復帰摂理歴史の真実
エバの摂理完了と男性復帰(下) <トップ> 日本神話に見る復帰摂理

■ 第三部 第一章 
     f. 檀君神話における熊女と重生


1. 熊女の化生けしょうと堕落人間からの重生
 (1) 日本は妾の国、朝鮮は正妻の国で北朝鮮はカインで韓国はアベル
  @ 「正妻と妾の摂理」における “母子協助” から “夫婦協助” の摂理段階へ
 み旨から見た時、神様を中心として母子協助を成すためには、父娘協助と夫婦協助が成され、次に母子協助が成されるのです。これが原則です。分かりますか。ですが、神様は逆に摂理してこられるのです。父親と母親の関係がないのに、母子関係があります。夫婦協助がある前に母子協助があり得ると思いますか。聖書を見てみると、今まで母子協助だけしてこられました。異常でしょう? 逆にしてきたというのです。
 夫婦協助過程を経なければ発展することができないのです。母子関係は父親がなくても現れますか。母子協助がある前に夫婦協助の基盤がどこにあったのですか。夫婦協助がある前に神様を中心とした父娘協助がどこにあったのですか。神様を中心とした父娘協助、夫婦協助の過程を経て母子協助が現れてこなければならないのに、今は母子協助しか成されていません。
 父娘協助、夫婦協助は、統一教会の家庭婦人たちを立ててしようというのです。分かりますか。おばさんたちをなぜ死の境地に送り出さなければならないのか。今まで母子協助の基準を蕩減しようとすれば、その道を行かなければなりません。したがって、母子協助の基準を結び、夫婦協助の基準を結び、父母協助の基準を結ばなければなりません。(『神様の摂理から見た南北統一』p1080)

 創造原理の観点から見るとき、“父娘協助と夫婦協助が成され、次に母子協助が成される” と「『原理講論』にないヤコブ家庭摂理」の所で学びました。そもそもこの協助は、復帰摂理においては逆順で成されました。つまり、母子協助が先となり、夫婦協助から父娘協助または父母協助の順です。左の図でみると、母リベカのヤコブに対する母子協助は、長子権を復帰したヤコブに対する母子協助なるので、本然の順序としての最後に該当し、レアの母の母子協助は復帰摂理における母子協助となるので、順序としては最初となります。レアの母にとって復帰摂理上の夫、レアの父となるべきはイサクです。ラバンは天使長の立場となります。
 文先生の正妻となった韓鶴子は、統一教会に入信して文先生と心情的に一体となった母の洪順愛による “母子協助” によって「妻」として全うされたのである。
 しかしここで問題になるのは、ラケルがレアに対する長子権を復帰して、妾から正妻の立場を復帰すべきであったが、実際はこの「エバの蕩減問題」が解決されないまま、レアの子であるユダがヤコブの嗣業を受け継いだが、イスラエル人12支族は分裂した状態のままイエスの時まで至ったことの蕩減復帰である。
 ここで扱うのは、「エバの蕩減問題」としては最後となる “夫婦協助から父母協助の結実” による「復帰摂理の終結」となります。

<参照>
 二つの「恨」と文先生の摂理



  A 南北朝鮮と民団、朝鮮総連
 今までは家庭的、国家的エバ(の基準)を成してきたのですが、これからは世界的なエバ国家が必要になってきます。イギリスを見ても、その腹の中には旧教のアイルランドとス新教のスコットランドが紛争を起こしているのですが、それを消化していません。それと同じように、日本はエバ国家として選抜されているので、相反する朝鮮総連と民団がいるのです。それを一つにして、(アダム国家を)生み直さなければなりません。日本がエバ国家にnなるために、民団と朝鮮総連、南と北が別れているのです。
 日本の中でも、双子が闘っているということです。民団と朝鮮総連です。それを一つにしなければ、世界的なエバの立場に立つことができません。不思議なことですが、エバとして選択されたならば、そうならざるを得ないのです。そのような公式的な運命を通過せざるを得ないというのです。蕩減の条件に引っ掛かっているので、死んでも成さなければならない、蕩減の道なのです。
 そこにおいて、旦那さんを迎えなければなりません。エバが旦那さんを迎えることができなかったならば、二人の子供は腹の中において死ぬのです。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p351〜p352)

 日本が韓国併合していた1945年、日本の敗戦により1910年に滅亡した大韓帝国は、1948年8月13日に李承晩が大韓民国政府樹立を宣言すると、同年9月9日には金日成による朝鮮民主主義人民共和国の樹立が宣言された。朝鮮動乱後の1953年には、南北両政府が北緯38度線の休戦ラインによって南北分断国家として固定化された。
 復帰摂理としては、神が準備したエバ国家が失敗したため、カインとアベルに分立して摂理を進める意外に復帰の術を無くした。日本が敗戦国となって摂理国家として立てなくなったために、日本と朝鮮が分立されて、朝鮮が姉(カイン:長女)の立場で “解けない恨の国” として、更に北朝鮮(カイン:共産国家)と韓国(アベル:民主主義国家)に分立されて復帰摂理が始まったのである。
 ところが、済州島で四・三事件が勃発(1948年4月:「エバの摂理完了と男性復帰(上)」参照)すると在日朝鮮人が激増して、民団(1948年9月)が韓国政府から在日同胞の公認団体として認定され、朝総連(1955年)が設立された。文先生の言う「サタンの “二代目” の子供」と言うのは、この民団(アベル)と朝総連(カイン)のことであり、その初代となるのは韓国と北朝鮮のことである。
 日本はエバ国家として、二代目となるサタンの子供を胎にはらんでいる状態にあり、文先生の妾の立場から天使長を夫として復帰して夫婦となって、“父母の愛” によって民団を長子の立場に立てることで、韓国がアベルの立場を確立して北朝鮮と統一できるようにすることが日本のエバ国家としての摂理的使命となるのである。故に文先生は、民団と朝総連の統一について訪韓修練会における男性修練会の最後に語られたのである。

 北韓の朝総連全体大会への指示に対して民団が談話文
 『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
 二つの「恨」と文先生の摂理



  B 摂理の完成圏は御言による再創造
 このように、神様を完全に否定して、神側の人々を切ってしまおうと、サタンは取り組んできたのです。そうして、三分の二、すなわち七〇パーセントの地点である蘇生、長成までは勝利したのですが、完成圏は神様のほうに属するので、それは超えることはできません。第一次大戦も七〇パーセント以上、サタンが勝ったし、第二次大戦も七〇パーセント以上、サタンが勝ちました。さらに第三次大戦も、思想戦を中心とした右翼と左翼の戦いとなり、七〇パーセントはサタンが勝ったような立場に立ったのですが、そこから急に滅びていくのですサタンは完成圏を侵略することができないからです。このように、公式的な闘いをしてきました。(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編2』p293〜p294)

 人類始祖のアダムとエバが堕落したのは長成期完成級で、成長期間を9段階とすれば6段階で堕落したことになる。完成圏は7段階以上になるので、この段階に入ってくるとサタンは急に滅びていく様になると言うのですが、これは何を意味しているのでしょうか。
 堕落の時点を境として、堕落前までの摂理は、サタンを分立することによる「蕩減復帰摂理」として成されます。男子のカイン(長子)とアベル(次子)の分立による蕩減復帰によって神側に立つアベル(次子)が長子権を復帰して “真のアダム” が、女子のカイン(正妻)とアベル(妾)の分立による蕩減復帰によってカイン(正妻)が真のアダムの相対的立場に立つことのできる “真のエバ” が立ちます。
 真のアダムは、アベルがカインを愛によって自然屈伏させることで「御言の権威」が回復され、真のエバは、正妻(カイン)が妾(アベル)の御言による愛と一体となることによって、神の御言と一致した真のアダムの御言による愛の相対としての “真の母” が復帰されます。このことによって、神の御言が “真の父” より語られ、“真の父母の愛” として無形である神の愛が実体として結実することになります。
 この真の父母の愛を結実に至らしめる御言として文先生によって語られたのが、1993年以降に日本の女性と男性に訪韓修練会で語られた御言であり、“完成圏を迎えるための御言” となります。



 (2) 日本と朝鮮の摂理的源泉
  @ 失われた10支族とエルサレム教団
    (@)失われたイスラエル10支族と日本
 失われた10支族の中でも、主要な立場で日本に渡ったのは、それぞれの母から最初に産まれてきた支族となる。レアから最初に生まれたルベン族、ラケルから最初に生まれたヨセフの長子であるマナセの半族、ジルパから最初に生まれたガド族の3支族である(左図:「日本へ向かった10支族」参照)。
 また、ビルハから最初に生まれたダン族は、ヘブライ王国が分裂したとき、自ら捕囚となってエチオピアに向かった。彼らはユダ王国とイスラエル王国の内戦に加わりたくなかったので、イスラエルの地を離れてエジプトに向かい、さらにナイル川に沿って進んでエチオピアにたどり着いたのである。
 「ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理」でも述べたが、紅花はエチオピアが原産で、エジプト、シルクロードを経て、飛鳥時代に中国から日本へと伝わったとされている。古代エジプトでは、赤は永遠の生命と復活を願う色とされ、ミイラには紅花帯が巻かれ、紅の化粧が施されていたのである。失われた10支族によって紅花が日本に辿り着いたのは、この赤の意味する “永遠の生命と復活” と、預言者イザヤの発した「太陽が昇る東方にある海の島々にて神を崇めよ」という言葉と共に一途に目指した信念のあらわれと言える。

<参照>
 王国の分裂と滅亡
 アジア大陸を東方に目指したイスラエルの民

    (A)新羅と消えたエルサレム教団を結びつける古新羅ガラスルート
 左図の様なカットガラス製品は、新羅でのみかなりの数量が出土された5〜6世紀には新羅と日本で使われていたが、両国でこのような器を作ることができるガラス加工技術はなかった。この器はその形態や成分がローマングラスに似ているが、地中海地方で作られて、ユーラシア北方草原地帯を貫くシルクロードを通じて新羅と日本に輸入されたものと推定されている。当時の新羅は外国との交易がかなり活発で、相当な国力を持っていたことを窺わせる。
 右図の古新羅古墳出土ガラス器東伝ルートは、かつてパウロの古代キリスト教の宣教エリアから新羅を結ぶルートとなるが、紀元5〜6世紀には既に使われていたとなると、ガラス器が持ち込まれたのはそれ以前と言うことになる。一体だれが持ち込んだというのであろうか。これは、ユダヤ戦争が始まると間もなく忽然とユダヤから姿を消したエルサレム教団(「12使徒とパウロ」参照)であると推察できるが、その上で古朝鮮の建国神話となる「檀君神話」を紐解いてみよう。

<参照>
 国立慶州博物館-新羅歴史館(PDF)
 日本の伝統工芸ガラス、今こそ知りたい全国各地のガラス工芸
 ガラスの来た道海の道むなかた館西谷正 : PDF / 本サイト

    (B)檀君神話の桓雄と熊女
 「檀君神話」は5〜6世紀頃に成立され、新羅にガラス器がもたらされた頃と同じである。その紀元が檀君紀元(西暦+2333年)とされていて、紀元前2333年(紀元前24世紀)となっている。この頃は、中国の伝説的な王である五帝の一人であるぎょうの治世とされていて、ぎょうは、「中国神話」に登場する君主でもある。
 太古の昔、桓因ファニンという天帝庶子桓雄ファヌンがいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印として鏡・剣・鈴の三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。このとき一匹の “” と一匹の “” が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて「100日間日光を見ないように」と告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女ウンニョになったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
 桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹タングンワンゴムを産んだ。
 周の武王が即位した己卯年に、檀君王倹は1500年にわたって朝鮮を支配し、箕子きし朝鮮に朝鮮を譲ったあと、1908歳の余生を終えて阿斯達あしたつの山神になった。(「檀君神話(文献神話)」より)

<参照>
 ・ 朝鮮の始祖檀君 (PDF : 1〜18p, 19〜160p, 161〜167p 分割 / 朝鮮民主主義人民共和国 : 本サイト

 檀君神話には、以下の4つの疑問点がある。
  1. 桓雄は庶子として誕生したこと。
  2. 熊と虎の関係性
  3. 熊が人間に化生して熊女となった。
  4. 天帝の子である桓雄と熊女の結婚の意味。

 1 )  天帝である桓因の子がなぜ庶子として誕生せねばならないのであろうか。庶子とはいわゆる正妻でない女から生まれた子であり、妾腹しょうふくの子ということである。この「妾から産まれた神の子」から連想できるのは、イエス・キリストである(「イエスの誕生の秘密(上)」参照)。つまり、桓雄はイエス・キリストを象徴していると言える。
 2 )  中国で虎は「百獣の王」と呼ばれ、勇気と力の象徴とされている。 また、民間では虎を “神聖な獣” と見なし、その勇猛さから “魔除け” としている。ところで、この様な虎と熊を対立させた檀君神話の意図は何処にあるのだろうか。それは、「洞窟での物忌み」に込められている。
 渋川春海により編纂発布された日本初のオリジナル暦・貞享暦では、それまで使用していた中国の宣明暦七十二候の大幅な書き換えもおこなわれました。このとき、宣明暦での「虎始交(とらはじめてつるむ)」を「熊蟄穴」に書き換えられました。  12月12日より、大雪の次候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」 となります。冬の訪れとともに木の洞や狭い洞窟などに篭り、冬眠をします。熊は、冬眠期間中に妊娠・出産する習性があります。それに対して虎は「虎始交」の時期で、“交尾を始める” と言う意味です。虎は、冬季を中心に、11月から翌年の春ごろまで交尾をする習性があり、長い間の冬眠や物忌みどころではないのです。これらの内容は、中国の神聖な獣である虎とは違い、檀君神話における熊の「熊蟄穴」は、“熊女” となるために飲食や行動を慎み、不浄を避けること(物忌み)を成すことで(妊娠・出産の)定められた期間を過ごすことの “烈女”としての特質 を表現している。故に、韓国の “「真の母」観” には、これらの内容が強く求められるのである。

<参照>
 クマにトラ…大雪次候はドハデな猛獣シリーズ!七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」
 古代中国で神に近い存在だった虎

 3 )  イエスは未婚のまま亡くなったので、キリストの妻の実像が無い。イエス当時のユダヤは、まだ男尊女卑の概念が一般的であった(「怨讐を愛する原点」参照)。更に、熊が人間に化生して桓雄の妻になったということから、女性としての役割として熊の冬眠時における妊娠と出産の習性をそのまま引き継いでいることが重要なところと言える。韓国の女性は、子供を産んで立派な人間に育て上げることが何よりも大切な責務で、特に嫡男を出産することは妻としての誇りとされてきたのである。

<参照>
 人間になった熊
 「息子を産んで自慢」…胸をさらけ出した朝鮮女性の写真、独博物館から撤去

 4 )  以上の内容を踏まえると、天帝の子である桓雄と熊女の結婚の意味は、桓雄と熊女の結婚にあるというよりも、その結婚によって檀君王倹が誕生したことの方に強い意味合いがあって、檀君王倹は天帝の孫であって、それを血筋として受け継いでいるのが朝鮮民族であるというのがこの神話の誇示するところとなっているのは明白である。桓雄の妻、王倹の母が熊女であることによって、“妻” として、“母” としての女性像はそこには何も描かれていない。描けるとすれば、それは “物忌みによる妊娠と出産” 以外には何も見出せない。

<参照>
 阿斯達と阿斯女
 12使徒とパウロ

    (C)熊女の化生と重生の摂理にみる真の母としての問題点
 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。(『原理講論』p264〜p265)

 父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントT十二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのために、必然的に、再臨されるようになるのである。(『原理講論』p266)

 「重生」とは、生まれかわることであり、死んだ人間が再び生まれてくることを意味する。また、「自我」とは、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分を意味する。これらのことを踏まえて、檀君神話の観点から “霊的重生” と “肉的重生” について考えてみたい。
 イエスを救い主と信じる信徒が聖霊の感動を受けるようになると、霊的真の父母の愛を受けるようになり、新しい霊的自我に芽生え「霊的重生」が成されるとしている。この霊的重生とは、堕落によって霊的死に至った堕落人間が、霊的真の父母の愛によって霊的死から蘇って堕落以前の状態に生まれかわると言うことだ。この時、“霊的に生まれかわったと言う自我(新しい自分)として覚醒される” と言うのである。
 これはあたかも、檀君神話において、熊が熊女としての人間に化生したかの如くであるが、「霊的重生」の “霊的” とは、“霊的真の父母による重生” ということで、重生を受ける側の堕落人間の立場を言うものではない。その為、再臨する真の父母による「肉的重生」も、その重生を受けるのは霊的にしかすぎない。重生を受けた人間が、神の愛を実践できる真の人間になるためには、人間自身の責任分担として、その霊人体が神の御言によって肉身を主管して善行を成す結実体とならなければならないことは、これまで何度も述べたところである。
 檀君神話の熊女から導き出せる「真の母」観は、堕落人間を堕落前の状態に “生みかえる”「重生の母」であるが、もうひとつ “真の父母” における「真の母」として重要な役割分担があるが、それは次に述べることにする。

<参照>
 自我の意味


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