愛による新しい心理も、それを克服し凌駕できる完全な理念として登場できなければ、第三次世界大戦は武力による闘争とならざるを得ないとしているのである。


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