- @)『原理講論』における「共生共栄共義主義」と『統一思想要綱』
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このように、三つの部面に分かれて発展してきた歴史が、一つの理想を実現する焦点に向かって帰結されるためには、宗教と科学とを、完全に統一された一つの課題として解決し得る新しい真理が現れなければならないのである。そうして、このような真理に立脚した宗教によって、全人類が神の心情に帰一することにより、一つの理念を中心とした経済の基台の上で、創造理想を実現する政治社会がつくられるはずであるが、これがすなわち、共生共栄共義主義に立脚した、メシヤ王国なのである。(『原理講論』p506)
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『原理講論』の後編第四章第七節には、「共生共栄共義主義」という言葉が何度か使われているが、それがどの様なものなのかは何も示されてはいない。ただ506ページには、人類歴史の帰結点として、「神の心情に帰一する “新しい真理” に立脚した政治理念によって築かれた豊かな経済国家」が “メシヤ王国” であると結論付けるのみである。
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共生共栄共義主義は、文先生の神主義を経済、政治、倫理の側面から扱った概念であり、共生主義と共栄主義と共義主義の三つの単純概念からなる複合概念である。(『統一思想要綱』p697)
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ところが『統一思想要綱』には、“文先生の神主義による概念” として、以下のように明確に示されている。
- A)共生主義
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共生主義は、理想社会の経済的側面を扱った概念であるが、特に所有の側面を扱った概念である。所有の側面から見るとき、資本主義経済や社会主義(共産主義)経済の特徴において、前者は私的(個人的)所有であり、後者は社会的(国家的)所有である。
ところで、両者共に、愛という要素は全く排除されている。すなわち私的所有であれ、社会的所有であれ、心理的要素が排除された単純な物質的所有にすぎないというのが、その特徴の一つであると見ることができる。
しかし、これに対して共生主義は、神の真なる愛に基づいた共同所有を意味する。すなわち、共同所有とは、第一に神と私の共同所有であり、第二に全体と私、第三に隣人と私の共同所有をいう。ところで、共同所有は単なる物質的所有だけではなく、神の真の愛に基づいた共同所有である。これは神の限りない真の愛によって、その真の愛に満ちた贈り物である一定の神の財産(所有)が、神からわれわれ(私と隣人)に共同管理するようにと授けられたことを意味するのである。(『統一思想要綱』p698)
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文先生の言う「共生主義」は、理想社会の経済的側面における根幹となる部分である。“神の真の愛” とは、対価を求めず限りなく与えようとする愛である。しかし、この愛は、無目的に、一方的に与える愛ではない。それは、神の創造目的に基づいた愛による “受者の喜び” が大前提としてある。この “他者の為の愛” による共同所有が「共生主義」の本質となる。経済的豊かさとは、“産物に込められた愛に対する喜び” をその指標とするものである。
- B)共栄主義
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共栄主義は、理想社会の政治的な側面を扱った概念である。これは特に、資本主義の政治理念である民主主義に対する代案としての側面から、未来社会の政治的特性を扱った概念である。(『統一思想要綱』p705)
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政治とは、国家の意思決定機関である主権をもとに、共同体の領土や資源を管理し、それに属する構成員間あるいは他共同体との利害を調整して社会全体を統合する行為、もしくは作用全般を指す言葉である(Wikipedia)。
豊かな経済社会を築くためには、高度な生産性と、需要に対する公正な供給がなければならない。そのためには、社会全体を管理し、統合する意志決定機関としての政治と、それを実行する各行政機関が必要となる。
- C)共義主義
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共義主義は、共同倫理の思想をいう。これは、すべての人が公的にも私的にも道徳・倫理を遵守し、実践することによって、健全な道義社会すなわち共同倫理社会を実現しなければならないという思想である。今日、資本主義社会や共産主義社会(ソ連、東ヨーロッパなどの前共産主義社会、および中国や北韓などの現共産主義社会)を問わず、人民大衆が持たなければならない価値観、すなわち道徳観念や倫理観念は、ほとんど消えてしまったために、それによって、様々な不正腐敗の現象や社会的犯罪が氾濫し、世界は今、大混乱に陥っている。そして人々は、今日のこのような価値観の崩壊を見て嘆きながらも、その収拾法案を提示しえないでいるのである。
共義主義はまさしく、このような価値観の崩壊を根本的に収拾して、誰でも、いつでも、どこでも、道徳と倫理を守るような、健全な道義社会を地上に立てようという理念である。言い換えれば、資本主義社会と共産主義社会の次の段階として到来するようになる理想社会は、先に説明した共生共栄の社会であると同時に、万人が地位の上下を問わず、共同に同一なる倫理観をもって生活する共同倫理の社会なのである。(『統一思想要綱)p716〜p717)
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さて、「共栄主義」の “社会全体に属する構成員間あるいは他共同体との利害を調整して統合する” という件であるが、これにはどうしても「共義主義」という概念が必要となる。
これは、所謂万人が共有できる道徳・倫理による健全な道義社会を意味する。しかし、これに必要な道徳理念や倫理観念は、嘗ては存在していたが消えてしまったので、これを「新しい価値観」として再構築し、理想社会としての共同倫理社会を実現しようとしたのが文先生の「統一運動」の目的とするところであった。
では、この再構築すべき「新しい価値観」となる、消えてしまった道徳理念や倫理観念とは一体どのようなものであっただろうか。