復帰摂理歴史の真実 | ||||||||||||||||||||||||||
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■ 第三部 第一章 a. 怨讐を愛する原点 1. 聖霊によるキリスト教信徒の救い (1) イエスと聖霊 @ 十字架前までのイエス (@)イエスの摂理における主人公はマグダラのマリア 『原理講論』によると、イエスの公生涯は第一次と第二次の世界的カナン復帰路程(『原理講論』p404〜p419)に該当する。イエスと洗礼ヨハネが出会い、洗礼ヨハネのイエスに対する不信によって失敗に終わるのが第一次で、洗礼ヨハネの失敗を、イエスが三大試練の勝利によって12使徒を復帰するのが第二次の摂理となる。しかし12使徒の不信、特に第一弟子のペテロの不信仰が決定的となり、第二次の摂理はイエスの磔刑によって幕を閉じた。
しかし、イエスが捕らえられると逃げ出した彼らは、イエスに従うことの本当の意味を理解できずにいた。マグダラのマリアはそれとは真逆に、それを理解できたからこそ、たとえ危険が伴う状況であってもイエスに従い続けることによって、イエスの復活と救いの御業を告げ知らせる使徒となることが出来たのである。 <参照> ・ 新約聖書よもやま裏話 第20回 「子を産む機械」!? 男子も女子もなく…… ・ 新約聖書物語再考―マグダラのマリアの場合 (二松学舎大学国際政治経済学部教授 本多峰子 : PDF / 本サイト)
マグダラのマリアには、この様なイエスの御言葉を受け入れ、命懸けで従っていく信仰があったからこそ、イエスの復活による霊的摂理が可能となったと言えよう。 (A)イエスと洗礼ヨハネ イエスの母マリアは、エッセネ派の祭司の娘。父ヨセフはエッセネ派のナガー(アラム語の学者)だった。エッセネ派は、大祭司を世襲していたザドク家の精神を受け継ぐ宗教的エリート集団で、ハスモン朝がザドク家出身者以外の者を大祭司に任命した事に抗議して死海北西部砂漠の丘陵地帯・クムランに隠棲した集団である。洗礼ヨハネはこのクムラン教団に所属し、「死海文書」には、旧約聖書の解釈と再話、教団を維持・運営していくための規則、祭儀の決まりと唱え言、詩篇、黙示文書、知恵文書、果ては天文・暦文書から魔術文書まで、およそ共同で生存をはかるためのテキストが尽くされています。洗礼ヨハネの集団は、その様な教団の小集団にすぎなかったが、クムランが何回もの洗礼を強調したのに対して、ヨハネは一回的な洗礼と、罪の悔い改めを主張した。ヨハネの活動は、紀元28年ごろ(ルカ 3:1)、ラクダの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、まるで預言者エリヤ(列王記下 1章)を思わせる人物であると同時に、預言者(洗礼ヨハネ)はイスラエルの救済者メシアの到来を希求していました。 “洗礼” は、ノアの箱舟と洪水に譬えられ(ペテロの第一の手紙3章20節〜22節)、大洪水が押し寄せてきた時にキリスト信仰者を安全に運んでくれる船のようなものです。洗礼を受けたキリスト信仰者がこのような恩恵を受けるのは、その人が自らの決断によって汚らしい生き方を捨て去る約束をするからではありません。ここで大切なのは、神様が“良心” に対する契約をしてくださったということです。「契約」とは、弱い立場にある者が強い立場にある者からの提案を受け入れ「約束」することであり、“良心” に対する契約(約束)とは、まず神様が人に “罪の赦し” と “良心” を提供され、それらを人が感謝を持って受け取ることを意味します。 <参照> ・ エッセネ派と洗礼者ヨハネ ・ 死海文書と終末論 ・ イエスの“出家”ー 洗礼者ヨハネ集団とは ・ 死海文書とは何か。日本語訳プロジェクトに携わる研究者が明かす、その全貌 ・ 死海文書が描く終末 ・ イエスの誕生の秘密 (下) ・ 聖書は洗礼について何を教えていますか ・ ペテロの第一の手紙第3章 (B)死海文書と洗礼ヨハネ イエスがヨハネのところに来て洗礼を受けたのは、この様な神との契約によって、メシアとしての活動を出発するためで、洗礼ヨハネはモーセに従うアロンの様にイエスに従って行くべきだったのですが、死海文書には終末における “二人のメシア” の内容が記されていたため、洗礼ヨハネはイエスに対して躊躇してしまったのです。 二人のメシアとは、聖書に見られないクムラン共同体のメシア思想にある特有の表現であり、「アロンの子孫から出るメシアとイスラエルの民の中から出てくるメシア」という意味で、ユダヤ(イスラエル)の独立を維持して統治したユダヤ人王朝であるハスモン朝時代に大祭司と王を兼務したヨハネ・ヒルカノス2世の立場を象徴しています。 また、死海文書ではアロンはモーセの兄であり、最初の大祭司という立場にありましたが、子牛像事件を犯したアロンに対して神は激しく怒り、彼を滅ぼそうとしたとあります。先にも述べたように、ヨハネとイエスは祭司ザカリアの子で、ヨハネは兄、イエスとその弟の立場にあります。つまり、洗礼ヨハネはアロンの立場でありイエスはモーセの立場にあった事を意味します。そこで、洗礼ヨハネはヘロデ王に厳しく迫ったため投獄されました。この時の洗礼ヨハは、イエスに対する不信ではなく、現状に対する戸惑いと躊躇いで動揺していたため、イエスの助けの言葉の意味を全く理解する余裕が無く、斬首に至ったと言えます。つまり、洗礼ヨハネは最もエッセネ派の信仰に篤く、死海文書の最もな理解者であったと言えるでしょう。 <参照> ・「死海文書」におけるアロン (中京大学教養教育研究院講師 大澤耕史 : PDF / 本サイト) ・ 洗礼ヨハネと12使徒 A 十字架後のイエスと聖霊 (@)パウロの信仰 パウロは、シリアのタルソ(現トルコのタルスス)で裕福なユダヤ人の家庭に生まれた(紀元3年頃)。イスラエルの王の名にちなんでサウロと名付けられました。パウロというのは、サウロと発音のよく似たラテン語名である。ユダヤの律法に従って生後8日目に割礼を受け、子供の時から厳格な律法の解釈に従って育てられたベニヤミン族出身の熱心なパリサイ人でした(ピリピ人への手紙 3章5節〜6節)。律法学者になるためにエルサレムの高名な学者ガマリエルに師事したこともあり、律法に関しては極めて優秀な学生だったのです(ガラテヤ人への手紙 1章14節)。 ベニヤミン族というのは、イスラエル12部族のなかでも特に厳しく律法を守ることで知られていて、パリサイ人というのは同じユダヤ教のサドカイ派とは違い、律法を絶対視する律法主義の立場をとっていた。また、復活や霊魂の存在を信じる(使徒行伝 23章8節)点ではイエスに近い思想があり、ニコデモをはじめファリサイ派の学者の中でもイエスと対立しなかった人物も少数であるが存在していたとされる。パウロもイエスの復活を “霊の体の復活” としていました(コリント人への第一の手紙 15章42節〜44節)。この「霊の体」とは、『原理講論』で言うところの霊体のことであるが、この霊体と生心を総称して「霊人体」という。 <参照> ・「コリント人への手紙」におけるパウロの信仰について (跡見学園短期大学教授 武本昌三 : PDF / 本サイト) (A)迫害者パウロの回心とイエスの選び パウロは律法からはみ出ていくキリスト教徒たちが許せず、先頭に立って初期のキリスト教会を迫害していました。エルサレムの家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して教会を荒らし回ったのです(使徒行伝 8章1節〜3節)。この迫害ぶりは更にエスカレートし、パウロはダマスコへ出掛けることになります。 しかし、ダマスコ近くに来た時、突然、天から光がさして彼をめぐり照らすと、彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたので、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」との声だけ聞こえたが誰も見えませんでした。こうしてダマスコの町へ入ったパウロは、三日間目が見えず、食べることも飲むこともしなかったのです(使徒行伝9章3節〜9節)。この三日間はイエスの死後、復活までの三日間を暗示しているかのように、パウロは回心に至ったのです(使徒行伝 9章18節〜19節)。 パウロは生前のイエスには会っていません。ところが、イエスはパウロのことを、「あの人は、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者」と言い切りました(使徒行伝 9章15節)。イエスは、なぜこのような迫害者のパウロを選んだのであろうか。それは、彼の霊的能力であった。つまり、霊人体における「生心」の強さとして、イエスは “自らの名の為に苦しみに耐え得る心の強靭さ”(使徒行伝 9章16節))をパウロの中に見出して選んだのです。 先にも述べたように、『原理講論』では、“人間の心” を生心と肉心が主体と対象の関係で授受する作用体であるとしている(「“心を養う” 必要性の根拠」参照)。そこで、生心が肉心の絶対なる主体として立てるようになれば、肉体が生心の主管下に置かれることとなり、神の願いに叶う発言や行為も可能となる(「『武士道』に見るキリスト教精神(上)」参照)。「天の父が完全であられるように、完全な者としてのイエス」(マタイによる福音書 5章48節)は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」(マタイによる福音書 5章44節)なかで、この点がパウロを選んだ核心的ポイントとなります。 (B)本然のエバと聖霊
「命の源」は、“神霊” とされます。そのことから、創世記2章7節にある「命の息」を人間始祖アダムに吹き入れられたのが “生心” であるとされ、先の「内村鑑三の武士道とキリスト教」で述べた新渡戸稲造の「修身養心」の概念(右図)における宇宙の神霊との霊的交渉における人間自らの神霊とするのがそれである。ここで、神霊と生心が主体と対象の関係によって生じる授受作用の力が「新しい精神的な力」となって、見えない神の愛が人間の行為によって可視化されると捉えたのである。 この様な人格が構築されたアダムを夫とするエバが相対者(妻)として立つようになると、エバの生心と授受の関係を結べるのが「聖霊」であった。アダムの生心に対応する神霊が “命(神の御言葉)” とすれば、聖霊はその “命あるものの母” として愛そうとする「神の愛の化身」と言うことができる。この様に、アダムとエバが夫婦として神の御言葉によって完成すれば、アダムとエバは “真の父母” となり、この父母による愛を “真の愛(実体的アガペー)” とすべきはずだったのである。正に “神の御言葉” は、「真の愛の種」となるのである。 また、「命の源」を「命の種」として宿すことのできるアダムこそ “真の父” であり、その種を引き継ぐという意味として “血統” という言葉が用いられるようになった。ヘブライ語の「アダム」の文字を右から読むと、その末尾には語根としての「血」が位置する。 以上のことから、御言葉にある血統の意味は生物学的意味合い以上に霊的な意味合いが強く、その点から表現すれば、「神の愛の伝統を受け継ぐ」ということを “血統” と表現していると認識しなければならない。 <参照> ・「歴史上最大の誤訳 ―女は男の肋骨からつくられた―」 ・ ユダの覚悟と十戒 B 正妻と妾の摂理の根本原理 (@)堕落エバの心と恨からの解放 以前「『武士道』に見るキリスト教精神(中)」のところで、エバは、神の「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記 2章17節)という聖書の御言葉を無視して、天使長ルーシェルの誘惑の言葉を受け入れ、霊的性関係を結んで堕落したことを『原理講論』では “霊的堕落” としている。しかし、この霊的性関係というのは、霊的天使と相対するエバの霊人体を通じて、エバが肉的性関係を結んだことを意味している。文先生がエバとルーシェルの性交を表現している御言葉もありますが、分かりやすいのは次の御言葉であろう。
恨とは、感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす概念のことで、朝鮮文化においての思考様式の一つとなっている。簡単に言えば、「こんな筈じゃ無かったのに! 恨んでやる!」といった憤懣やるかたない思いである。“恨み” という語意に、“恨” という朝鮮独特の情念が篭もった内容は、堕落後のエバの恨みに通じる「怨」の字が当て嵌められている。 「怨讐」という言葉は、堕落したアダムの正妻としてのエバの恨みを表現したものである。「讐」は、“あだ” や “かたき” を意味し、私(エバ)を騙して堕落させたサタンに対する恨みを、「怨」は私(エバ)が救いを求めて一緒になってもそれは無意味だったというアダムに対する恨みとなる。そもそも「怨」という字は、仏教用語の五礙または五障という「女性が持つ5つの障害」に由来する。これは、女性は梵天王(梵天は仏教の世界観において最高位の一つである梵天界の主)、帝釈天(仏教の守護神である天部の一つ)、魔王、転輪聖王(古代インドの思想における理想的な王を指す概念)、仏陀になることができないという説である。つまり、復帰摂理における女性としての最高位である “真の母” になることができないという意味となり、“真の母” となるためには、怨讐に対する情念を解消しておくことが必須条件とならざるを得ない。文先生は、この恨みの情念を解決できるのは、正妻自身ではできず、愛の怨讐となる妾を通じてしか解決の道がないと説いているのである。
<参照> ・ 怨讐 ・ 恨み ・「怨」の画数・部首・書き順・読み方・意味まとめ (A)12使徒の復帰と聖霊
12使徒は、自分たちこそイエスの弟子たる資格があると標榜していたが、実際には彼らはイエスを裏切り、否定したのである。イエスが捕らえられると、すぐさま逃げ出してしまった(『イエスが愛した聖女』p179)。しかし復活したイエスは、使徒たちを聖霊へと導き、イスカリオテのユダに代わるマティアを選出した12使徒たちは、五旬祭の日に一同が聖霊に満たされ、自らの “霊” が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出したのである(使徒行伝 2章4節)。エルサレムにいたあらゆる国から帰ってきていたユダヤ人たちは、使徒たちを “新しい葡萄酒に酔っている” と嘲た(使徒行伝 2章13節)。 <参照> ・「許す」と「赦す」の意味の違いと使い分け (B)イエスの選びとパウロの三日間の瞑想
<参照> ・ 瞑想とは ・ 話題のマインドフルネス瞑想のやり方と効果!瞑想が人生の質を高める (C)キリスト教による妾から本妻へ イエスがパウロを選び回心に導いた(左図@)のは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」(マタイによる福音書 5章44節)という御言葉に則したものではあるが、そこにはイエスがその様にできる根拠がパウロにはあった(A@〜A)。また、聖霊が12使徒を、復活イエスの使徒に復帰した(左図A)のも、イエスと全く同じ御言葉に基づいて、恨の立場に立つ12使徒(イエスを十字架に至らしめた)たちがパウロに従ってイエスの証人となるように愛された(BA)。12使徒とパウロを一体化させ、異教徒たちをキリスト教徒へ改宗させることで、世界的キリスト教圏を築く魁となったのである。この様なイエスと聖霊、イエスとキリスト教徒の関係性を見た時に、霊的イエス(霊的真の父)に対して聖霊は正妻(霊的真の母)として立ち、キリスト教を信仰しイエスを慕う女性たちは、聖霊の立場からみれば妾の立場に立つようになる。こうした女性信徒に対して、聖霊はより一層イエスを愛するように母として愛することで導いたのである。ところで、聖霊はあくまでも霊であって人間の堕落とは全く関係がない。故に堕落アダムの正妻となった堕落エバの復帰は、地上における摂理として正妻の立場だけでは出来ず、そのため復帰アダム(キリスト)に愛される復帰エバ、堕落エバから見れば怨讐となる妾の存在を、堕落エバの立場にある正妻が聖霊のように妾(怨讐)を愛することで復帰に至るとしたのが文先生のいう “妾(復帰エバ)による正妻(堕落エバ)の復帰摂理” であり、真のアダムによる真のエバを復帰する最終的復帰摂理となる。 文先生が日本をエバ国家と言うのは、日本が妾の立場に立つことのできる “伝統的に培った精神” とされる、新渡戸稲造によって『武士道』として体系化された精神(第二部 第2章 第3節)と言えよう。 <参照> ・ イエスの誕生の秘密(上) ・ イエスの30年準備時代と十字架
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