復帰摂理歴史の真実 | |||||||||||||||||||
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■ 第三部 第一章 f. 檀君神話における熊女と重生 1. 熊女の化生と堕落人間からの重生 (1) 日本は妾の国、朝鮮は正妻の国で北朝鮮はカインで韓国はアベル @ 「正妻と妾の摂理」における “母子協助” から “夫婦協助” の摂理段階へ
文先生の正妻となった韓鶴子は、統一教会に入信して文先生と心情的に一体となった母の洪順愛による “母子協助” によって「妻」として全うされたのである。 しかしここで問題になるのは、ラケルがレアに対する長子権を復帰して、妾から正妻の立場を復帰すべきであったが、実際はこの「エバの蕩減問題」が解決されないまま、レアの子であるユダがヤコブの嗣業を受け継いだが、イスラエル人12支族は分裂した状態のままイエスの時まで至ったことの蕩減復帰である。 ここで扱うのは、「エバの蕩減問題」としては最後となる “夫婦協助から父母協助の結実” による「復帰摂理の終結」となります。 <参照> ・ 二つの「恨」と文先生の摂理 A 南北朝鮮と民団、朝鮮総連
復帰摂理としては、神が準備したエバ国家が失敗したため、カインとアベルに分立して摂理を進める意外に復帰の術を無くした。日本が敗戦国となって摂理国家として立てなくなったために、日本と朝鮮が分立されて、朝鮮が姉(カイン:長女)の立場で “解けない恨の国” として、更に北朝鮮(カイン:共産国家)と韓国(アベル:民主主義国家)に分立されて復帰摂理が始まったのである。 ところが、済州島で四・三事件が勃発(1948年4月:「エバの摂理完了と男性復帰(上)」参照)すると在日朝鮮人が激増して、民団(1948年9月)が韓国政府から在日同胞の公認団体として認定され、朝総連(1955年)が設立された。文先生の言う「サタンの “二代目” の子供」と言うのは、この民団(アベル)と朝総連(カイン)のことであり、その初代となるのは韓国と北朝鮮のことである。 日本はエバ国家として、二代目となるサタンの子供を胎に孕んでいる状態にあり、文先生の妾の立場から天使長を夫として復帰して夫婦となって、“父母の愛” によって民団を長子の立場に立てることで、韓国がアベルの立場を確立して北朝鮮と統一できるようにすることが日本のエバ国家としての摂理的使命となるのである。故に文先生は、民団と朝総連の統一について訪韓修練会における男性修練会の最後に語られたのである。 ・ 北韓の朝総連全体大会への指示に対して民団が談話文 ・『原理講論』にないヤコブ家庭摂理 ・ 二つの「恨」と文先生の摂理 B 摂理の完成圏は御言による再創造
堕落の時点を境として、堕落前までの摂理は、サタンを分立することによる「蕩減復帰摂理」として成されます。男子のカイン(長子)とアベル(次子)の分立による蕩減復帰によって神側に立つアベル(次子)が長子権を復帰して “真のアダム” が、女子のカイン(正妻)とアベル(妾)の分立による蕩減復帰によってカイン(正妻)が真のアダムの相対的立場に立つことのできる “真のエバ” が立ちます。 真のアダムは、アベルがカインを愛によって自然屈伏させることで「御言の権威」が回復され、真のエバは、正妻(カイン)が妾(アベル)の御言による愛と一体となることによって、神の御言と一致した真のアダムの御言による愛の相対としての “真の母” が復帰されます。このことによって、神の御言が “真の父” より語られ、“真の父母の愛” として無形である神の愛が実体として結実することになります。 この真の父母の愛を結実に至らしめる御言として文先生によって語られたのが、1993年以降に日本の女性と男性に訪韓修練会で語られた御言であり、“完成圏を迎えるための御言” となります。 (2) 日本と朝鮮の摂理的源泉 @ 失われた10支族とエルサレム教団 (@)失われたイスラエル10支族と日本 失われた10支族の中でも、主要な立場で日本に渡ったのは、それぞれの母から最初に産まれてきた支族となる。レアから最初に生まれたルベン族、ラケルから最初に生まれたヨセフの長子であるマナセの半族、ジルパから最初に生まれたガド族の3支族である(左図:「日本へ向かった10支族」参照)。 また、ビルハから最初に生まれたダン族は、ヘブライ王国が分裂したとき、自ら捕囚となってエチオピアに向かった。彼らはユダ王国とイスラエル王国の内戦に加わりたくなかったので、イスラエルの地を離れてエジプトに向かい、さらにナイル川に沿って進んでエチオピアにたどり着いたのである。 「ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理」でも述べたが、紅花はエチオピアが原産で、エジプト、シルクロードを経て、飛鳥時代に中国から日本へと伝わったとされている。古代エジプトでは、赤は永遠の生命と復活を願う色とされ、ミイラには紅花帯が巻かれ、紅の化粧が施されていたのである。失われた10支族によって紅花が日本に辿り着いたのは、この赤の意味する “永遠の生命と復活” と、預言者イザヤの発した「太陽が昇る東方にある海の島々にて神を崇めよ」という言葉と共に一途に目指した信念のあらわれと言える。 <参照> ・ 王国の分裂と滅亡 ・ アジア大陸を東方に目指したイスラエルの民 (A)新羅と消えたエルサレム教団を結びつける古新羅ガラスルート 左図の様なカットガラス製品は、新羅でのみかなりの数量が出土された。5〜6世紀には新羅と日本で使われていたが、両国でこのような器を作ることができるガラス加工技術はなかった。この器はその形態や成分がローマングラスに似ているが、地中海地方で作られて、ユーラシア北方草原地帯を貫くシルクロードを通じて新羅と日本に輸入されたものと推定されている。当時の新羅は外国との交易がかなり活発で、相当な国力を持っていたことを窺わせる。 右図の古新羅古墳出土ガラス器の東伝ルートは、かつてパウロの古代キリスト教の宣教エリアから新羅を結ぶルートとなるが、紀元5〜6世紀には既に使われていたとなると、ガラス器が持ち込まれたのはそれ以前と言うことになる。一体だれが持ち込んだというのであろうか。これは、ユダヤ戦争が始まると間もなく忽然とユダヤから姿を消したエルサレム教団(「12使徒とパウロ」参照)であると推察できるが、その上で古朝鮮の建国神話となる「檀君神話」を紐解いてみよう。 <参照> ・ 国立慶州博物館-新羅歴史館(PDF) ・ 日本の伝統工芸ガラス、今こそ知りたい全国各地のガラス工芸 ・ ガラスの来た道(海の道むなかた館長 西谷正 : PDF / 本サイト) (B)檀君神話の桓雄と熊女 「檀君神話」は5〜6世紀頃に成立され、新羅にガラス器がもたらされた頃と同じである。その紀元が檀君紀元(西暦+2333年)とされていて、紀元前2333年(紀元前24世紀)となっている。この頃は、中国の伝説的な王である五帝の一人である堯の治世とされていて、堯は、「中国神話」に登場する君主でもある。
・ 朝鮮の始祖檀君 (PDF : 1〜18p, 19〜160p, 161〜167p 分割 / 朝鮮民主主義人民共和国 : 本サイト) 檀君神話には、以下の4つの疑問点がある。
2 ) 中国で虎は「百獣の王」と呼ばれ、勇気と力の象徴とされている。 また、民間では虎を “神聖な獣” と見なし、その勇猛さから “魔除け” としている。ところで、この様な虎と熊を対立させた檀君神話の意図は何処にあるのだろうか。それは、「洞窟での物忌み」に込められている。 渋川春海により編纂発布された日本初のオリジナル暦・貞享暦では、それまで使用していた中国の宣明暦の七十二候の大幅な書き換えもおこなわれました。このとき、宣明暦での「虎始交(とらはじめてつるむ)」を「熊蟄穴」に書き換えられました。 12月12日より、大雪の次候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」 となります。冬の訪れとともに木の洞や狭い洞窟などに篭り、冬眠をします。熊は、冬眠期間中に妊娠・出産する習性があります。それに対して虎は「虎始交」の時期で、“交尾を始める” と言う意味です。虎は、冬季を中心に、11月から翌年の春ごろまで交尾をする習性があり、長い間の冬眠や物忌みどころではないのです。これらの内容は、中国の神聖な獣である虎とは違い、檀君神話における熊の「熊蟄穴」は、“熊女” となるために飲食や行動を慎み、不浄を避けること(物忌み)を成すことで(妊娠・出産の)定められた期間を過ごすことの “烈女”としての特質 を表現している。故に、韓国の “「真の母」観” には、これらの内容が強く求められるのである。 <参照> ・ クマにトラ…大雪次候はドハデな猛獣シリーズ!七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」 ・ 古代中国で神に近い存在だった虎 3 ) イエスは未婚のまま亡くなったので、キリストの妻の実像が無い。イエス当時のユダヤは、まだ男尊女卑の概念が一般的であった(「怨讐を愛する原点」参照)。更に、熊が人間に化生して桓雄の妻になったということから、女性としての役割として熊の冬眠時における妊娠と出産の習性をそのまま引き継いでいることが重要なところと言える。韓国の女性は、子供を産んで立派な人間に育て上げることが何よりも大切な責務で、特に嫡男を出産することは妻としての誇りとされてきたのである。 <参照> ・ 人間になった熊 ・「息子を産んで自慢」…胸をさらけ出した朝鮮女性の写真、独博物館から撤去 4 ) 以上の内容を踏まえると、天帝の子である桓雄と熊女の結婚の意味は、桓雄と熊女の結婚にあるというよりも、その結婚によって檀君王倹が誕生したことの方に強い意味合いがあって、檀君王倹は天帝の孫であって、それを血筋として受け継いでいるのが朝鮮民族であるというのがこの神話の誇示するところとなっているのは明白である。桓雄の妻、王倹の母が熊女であることによって、“妻” として、“母” としての女性像はそこには何も描かれていない。描けるとすれば、それは “物忌みによる妊娠と出産” 以外には何も見出せない。 <参照> ・ 阿斯達と阿斯女 ・ 12使徒とパウロ (C)熊女の化生と重生の摂理にみる真の母としての問題点
イエスを救い主と信じる信徒が聖霊の感動を受けるようになると、霊的真の父母の愛を受けるようになり、新しい霊的自我に芽生え「霊的重生」が成されるとしている。この霊的重生とは、堕落によって霊的死に至った堕落人間が、霊的真の父母の愛によって霊的死から蘇って堕落以前の状態に生まれかわると言うことだ。この時、“霊的に生まれかわったと言う自我(新しい自分)として覚醒される” と言うのである。 これは恰も、檀君神話において、熊が熊女としての人間に化生したかの如くであるが、「霊的重生」の “霊的” とは、“霊的真の父母による重生” ということで、重生を受ける側の堕落人間の立場を言うものではない。その為、再臨する真の父母による「肉的重生」も、その重生を受けるのは霊的にしかすぎない。重生を受けた人間が、神の愛を実践できる真の人間になるためには、人間自身の責任分担として、その霊人体が神の御言によって肉身を主管して善行を成す結実体とならなければならないことは、これまで何度も述べたところである。 檀君神話の熊女から導き出せる「真の母」観は、堕落人間を堕落前の状態に “生みかえる”「重生の母」であるが、もうひとつ “真の父母” における「真の母」として重要な役割分担があるが、それは次に述べることにする。 <参照> ・ 自我の意味
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