明かされたカバラ
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■ 2. 現実の認知
     c. 形状の同等性の法則


 この外側に存在するもの、エゴの非主観的状態の中には、客観的現実であり、カバリストが “授与する意思” と言うものです。
 授与する意思とは、無条件の利他主義のことです。言い換えると、外側での体験とは無限の存在と無制限の喜びと幸せです
 しかし、そこに到達する手段が無いためこれを感じることはできません。本当でしょうか? 霊的な世界には、物質界とは違う特質が存在します。物質界において動くことは完全に機械的です。つまり、形状と目的の違う2つの物体を手に取り機械的に近づけ、ここには近さがあると言えます。しかし、霊的な世界における近さとは、全く違う条件を要します。時間も空間もなく機械的なものが存在しないためです。カバリストは、霊的な世界を構成するものは、感覚状態と内的な特質に関係する勢力範囲であると伝えます。
 また、霊的な世界のすべての動きは2つの特質、または、感覚状態の相違または相似から生じます。それを友情に置き換えて説明すると、もし、私の友達がコメディが好きでそれを楽しんでいるのに、私が真面目でコメディに興味がないとしたら、私達が親友になる可能性はとても低いと言えます。もし私がコメディを嫌いなら、私達は離れているとみなされますが、もしコメディが好きで、友達と同じ漫才師と、彼らの演出する映画が好きなら、コメディが好きと言うことに関して、友達と私は感覚的に近いことになります。
 言い換えると、霊的な世界において2つの特質と感覚が類似しているなら近いとみなされ、相違しているなら距離があるとみなすのです。しかし、これは私達にとって最も美しく貴重なことで、実に私達を身体性からスピリチュアリティーに至らせることです。つまり、もしそれらに全く同じ特質と目的と意図があるなら、それらは同一で、結合しあって繋がっているのです。そして、「形状の同等性の法則」と呼ばれるこの法則は、私達の分離した利己的な状態から、もう一つの感覚を発達させて外に存在するものを感じさせるのです。私達に必要なことは、自分の内側に類似した周波数、類似した性質、授与する性質を持つ、違う感覚を発達させる事です。まだ私達には、それを簡単に感知することはできませんが、カバリストは、現実の中に存在するものは2つしかないと伝えます。
 クリエイター(創造主)と被造物だけです。
 私達の感知する全てのものは、単にクリエイターの特性と被造物の特性です。クリエイターは上層世界で、被造物は下層世界ですクリエイターの特性は “授与する意思”。被造物の特性は “受取る意思。存在するものはこれだけです。
 箱の外側に出ることは、スピリチュアリティーの空間に移動しなくてはならないことを意味します。スピリチュアリティー空間への移動は、ここ(下層世界)の特性の変化を意味します。つまり、受取る意思と言う被造物の特性が、クリエイターの特性に徐々に類似していくことです
 これらの世界からの降下を通じ全世界が隠されてきた点、これらの世界は、単に受取る意思と授与する意思の比率から成っています。私達は、この世界に降下してきた梯子を登らせる方法は、私達の受取る内的性質、エゴイズム、自己の為に取得する欲望を変化させ、取得ではない、授与する意思の比率を徐々に増やすことです。
 これらの1つ1つの状態、梯子の段は、受取る意思に比べて増えていく、授与する意思の割合です。この類似性を拡大することにより、授与の性質が実際に何で在るかを感じれるようになることにより、存在するもの全てを愛し支えることの意味。自分の内側にその類似性を築くこと、これがカバラの扱う内容です。それは、授与を感じることを可能にし、この特質の類似性を自分の内側に作り上げる方法です
 これが、隠された叡智の鍵に注目しながら、私達が研究していく内容です。




♠ 統一原理との対比



 神(クリエーター)は“授与する意思”であり上層世界に存在し、@ “授与する意思”とは無条件の利他主義であり、永遠の命と制限のない喜びであるとしています。また、前のセッションでは下層世界の被造物の特性はこのA “授与する意思”を受け取ろうとする意志(「受け取る意思」)を本来持ち合わせているため、自己への配慮としてのエゴイズムに対して様々な苦しみ・孤立・困難を経験させることで、霊的世界への新しい願望を生み出し、“受け取る意思の箱を開くとしています。
 さらに、“受け取る意思”の扉が開かれれば開かれる程「授与された(存在)こと」を感じ始め、この特質を自らの内に作り上げていくことをB形状の同等性の法則と呼んでいます。
 これらのことは、『原理講論』では次のように表現されています。
@ “授与する意思”とは無条件の利他主義
 『原理講論(p64〜p69)』によると、人間は神の喜びのための善の対象として創造されました。その関係は、主体である神が愛(万有原力)を授け、その対象である人間はそれを受け、喜びとしての美を返す授受の関係にあるとしている(『原理講論』p50〜p53)。その授受の関係は、親子としての心情的関係であり、何の条件も利害関係も有さないものであるとしている。

A 「苦しみ・孤立・困難」を経験
 なぜ苦しみや困難が生じるのか、『原理講論(p273)』ではそれを“蕩減”と表現しています。
 そもそも人間は堕落による邪心によって本心が拘束された状態になってしまいました。これが時代的恩恵などによって本心が解放されてくると邪心との葛藤が生じます。これが苦しみや困難が生じる原因であり、本心に従おうとすればするほどその苦しみや困難が増大されます。それを乗り越えるために、カバラでは“知識への願望”が生じるとし、『原理講論』では“新しい真理”の登場が必然であるとしています。

B “形状の同等性の法則”
 『原理講論(p42〜p49)』では、ある存在が主体と対象の関係で授受作用するためには、その主体と対象が性相と形状において“似ている”という相似的要因が大前提となります。“形状の同等性”はもちろんですが、人間が神の霊性を感受できる存在であるとするなら、形状面だけではなく、性相面も似ていなくてはならないはずです。人間が神の神性(心情・ロゴス・創造性)”的側面を持ち合わせているのもそのためと言えます。


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