<戻る 東学・天道教と統一原理 金容暉「東学・天道教の霊性と生命平和思想」 邊英浩(訳) PDF [本サイトダウンロード] 朝鮮「東学」の教祖崔済愚の神秘体験 林泰弘 PDF [本サイトダウンロード]
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1. 東学の成立と天道教への改称 崔済愚 (1824年〜1864年) 東学の創始者。 1824年、慶尚北道の慶州で儒学者の家系(父は朝鮮朱子学の完成である、李退溪の学派に連なる儒学者)に生まれ、1860年に慶州の竜潭亭で天啓を受けると、儒教・仏教・民間信仰などを融合した東学を創始しました。 <東学> 東学は韓国固有の生命思想であり、神観念を基軸として、儒教、仏教、キリスト教の要素を取り込んで集大成したものです。中国思想における天や上帝ではない、韓国固有の神(唯一神)観念であるハナニム(天主教ではハヌニム)信仰を内容とし、“人間の心はハナニムの心である”としました。 人間と神との距離を圧縮的に接近させ、当時の身分差別を否定的に見る内容を持っていました。そのため、中下層の農民層に急速に浸透した反面、朝鮮王朝や支配層である士族(両班)から弾圧を受け、1863年に政府によって捕らえられ、翌1864年に「邪道亂正」の罪で処刑されました。 崔時亨 (1827〜1898) 東学の第2代教主。 崔時亨は慶尚北道慶州市の貧農の出身で、幼くして父母を失い一時製紙所で働いていたといわれています。 東学創始者の崔済愚は大邱で処刑され、経典は燃やされました。第2代教主となった崔時亨は教祖の思想を表現した『東経大全』や『竜潭遺詞』を復元・刊行し、教義の体系化を図るとともに、南部朝鮮一帯への布教に力を注ぎ、慶州から三南地方(慶尚道・忠清道・全羅道)、更に江原道、京畿道、黄海道南部各地に広がりました。 東学党の組織は統率がきちんと行われていて、最下部を「包」とし、「包」を統括する「都接主」を置き、全東学教団を統率する道主がいました。また、教務を処理する執行機関として「教長」「教授」「都執」「執綱」「大正」「中正」という六任制度がありました。 そうして統率のとれた組織として存在した東学は、政府から厳しい取締りを受けることとなり、取締りと称した官吏の収奪が横行するようになると、官吏の虐政が甲午農民戦争へ発展する火種となったのです。崔時亨は1898年3月江原道原州で捕まり、6月に処刑されてしまいました。 孫秉煕 (1861年4月8日〜1922年5月19日) 東学(天道教)の第3代教主。 孫秉煕は忠清北道清原郡に生まれ、1882年に甥の誘いで東学に入道すると、3年後の1885年に崔時亨と会い、彼の高弟になりました。 1894年の甲午農民戦争の際は、忠清道に根拠を置いて北接軍を率い、同じく全羅道に根拠を置いて南接軍と共に官軍と戦いました。官軍の討伐を避けるために元山に身を隠した後は、組職の再建と布教活動に多大な功績を残し、1897年に崔時亨の後を引き継ぎ、第3代教主となりました。 しかし、東学に対する弾圧が激しくなり、自分を東学に勧誘した甥が逮捕・処刑されると、1901年に日本へ亡命します。ここでも同じ亡命者身分だった呉世昌、権東鎮、朴泳孝、趙羲淵等の開化派である元官僚たちと交流し、上海や明治維新以後改革が進んでいた東京などを振り返りながら人材育成の必要性を悟ると、朝鮮の開化を主張する「三戦論」を唱えるようになり、1903年からは青年達を選抜して、日本に留学させるようになったのです。 1904年には甲辰改革運動を起こし、権東鎮や呉世昌と共に進歩会を組織しました。また、1905年には東学を「天道教」と改称し、1906年には、天道教を弾圧した大韓帝国が外勢の干渉で無力化したことから帰国しました。しかし、天道教内部では一進会の宋秉o、李容九等の親日勢力との反目が激化し、孫は一進会の人物達を教団から追放したのです。 さらに1919年には、三・一独立運動を主導し、独立宣言書を朗読した後警察に逮捕され、懲役3年の刑を宣告されました。その後、病気により保釈された直後の1922年に亡くなりました。 2. 侍天主と守心正気 崔済愚は、子供の時から当時の混乱した時代状況に対して問題意識を持ち、塗炭の苦しみに落ち込んでいる国と万民をどのようにすれば救援できるのかという「輔国安民」の方策を求めようとして心を砕き、求道と瞑想の終りの37歳になった1860年4月5日、自らハナニムと問答をする神秘体験(四月体験)をしました。
崔済愚は「天書体験」と「四月体験」の神秘体験後、直ちに布教に努めたのではなく、一年ほど一層の修練に精進しつつ自分が体験したことを客観化する作業に邁進しました。 崔済愚はこの過程でハナニムが超越的な人格神として存在するのではなく、自分自身の心と一緒にあるとの「侍天主」を悟り、東学を創道しました。この「侍天主」を自覚することによって今までの神に対する理解を全く新しくするに止まらず、これを土台として、全ての人々が神々しく不思議で霊妙なハナニムと一緒にある存在として、平等であるばかりでなく尊厳なる存在であるとの人間理解をするに至りました。 人々がハナニムを各々の心に一緒にある侍天主の尊厳なる存在であることを自覚せねばならないとしました。それには、本来のハナニムの心を回復する「守心正気」と私の心のなかに一緒にあるハナニム(天主)を至誠・恭敬・篤信により至極に奉ずる「誠・敬・信」の実践を通して可能だと説いたのです。 そのための具体的な修練方法を「呪文修練」として提示しました。 崔時亨は「侍天主」の教えを継承し、人々にハナニム(天主)のように事(つか)えなさいという「事人如天」(人に事えるに天の如くする。)の教えを説き、自ら行動で実践しつつ、当時の逼迫を受けた民衆、特に女性や子供たちまでもハナニム(天主)として恭敬するように教えました。 3. 修道の核心と方法 崔済愚は人間を人間として尊厳ある存在とするには自分の体と欲求にのめり込んでいる利己心を克服することから始まると考え、崔済愚の求道は、第一次的に各自の利己心を克服し、皆の生(生命、生活などを含む)を尊厳あるものに変化させる道を見つけようとしたものです。 人格的な存在のハナニムは、外在的で超越的な存在ではなく、@ 自分の体を通して絶え間なく作用を行なう「気運」であり、ほかならぬ自分の心であることが分かったのです。 このように東学では「侍天主」という命題を自覚することを唱道しましたが、その中でも「侍」の一文字に要諦総てが含まれているとしました。「『侍』というのは、内には霊妙な霊、即ち、神霊が有り、外には気化作用が有って、世の中の人々全てが、ここから移らないこと」とされています。 「侍」の意味を三つに分けて、
と説明しています。 この三つの中でも重要なのが「内有神霊」とし、『龍潭遣詞』で「あなたの体と一緒にいるのに、近くを捨てて遠くを取る(捨近取遠)のはなぜなのか?」と歌い、ハナニムを遠い蒼空に探し求めようとせずに、自分の中に探し求めることであるとしました。 東学の核心的な修道法が天心を常に守りながら気運を何時も正しくする「守心正気」にあることを闡明しました。 気運は体と感情の現在的状態と関連する生命エネルギーの流れなので、初めは気運工夫を通じて身体的なエネルギーを強くして心と調和できるようにすれば、これによって心の状態も調和を取れることはもちろん、感情と欲望を調節できる実際的な力が生じます。 心の工夫というのは心を何時も清く明るく霊妙な状態を維持する修練を意味します。常に天心を守って維持する努力のことで、東学・天道教では「心乃ち天」といい、心を離れて天があるのではなく、心の現在的な状態を常に清く明るく霊妙な状態のまま維持することが、本当にハナニムを正しく奉養することである(養天主)として、「守心正気」を東学修道の原理としました。 これに対して、呪文工夫は東学修道の具体的な方法であり、呪文は単純な呪術的効果を狙って祈願する道具ではなく、「守心正気」のための具体的な工夫の方法です。崔済愚は「十三文字を至極に行なえば万卷詩書は何でもなく、心学といったがその意味を忘れないようにしなさい」として、誰でも呪文を熱心に唱えるだけでも賢人・君子になることができるとしました。 この呪文修練は二つに大別して行なわれます。 @ 絃誦法 大きな声で21字を一定のリズムで繰り返し唱える。
B これを繰り返せば天の気運と接することが出来、疲れた気運が回復し心が明るくなり、心に力が生じてきます。このことによって、良くない習慣や反復する失敗から離れて、常に心が和すると共に気運平穏な状態を維持することが可能になるとしています。 A 黙誦法 「降霊呪文」を除いた、「本呪文」の13字を声に出さず(心の中で)静かに唱え、心の本体と宇宙の根本を観ずる工夫です。これを通じて、心がすなわち天であることを完全に悟れば世の中の塵埃に染まった心から脱却し、本来の清浄な心を回復できるとしています。 このように絃誦を通じて気運工夫を行い、黙誦を通じて性品工夫を兼ねるのが東学・天道教の修練法です。 心が乃ち天であり、心を離れて別に天があるのではない。従ってこの心をしっかりと握りこの心の中に本来からあった天の種に毎日水をやり、肥やしも与え、愛でもって育て、心全てを香ばしい天の花畑に変えること、そのように心を天心に変えて創っていくのが東学・天道教の修道であり、かつ霊性の核心です。 4. 原理的観点 「原理講論」 第一章 創造原理 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界 (三)肉身と霊人体との相対的関係 (1)肉身の構成とその機能 肉身は肉心(主体)と肉体(対象)の二性性相からなっている。 肉心とは肉体をして生存と繁殖と保護などのための生理的な機能を維持できるように導いてくれる作用部分をいうのである。動物における本能性は、正にそれらの肉心に該当するものである。肉身が円満に成長するためには、陽性の栄養素である無形の空気と光を吸収して、陰性の栄養素である有形の物質を万物から摂取して、これらが血液を中心として完全な授受作用をしなければならない。 肉身の善行と悪行に従って、霊人体も善化あるいは悪化する。 これは、肉身から霊人体にある要素を与えるからである。このように、肉身から霊人体に与えられる要素を、我々は生力要素という。 我々は平素の生活において、肉身が善の行動をしたときには、心がうれしく、悪の行動をしたときには、心が不愉快さを経験するが、これは、その肉身の行動の善悪に従って、それに適応してできる生力要素が、そのまま霊人体へと回っていく証拠である。 (2)霊人体の構成とその機能 霊人体は人間の肉身の主体として創造されたもので、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる無形実体としての実存体である(A 緑下線部)。霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだのちには無形世界(霊界)に行って永遠に生存する。人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。 この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。 そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである(A 緑下線部)。霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。また霊人体は肉身から生力要素を受ける反面、逆に肉身に与える要素もあり、我々はこれを、生霊要素という(@ 緑下線部)。 人間が神霊に接することによって無限の喜びと新しい力を得て、持病が治っていくなど、その肉身に多くの変化を起こすようになるが、これは、その肉身が霊人体から生霊要素を受けるからである(B 緑下線部)。 霊人体は肉身を土台としてのみ成長する。それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。 生心の要求のままに肉心が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになるのである。 生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。 それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り(呪文修練)、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる(守心正気)。 5. 訓読と侍義の生活 「訓読(くんどく)」とは、「訓」は“教える”という意義があり、「読」には“文章を一句一句区切りながら声に出すこと”の意義があります。つまり、“教え(み言)である文章を一句一句区切りながら、声に出すこと(音読)”という意味であり、このことは、東学・天道教の「呪文修練」と同じ意味合いがあります。 また、神を心の中に存在する神、東学・天道教では「侍天主」と呼んでいます。離れたところに存在する神ではなく、自分自身の心に宿り、運命を共にする存在であり、その「侍天主」が動機となって自らの意思で行動する。この心こそが本来の自分の心と説いたのです(心すなわち天)。 しかしながら、その人間本来の心の働きを妨げているのが“利己心”であるとして、利己心の克服にはひたすら呪文修練を行い、そこから湧きいずる心に従って(侍って)、天主に事(つか)えるように人々に仕えなさい。と説きました。 ところが、その呪文は21字しかなく、何の具体的内容もなく、ただ盲目的に受け入れ信ずるしかなかったのです。まさしく再臨主による真理の到来を待つべく、メシヤ再降臨準備時代に備えられた神の摂理だったのです。 また、「侍(はべる)」には、“そばで従う”の意味があり、自分の内にある一番近い存在である「心に内在する天主(神)」に従うことで、本来の神の心を回復し(守心正気)、生霊要素から生力要素へと「気運」が巡ることで無限の喜びと新しい力を得ることができるとしたのです。
み言訓読と霊界動員 『文鮮明先生マルスム選集』(293―105・106、1998・5・24) (PDF 「今日の訓読のみ言友の会」HPより) ・「訓読会に関するみ言」 <戻る |