復帰摂理歴史の真実
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■ 第三章 第一節 ザカリヤ、マリアとヨセフ
     b. イエスの誕生の秘密 (下)

1. イエス誕生の背景と再臨のメシヤ

 (1) イエス誕生の原理的背景

  @ ザカリヤ家庭とヤコブ家庭での女性のカインとアベル


 「イエス様の生涯と愛」 文鮮明 / 著



 イエス様の家庭において、イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。ではザカリヤの本来の妻は誰でしょうか。エリサベツです。聖霊によって懐胎したというのですが、洗礼ヨハネも聖霊によって懐胎したといいました。
 それではマリヤは、どのようにしてザカリヤの懐に入ることになったのでしょうか。誰かの啓示によってでしょうか。マリヤが入るのを見れば、啓示を受けなかったエリサベツは雷を落とすでしょうか、落とさないでしょうか。エリサベツに分からないように入ったでしょうか、分かるように入ったでしょうか。
 一日目の夜に赤ん坊を身ごもったでしょうか。何回会ったでしょうか。いろいろと問題になるのです。話せばそうなるのです。それならばマリヤには、誰かの後ろ盾もなく一人でできる、そのような度胸があったでしょうか。それはお姉さん(エリサベツ)が紹介してあげなければならないのです
 レアがラケルの立場を奪ったので、それを蕩減復帰するためには姉のレアがラケルを祝福してあげなければならないのです。そうしてこそ蕩減になるのです。啓示を受けようがどうしようが、このような蕩減原則においてそのように見るのです。エリサベツが霊的に教えられて兄弟(姉妹)が一つになる立場で、そのことが可能だったのです。
 なぜでしょうか。ヤコブの家庭では、兄弟が一つになりませんでした。それならば世界的国家基準で、兄弟が一つになり得る堅固な出発が行われなかったのかという、そのような論理が形成されるのです。エリサベツが自分の夫の前に紹介してあげたそのような問題があるので、近親相姦関係が生じるのです。先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。神様が許したのでこれが生じるのであって、自然に生じることはありません
 なぜ近親相姦関係が現れるのでしょうか。自分の姉の夫を妹が強奪するのです。それを近親相姦関係というのです。なぜヤコブの家庭でレアを入れたのかというと、蕩減法において堕落したエバがいなくては復帰時代がなくなってしまうからです。女性の世界にもカインがいなくてはならないのです。同じ道理です
 イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。その妻はエリサベツです。エリサベツが生んだ子は誰ですか。洗礼ヨハネです。イエス様の母は誰ですか。マリヤです。マリヤは誰と関係して、イエス様を生みましたか。ザカリヤです。誰が紹介したのでしょうか。マリヤが夜、こっそりと駆け込んで関係したのでしょうか、誰かが紹介したのでしょうか。エリサベツが聖霊や天の啓示によって、自分の夫と自分の妹を関係をもたせるようにしたのです。それは普通、イスラエルの法ではできないことです
 なぜイエス様は死んだのでしょうか。ザカリヤは、イエス様が誰の子か知っています。マリヤもイエス様が誰の子か知っています。洗礼ヨハネはどうだったでしょうか。三十歳以上になって、そのような家庭の秘密のことを人知れず聞いたことがあったかどうか考えてみてください。あったのです。洗礼ヨハネまでもが知っている事実なのです。
 しかし、このような不法的な関係で自分の一家に問題を起こすようなことをして、背後が入り乱れた中で生まれたイエス様が正にメシヤになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
 皆さんならば、そのようなイエス様をメシヤとして迎えることができますか。妾の子なのに、妾の子をどうして王に迎えられるかというのです。自分が絶対服従しなければならない王、祭司長の立場に立てることができますか。できなかったでしょう。百人いれば百人がみな、そのように考えるのが常識なのです。
 人類の先祖となるイエス様を生み、人類の母の立場にあるマリヤを、ヨセフは天使長の立場で敬って侍らなければなりませんでした。ヨセフは僕の立場なので、サタンがエバを誘惑して不倫の愛の関係を結んだことを蕩減復帰しなければならないのです。このような立場にあるマリヤとヨセフは、絶対に一つになってはいけないのです。(『イエス様の生涯と愛』 p69〜p72 )



   a) イエスの系図

 聖母マリア (左図でマリヤは4人ですが、後述するように実際は3人になるので、イエスの母マリヤを聖母として区別しています) の母アンナは、夫ヨアキムが亡き後、少なくとも全部で3度結婚しており、それぞれの夫との間にマリアという名前の娘を儲けました。
 大ヤコブと使徒ヨハネの母マリア (ゼベダイの子らの母) は、サロメとも呼ばれていました。ヨアキム以降の夫 (クレオパ、サロマス、エフライム) は婚姻の順番不明です。
 ヒスメリヤの夫エフライムは、妻が死んだ後、夫が妻の姉妹と結婚するソロレート婚という慣習から、ヒスメリヤの妹であるアンナが後妻としてエフライムのところに入りましたヒスメリヤとアンナは姉妹であったため、エリサベツと聖母マリヤは母親側のいとこの関係になります。
 ここで、エフライムとアンナの間に生まれたとしているマリヤは、クレオパとの間に生まれたマリヤを連れ子として入籍したと思われ、そのため小ヤコブはイエスの兄弟 (実際は従兄弟) と呼ばれていました

<参照>
 聖家族の系図(黄金伝説など聖書外典 偽典、これらと独自聖書考察による系図)

   b) ヤコブ家庭とザカリヤ家庭


 真の家庭と世界平和



 ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1・31)ガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかない当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」(ルカ1・38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。(『真の家庭と世界平和』 p134;「救いの摂理史の原理観」より)

 イエス様はザカリヤの家庭で懐胎しました。エリサベツとマリヤの間柄は、母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子一体になれなかったのを国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。
 歴史以来、初めて神の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。(『真の家庭と世界平和』 p135;「救いの摂理史の原理観」より)


 ヤコブの家庭において、ヤコブから愛される妹ラケルを目の前にしながら、先に妻となった姉のレアは妹が妻として入る以前からすれば、ヤコブからの愛の減少感を感じずにはいられなかったであろうその立場は、子を身籠る関係はなかったとしても、それは明らかでした。妻としてヤコブの目が向けられていたのは何時も妹ラケル方だったのです。
 これは天使長ルーシェルが、アダムが誕生してから、神の愛が自分からアダムの方に変わったことで愛の減少感を感じたことから、エバを誘惑し堕落させた霊的堕落と同じ立場に立つところのレアでしたが、天使長ルーシェルの神に反逆してエバを堕落させた事とは全く正反対に、愛の減少感を感じれば感じるほど、神を愛し賛美してヤコブの子を身籠っていったのです。(「ヤコブの母リベカと妻レア」参照)
 この様にして誕生したレアの4番目の息子ユダと父ヤコブが一体となった後、長男の嫁であったタマルは、夫が死んでしまったために、その血統を宿すことができませんでした。レビラト婚が結婚の慣習としてあったため、タマルはその兄弟との間で子を儲けようとしますが、次男は拒否し、三男は歳若く難しかったのです。そこでタマルは死を覚悟して父ユダと関係して子を身籠りました。この時、胎内でカインとアベルの立場が転換され、“神の祝福” を “長子の嗣業” としてアベル (次男=肉的堕落としての子) の立場のものが受け継げるようになったのです。(「ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理」参照)
 さて、アダムとエバは兄妹として誕生して、そこに天使長ルーシェルがいました。アダムはエバの夫、エバはアダムの妻となる関係でした。そこで堕落が起きたのです。
 堕落論によれば、エバと天使長ルーシェルとの間で堕落したのが第一の堕落であり、これを霊的堕落と言い、その立場に置かれたのが長子エサウ。アダムとエバとの間で堕落したのが第二の堕落で、肉的堕落であったとして、その立場に弟アベルを立てました。
 第一の堕落である霊的堕落では、天使長ルーシェルはエバを誘惑し、知的に惑わしてその主管下に置き堕落させました。この事の蕩減復帰として、ザカリヤはおしとなって言葉を発することができず、子を宿せないことに悩んでいたエリサベツは “子を宿す” と御告げを受け、自ら積極的にザカリヤと関係してヨハネを身籠りました。またザカリヤの立場は、二枚舌でエバを誘惑した悪の天使長ルーシェルとは正反対に、ものが言えず神の僕として従うしかない善の天使長の立場に立っていました。その様な状況下で、ザカリヤの長子(カイン)としてヨハネが生まれたのです。
 次に、第二の堕落である肉的堕落でエバは、罪を犯したことによる恐怖心から逃れようとしてアダムを誘惑し、堕落させました

   c) エバの “良心の呵責” による結果としての “霊的死”

 もしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰節理は不可能である。では、このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである。(原理講論」p52)
 エバは天使との霊的な堕落によって受けた良心の呵責からくる恐怖心と、自分の原理的な相対者が天使長ではなくアダムであるということを悟る、新しい知恵を受けるようになったのである。(「原理講論」p110)
 罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。その罪を分類してみれば、第一に原罪というものがあるが、これは人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪は、すべての罪の根となるのである。(「原理講論」p121)
 この死は肉身の寿命が切れる死を意味するのではなく、神の愛の懐を離れて、サタンの主管圏内に落ちこんだことを意味する死のことなのである。(「原理講論」p208〜p209)


 エバは堕落前、神とのみ対応していましたが、堕落することによってサタンと対応するようになったエバの心は、神と授受作用する良心と、それとは相反するサタンと授受作用する邪心を持つ矛盾した状態に陥ったのです。しかし、未完成であった神との授受の関係に反して、エバが結んだサタンとの堕落の関係は完全な授受の関係を築き、エバの邪心はその良心を覆い圧力となってしまったのです。そのため、エバの良心は強烈な呵責を覚えたのです。
 ここでの良心の呵責” とは邪心の圧力によるものではなく、良心自身の自責の念によるもので、良心を貫いて行動に至らなかった自責の念と言えます
 そこで、エバはこの良心の呵責から逃れようとして、邪心より得られた知恵に従ってアダムと関係を結んだのです。これが、肉的堕落となってエバの良心は邪心の虜 (霊的死の状態) となり、アダムはエバに振り回される (主管される) 関係に陥ったのです
 本来であるならば、良心の呵責に駆られたエバは、自らを反省し悔い改めることによって良心の主体である神との関係に立ち返ることができたならば、恐怖心が解けてアダムとの肉的堕落もなかったことでしょう。また、エバは邪心から来る誘惑を断切っていけば、エバ自身もそこか救われるときが来るはずでした。しかし、アダムまで堕落したために、堕落からの復帰は極めて困難なものとなったのです。

<参照>
 「呵責」

   d) エリサベツから立場を変えたマリヤとヨセフ

 さて、第一の堕落である霊的堕落では、天使長ルーシェルは神の愛の減少感によってアダムに対して嫉妬心を持ったことから、エバと不倫なる霊的性関係を結んで堕落しました。第二の堕落である肉的堕落では、エバは良心の呵責からくる恐怖心から逃れようと、アダムを騙して肉的性関係を結んで堕落したのです。
 ここで、ザカリヤの家庭で起きた出来事を当てはめてみると、エリサベツの子ヨハネは、「メシヤののみまえに先立って行き、その道を備える者」 として生まれ、マリヤの子イエスは 「メシヤ」 として誕生します。つまり、“篤実な信仰者で経験豊かなエリサベツ” の嫡子であるヨハネが、まだ “うら若い未婚のマリヤ” に庶子として生まれるイエスのために仕えなければならないこと、ましてイエスは “王の王” として最も神から祝福された立場で誕生するという事実は、エリサベツにとって神の愛の減少感を感じずにはいられない立場のはずです。その様な立場のエリサベツは、わざわざ自分の夫ザカリヤの所に自ら招いて関係を持たせるのですから、愛の減少感などは微塵も無かったと言えます。一方のマリヤは、当時のユダヤの常識では死を免れないことを知りながら、エリサベツの招きに身を委ねて、ザカリヤのところに入って関係を持つのです。これらのことは、エリサベツとマリヤのとった行動を人類始祖エバに置き換えてみると、全く真逆の内容が行なわれたことになります。
 ここで、ヤコブの家庭との違いは、マリヤには許嫁のヨセフが存在していたことです。このヨセフの存在がアダムとエバの堕落に関わった天使長ルーシェルの立場を代理させることによって、マリヤから産まれてくるイエスが無原罪の子として誕生する重要なポイントとなるのです。
故に、ヨセフはマリヤとイエスに使いはしても、絶対にマリヤと結婚してはならない立場でした。
 ヤコブの家庭で、父ヤコブとその子ユダが一体となった立場で摂理されたように、エリサベツとマリヤが一体となって行われたこれらの行為は、アダムとエバと天使長ルーシェルの三者で堕落したなことを、ザカリヤ、一体となったエリサベツとマリヤ、そしてヨセフの三者で蕩減復帰した立場に立ちます。このことから、文鮮明先生が、「祝福」 には “信仰の霊の子女3人” は絶対必要であると言われたことや、祝福後行われた “三日行事” は、これらのことを象徴する重要な内容だったと言えます。

<参照>
 祝福の聖約(The Covenant of the Blessing)」 (Rev. Hyung Jin Moon 2015/4/21 : PDF <「三日行事について」を参照ください>)



 (2) メシヤを迎えるために準備された霊的集団

  @ ユダヤの「エッセネ派」と再臨摂理のために準備された団体「腹中教」

 文鮮明先生の日本語による御言集 3



 心霊的に天から愛を中心として導く団体があると共に、法的に真理を中心として導いた準備団体があったんだ。彼らと皆抱き合って統合してやったら、簡単だ。彼らの信仰は素晴らしいものである。今の君たちにその内容を言うというと、「ああ、そんなことがあり得るか」という、夢みたいな天的命令を受けてやっていた。
 それでもう、韓国のほうでは、再臨の主が来ることは皆忘れている。既成教会で待っていた、雲に乗って来られるイエス様は絶対来ない。ところが、その準備された団体では、イエス様が来ることは、皆知っているんだ。人の腹を通して、女の腹を通して地上に生まれる。韓国に生まれる。そして背の高さはどれくらい、みんなわかっている。それから、昔イエス様はこの地上に来られてね、ヨセフの家庭に生まれて、私生児の立場にある。だからヨセフとイエス様の関係はないね。本当はイエス様の、内心の悲しみは誰も知らないというんだね。もしも特別な名節が来たならば、ヨセフは、イエス様の弟たちには、いい着物を着せてやる。しかし、イエス様は食べ物も食べたければ、自由に食べれるような自由な関係でなかったんだね。着る物も人より以上の物も着たかったんだけれども、着れなかったんだね。自分一人で内心で、日影の下で天に祈りつつ、ヨセフの大工の見習いとして助手をしながら毎日を過ごしたわけなんだ。それは神のほうから見ても、イエス様自体から見ても、この地上に人間として生まれて来て、本当は神の栄光の中で、数多くの民族の讃える栄光の立場に立って生活していくべき使命の中心として来たにもかかわらず、それが反対になったというのは、霊界のイエス様においては、恨みになっている。そういうすべてを、地上においてイエス様の願いをみんな解き放たなければ、地上の平安の基盤が造れない。メシヤとして遣わされたイエス様が、馬小屋で生まれて、惨めな十字架の道に逝かれたということは、これは皆の恥だよ。それすべてが神の悲しい出来事であり、イエス様自身においても、神の独り子として来られたのに、人類歴史上、最も悲しいこととなってしまった。それらをみんな蕩減条件として立たせるために、それにみんな合わせて摂理がなされた。それで、啓示によれば、「イエス様が生まれてから三十三歳までの、世界的な最高の衣を作れ」。そのため、一歳の子供の当時の衣を作るんだね。二歳、三歳、四歳、二十歳、三十歳、三十三歳まで、地上で生活するために必要な衣を作る。「三日に衣を一着ずつ、新しい衣を着替えて三十三年の間着るような着物を作れ」と。作るには、ミシンでこうやるんじゃないよ。着物を縫う綿の糸があるでしょ。一回に針先が三つ以上越えたらいけない。それをやるには、体を清めて一人で、真心込めて、電灯も一番最高の電灯を買ってこなければならない。部屋も新しい所でやる。それはそうならざるを得ないでしょ。天の王子であるイエス様の価値をわかって衣を作るとすれば、今まで歴史上に数多くの栄光の基準で生きていた、その人より以上の価値の基準でなければならない。そうでなければ王の王の価値にならないというんだね。神の位置がなくなる。それはそうでしょ。だから、世界はまだそういう環境になっていないから、人類の代わりとして、その環境を整え、真心を込めて、それ以上の価値の基準を造れと、そういう命令を受けて作るわけだ。作る時には便所に行ったらいけない。だから断食するんだね。食物があろうと、出る物があるからと、初めはそいういう訓練をなして衣を作る。トラック何台分になるほどの衣を作ったわけですね。みんな教えてやる。韓国の人から生まれて来るには、背の寸法はどれくらいであろう、格好はどれくらいか、それをみんな啓示で教えてやったんだね。
 しかしその啓示を受ける人によっても、5パーセントの条件があるんだよ。はっきりわからない。ある時はこういうことを言うんだね。我々団体としてすべての団体の幹部が集まらないとしても集まらざるを得ないという啓示を受ける。どういうことなのか。共産党や反発的な右翼も入っている時なんだね。先生はその時は平壌をのこのこ訪ねて行くんだよ。天の意味があるからね。それで、1946年の7月にどういう問題があったかというと、この団体の啓示を受ける人は、男じゃないよ、女だよ。その女はあらゆる啓示を受けて準備している。数多くの信徒たちはあらゆる真を尽くして準備したわけなんだ。「第二次戦争が終ると共に再臨の主は現れる」。それは約束である。「来られたら、これから世界の道が開ける」。これは約束だからね。戦争が終るのを待ちに待ったんだ。ところが戦争が終るというと、共産党が入ってきて、そのようになると思わなかったな。約束した人と会うとしても、会えないかもしれない。だから、それだけ真を尽くして準備せよ。そのように準備して待ちに待っておったんだね。
 1946年の7月に共産党たちがどういう計画をしたかというと、宗教団体を弾圧しなければならない。そりゃもう反対だからね。それに自分のほうに立って援助する者はそのままにしておいて、それに反対する者は弾圧した。しかしこの団体はね、数多くの信徒たちのすべての財産を集めて、こういうような衣を作り出し、家もね、100室、99室の、平壌で一番大きい家を買ったんだ。それから、現世における最高の文明生活のあらゆる家具とかね、あらゆる物。時計もね、スイス製の最高の時計や各国の時計で60、70ぐらい。時計でさえそのくらい命令で準備しているんだからね。それに比例して洋服なんか、三日に一着くらい着替えるような準備をしている。それで全財産を総動員して、作らせたね。それが共産党の狙いの的になったんだね。何故かというと、何も知らない信徒たち、無知なる信徒たちを誘い合って、そしてみんな財産を奪い取って、自分一人の目的、欲望とかのために奪い取ったとして、それが問題となってね、引っ張られた。そのとき幹部たちは全部引っ張られた。そういうようになっちゃったんだ。
 先生はその年の6月に平壌へ行ったんだな。天の命令によって平壌に行った。そして先生が他の所で集会をしておったんだ。それが噂になって先生も呼ばれてそこへ行ったんだ。それは神の摂理である。そして彼らを皆集めた。その女教祖の夫がおるんですよ。その男が女に対して毎朝、起きたら礼をするんだね。ひざまずいてね。そして誰よりも先頭になって、それはそうせざるを得ないよ。話したら100パーセント合うんだからね。君たちはそこまでわからないが、詳しく説明したら原理的見地から見たら面白いよ。そういうふうに準備しておった団体だね
 そういう事件によって先生も共産圏内に入って、そういう集会を開いているんだから、呼ばれて、8月11日に先生は引っ張られていった。それで誰の部屋に入るかというと、その旦那さんの部屋に入る。入る時は先生は皆わかったよ。「君たちが何故ここに入ったか、わかった。君たちの教会で、今まで教えられていたすべての未解決の問題があったら、私に言ってくれ」。
 その晩にその男はみんな啓示を受けて、その朝になったら先生にお礼をするんだね。しかし牢屋の組織はそうなっていないんだよ。新しく入った人は、便器の横に座るのが規則になっているんだよ。その人は一ヶ月以上前に入ったんだから、監房長になっているんだよ。それで、彼らは今までずっと啓示を受けてね。自分たちが何故そのように教えられたかということが、わからないんだね。で、先生がズーッと説明してやる。「天的に見たら、それはこうこうだ」と教えてやる。しかし、説明してもわからない。それで先生がそこへ入ったのは、彼らに会わなきゃならない。天のほうから約束しているんだからね。そういう因縁でもって、韓国に『春香伝』という小説があるんですね。男と女とが、牢屋で会う。郡守が、その女を自分の権力でもって奪い取ろうとするわけだ。そして聞かないんだからね、牢屋へ入れて、あらゆる拷問をするんだね。それで、「科挙」というのがあったんだね。現代で言えば「高等文官試験」だね。それに合格してね。地方の監督官の使命をずっとやる。悪い責任者たちを摘発するような使命を持って帰ってきて、牢屋を訪ねるわけだね。そこで男と女が会うという、韓国の民族性を代表した小説なんです。
 そういう基準でもって教えて来た。自分もそれと同じように、主様と会うのに普通の所で会うんじゃない。牢屋の中で会うんだ。しかし牢屋の中で会うと言ったんだからね、自分が牢屋の中におって、再臨のメシヤが来られて、共産党をみんな引っくり返して救うと思ったんだね。そこへ先生が入って行った。しかし先生として使命を果たさなければならない。彼女も一緒の牢屋に入っているから、連絡しなければならない。それで先生は監房でもって手紙を書いた。あの時、どういう問題が引っ掛かったかというと、共産党が言うには、「自分が今まで啓示を受けたというのは嘘だと、自分の口で言うんだったら、みんな解放してやる。みんな釈放してやる」と言うんだね。しかしその女としてはできない。全部の信者の責任者たちに対しては、「皆、そうであったと言え」という。ところが、自分は、「死んでも言えない」と。それだけ認めれば、みんな釈放してあげるというので、僕は手紙を書いた。「いいから、先生の命令だから、それはよろしい。出るのが問題である」。そういう手紙が行ったんだね。その手紙を書いた青年は誰かも知らないんだけれどね、「君たちはそういう問題に引っ掛かっておるから、私が新しく命令するのを聞いて、君たちが出ても天のほうに引っ掛からないある条件があると思うから、祈ってみて、早く出る方法が利口な方法である」。そういう手紙を書いて連絡したんだね。その時、問題になった。その監房の中には、スパイが多いんだよ。それで問題になって、バーッと打たれて歯が半分割れてしまった。それが9月18日午後2時だね。時間まで覚えているよ。それで彼女は受け取っても、「そういうことはあるか」と。今まで天のほうから受けたのを否認せよということには、見向きもしないんだね。それで彼らはみんな15年の刑を受けて刑務所へ行った。先生はその時、103日間入っておったんだね。それから彼らの幹部たちは共産党によって殺されて、皆死んじゃった。だから責任者の使命ということは恐ろしい。
 彼らに言わせれば、「もしも神様が、我らの目的を達成してくれなかったら、自分たちは天に行って神様に抗議する。自分たちは、あらゆる忠誠心を持っていた。だから神様は我々を捨てることができないでしょう。誰よりも我々を信じて我々の願いを果たしてくれる神様に違いない」と。それは5パーセントがわからないんだね。5パーセントの使命ができなかったら、全体的問題が引っくり返るということがわからないんだね。5パーセントという人間としてやるべき使命、それを果たし得なかったんだから、それを中心としたすべての団体がみんな破れてしまった。(『文鮮明先生の日本語による御言集 3』 p289〜p295 「早成寮での御言」 1965年10月8日、東京・早成寮。“早成寮”は、早稲田大学原研寮“成和寮”に来られた真の御父様が命名された)


   a) 白衣教団エッセネ派

 ・ 「エッセネとゼーロータイ(熱心党)」(PDF;これは、下記の<参照>「エッセネ(ESsene)とゼーロータイ(Zelotai)」を書直したものです。ここでは、この内容を基にしてあります。)

    (@)白衣を纏う禁慾的脱世間の平和主義的集団

 1947年にヨルダン川西岸地区で発見された 「死海文書」 から、それを記したグループはクムラン教団と呼ばれていて、それはエルサレムのパリサイ派から分派したエッセネ派であるとも言われています。このグループは一様に粗末な白衣を身に纏って完全な共同生活を成していました。この白衣は、入門を許されたものに与えられる白衣” と “腰紐” だったのです。
 また、完全な共同生活とは、衣食住すべてにおいて共同であり禁欲であったことを意味しています。それは、一つの出納所信者の私有財産を投げ出して皆の共同資産とたことと、それを共同の支弁としたことです。それは、「敬虔な心こそ真実の犠牲」 とした“神に対する畏敬”によるものでした。神の創造した自然は母の如く、全ての人を同じように産み育くみ、純粋な兄弟としての平和主義であり、絶対非戦主義だったのです。

<参照>
 ・ エッセネ(ESsene)とゼーロータイ(Zelotai) (古代オリエント研究者、杉田六一 / PDF本サイト

   b) 同時性を成す腹中教

    (@)朝鮮民族はかつて「白衣民族」と言われていた

 朝鮮民族の別称として白衣民族という言葉があります。朝鮮民族は始祖王・檀君の子孫であり天孫降臨の民族であったとして、“白は輝きであり輝くは太陽である” としています。太陽崇拝の民族は、古代エジプトにせよバビロンにせよ白色を神聖視し、あえてそれを好んで身に着けていました。古代の朝鮮民族もまたそうであり、そもそも朝鮮語の白を表す 「フィダ」 の 「フィ」 はまさに太陽を指す 「ヘ」 を語源とする言葉なのです。
 長い歴史の中で、朝鮮民族は仏教や儒教のような外来の文化を受容しながらも、檀君の子孫であることの尊厳と誇りを持ち続けました。白色はこの民族の原色であり、時間と空間を超越して継承された民族共有のシンボルカラーだったのです。
 また、白色は出産と瑞気の象徴でもありました。朝鮮の建国神話は、高句麗の朱蒙神話であれ、新羅の朴赫居世金閼智神話であれ、その誕生はほとんど白色の瑞気とかかわっています。白馬が現れ白色の瑞気が立ち込める所に神々は生まれます。朝鮮には白頭山、太白山、小白山など白のつく名山が多く、河の中にも白馬江や白村江があります。これは、名山や名江に神々が降りると信じられたためです。
 白色は神聖であることから、清廉、潔白、忠節の心に通じるものと朝鮮人は考えていました。そのため、儒者たちは仙人が着る白い道服を身につけ、漢詩や時調では白い梅花、白鷺を好んで詠んだのです。白馬にまたがった白装束の将軍は新羅の名将・金ユ信の雄姿であり、白衣従軍の姿は朝鮮王朝の海将・李舜臣の名をとどろかせた忠臣、英雄の容貌でした。

    (A)腹中教における再臨主を迎えるための共同生活

 エッセネ派のメシヤ思想と同じように、日本統治時代の朝鮮において、メシヤ思想を有する神霊教団がありました。それは、金聖道氏の聖主教でした。金聖道氏は天から多くの教えを受けました。韓国解放の正確な日を聞きました。再臨主が肉身をもった人間として、韓国に来るであろうということも聞きました。さらにまた、主によって韓国が特権をもった国になり、韓国によって全世界が神様に復帰されるということを知りました
 このことによってすべての既成教会が、彼らを迫害し始めたのです。それは、日本人の圧迫が最もひどい時だったのです。しばらくすると、“日本人が滅びるようになるだろう” と啓示を受けたのです。そのことが牧師たちの耳に入ると、牧師たちはこの集団を滅亡させようとして、日本政府の官吏の所に行き、そのことを話してしまうのです。その牧師たちの告発によって、その老いた婦人 (金聖道) は投獄されてしまいます。彼女はむごい拷問を受け、釈放後に死んでしまいます。
 その後、金女史の仕事を受け継ぐことになった許孝彬氏は、自分が主だと証するのでなく、主の新婦だと言って、主を生むと言うのです。啓示にによって、腹中を通して主が生まれると言ったことから、この集団を 「腹中教」 と言ったのです。「腹中教」 という名前は、自分たちでつけたのではなく、その時のうわさによって作られた名称です。
 彼らは、金女史を引き継ぐこの仕事が “神様の真の摂理” として信じながら、熱烈に祈祷したのです。その時イエス様が彼女に現れると、この夫婦 (許孝彬氏の夫は李一徳氏) に啓示を下ろし始めたのです。イエス様は彼らに、どんな境遇にあってもすべての困難に耐え抜いて、自分のみ旨に奉じることを頼んだのです。彼らは、「イエス様が幼い時から33歳の時まで着る服を作れ」 という啓示を受けたのです。それを成し終えると、「来られる主のための服を作れ」 というみ言を受けたのです。彼らは、「その主の服を作るにはもっと多くの精誠を込めよ」 という啓示を受けました
 すべての摂理が、エバの役事を中心とした歴史時代のすべての摂理と連結させた因縁を中心として出てくるのです。それゆえ、金聖道氏の代を許孝彬氏が継いで、許孝彬氏の娘が主を迎えるように準備されました。
 また彼女は、「日本が1945年8月15日、陰暦では7月7日に降伏する」 と証言しました。彼女は、天から受けた内容を公然と話して、その如く実現されたために、弟子たちは彼女に従わざるを得ませんでした。その様にして、彼らは解放の日を迎えたのです。彼らはまた、「日本が滅亡する時、お前たちは再臨主に会うだろう」 という啓示を受けました。しかも、彼らは相変わらず既成教会から迫害を受け続けたのです。
 その様な状況下で、1946年7月に共産党の宗教弾圧政策によって、教団幹部が信者を搾取したとして連行されました。文先生は8月11日に連行されると、夫の李一徳氏と同じ部屋に入ったのです。そこで文先生は手紙を書いて、夫を通じて許孝彬氏に渡しました。手紙の内容は、「自分が今まで啓示を受けたというのは嘘だと言って、牢屋から出なさい」 と言うものでしたが、許孝彬氏は、「死んでも言えない」 として9月18日午後2時、15年の刑を受けて刑務所入りとなってしまうのです。その後、腹中教の幹部たちは共産党によって皆殺されてしまうのです。
 さて、ここで注意しなければならないことは、白衣民族としての朝鮮民族の中でも、イエス様と再臨主の服 (白衣) を作って準備せよと言う啓示を受けたことはもちろんですが、メシヤによってローマからの解放され、世界の平和をもたらす 「メシア時代」 を希求した平和主義集団としてのエッセネ派のように、再臨主の到来によって、日本の植民地支配から解放され、韓国が特権をもった国となり全世界が神様に復帰されることを願った神霊教団は、摂理的に重なり合う存在です。

<参照>
 〈朝鮮歴史民俗の旅〉 白衣(2)
 第一節 解放を前後した摂理的基台 一九四五・八・一五 前後
 1945年当時の洗礼ヨハネ型人物



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