復帰摂理歴史の真実

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エバの堕落とマリヤの復帰 <トップ> ペテロ・パウロと原始キリスト教

■ 1. イエス誕生の秘話
     c. イエスの弟子たち


 イスラエル選民と失われた10支族

    ユダヤ教の確立とその背景

 もう一度「分立摂理とその変更」のページをご覧ください。

 紀元前722年、北朝イスラエルはアッシリアに滅亡し捕囚されました。その後、紀元前605年には南朝ユダがバビロンに捕囚されることとなります。その時南朝ユダの人達は、北朝イスラエルを通過していくことになるのですが、そこには指導者たちを失った中流階級以下の北朝イスラエルの人達が残されていました。捕囚されたのは上流階級の指導者層の人達です。

 ところが、捕囚の期間を終えて、南朝ユダの人達(もちろん、南朝ユダからも指導者たちが捕囚されました)が帰ってくると、北朝イスラエルの地には先に帰還しているはずの人達がいません。それが「失われた10支族」ですが、残された北朝イスラエルの人達はサマリア人として区別され、、帰還した南朝ユダの指導者たちが残された北朝イスラエルの人達をも指導する立場に立っていくようになり、“南朝ユダの教え” “ユダヤの教え” つまり「ユダヤ教」が確立するようになるのです。

 さて、サマリヤ人は、指導者たちから見放された肩身の狭い立場で暮らしていくしかありませんでした。

 ところが、イエスはサマリヤ人であるヨセフと言う大工の子として誕生したのです。それも、ザカリヤと言う祭司長の “種” によって生まれたのですが・・・

 そのイエスの誕生を祝ったのは、北朝イスラエルを見捨てた「失われた10支族」で、当のユダヤは、イエスを十字架にかけてしまったというのは何とも皮肉な事です。

 つまり、神(南朝ユダ)の「種」が肥沃な(北朝イスラエルの)「畑」に植えられて、“芽が出た(メシヤの誕生)” のを喜んだのは、かつての畑(北朝イスラエル)の持ち主だけで、地主(ヘロデ王)が、芽が出たことが気に入らず、摘んでしまおうとしているのを聞いて逃げ出してしまった。何とか難を逃れたが、当のその土地の管理人(ユダヤ教徒)は、水もやらずに根元から切ってしまった。

 と言うのです。



 選ばれた12弟子

    選民の中の選民


 本来、洗礼ヨハネがイエスをメシヤとして受け入れ従っていれば、この12人は弟子として選ばれてはいなかったのかも知れないのですが、洗礼ヨハネがイエスを受け入れず、その使命を失敗してしまったためにイエスに直接従う12弟子となりました。

 これは、選民イスラエルとしてのヤコブの12支族を象徴する弟子たちでした。

 この弟子たちは、当時のユダヤ教に対して十分に影響を与えられ得る、選民の中の、イエスが選んだ選民なのです。これらの弟子たちには様々な不足な点はありましたが、最も問題だった点は、イスカリオテのユダの裏切りや、ペテロの三度の否認に見られるようにイエス対する信仰と、イエスを導いておられる神への信仰です。

 弟子たちの無知ゆえに、イエスを信じきれず、イエスの弟子たちに対する愛がわからず、その背後を導いておられる神の存在を理解することができなかった弟子たちは、イエスの十字架によって理解できたのではなく、復活したイエスの許しと愛によって、つまり、十字架の死にあったのはなく十字架後の復活したイエスに出会うことによって、生きて共に活動していた頃のイエスの本当の心情とその姿を理解することができて、ようやく弟子たちにも信仰が立ち、それに伴って心情と愛が満ちて本格的な伝道が始まったのです。

 しかし、その弟子たちも殉教によってその信仰を引き継がれていくこととなっていくのです。



 ペテロ
   漁師。12使徒の筆頭。
   イエスを三度否認する。
   地中海沿岸を伝道した。
   ローマで自ら志願して、逆さ十字架の磔刑に処せられる。
   カトリック教会では、初代教皇とみなした。

 アンデレ
   ペテロの弟。
   洗礼ヨハネの弟子だった人物で、ペテロを信仰に導いた人物。
   旧ロシア領の黒海沿岸を伝道した。
   磔刑にて死す。

 大ヤコブ
   使徒ヨハネの兄で、貴族出身
   伝道の地スペインの守護聖人として崇拝を受けた。
   西暦42年頃、エルサレムでアグリッパ一世の迫害により、斬首され、12使徒最初の殉教者となった。
   サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂が有名。

 ヨハネ
   エルサレムで宣教した。
   「ヨハネによる福音書」の記者とも言われている。

 フィリポ
   イエスの最古参の弟子の一人。
   友人ナタナエルをイエスのもとへ導き、ギリシャ語を話す人達をイエスのもとへ導いた。
   アテネで布教し、教会を建てる。
   異教の地ヒエラポリス(現在のトルコ)で殉教した。

 バルトロマイ
   フィリポから伝道された人物。
   インドまで宣教に赴いたと言う伝説があります。
   異教の地で殉教する。

 マタイ
   徴税人であり、レビと呼ばれていました。
   エチオピアペルシアを伝道しましたが、迫害にあって殉教した。

 トマス
   猜疑心の強い人物でしたが、その疑いが晴れると、確信の人一倍強い人物でした。
   インドまで宣教に赴きましたが、殉教して亡くなりました。
   南インドには、聖トマス教会が現存しています。

 小ヤコブ
   ペルシア(現在のイラン)で宣教したが、十字架にかけられて殉教した。

 タダイ
   小ヤコブの兄弟。
   ペルシア殉教した。

 熱心党のシモン
   偏狭なユダヤ教原理主義者。
   エジプトを主な宣教地としましたが、最後にはタダイとともにペルシアにたどり着き殉教しました。

 イスカリオテのユダ
   弟子たちの中で経理を担当していた。
   イエスを銀貨30枚で祭司長らに売り渡した人物として有名。
   しかしその後、慙愧の念に駆られ、銀貨を返して事態の打開を試みようとしたが徒労に終わった。
   ついに、失意の念に沈んだユダは、裏切りによって得た銀貨を神殿に投げ込み、首をつって自殺した。




 イエス復活後の使徒の再編と伝道

    弟子から使徒へ

 さて、上記の12弟子(イスカリオテのユダに代わって、マッテヤが加わり)たちは、先にも書きましたが、イエスの復活によって本当の信仰に目覚め、その責任と使命を自覚し、自ら辺境の地、異教の地に伝道に出発したのです。

 ただ、イエスに付き従うだけの弟子から、自らの意思でその使命を担って伝道に赴く “使徒” となったのです。


    原始キリスト教への出発


 アダムの家庭における復帰摂理では、カインがアベルを殺害することによって、セツにその使命(アベルの使命)が継承され、ノアの家庭が選ばれました。

 ノアの家庭では、次子ハムが失敗したので(サタンが次子を奪ったので)、神が長子を取り返すことができ、長子セムの子孫のアブラハム(長子)をもって摂理を出発することができたのです。

 アブラハムの家庭では、アブラハムの孫に当たる次子ヤコブがサタンに対する主管性を復帰することにより、その子孫を神が主管して摂理をすることのできる “イスラエル選民” を立てることが出来たのです。

 このイスラエル選民からユダヤ教が生まれ、イエスをメシヤとして迎えるに至ったのですが、迎えるべきのユダヤ教がイエスを殺害すると言うとんでもない事態を迎えてしまったのです。

 しかし、ユダヤ教徒であったイエスの弟子たちが、イエスの復活以後、伝道を展開しキリスト教を興して行ったのです。



 さて、このキリスト教ですが、ユダヤ教と別物ではありません。

 ユダヤ教は、アブラハムの3代目ヤコブの勝利によってもたらされた「イスラエル選民」として、メシヤ(イエス)を迎えるための教えであり、神が導く “” であり、神は “” なのです。

 ところで、イエスは “神の子”として誕生しましたが、 そこに理想相対を迎えられないまま、 “独り子”のまま十字架により天に召されました。

 この事により、神は “父なる神” となったのです。“父母なる神” ではありません。

 ところで、エバは “アダムの” あばら骨から造られたのです。つまり真の母は、メシヤのあばら骨から創造されなければなりません。

 真の母は真のアダムによって造られなければならないというのが本来の創造原理です。

 これらの事から、キリスト教はユダヤ教を一歩神に近づけ発展させた再臨主を迎えるための宗教であると言えるのです。



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