復帰摂理歴史の真実
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■ 第三章 第二節 イエスの30年準備時代と十字架
     a. 洗礼ヨハネと12使徒

1. 洗礼ヨハネ

 (1) なぜヨハネはイエスを不信したのか

  @ 預言者エリヤと洗礼ヨハネ

 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて言った、「悔い改めよ、天国は近づいた」。預言者イザヤによって、
  「荒野で呼ばわる者の声がする、
  『主の道を備えよ、
  その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。
 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。(マタイによる福音書3章1節〜6節)


 彼らは答えた、「その人は毛ごろもを着て、腰に皮の帯を締めていました」。彼は言った、「その人はテシベびとエリヤだ」。(列王紀下1章8節)



  A 一度はイエスを受け入れた

 かつて洗礼ヨハネは、自分は水で洗礼を授けるが、自分のあとから来る人(イエス)は、火と聖霊とによって洗礼を授ける方であり、自分は彼の靴を脱がせてあげる値打ちもないと証言した(マタイ三・11)。そればかりでなく、ヨハネ福音書一章33節から34節を見れば「わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかた(神)が、わたしに言われた、「ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人(キリスト)こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」と言った洗礼ヨハネの告白が記録されている。このように、神は、イエスがメシヤであるということを、洗礼ヨハネに直接教示された。洗礼ヨハネ自身も、またそのように証した。(「原理講論」p199)


 洗礼ヨハネは、その中心が天の方にあったときには、イエスをメシヤと知って証した。けれども、彼から霊的な摂理が切れて、人間洗礼ヨハネに立ち戻るや、彼の無知は、一層イエスに対する不信を引き起こすようになったのである。(「原理講論」p200〜p201)



  B ヘロディアの娘(サロメ)に斬首される

 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデがヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教えを聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝いに、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。(マルコによる福音書6章17節〜28節)


 マルコによる福音書に記された“ヘロデ”とはヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスのことで、イエスが宣教を始めたころのガリラヤの領主でした。ヘロデ大王の死後は3人の息子が父の遺領を分割支配しますが、「王」と名乗ることは許されず領主となったのです。
 ヘロデ・アンティパスはナバテア王国のアレタス4世の娘を最初に妻としていましたが離縁し、異母兄(フィリッポスまたはピリポ)の妻であったヘロディアという女性を妻としました。(ヘロデ朝」系図を参照)そのことが姦淫の罪であると洗礼者ヨハネに指摘され、ヨハネを獄死に追い込むことになりました。
 ところで、ヘロディアはヘロデ大王の孫にあたるため、何れも近親結婚となります。これは、衰退傾向にあるヘロデ家の血統強化、ハスモン家の勢力を借りた政治的圧力、などがこの近親結婚の背景にありました。あったと考えるほうが自然です。古来近親結婚というのは血統重視の王家にあっては常套手段であり、ヘロデ・アンティパスに始まったことではありません。
 更に左図の関係をよく見ると、ヘロデ、ヘロデヤとピリポの関係はダビデ、バテシバとウリヤの関係に酷似しています(「統一王国時代 (上)」参照)。ダビデとヘロデ、バテシバとヘロディア、ウリヤとピリポを重ね合わせると、ダビデとバテシバの子ソロモンの子孫がイエスであることから、ヘロデがヘロディアを妻としたことをヨハネが姦淫の罪と非難したのは、ヨハネがイエスをメシヤではないと思案に暮れていたことを暗示しています。これは、系図によるとソロモンの子孫にヨセフ、ヨセフの子としてイエスが誕生したとされているように、ザカリヤの子ヨハネは、天使が告げたイエスの使命を知らされてはいても、その誕生の秘密(イエスもザカリヤの子であること)は知ることは知る由もなかったのです。
 また、当時のユダヤでは、「マタイによる福音書第1章の4人のふしだらな女性」(「ザカリヤ、マリアとヨセフ」参照)に秘められた神の摂理を忘れていたと考えられます。故に、洗礼ヨハネはソロモンの子孫イエスがメシヤであることを不信し、ヘロディアを妻としたヘロデを非難し斬首されたと言えます。

<参照>
 救世主と呼ばれた男
 絵画鑑賞 超初心者のティツィアーノ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」入門
 ダビデの子

 エデンの園で堕落するときに、天使長を中心としてエバを引っ張っていき、エバを中心としてアダムを引っ張っていったのとは逆に、天使長の代わりの実体である洗礼ヨハネを中心として、ヨハネとヨセフがマリヤの斡旋によって一人の新婦をイエス様の前に取り戻してあげていれば、その新婦を中心としたユダヤ教もイエス様の前に帰ったはずです。そしてユダヤ教を中心としたイスラエルの国も、イエス様の統治圏内に立ち得る国になっていたはずです。
 そのようになっていたら、どうなっていたでしょうか。イエス様と新婦が一つになり得る因縁を結んだならば、エデンの園で天使長とエバとアダムが失敗したことをこの地上で、すなわち平面的な立場で蕩減復帰して、初めて新しい家庭の出現にまみえることができたでしょう。(「イエス様の生涯と愛」p135p〜136)



 (2) らくだの毛ごろもの辿ったルート

   a) キャメルの二つのルートと使徒アンデレの辿ったルート

 キャメルはラクダの毛です。ラクダには一こぶラクダと二こぶラクダの二種類いますが、 一こぶラクダは毛が少なく、しかも太くて短いので利用価値がなく、 衣料用に使われるのは二こぶラクダのものです。
 キャメルの主要生産国は中国、モンゴリア、イラン、アフガニスタン、ロシア、ニュージーランド及びオーストラリアです。

 上記の内容から、キャメル(らくだの毛ごろも)が辿ったルートととして次の二つが考えられます。
 1ルート:エルサレム→イラン→アフガニスタン→中国→ニュージーランド
 2ルート:エルサレム→ロシア→モンゴリア

 1ルートはシルクロードを通って海を渡り、ニュージーランドに辿り着いたコース。2ルートは、ロシアを経由してモンゴリアに辿り着いたコースです。このモンゴリア地域こそが、後に話す「龍の文明」から「黄河文明」を築いた女真族が支配した地域となります。

 使徒アンデレはイエスの十字架後、旧ロシア領の黒海沿岸で伝道したとか、その遺骨が8世紀ごろ、天使の言葉に従ってスコットランドに運ばれて聖堂が建てられたという伝説があり、アンデレがギリシア、ロシア、スコットランドの守護聖人になっている(『完全版 図説 聖書の世界』p228)。

 使徒アンデレが伝道した地域は下記(3ルート)となります。モンゴリアにおける「龍の文明」の発生にはメソポタミア文明との関連が見いだせることなどから、その影響の関わりも考えざるを得ません。また、スコットランドは、清教徒革命が起こったことでも有名です。
 3ルート:エルサレム→ギリシア→旧ロシア領の黒海沿岸

   b) モンゴルについて

 国旗の制定は1949年だが、基本形は独立時にさかのぼる。
 モンゴルの国旗は、赤、青、赤の横三色の左側にソヨンボと呼ばれる古くからモンゴルに伝わるシンボルを配した旗である。
 ソヨンボはかつてモンゴルで使われていた文字で、ソヨンボの意味には色々な説があるが、一説によると、炎(過去・現在・未来の意)、太陽(民族の母の意)、月(民族の父の意)、槍と矢じり(敵の制圧の意)、巴形の二匹の魚(警戒心の意)、左右の長い長方形は国民の団結心の象徴とされる。  現在の国旗1949年は社会主義政権時代に制定されたものだが、当初はソヨンボの上の社会主義を象徴する金星が付いていたが、1992年に外された。
 赤は当初社会主義を象徴する色であったが、現在は自由と発展の賞賛の意味とされる。青は空と地を象徴していてモンゴルやトルコの伝統色でもある。黄色は変わらぬ愛と友好を表すと言われる。

<参照>
 キャメル
 カシミヤ、キャメルヘア、羊毛に関する情報
 世界の国旗・モンゴル



2. 12使徒(前編)

 (1) 筆頭弟子となったペテロ

  @ 「ヨハネの子シモン(ペテロ)」の“ヨハネ”とは誰のことか



 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。(ルカによる福音書6章13節)

1. ペテロ(シモン)
2. ゼベダイの子ヤコブ
3. ヨハネ
4. アンデレ
5. ピリポ
6. バルトロマイ
7. マタイ
8. トマス
9. アルパヨの子ヤコブ
10. タダイ(ユダ)
11. 熱心党のシモン
12. イスカリオテのユダ
 → マッテヤ

<左図参照>
 太字の番号はイエスの親族。タダイは大ヤコブの子で、「ヤコブの子ユダ」と呼ばれた。

 使徒/十二弟子


 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。(ヨハネによる福音書章1章42節)



<参照>
 再々加筆あり、シモン・ペトロ(ペテロ)は、、どのヨハネの子?
 『シモン』『ペテロ』『ケパ』

  A 能力のある者が筆頭弟子となったのではない

 『ユダの福音書』と題されたこの古文書によれば、(イスカリオテの)ユダは十二使徒のなかでもイエスの最高の理解者だったというのである。(『完全版 図説 聖書の世界』p332))



<参照>
 「ユダの福音書」の持つ意味
 “ユダの福音書”― どのようなものか

  B イエスを知らないと3度否定したペテロ

 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。(マタイによる福音書26章69節〜75節)





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