復帰摂理歴史の真実 | ||||||||||||||||||
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■ 第三部 第一章 g. 日本神話に見る復帰摂理 1. 日本神話における女神と重生 (1) 日本神話と復帰摂理 <参照> ・ 女性はどのようにイメージ化されてきたか (東京工芸大学芸術学部 基礎教育専任 鈴木万里 : PDF / 本サイト) ・ 日本神話と中国神話・伝説の比較考察 (長崎大学大学院生産科学研究科 唐更強 : PDF / 本サイト)
@ 日本神話における死から生への摂理的背景 (@)造化三神と三界 日本神話の『古事記』では、天地が分かれ、高天原ができ、造化三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)が生まれた。いずれも独神として成って、そのまま身を隠したとされている。
(A)左上位と右上位
ところで、日本の伝統礼法の一つで「左を上位、右を下位」とする「左上位」の仕来りがある。正面から向かって見ると左右が逆になるうえに、西洋のマナーは日本と逆の「右上位」なので、誤解や混乱も多い。 「左上右下」の考え方は飛鳥時代、遣唐使などを通じて中国から伝えられた。唐の時代、中国では「天帝は北辰に座して南面す」との思想のもと、左が上位として尊ばれた。皇帝は “不動の北極星” を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、@ 日は左の東から昇って右の西に沈む。日の昇る東は沈む西よりも尊く、ゆえに左が右よりも上位とされたのである。 一方、西洋では、A 英語で右を「正しい」の意味がある「right」と言うように、日本礼法とは逆に「右を上位、左を下位」とする「右上位」が基本とされる。 日本では現在、皇室が明治時代に公式行事や御真影で国際儀礼を取り入れたことが一因となって左上位と右上位の2つのマナーが併存しいる。典型的な例が、雛人形の飾り方だ。京都を中心とする「京雛」は伝統礼法に基づいてお殿様(男雛)を左側(向かって見ると右側)、お姫様(女雛)を右側(同左側)に並べる。一方、全国に普及している「関東雛」は、両陛下の並び方を範として男雛を右側、女雛を左側に並べており、左右が全く逆の2つの飾り方が並立している。 しかし、この “左上位” と “右上位” における2つの違いは、その由来(赤下線@A)に秘められた違いこそが最も重要な部分である。それ故に日本神話は、「天照大御神」がイザナギの “左目の涙” から生まれた “左上位”(赤下線@)の神話であり、“右上位” 移行前の神話である。文先生の言葉は、“右上位” の立ち位置(「正しい」の意)で語られた “御言葉” である。 <参照> ・ 第12日目 御座についての教え ・ 右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識 (B)結婚の失敗による水蛭子の誕生と葦船
水蛭子は、イザナギとイザナミが子作りの際に、女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけた事が原因で不具の子としてに生まれたが、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれた淡島神と共に、二神の子の数には入れないと記されている。 棄てられた理由について『古事記』ではイザナギ・イザナミ神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明とされているが、後世の解釈では、水蛭子とあることから蛭のように手足が異形であったのではないかという推測と、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする説もある。 葦は、もともと本来の呼び名はアシであったが、「悪し」に通じるため、「ヨシ(良し)」と言い換えられたものである。8世紀に日本で律令制が布かれて全国に及び、人名や土地の名前に縁起のよい漢字2字を用いる好字が一般化した。「アシ」についても「悪し」を想起させ縁起が悪いとし、「悪し」の反対の意味の「良し」に変え「ヨシ」となった経緯がある。この事から、葦には “邪悪なものを祓った聖なるもの” と言う意が込められている。「葦船に入れて流した」とは、邪悪な者として生まれた水蛭子がそれを祓って、聖なる者として生まれ変わって欲しいと言う願望を表現している。「祓う」とは、神に祈って、罪や穢れ・災いなどを除き去ることである。 <参照> ・ イザナキとイザナミ (C)イザナミの陰部の火傷と死 カグツチは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神で、火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死去したと言う神話の記述は、正に人類始祖エバの堕落は陰部によってであることをあからさまに物語っている。 イザナギは、「愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもしなかった」と言って、イザナミの枕元に腹這いになって泣き悲しんだ時、その「涙」から成り出でた神はナキサワメである。 その後カグツチは、怒ったイザナギに十拳剣(剣の名は「天之尾羽張」)で首を落とされ殺され、カグツチの血から火・雷・刀に関わる八神が生まれた。この八神は、剣の制作過程を表してるという。鉱石を火にかけて鍛え、水に入れて硬くする。カグツチの血(火花)が飛び散るところが、剣を鍛える光景を意味するのだという。 また バラバラに切り離されたカグツチの身体から、八柱の山の神が生まれた。 以上の事から、火の神であるカグツチの死によるその “血(内的)” と “身体(外的)” は、イザナギの剣によっていずれも “八つの神” になったことを表している。これは、文先生が明確にされた「縦的・横的八段階」を意味するのであるが、詳しくは以下の内容で説明することにする。 死んだイザナミは、黄泉の国へ堕ち、身体に蛆がわき、八柱の雷神が纏わり付いていた。イザナギは、妻のイザナミに会いたくて黄泉の国に下りてくるが、イザナミの恐ろしい姿に驚いて逃げ出した。イザナミは「私に恥辱を与えた」と言って、冥界の軍勢を引き連れてイザナギを追いかけた。イザナギは黄泉比良坂(冥界と現世の境界)辿り着き、大きな岩で通路を塞いだ。 イザナミに死をもたらしたカグツチは火の神であるが、比喩的に「火」は “文明の象徴” とも言われているように、無知の闇を照らす「知」の象徴(プロメテウスの火)とも言われる。これは、“「知」の天使長ルーシェル” がエバと霊的性関係を結んで堕落させ、サタンとなったことを彷彿とさせる。 冥界から抜け出たイザナギは、“死の穢れ” を洗い清めるため「禊」を行なった。一度、「霊的 “死”」に侵され、その環境に育った者は同化される。その死に浸食されたものは、御言によって霊的死から分離し、行いにおいて良心を優越させ、心霊を神霊へと浄化しなければ「霊的 “生”」の世界に還ることができない。この「死」を切り離し、「生の連続性」を確認する作業が “禊” である。 <参照> ・ 心的外傷についての哲学的考察 (大阪大学文学部臨床哲学・倫理学研究室 畑英理 : PDF / 本サイト) (D)黄泉の国のイザナミと3つの桃
古代中国では、邪気払いとして桃の花を清酒に浸した「桃花酒」が飲まれていたためとされています。日本で「桃の節句」と言えば3月3日の “女子のための行事” である「ひな祭り」ですが、本来そうではありませんでした。ひな祭りは、五節句の2番目「上巳の節句」が由来で、「3月最初の巳の日」という意味でした。江戸幕府が五節句を定めたことから、3月始めに来る巳の日である3月3日を節句としてひな祭りの行事が催されるようになりました。 季節の節目を意味する「節句」は、昔から “邪気が入りやすい時期” とされていたので、“邪気を祓う行事” が発展したといわれています。 <参照> ・ ひな祭りの由来は厄払い!?桃の節句と呼ばれる理由や雛人形を飾る意味、ひな祭りの食べ物・行事食とは? ・ 雛飾りのなかの桃花酒 (E)「涙」から成り出て、井戸を御神体とするナキサワメ イザナミが火の神であるカグツチを産むと陰部に火傷を負って亡くなる。「愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもしなかった」とイザナギが言って、イザナミの枕元に腹這いになって泣き悲しんだ時、その涙から成り出でた神は、香具山の麓の丘の上、木の下におられる。この神がナキサワメである。 また、奈良県橿原市にある神社で、天香久山北西麓に鎮座する畝尾都多本神社に “泣沢” という「井戸」があり、その井戸が御神体として祀られている。この事から、ナキサワメは大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様ということになる。井戸の中には、ナキサワメが流した涙があるといわれている。 イザナミの死後、その枕元でイザナギが言ったのは、次のように解せる。「愛しい私の妻(サラ)を、ただ一人の子(イサク)に代えようとは思いもしなかった」と。“香具山の麓の丘の上” とは、アブラハムがイサクを生贄として献げたモリヤの山を暗示しています(創世記22章)。さらには、“井戸の神様” とされるナキサワメは、イサクと井戸で出会い、結婚に至ったリベカを示している(創世記24章)。リベカがイサクのもとにやってきたのは、イサクの母サラがなくなり、夕暮れのうちイサクが物思いにふけりつつ歩んでいたときであった。イサクは、リベカのもとに慰めを見出したのである。 以上のことから、日本神話における構成は右図の様に考えられるが、キーポイントとなるのは、イザナギが禊の前後に流した「涙」であると言わざるを得ない。 (F)「涙」の科学 私たちが何かを感じて、何かを決めて、何かを行動に移すとき、主に大脳が働く。もちろん嬉しい、悲しい、悔しいといった種々の感情についても右大脳の前頭葉が働いている。しかし、涙を流して泣くという行為の決定には、大脳は本質的には必要ない。脳の中で、感情の形成に関わる部位のうち、一番重要なのは大脳辺縁系の一部である “扁桃体” (左図の赤い部分)である。 扁桃体は、脳の左右にある神経細胞の固まり。アーモンドのような形をしているので、扁桃(アーモンドの和名)という名前がついたという。扁桃体は、何かを見たり聞いたりしたとき、それが生存に関わる重大なものであるかを一瞬のうちに評価する。つまり感情とは、扁桃体が下した評価を体に伝えるメッセージで、命に関わるような大事な判断を伝えているのだ。 次に、涙を流して泣くという行為は、生命維持の中枢である “脳幹” (右図)によってコントロールされ、感情の起伏に起因して涙が流れる。 涙は目じりのやや上方、瞼の裏の辺りにある「涙腺」という器官で産生される。涙腺は、涙の産生だけでなく分泌も担っており、副交感神経の刺激に応答して分泌(右下図)される。涙のもとは “血液” で、血液から赤い色のヘモグロビンなどを抜いた血漿といわれる透明な液体からできています。 涙腺から出た涙は、眼の表面を潤した後、目頭の上下に開いた涙点より涙小管〜涙嚢〜鼻涙管を経て鼻に抜けていきます。 さて、分泌された涙は、出しっ放しというわけにもいかないので、どこかで回収しなければ、常に泣いている状態になってしまう。これを回避するため、分泌された涙は眼球の表面を濡らしながら、涙点という目頭の上下に開いた小さな穴に吸収される。 涙点で吸収された涙は、鼻涙管という管を通って、鼻の穴に流れ出る。通常の場合、鼻の穴まで流れた涙はそこで蒸発して無くなります。 <参照> ・ 感情はどこから? 実は生存をかけて脳が下した判断 ・ 涙と汗は同じ成分でできている? ・ 笑顔の下から溢れる感情! 涙はどうして流れるの? (G)禊の「涙」による三貴子の誕生
イザナギが両目と鼻を “洗う” とは、両目と鼻を禊したことを意味します。では、両目と鼻を禊することでイザナギの何が三貴子と成ったのだろうか。それは、第一にイザナギの身から出てくるものでなければならない。第二に、両目と鼻を結びつけるものでなければならない。それらのことから、三貴子となったのはイザナギの「涙」以外にはない。 先にも述べた様に、涙は涙腺で生じ、涙点から鼻に抜けていく。涙は、左右の涙点より鼻孔へ、鼻孔より流れ出た涙は交わって鼻水となる。イザナギのイザナミを想う涙は、禊前にはナキサワメに、禊の最後には三貴子となって現れた。それ故に、スサノオは、母神イザナミのいる根の国に行きたいと泣き叫んだのである。 また、ツクヨミは禊後のイザナギを表していてその影は薄く、アマテラスは、禊後のイザナギを象徴したツクヨミと相対となる日本神話のシンボルとしての女神なのである。 以上のことから、左図の様に考えられる。 イザナミが死に至ると、イザナギの禊によって三貴子が生まれた。ツクヨミは禊によって再生されたイザナギを、アマテラスは重生されたイザナミを、スサノオはイザナギとイザナミを父母とするが、涙としての観点からするとツクヨミとアマテラスも父母とも言える。アマテラスとスサノオは、同じイザナギから生まれたので姉弟と言えるが、イザナギの左目から生まれたアマテラスは、イザナギの感情の先駆けとなる右大脳の前頭葉が出発点となっていることは最も重要な事実である。 イザナギを堕落アダム、イザナミを堕落エバ、ツクヨミを復帰アダム、アマテラスを復帰エバとすれば(左図)、創世記38章が浮かび上がってくる。イザナギがユダ、イザナミはシュアの娘を、アマテラスはタマルの立場と重なるのである(「『原理講論』にないヤコブ家庭摂理」参照)。 <参照> ・「論理」対「感性」……左脳と右脳の違い (H)スサノオの転換 さて、母の根国へ行きたいスサノオは、父イザナギに追放され、アマテラスに暇乞いをする為、高天原に参上して数々の乱暴を働いた。アマテラスはそれを恐れて “天岩屋戸” に隠れた為、世の中は光を失い、悪霊が満ちて災いが起こった。その後、八百万の神々は世界に光と秩序を取り戻すために、様々な呪儀を行ない(呪儀とは “高天原の規準を象徴した呪い” のことで、神々は八咫鏡作り、勾玉で玉の緒を作った)、アマテラスを天岩屋戸から連れ出すと、天地が再び明るくなり、秩序ある社会に戻った。 スサノオは、乱暴の結果として沢山の品物を没収され、鬚が切られ、手足の爪さえも抜かれるという「祓(音読みで “フツ” )と読む」をさせられた上に、高天原から追放されたのである。スサノオは、鬚や手足の爪である「私」の一部を」捨てて、高天原に帰依・服属して神に生まれ変わる。 高天原から追放されたスサノオは、オオゲツヒメに食事を求めた。スサノオは、女神が鼻や口や尻から取り出す汚らわしい物を自分に奉るつもりと思って、オオゲツヒメを切り殺した。すると、その死体から蚕と五穀が生じたことで、スサノオは「穀物起源」としての生産的な活動の第一歩となった。 <参照> ・『古事記』における「死と再生」について (南開大学外国語学院大学院 胡暁媛 : PDF / 本サイト) ・ 黄河文明と長江文明 ・ 中国文明:先史F 新石器時代 その5 中期新石器時代 後編 ・ 紅山文化と中国北方文明の起源について(PDF : 1〜3p, 4〜6p, 7〜9p, 10〜13p 分割 / 徐子峰 : 本サイト) (I)文先生と日本の関係 スサノオにはこんな事実が隠されている。スサノオは,島根県平田市塩津の石上神社の地で布都御魂を父として生まれている。「古代日本正史」によると、スサノオの本名は “フツシ” で,ニギハヤヒの本名は “フル” である。 ところで、紀元前一世紀頃、高句麗王朝の朱蒙という王に二人の王子がいて、その弟の方の温祚王というのが王位につき、その子孫が百済王朝を築いた。 この兄の方は名前を布流といい、海に面したミスコモルという場所に弟とは別の国を作ったが、布流の国は土地が悪くて住み難く、 布流はそれを恥じて死んでしまった。ここに登場する布流は,スサノオ一族と同系統の名で,ニギハヤヒの本名と同じである。 また、ほぼ同じ頃、高句麗の始祖伝承によると、始祖・朱蒙は現在の中国と北朝鮮の国境付近にあった布流国を滅ぼして高句麗を建国したことになっている。BC37年のことである。この頃「フル」という系統の地名なり、人名なりが、朝鮮半島北部にあったのは確かで、スサノオ一族の祖である布都御魂はこのあたりに住んでいた。スサノオが誕生したと推定される時期(BC40年頃)と、朝鮮半島の伝承による布流国の滅亡の時期(BC37年)がほとんど重なるのである。 朝鮮半島の権力争いに敗れたフツ一族は、紀元前40年頃、朝鮮半島南端部から船出をしたということが考えられる。スサノオの生まれたといわれている平田市塩津の石上神社は、河下湾のすぐ近くである。河下湾周辺には、朝鮮半島から上陸した人々のものと考えられる遺跡が、伝承と共に存在する。伝承上では、スサノオは日本で誕生したことになっている。 これらのことから、現在の中国と北朝鮮の国境付近にある平安北道定州郡を出生地とする文先生は、当時の “布流国における繋がり” から言えば「スサノオを先祖に持つ日本人と同じ血族である」と言っても過言ではない。 <参照> ・ 素盞嗚尊の父フツ ・ 文先生誕生のルーツと日本の摂理 ・ 血族について学ぼう!範囲や親族・姻族との違いを詳しく解説 A 「八」は完全を表す聖数 (@)神話と「八」数との関係 日本神話に何度も現れる「八」数であるが、日本と中国では地上世界と天上世界の関係について天地接合という観念があり、中国古代の文献に現れる「八」」には、様々な意味があるが、重要なのは「八」は「大地」に関わる数字だと言うことだ。中国では古来九は陽数(天の数)の極数で、八は陰数(地の数)の極致だと考えられている。 中国の古代制度として、天子をはじめ尊卑を分けるために、数字の「九・七・五・三」、或いは「八・六・四・二」という順番で用いられ、制度としての最高は数字の「九」や「八」が使われた。天子は天の子で、天を準じて最も尊い存在であることから “天の数” の最大数である「九」が使われ、地において有能で有徳な人については、“地の数” の最大数である「八」が聖なる数・完全・完璧・円満の数として使われる。文先生の説いた “縦横の八段階” や “八定式” における「八」はこの様な意味を含んでいる。 (A)八岐大蛇と草薙剣
八岐大蛇の「岐」の字は、“わかれる” という意味であり、縦横の八段階がバラバラに別れた状態を示している。昇天志向どころではない。また、8人娘の内の7人が八岐大蛇の生贄となったことで、八段階の昇天が閉ざされかけた。しかし、8番目のクシナダヒメは、スサノオが八岐大蛇を切り裂いたことで救出された。このことは、八段階の昇天の道が開かれたことを意味している。ここにおける8人娘の「八」も、「八定式」成立時の8人の女性たちと同じ意味を持っている。 <参照> ・ エバの摂理完了と男性復帰(上) (B)剣は御言葉を象徴
スサノオが八岐大蛇を切り倒し、切った尻尾から見事な剣が出てきた。そこで、この剣をアマテラスに献じた。これが草薙剣である。 日本列島に、武器としての刀剣がもたらされたのは弥生時代。その弥生時代末期から古墳時代末期には、極めて貴い存在であった。刀剣は神への捧げものとして、あるいは神そのものとして扱われたのである。 剣が、神の御言葉を象徴したものだとすると、八岐大蛇の死によって草薙剣を得たことは何を物語っているのだろうか。8人娘と八岐大蛇の死は、八定式を象徴している。その後、草薙剣を得たのだから、八定式後に語られた日本信徒に対する神の御言葉ということになる。それは正に、文先生が1993年から1995年に、日本の女性と男性信徒に日本語で語られた御言葉と言っても過言ではない。 <参照> ・ 第一回 神道から見た刀剣(一)その精神的用途と基層の刀剣観 ・ なぜ聖パウロの御像は剣を持っている? ・ なぜ刀は「神聖なもの」となったのか 現代に続く名刀、本当の歴史
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