復帰摂理歴史の真実
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■ 第二章 第二節 イスラエル12支族
     f. 再創造摂理と復帰摂理の分岐点


1. 再創造としての復帰摂理

新版 統一思想要綱

 神主義とは、神の真理と愛を核心とする思想という意味であり、頭翼思想とは、右翼でもなく左翼でもなく、より高い次元において両者を包容する思想という意味である。神の愛を中心とした新しい価値観による愛の精神をもって、左の思想である共産主義からは、憎悪心、闘争心や物質主義を取り除き、右の思想である民主主義からは、利己主義、自己中心主義を取り除いて、対立する両者を和解せしめ、共同して、神と人類の宿願である理想世界の実現に向かって進むように導いてゆくための思想が、神主義であり、頭翼思想であり、統一思想である。(「まえがき」2014年7月再版より。なお、本文で掲載している内容は、2000年9月18日の初版発行を使用しています)

<参照>
 統一思想研究院



 (1) 創造原理と再創造原理

  @ 天使長ルーシェルとアダム

 ここでは、統一思想によって今までのことをまとめて見ましょう。
 神は、本性相と本形状の統一体ですが、本性相を夜の神様と表現し、本形状を昼の神様と表現していました。本性相は内的性相と内的形状の二性性相の統一体です。
 つまり、神の本性相は、神が思考をもとに、構想を描き、計画を立てる神の意思であり、これをロゴスといいます。
 さて、もう一つの神の本形状は、神の意思に従って、素材(質量)的要素が原力によって、、被造世界が創造されます。ここで原力とは、神の最も本質である心情が本性相内の衝動力と本形状内の “前エネルギー (前段階エネルギー)” との授受作用によって形成された新しい力、つまり “愛による力” のことです。ちなみに、“心情” とは、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」 であるため、神は被造世界を愛によって創造され、そこから喜びを満喫されようとされたのです。
 これらのことから、天使長ルーシェルの創造と人類始祖アダムの創造を考えてみると、次のように考えられます。
 神は天地創造に先駆けて、ご自身の本性相に似せて天使を創造されました。その後、ご自身の本性相のかたちに似せてアダムを創造されたのです。しかし、神が子女として創造したアダムには、肉身をもって自らの成長期間を全うし、神のように愛の人格を完成することを願われたのです。
 ところで、神の天地創造はこれで完成ではありません。神の本形状としてアダムの対象となるエバの創造がなくてはなりませんでした。このアダムとエバが、自ら成長し完成することによって神の創造主としての権限を相続する立場に立つことができたのです。
 つまり、天使長ルーシェルは、神の本性相である内的性相に似せて創造された霊的な長子の立場アダムは神の本性相そのものに似せて創造された霊的な次子であるとも言え、ルーシェルは神の本性相としては未完成型であり、アダムは完成型であるとともに、肉的な長子の立場で誕生したとも言えますが、霊肉統一体としては未完成型と言えるのです。

  A 至聖所は種、聖所は畑

 統一思想には、神の本性相と本形状を人間で例えると心と体に例えられるとあります。神の本性相に似せて造られたアダムの精神状態が、種としての精子に織り込まれていることを意味し、その種によって産まれた子供は、遺伝子的に体にはもちろんですが、心に多大な影響を受けて誕生するということです。

<参照>
 男性不妊と精神的ストレスの密接な関係とは
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 エバ (母親) は、子宮胎 (畑) の中で、血液に含まれる栄養素によって、受精卵の細胞は無数に増え、やがて子宮に来る血液中のホルモンの刺激が作用して母親の喜怒哀楽が伝達されるのです。
 ここで問題となるのは、母親の喜怒哀楽と、父親から受け“た心の種としての精子による一体感がどの程度かということになるのです。長子ほど父親の心の種の影響を受けやすく、末子ほど母親の喜怒哀楽の感性を受けやすいのです。そのため、長子ほど父親に協調しやすく母親に反発しがちになり、末子ほど父親に反発しやすく母親に協調的になる可能性が高くなります。そのようにして生まれてきたのが長子カイン次子アベルでした。

  B 復帰原理における「信仰基台」と「実体基台」

 左図は、「『統一思想要綱』 第一章 原相論 一 原相の内容」 を図式化したものです。これまで論じてきたように、神は本性相と本形状の統一体であり、本性相は内的性相と内的形状の二つの部分からなっています。

   a) 3天使長

 内的性相には、の三つの機能があり、「知」 の機能には、感性悟性理性の能力があります。「情」 は 「知」 によって得た事柄によって、喜怒哀楽が生じ、「意」 はそのことのよって決心や決断を起こす能力のことで、ある行為を行おうとするまでの重要な心の機能といえます。
 この心の三機能としての知 ・ 情 ・ 意を司っていた天使長が知の天使長ルーシェルであり、情の天使長ミカエル、意の天使長ガブリエルでした。なかでもルーシェルは神が最も最初に創造した天使長で、心の発露となる重要な部分を占めていた存在でした。しかし、天使にとって、内的形状のそれぞれの要素は、天使が創造されて後、万物が創造されて初めて見聞きし、感じ得たもので、その段階に応じて神の創造の偉業に対する “頌栄” を捧げる “” として創造されました。

   b) 人間は神の愛の対象

 天使は、神に喜びを返す存在ではなく、人間が神の喜びの対象として、神に似た子女として創造されました。それ故、その創造は神の本性相と本形状ともに備わっていなければならなかったのです。
 神の本形状では、本性相によるロゴスと本形状の前エネルギーが授受作用することによって、形成エネルギーと作用エネルギーが生じます。形成エネルギーは直ちに粒子化して物質的素材となり、万物を形成します。そこに作用エネルギーが作用して、万物相互間に授ける力 (遠心力) と受ける力 (求心力) を引き起こしますが、これを原力と呼び、万物に原力が作用する力万有原力) として現れるのです。つまり、原力は授受作用を成す為の力であり、授受作用によって生じる力を万有原力といいます。
 これらの事象によって神は宇宙 ・ 森羅万象が形成され、女性の胎中から子女が誕生するのです。これらの全てのことは、愛の根源である心情が土台となって成されるために、発生する万物全てに、物理的エネルギーのみならず、愛の力が複合されているのです。

   c) 象徴献祭における条件物と蕩減期間

 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。(創世記1章26節)


 神に似せて人間が創造されたというのは、聖書の創世記1章26節に 「われわれ」 と複数形で表現されていますが、これは天使たちを含めてこのように表現されています。つまり、前記したように神に似せて、不完全ではありますが、天使を創造し、神は自らの姿に完全に似せて人間を創造されました。
 しかし、人間は堕落によって、内的形状の 「原則」 と 「数理」 の要素を失ってしまいます。

 堕落人間が創造目的を成就し得る基準を復帰するためには、まず初めに、人間始祖が立てることのできなかった、その「信仰基台」を蕩減復帰しなければならない。そしてその「信仰基台」を復帰するためには、次のような三種類の蕩減条件を立てなければならないのである。
 第一には、そのための「中心人物」がいなければならない。― 中略 ―
 その第二は、そのための「条件物」を立てなければならないということである。― 中略 ―
 その第三は、そのために「数理的な蕩減期間」を、立てなければならないということである。― 中略 ―(『原理講論』p278〜p280)


 『原理講論』 では人間の堕落を、霊的堕落と肉的堕落として、第一の堕落である霊的堕落を天使長ルーシェルとエバとの堕落、第二の堕落をアダムとエバの堕落に位置づけて、長子カインを霊的堕落、次子アベルを肉的堕落の立場に立てて復帰摂理が行われたとしていますが、実際は次のように考えた方が良く理解できるのです。
 左図を見て下さい。神は最初に天使長ルーシェルを創造され、最後にアダムを創造されました。つまり、神に似せて創造されたという観点から、霊的にみると、天使長ルーシェルを長子、アダムを次子と見ることができます。これを堕落後の復帰摂理では、長子カインを天使長ルーシェルの立場に、次子アベルをアダムの立場に立てて摂理を行ったといえます。ところで、アダムは堕落の張本人であるため、神は復帰摂理の 「中心人物」 として用いることができず、アダムの身代わりにアベルを立てました。また、「中心人物」 として 「信仰基台」 を立てた後、それを基に「実体基台」を立てて、カインを救済することが神の復帰摂理の目的であったとしています。しかし、このことは、まず第一に堕落した天使長圏の復帰のことであることが分かります。

 次に、アベルが神に捧げる 「条件物」 になりますが、これは 「格位的存在としての確立による神との関係性復帰と、「原則としての規範法則 (価値法則) としての家庭秩序確立のための前提となります。
 人間は最初に、神の子女としての“対象格位”としての位置から出発します。『統一思想要綱』 では、「対象格位は、主体の主管を受ける立場であると同時に、主体に喜びを返すことにその意義がある」 としています。つまり、神に対して対象格位にある人間の生活の第一次的な意義は、神を喜ばせるところにあるというのです。
 人間は堕落したことによって神からの “み言葉” を受けられない立場に立ったため、自らの意思によって神に 「条件物」 を捧げて、対象格位としての立場を示すことが必要となったのです。この対象格位を示す上での 「対象意識」 は、アダムだけでなく、アダムを夫に迎えるエバはもちろんのこと、アダムとエバを親とするその子女たちも、まず最初に持たなければならりません。
 この様な内容を 「数理的な蕩減期間」 として、ある一定期間立てなければならないとしたのが 「信仰基台」 であり、神の本性相に似るように与えられて、堕落によって失った 「原則」 と 「数理」 としての要素を復帰するための“象徴的献祭物”だったのです。

   d) 実体献祭の本質

 堕落人間が創造目的を完成するためには、「信仰基台」を復帰した基台の上で、過去に人間始祖が成就し得なかった「完成実体」を成就しなければならない。しかし、堕落人間は、どこまでもメシヤを通して原罪を取り除かなければ「完成実体」となることはできない。ところで堕落人間は、上述した「信仰基台」を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」を立てることによって成就される「メシヤのための基台」があって、初めてその上でメシヤを迎えることができるのである。堕落人間は、このようにしてメシヤを迎えて原罪を取り除き、人間始祖の堕落以前の立場に復帰したのちに、神の心情を中心としてメシヤと一体となり、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された成長期間を、全部全うして初めて「完成実体」となることができるのである。一方、「実体基台」を立てる場合においても、堕落人間が立てなければならないある蕩減条件が必要である。それがすなわち、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」である。人間始祖は堕落して原罪をもつようになるに従って、創造本性を完成することができず、堕落性本性をもつようになった。ゆえに、堕落人間がメシヤを迎えて、原罪を取り除き、創造本性を復帰するた,/めの「実体基台」を立てるためには、まずその「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てなければならないのである。(『原理講論』p280)


 さて、本性相の内的形状にある 「規範法則」 で、『統一思想要綱』 の規範教育のところには次のようにあります。
 「人間の堕落が規範(神の戒め)を守らなかったことにあった(p360)」。この神の戒めとは、創世記2章17節の 「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」 という聖句です。しかし、神がこれを言われたのはアダムに対してであり、天使長ルーシェルは、それを知っていました。また、これを食べたのは、第一にルーシェルであり、第二にアダムだったのです。故に、第一の堕落が天使長ルーシェルとエバとの霊的堕落であり、第二の堕落がアダムとエバの肉的堕落であることから、第二の堕落より、第一の堕落が悪として、第一の堕落の立場にカインを、第二の堕落の立場にアベルを立てて、それぞれ悪の表示体と善の表示体に分立して復帰の摂理を始められたのですが、堕落の原因は、エバがルーシェルの誘惑に乗り、アダムを堕落に陥れたことによるのです。
 天使長ルーシェルには、神の内的形状や本形状、ましてやルーシェルの陰的対象となる存在がなかったため、自らエバを堕落に至らしめるエネルギー (行動を) 起こすことは困難でした。堕落は明くまでもルーシェルの誘惑に、エバがその対象に立って授受作用を成したため、互いに作用し合い堕落したのです。
 ところで、「善悪の実」 というのは何でしょうか。『原理講論』 には “エバの愛” とあります(p103)が、エバが自らルーシェルに、さらには、アダムにも食べさせた (愛を捧げた) ということになります。
 このことは結局、神の戒めを犯したことになり、しかも、対象意識を実らすことなく、堕落して自らを主体とする意識 (「主体意識」 としての堕落性本性を先行して確立してしまったのです。それゆえに、エバがそうであったように、アベルも神の対象に立つ対象意識を持つことができず、アベルの供え物を神が取ったという外的事実だけが、アベルのサタン的権威となって、カインに服従を求めていくようになったのです。これは、後世に権威主義として世界的に拡散していきます。本来、“権威” とは、神の愛による権威であって、神の愛とは、父母が子女に与える無償の愛のことであり、この様な愛をアベルが、神に供え物を捧げたように兄であるカインに捧げていたならば、カインはアベルの供え物を神が取ったことを受けれて、アベルを祝福していたことでしょう。しかし、結果は、真逆の “殺害” という結果になってしまったのです。



 (2) 復帰摂理の順序

  @ 復帰摂理上のアダム、その父と母

   a) 善の天使長復帰と長子権復帰

 上記 @ の c)において述べたように、堕落した天使長の位置に立つカインから、復帰するアダムの位置に立つアベルが長子権を取り戻さなければなりません。この長子権については、「長子の嗣業」 として次のように述べられています。

 摂理歴史路程で神様の恨を解怨成就してさしあげるために、神様の代を引き継ぎ得る基台を築くようにと選ばれた立場がまさにリベカの立場でした。リベカはそのような自分の立場をよく知っていました。神側のヤコブがサタン側のエサウを自然屈服させることによって、ヤコブをして神様の長子として代を引き継がせなければならない立場が自分の立場だということを知っていたリベカでした。
 では、ヤコブはどのようにしましたか。エサウが狩りに出掛けて腹が減って帰ってきたとき、ヤコブは兄にパンとレンズ豆を与えながら、長子の嗣業を引き継ぎました。パンとレンズ豆を与えた条件によって長子の嗣業を買ったのです。そのようにして、ヤコブは「私が兄になった」という立場に立つことができたのです。絶対的に変わることのない神様の永遠無窮な伝統を引き継ぎ、それを千秋万代に相続させるべき立場がまさに長子の位置であり、長子の嗣業でした。そのような長子の立場をエサウは腹が減ったといって弟に売り渡しましたが、ヤコブは兄とは違って長子の嗣業がどれくらい貴く、価値のあるものであるかをよく知っており、神様の祝福と愛を受けたアブラハム家庭の血統がどれくらい貴重なのかをあまりにもよく知っていたので、執拗に命までも懸けて兄から長子の嗣業を引き継ぐようになります。(『神様の摂理から見た南北統一』p64〜p65)


 長子の嗣業とは、「絶対的に変わることのない神様の永遠無窮な伝統を引き継ぎ、それを千秋万代に相続させるべき立場」 であるとして、神が地上世界に降り立つ足がかりとなる貴重な存在が長子の立場でした。
 ヤコブは、その長子としての権利をエソウから買い取り、21年のハラン苦役の後、エソウに再会し、長子としての承認を得て 「メシヤのための家庭的な基台を造成したのです(「ヤコブの母リベカと妻レア」参照)。

   b) メシヤ誕生のための母胎復帰

 どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜る子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。(ルツ記4章12節)


 長子の嗣業を取り戻してたヤコブと妻レアとの間に生まれたユダ。そのユダは第4子ですが、長子の嗣業を受け継ぎ、タマルとの間に生まれたペレヅが、胎中で長子権を転換させ、ペレヅが長子の嗣業をもって誕生することができたのです。このことが、“メシヤ誕生のための典型” となりました。

 ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。(『原理講論』p109)


 これは、妻が神に対する信仰を立てて、長子の嗣業を持った夫との関係によって成り立ちます。ただし、その妻の神に対する信仰とは、天使長ルーシェルが死を覚悟してまでエバを誘惑して堕落したのであるから、堕落によってルーシェルと愛によって一体となり、ルーシェルの要素をそのまま受け継いだエバは、蕩減条件として立てなければならない条件とは、「“死を覚悟して神の血統を守る」ということでした。
 愛の減少感を超えたレアにユダが生まれ、死を覚悟して神の血統のためにユダと関係を結んだタマルとの間にペレヅが生まれたというのです。こうしたことは、選民のみならず異邦人にも可能となったのが、ルツが夫ボアズとの間に生まれたオベデの件です。オベデの孫にダビデが誕生しています(ルツ記4章13節〜17節)。
 ところで、ソロモンの母となったバテシバは、この様な条件が立っていない立場なので、父ダビデだけが神の前に立った立場でソロモンは誕生しました。バテシバは神の前に立ったエバとしての立場ではなく、単にサタン側から神側に連れ戻した立場であることから、神の養子の立場に立っています。元々父親は神側の立場に立っていることが前提で、妻の立場がその子女の立場を決定することになります。

<参照>
 ヤコブの母リベカと妻レア
 ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理
 ユダの覚悟と十戒
 ルツ記
 統一王国時代 (下)

  A 復帰摂理の分岐点となった北イスラエルと南ユダの捕囚

 神の復帰摂理は、まず堕落したアダムとエバを取り戻すことにありました。「信仰基台」 を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」 を立てることによって成就される 「メシヤのための基台」 が成就して、初めてその基台の上でメシヤを迎えることができるとしているのですが、この “メシヤのための基台” とはメシヤ誕生のための基台であり、問題はエバの復帰にあります。

 そこで主なる神は人(アダム)を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人(アダム)から取ったあばら骨でひとりの女(エバ)を造り、人(アダム)のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。
 「これこそ、ついにわたしの骨の骨、
 わたしの肉の肉。
 男から取ったものだから、
 これを女と名づけよう」。
 それで人(アダム)はその父と母とを離れて、妻と結び合い、一体となる(ことができる)のである。(創世記2章21節〜24節)


 “あばら骨肋骨)”は、12対 (イスラエル12支族) で24本 (男と女でその倍) の骨からなっています。そのうちの一本 (ユダ族) を取って女 (エバ) を造りました。これは、イスラエル選民としての12支族が一体となることによってアダム(メシヤ)が誕生し、その1支族(ユダ族)からエバ(メシヤの妻)が誕生することを意味していました。
 このことから、メシヤ誕生の伝統をもった南のユダ族からイエスが誕生するのですが、北イスラエル10支族が、アッシリア捕囚後帰還しなかったことが、イエスが肉身をもって摂理を成就することができない遠因となったのです。
 12数はこの様な意味を持っているので、イエスの時、12弟子の不信仰と、弟子たちが一体となれなかった事が直接の原因となって、十字架の摂理が余儀無くされたのです。


神殿崩壊の意味するもの <トップ> 失われた10支族の行方