戦争とロシア正教 |
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一、世界大戦は何故起きるのか 1. 世界大戦と大ロシア主義 1. 理想世界復帰のための戦争 (1) 第三次世界大戦の必然性と摂理的概要
@ 神の復帰摂理にとって世界大戦とはどの様な意味を持っているのか (@) 摂理国家としての責任 神の復帰摂理において、その摂理における責任分担を担う摂理国家には、下記のような原理が適応され、神は創造原理に適応しない人間の行為やその結果に対しては一切干渉なさらない。
神の復帰摂理的観点から見るならば、如何なる戦争においても問題とすべきはアベル側の摂理的国家にあるのであり、これに対して神は一切干渉なさることはできないのである。 A 共産主義の最後で最大の指針となる「大ロシア主義」の克服 第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国との間で繰り広げられた世界大戦である。また第二次世界大戦は、1939年9月にドイツのポーランド侵攻により始まった。翌年には英独戦争(バトル・オブ・ブリテン)、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争(大東亜戦争)を経て、1945年5月にはドイツ、同年8月に日本の降伏で終わる戦争をいう。この戦争の後、英米仏3国とソ連が対立し、1948年6月24日にソ連が英米仏の管理地区(西ベルリン)と西ドイツとの陸路を封鎖して「ベルリン封鎖」を行った。結果的に社会主義陣営に属するドイツ民主共和国(東ドイツ)と、自由主義陣営に属するドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立した。結果的にドイツは、ソ連(共産主義陣営)占領地域として建国された東ドイツとアメリカ・イギリス・フランス占領地域の自由主義陣営としての西ドイツに分立された形になった。 ソビエト社会主義共和国連邦(略称でソビエト連邦またはソ連)は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、ロシア帝国を置き換える形で成立した臨時政府を打倒した十月革命を起源とする。1922年12月30日にロシア、南コーカサス、ウクライナ、ベラルーシを統合し、ソビエト連邦共産党による一党独裁国家としての “ソ連” が成立した。1924年のレーニンの死後にヨシフ・スターリンが政権を掌握することとなったのである。 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、1847年に設立された共産主義者同盟の綱領の起草を委託され、1848年に『共産党宣言』を書いた。これがアドルフ・ヒトラーによってナチスという潮汐が起こり、独ソ戦(1941年〜1945年)が潮流となってレーニンによるロシア・マルクス主義とされるマルクス・レーニン主義として案出し、マルクスによる共産主義をロシア革命の指導理念としてスターリンによって一般化・普遍化した思想である。レーニンは生来の共産主義者であったが、スターリンはロシア正教を弾圧(1930年代)した後、1943年にソ連で再び合法化したことによって、第二次世界大戦後のロシア正教は弁証法的唯物論化への道をたどることになる。ロシア大統領であり、ロシア正教徒でもあるウラジーミル・プーチンの背後にあるのは大ロシア主義(ユーラシア主義)である。 <参照> ・ スターリンの宗教弾圧 ・ ロシア正教会は70年にわたるソビエト無神論時代をどう乗り切ったか(写真特集) ・ スターリンはなぜ正教会の活動を再開させたか? ・ ロシア正教会、コンスタンティノープル総主教庁との関係の断絶声明を発表 ・ プーチン大統領の戦争、背後に「ロシア世界」思想 米メディア「ウォールストリート・ジャーナル」が指摘 ・ ロシアの帝国主義的ナショナリズムにおける5本の柱 ・ 地政学の(再)流行現象とロシアのネオ・ユーラシア主義 (静岡県立大学国際関係学部准教授 浜由樹子 ; 明治大学政治経済学部准教授 羽根次郎 : PDF / 本サイト) (@) 大ロシア主義を凌駕する完全な理念の必要性 『原理本体論』によると、第三次世界大戦はこれまでの世界大戦によって分立された民主世界と共産世界が、民主世界の打立てる完全なアベル型人生観としての新しい真理によって、共産主義理念を屈伏させるとともに、この新しい真理による全人類の統合を可能とする、弁証法的唯物論を完全に克服した神の愛による真理でなければならないとしている。なぜならば、弁証法的唯物論は “闘争による統合” を目的としているため、「闘争による理想の実現」という究極の理念として登場する。そのため、神の愛による新しい心理も、それを克服し凌駕できる完全な理念として登場できなければ、第三次世界大戦は武力による闘争とならざるを得ないとしているのである。
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