復帰摂理歴史の真実
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■ 序章 第1節 原理と復帰摂理歴史の再考
     a. 文師の電気工学専攻と原理の解明

1. 二性性相の神

 絶対的基準に立った場合には、絶対的プラスの主体に対して、対象相対は自動的に現れるのです。(「祈りと瞑想について」)


 今我々は、神の神性を知るために、被造世界に普遍的に潜んでいる共通の事実を探ってみることにしよう。存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。(「原理講論」創造原理より)


 文鮮明先生は、18歳の時にソウルに上京して学校に通い、電気工学を学びました。さらに、19歳の時には日本に留学し、早稲田高等工学校に通って電気工学分野の勉強を続けられたことは、統一原理の解明とどの様な関係があるのか、今回は、電気工学の基本となる原子構造とその構成の観点から考察してみました。



 (1) 二性性相として存在しない天使

 「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された」(創世記1章27節)と聖書にあるように、神はご自身の二性性相に似せて、神の本性相的男性に似た実体としてアダムを主体に、その本形状的女性に似た陰性の実態としてエバをその対象として創造されました。人間がそうであるように、すべての森羅万象も二性性相の相対的な関係をもって創造されました。
 しかし、天使だけは二性性相の相対的関係を持たないまま創造され、中でも天使長ルーシェルには重要な使命が与えられていました。



2. 原子構造と復帰原理

 (1) 陽電子と原子核

  @ 中性子と中間子の役割

 ラザフォードが原子モデル(ラザフォードの原子模型)の基礎を確立したのは1911年のことです。このモデルは中心に正電荷を持つ原子核があり、その周りを負電荷を持つ電子が衛星のように回っています。ところが、いろいろな元素の性質が明らかになるにつれて、原子核の質量と電荷がすっきり説明できないということで、科学者たちは頭を悩ませることになります。それは、原子番号2番のヘリウムの原子核は、電荷は水素の原子核の2倍、質量は4倍でなければならないという最初の段階で早くもつまずいてしまったのです。このピンチを救ったのが1932年中性子の発見でした。発見したのはラザフォードの弟子のチャドウィックです。

 原子核の中に陽子が2個以上ある場合には、プラス電荷を持つ陽子同士の電気的反発に対して電荷ゼロの中性子が“接着剤”として機能し、原子核が安定する構造も説明できます。
 さらに日本の湯川秀樹は、原子核の中で陽子と中性子を結び付けている粒子「中間子」の存在を、1935年に予言しました。後にそれが実証され、日本人ではじめてのノーベル賞受賞者となりました。



  A 陽子と中性子

 さて、中性子はだいたい15分ほどでβ崩壊して陽子になってしまうこともほぼ同時期に確認されました。後に現代量子力学の発展に大きく貢献したパウリは、
中性子が崩壊 → 陽子 + 電子 +未発見粒子 (現在では「反ニュートリノ」と判明)

との解釈を発表しました。


← 「陽子A」と「中性子B」があります。


← 「中性子B」が壊れて「陽子B」になります。
  「電子」と「反ニュートリノ」を放出



← 「陽子A」が電子と反ニュートリノを受け取って「中性子A」になる。


 原子核内の中性子はβ(−)崩壊して陽子に変わり、陽子はβ(+)崩壊して中性子に変わります。
 この繰り返しによって原子核は陽子同士の電気的斥力に打ち勝って安定している。

 中性子が媒介するこの結合力を正確に計算してみたところ、プラスの電荷で陽子同士が反発する力よりも遥かに小さかったのです。




 (2) 天使の使命と堕落

  @ 成長期間の思春期

 子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。思春期の子供たちは皆、王子様であり王女様です。思春期はあらゆることを自己中心的に考える時期なので、父母の言葉に無条件んに反発するものです。そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。反対に、いくら些細なことでも、自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。 ―(中略)― なぜそうなるのかと言えば、神が人間をそのように創造したからです。神から創造された人間の本性がそうなっています。(文鮮明自叙伝 p216 )


 さて、人間だれしも思春期があり、自我が芽生えます。これは、人間にとって原理自体の主管性または自立性の完成に重要な期間であり、成長期間の責任分担としてそれぞれに特有の神の個性として確立するための重要な期間なのです、男性は特に自我が強いのは、男性としての主体性を築く重要な時期でもあります。しかし、その期間における自己中心的な特徴は、男性が主体として神の主体性に似るために与えられた特性でもあります。
 同時に、この自我こそが、神に対する本心の指向性(ここでは、「生素」と表現しています)と反発するようになります。

 そこで、この神に対する反発心を解消し、神に向かわしめるために重要な役割を担うのが天使の存在です。これは、上記の「中性子」の接着剤の役割に相当します。
 それは、天使がアダムを愛することでアダムの関心とその心を神に向ける使命を担っていたのです。そのために神は天地創造の始めに天使を創造され、神の創造のみ意に対して頌栄を捧げてきたのでした。
 そして天使長ルーシェルは、アダムが神のみ意と一つとなり(自我を中性子として神を迎え原子核となる)、エバを相対として迎えて(一つの完成した原子の様に)「家庭」を完成することで天使の使命は完了し、天使はここではじめて二性性相の天使として存在することができたと考えられます。



  A 堕落の経路と結果

 堕落性本性を大別すれば、次の四つに分類することができる。その第一は、神と同じ立場に立てないということである。(「原理講論」第二章 堕落論 第四節 (五)堕落性本性)

 では、具体的に聖霊はどのようなお方でしょうか。エバがもし完成していたなら、実体の母となっていたはずですが、堕落することによってエバの霊性が神様に収められました。そうして、その霊性はイエス様がこの地上で新婦を迎えればその新婦に再臨して実体の形象をまとおうとしたのですが、イエス様の新婦の基盤がなくなることによってその霊性は再臨できず、イエス様は実体の父母の立場に立つことができませんでした。ですから、仕方なくイエス様は聖霊と共に霊的父母の立場になるしかなかったのです。(「神様の摂理から見た南北統一」 79p)

 さて、堕落性本性の中で一番要となるのが神と同じ立場に立てないという事です。これが起点となって、あとの堕落性本性が生じました。天使長ルーシェルは、神と同じ立場に立ってアダムを愛せなくなったことから堕落してサタンとなってしまいました。
 天使長ルーシェルは、アダムを神と同じ立場に立って愛するのではなく、その愛をエバに向け、アダムから奪ってしまったのです。エバを自らの愛の対象として立たしめるために、偽りを語りエバを堕落させました。
 そのため、神の子としてのアダムを新郎として迎えるために準備された新婦としての御霊がエバに与えられていましたが、天使長を主体として霊的性関係を結んで堕落し実を結んでしまいました。そのため、前者と後者が互いに反発するようになってしまい、神はその御霊(聖霊)を取り除かれたのです。
 さて、第二のアダムとしてのイエスが、十字架の後に霊的復活することができたので、その復活したイエスを新郎として迎えるには、その新婦も新郎と同じように血を流して死の峠を越えなければなりませんでした。このため、新婦としての御霊である聖霊は復活したイエスに対する愛のエネルギーを、同じようにイエスを愛するキリスト教徒に注がれたため、多くのキリスト教徒が迫害の中で血を流し、犠牲となることが、返ってその勢力を拡大してきたのです。



 (3) 復帰とカイン・アベル

 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。
 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。
 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。(文鮮明先生御言選集55 p236)

 さて、アベルの使命は天使長の蕩減復帰にあります。天使長ルーシェルは、神と同じ立場でアダムを愛せず、アダムを嫉んで自己の位置を離れてエバを誘惑しました。
 このため、神はアベルの供え物を受け取って天使長の使命を代理させ、カインをひたすら神の立場に立って愛する使命を与えました。これがアベルの立てるべき「信仰基台です。

 このことによって、カインのアベルに対する反発心が和らぐことによって、アベルから神のカインに対するみ意が伝わるようになってくると、カインの神に向かうべき本心の指向性が取り戻されてくるのです。
 これは、カインの自我がアベルの奉仕によって、カインの心が少しずつアベルの方に向くと同時に、アベルの言動がカインの本心を誘発させて神を受け入れるようになります。
 このことは、ロシアの小説家トルストイの「イワンの馬鹿」(菊池寛訳)という短編小説にあるように、イワンの不変の心情と行動によって悪魔が退散していく内容として象徴的に語られています。



3. 八段階復帰と八定式

  (1) 八数のもつ意味


 原子核の周りを回る電子の道筋(正確には電子の動き回るところ)を電子軌道と呼びます。電子は、軌道が平面ではなく球状で立体的なのでその軌道を殻(電子殻)とも呼んでいます。
 電子の軌道(電子殻)は、大きい区分として内側から順に、K殻L殻M殻...と層状になっています。


 ところが、ここに重要な原則があります。それが、「最外殻電子は8個を超てはいけない」という原則です。
 そのため、最外殻電子が8個より少ないと、不足分を補おうとして他の原子と結びついて電子を共有し合い、分子を形成(共有結合)して安定させようとするのです。最外殻電子が8個を満たしてしまうと、他の原子や分子を寄せ付けなくなってしまうのです。

 霊界と地上界の歴史を経て、今では太平洋沿岸をみな経、大西洋を経て上陸したのちにアラスカで何をしたのかといえば、八定式をしたのです。八定式は、縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界蕩減路程、八段階縦横の路程を経て定着することによって長子権復帰が起こり、この地の世界の人間の前には、蕩減の路程が解消されるのです。八定式をすることによってそうなのです。先生が宣布したのです。八月三十一日アラスカで。

 長子権が復帰され、御父母様が抱いてあげることにより、父母の愛の圏内で長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛でもって和合できる、蕩減が必要でない時に入ってきたというのです。そのようなことをするためには八定式をしなければならないのです。
 八定式をすることによってその息子、娘を、長子と次子を前においた父母が生じて、このような子供たちを許してあげたので、そのあとには父母容赦圏時代が来るのです。
 それで愛援摂理時代を宣布するのです。救援摂理ではありません。愛でもって援助する救援時代なのです。今までは、蕩減復帰救援だったのですね? それがなくなるのです。長子権復帰をすることによって、兄弟たちが父母の懐にただそのまま抱かれ得る立場に入ってきて、父母の愛を中心として、父母に許しを受けることのできる環境をつくっておいたので、この地上に統一教会に反対する勢力はなくなるのです。反対する時代は過ぎ去るのです。今、そのようになったのです。アメリカに、統一教会の文先生に反対する人がいないのです。いるといってもそれは、共産党の本当のアカと解放神学の連中のみなのです。全部、世の中を知らない者たちなのです。(「宗族的メシヤ」334p〜335p)


 さて、上記にあるように、原子は最外殻電子に8個の電子をもつことによって安定し、原子として完結されますが、このことは八段階復帰八定式8数の意味するところと考えられます。つまり、原子核(+)に対する電子(−)が差引零(0)になる基準。別の表現をすれば、一人のアダムに一人のエバが相対として立つ条件となります。
 これは、アダムの中の心(+)と体(−)が主体と対象として一体となった基準と同じ立場を意味し、アダムを分立したカインとアベルが兄弟として一体化した立場と同じことを意味します。
 ところで、二度の堕落(@霊的堕落とA肉的堕落)によって二人の違う立場の兄弟は、第一の堕落である霊的堕落の立場が長子カイン第二の堕落が肉的堕落の立場が次子アベル。これは、行いは良いが心が良くないのがカイン心は良いけど行いが良くないアベルという見方ができます。このことは、アベルが行いを正して、兄カインの心を改めさせるという蕩減復帰が考えられます。
 八段階復帰とはまさしく“僕の僕”の立場から全てに驕ることなく謙虚に振舞うことが必要でした。ところが、アベルは驕り高ぶって兄カインに対してしまったために、兄の怒りを買って殺害されてしまったのです。
 エバは八段階復帰をアベルに指導、教育し、カインとアベルが一体となった如く、アダムとエバが一体となって、横的八段階の梯子を登っていくことがエバの堕落の蕩減復帰でした。

 1989年8月31日の「八定式」の制定以降、1990年3月27日「真の母」勝利宣言が成され、文先生は1991年12月6日金日成と会見すると、1992年4月10日世界平和女性連合が創設され総裁に韓鶴子女史が就任しています。



4. カイン・アベルから神主義へ

 神の愛とは、要するに神の絶対愛をいう。神は絶対者であるために、神の愛は絶対的愛である。ここでいう絶対とは、世俗的な意味の絶対とは異なる。ここでの絶対は、永遠不変性無限性普遍性をいう。神は永遠的存在であり、存在しないところがないのであって、いつでも、どこでも存在されるのである。したがって神の愛もまた永遠であり、存在しないところがないのである。このような内容をもつ愛が絶対的愛であり、真の愛である。
 例えていえば、真の愛は太陽光線のようである。太陽光線は地球上のどこでも照らさない所がなく、常に休みなく継続して永遠に照らしている。それと同じく、真の愛とは、包括的であり、全人類だけでなく、すべての万物に対してまでも、施し与える愛である。被造物全体が真の愛の対象である。真の愛の対象から除外される存在は、この宇宙にはない。普通、愛といえば、人間同士が与えて受ける愛のことをいうが、真の愛とは、人間同士はもちろん、敵までも、ひいては万物までも愛する、そのような愛である。(「統一思想要綱」720p)

 1989年8月31日、「八定式」が制定され、翌9月1日には「天父主義」が制定されます。1948年8月大韓民国1948年9月朝鮮民主主義共和国がそれぞれ成立してから40年を超えようとする時でした。
 そして、1990年3月27日には「真の母」勝利宣言され、4月30日には「真の父母宣布」が成され、カインとアベルが相克の関係から神を中心とする真の愛によって和合する関係に転換されたのです。このことによって1948年から43年目になる1991年12月6日金日成主席と文師の会談が成就しました。
  • 1989年 8月31日、八定式。
  • 1989年 9月 1日、天父主義。
  • 1990年 3月27日、「真の母」勝利宣言。
  • 1990年 4月30日、真の父母宣布。
  • 1991年12月 6日、金日成主席と文師の会談。


<参照>
 文鮮明師の生涯と業績 (世界平和統一家庭連合)
 電気工学 (ウィキペディア)
 中性子の発見
 シリーズ 超極小『素粒子』の世界28 〜陽子と中性子は常に入れ替わっている?〜
 物質を構成する粒子
 電子配置
 分子と共有結合


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