■ 第三部 第一章
g. 日本神話に見る復帰摂理
1. 古事記と日本摂理
(1) 神話に見る「助け手」としての女性観
<参照>
・ 女性はどのようにイメージ化されてきたか (東京工芸大学芸術学部 基礎教育専任 鈴木万里 : PDF / 本サイト)
・ 日本神話と中国神話・伝説の比較考察 (長崎大学大学院生産科学研究科 唐更強 : PDF / 本サイト)
『図解 日本神話』 山北篤 著
日本神話は、女神アマテラスが何のもめごともなく主神の地位に就き数多くの神々が共存している、世界的にも珍しい平和な神話です。その神々の豊かな物語を本書では図解で解説します。
また、記紀神話とひとくくりに言われることが多い『古事記』と『日本書紀』ですが、実のところ、この2つの歴史書の記述は、相当違っています。本書では、情緒に走った『古事記』と理知的に書かれた『日本書紀』の違いも詳しく紹介します。
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@ 日本神話の原理的背景
A 「助け手」としての補完関係
(@)「助け手」としての聖書的観点
また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。(創世記 2章18節)
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<参照>
・ 聖書的な妻 講座:助け手
(A)「助け手」としての「内助」
女がその夫、家庭そして家族のために身を捨てることは、男が主君と国とのために身を捨てるのと同様、自発的かつみごとになされた。自己犠牲 self-renunciation ――これがなくては、およそ人生の謎は解けない――は、男が忠義を果たすのと同じく、女の家庭生活の基本だった。女が男の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷ではなかったことと同じである。女性の果たした役割は、「内助」すなわち内側の助けとして認められた。
奉仕のヒエラルキーのもとでは、女は男のために自分を捨て、これによって男は君主のために自分を捨てることができ、主君はそれによって天に従うことができた。
私は、この教えに欠点があることを知っている。
キリスト教の優れた点は、生きとし生ける者それぞれに創造者への直接の責任を要求することに、もっともよく現れている。それにもかかわらず、奉仕の教義――自分を犠牲にして高い目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中で最大であり、彼の使命の神聖な基調であった――に関する限り、武士道は永遠の真理にもとづいていたのである。(『 現代語訳 武士道 』p157〜p158)
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B 堕落から再生へ向けて
『古事記』でのイザナミとイザナギの結婚の儀式は、以下のようになる。
まず、淤能碁呂島に立った天の御柱を回る。イザナギは、「あなたは右から回りなさい。私は左から回る」と言う。これは、漢の緯書(漢の時代に書かれた儒教の神秘思想書)の『春秋緯・元命包』にある「天は左旋し、地は右動す」という行の影響だと言われる。同様の言葉は、ほかにも多く緯書に書かれており、中には雄は左行し、雌は右行すと書いてあるものもある。
そして、実際に柱を回った後で、互いに声をかける。まず、イザナミが先に「あなにやし、えをとこを(ああなんと、すばらしい男性)」と声をかけてしまう。次に、イザナギが「あなにやし、えをとめを(ああなんと、すばらしい乙女)」と言った。言葉を交わした後で、イザナギは、「女が先に声をかけるのはよくない」と言った。だが、それでも寝所でまぐわり子供を作った。
だが、生まれたのは水蛭子だった。ヒルのような骨のない子のことだと言われている。このため、葦船に入れて流してしまう。(『図解 日本神話』p36)
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(@)結婚の失敗
<参照>
・ イザナキとイザナミ
<結婚の儀式における会話>
- ・イザナギ
- 「イザナミよ。あなたの身体はどのようにできているのか。」
- ・イザナミ
- 「私の身体はよくできているけれど、よくできあがっていない部分が一カ所あります。」
- ・イザナギ
- 「私の身体はよくできているけれど、一カ所だけ余っている部分があります。
私の余っている所と、あなたのよくできあがっていない部分を刺し塞いで、国土を生み出そうと思いますが、いかがですか?。」
- ・イザナミ
- 「はい。それはよいお考えです。」
- ・イザナギ
- 「それでしたら、私とあなたで、この天の御柱で廻り逢ってから、寝所で交わりを行いましょう。あなたは右からお廻りください。私は左から廻ってあなたにお逢いしましょう。」
- ・イザナミ
- 「まぁ、なんと愛しい男神よ。」
- ・イザナギ
- 「まぁ、なんと愛しい女神よ。」
- ・イザナギ
- 「女性が先に言うのは良くないだろう。」
イザナギの出来過ぎた所(凸部)を、イザナミの出来きらないところ(凹部)に刺し塞いで(目合)相婚された。
(A)堕落からの再生へ向けて
(B)禊による神々の誕生
そして、禊の最後に左の目を洗うときに天照大御神が、右の目を洗うときに月讀命、鼻を洗うときに建速須佐之男命が生まれた。この3柱の神は、特に貴い神だったので、三貴子と呼ばれる。(『図解 日本神話』p48)
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<参照>
・ 涙道外来
C 「八」は完全を表す聖数
(@)神話と「八」数との関係
(A)八岐大蛇と八定式
高天原を出るまでは、悪神としか思えないスサノオだが、地上に降りてからはうって変わって英雄神となる。出雲国(島根県)に流れる肥河(斐伊川)川上の鳥髪というところに降り立ったスサノオは、箸が川を流れているのを見て、川上に誰か住んでいると思い、そちらに行ってみることにした。
そこには、大山津見神の子で足名椎と手名椎という老夫婦と、その子の櫛名田比賣が、泣いていた。彼らには、8人の娘がいたのだが、高志の八岐大蛇(越、つまり北陸から侵略を表すという説もある)に毎年ひとりずつ喰われてしまい、今年が最後の娘なのだという。
八岐大蛇の姿は、目は赤いホオズキ、頭と尾が8つ、身体にはカズラや檜、杉などが生えていて、長さは8つの谷と丘に届くほどであって、腹には常に血がにじんで爛れているという。
スサノオは、自分の出自を明かして姫を妻にくれるよう乞うと、夫婦は恐れ多いこととして、娘を差し出した。スサノオは姫を櫛の姿に変えて髪に差した。そして夫婦に強い酒を用意させ、垣を巡らせて8つの門を作り、その先に桟敷を作って、そこに酒を入れた甕を用意するように命じた。
大蛇が現れて8つの首で酒を飲み眠り込んでしまうと、スサノオは剣で大蛇をずたずたに切ってしまった。ちなみに、蛇が酒で失敗する話は、世界中の神話で使われる有名なモチーフだ。
尻尾を切ったときに、剣が少し欠けてしまった。そこを裂いてみると、見事な剣が出てきた。そこで、この剣をアマテラスに献じた。これが草薙の太刀である。(『図解 日本神話』p68)
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<参照>
・ エバの摂理完了と男性復帰(上)
D 二人のエバと一人のアダム
さらに喜びの内容である相似性には、相補性という一面もある。つまり、主体は対象の中に自分に不足している特性を見て喜ぶのである。例えば、男性は女性の中に、自分に不足しているやわらかさや美しさを見て喜ぶのである。
それは第一に、人間は単独では全一者にはなりえず、神の陽性を属性としてもつ男性と、神の陰性を属性としてもつ女性として分立され、両者が合性一体化することによって、神の二性性相の中和の姿に完全に似るように造られたからである。
ところで、この相補性を一種の相似性として見るのは、人間は誰でも、心の潜在意識の中に自己に不足している部分が満たされることを願う映像をもっているので、現実的にその映像どおりの対象に対するとき、不足した部分が実際に満たされ(相補性)、喜びを感じるようになるからである。そのとき、その対象は鑑賞者の心の中にあった映像と同じであるために、その点において相補性は相似性の性格をもつようになるのである。(『統一思想要綱』p420)
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<参照>
・ イザナミ
・ 天照大神
・ 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、日本神話で有名な大蛇の伝説とは?
・ クシナダヒメ
・ ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理
・ イサク献祭とイサクの家庭
・『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
・ 黄河文明と長江文明
・ 中国文明:先史F 新石器時代 その5 中期新石器時代 後編
・ 紅山文化と中国北方文明の起源について(PDF : 1〜3p, 4〜6p, 7〜9p, 10〜13p 分割 / 徐子峰 : 本サイト)
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