明かされたカバラ
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■ 1.基本的概観
     a. カバラの概観


 カバラには伝授系統というものがあります。真正なカバラについて話します。それは“カバリスト”と呼ばれるカバラを実践する人々の視点からの説明です。
 また、真正なカバラの概要だけでなく、“基本概念”とこの“叡智”を開示させるアプローチの仕方も教えます。なぜなら、それは通常と異なる習得法、考え方感じ方であり、どんなスキルもそうであるように基本をマスターすることが必要であるからです。
 まず、「カバラの概観」から始めます。カバラには“”と、この世界から隠されたものに対する“理解”があり重要と思われています。

 カバラが“隠された科学”と呼ばれる理由に3つあります。


1.カバラを実践するカバリスト達により故意に隠されてきた。

 カバラは四千年前、紀元前1947年〜48年頃にアブラハムが始めました。その時からの二千年間、第二神殿(ソロモンの第二神殿)が破壊された西暦紀元の初頭(70年)までは、カバラは隠されておらず、それは広く教えられていました。

 アブラハムについての話しがあります。彼がテントの入口に座りながら旅人を招き入れ、手厚くもてなす様子についてです。彼が実際にしていた事は、旅人に食事を与えカバラの叡智を教えていたのです。当時の人はカバラを自然に理解することができました。彼らの魂が今と比べて、より純粋であったためです。しかし、西暦紀元の初頭に、神殿が破壊されてから、人々にあることが起き、それ以後の二千年間は、誰もカバ ラを理解することができなくなりました。そして、その時に宗教が生まれたのです。その時に、この世界の働きについての憶測が現れ、宇宙や創造主が何であるかなどの想像が、ある法則に従って膨張し、人間は、その最前線にまで発達しました。 そして、人間のこの特質が、カバラの理解を阻止して、カバリスト達はカバラを隠したのでした。

 しかし、依然としてカバラの本はありましたが、真の内容は読者に理解されないように、特別な言葉で書かれていたのです。カバラの全書物は「枝の言葉」と呼ばれる、この世界の言葉を使う言語で書かれています。たとえば、物体、コップ、本、机、家族、旅、戦いなどモーセ五書や、他のカバラの書籍に記された言葉で、この世界の言葉を指 しているものは一つもありません。それらの言葉は、世界に存在するものを創造して維持している“上層の力に ついて言及しているものです。カバリストは本当の内容を、特別な言葉を使って表現し、ある程度の叡智を会得した生徒にしかそれを理解することはできませんでした。

 ここで知っておかなければならないことは、私たちの住むこの世界とは「原因の世界」ではなくて、「結果の世界」と言う事です。つまり、私たちがこの世界で何をしようが、上層世界に影響を及ぼすことはないと言うことです。そこには、私たちの根源があり、この世界に存在する万物は全てその根源から下降されてきたものです。物理的な 行為で上層世界に影響を及ぼすことはなく、こうした理由から、この世界で人間がするどんな問題解決策も、その結果に対して何の効果も無いのです。物事の原因レベルにある根源に繋がらないかぎり、この世界に効果を及ぼすことは出来ません。そして、その繋がりを可能にするのがカバラの扱う内容です
 私たちの現実の実体像は、言わば上層と下層に世界が存在するように構築されています。「枝の言葉は下層 の世界に存在するものを指しています。それが指すもの、たとえば「家族」という言葉ならトーラー(モーセ五書)に も書かれています。トーラーはユダヤ人の物語のようです。ある家族が、ある土地へ移動したことについて書かれています。しかし、カバリストは全くそのことについて言及しているのではありません。彼らは、それらを創造および発生させる抽象的な上層の世界につてい言及しているのです。そして、賢い生徒だけが、上層世界で何が生じているのかを理解します。

 ここが枝(Branch)のレベル。
 ここが根(Root)のレベル。

 人が、「枝の言葉」と呼ばれる言語の鍵を理解して、その読み方を学ばない限り、どんな物事も、この世界に存在するものとしてしか見なし続ける以外ありません。

 カバラが隠された2つの理由の結果、そして、真正な伝授系統の方法論に触れる機会がなかったということから、人々にはカバラを知りたいという欲求がありました。しかし、彼らは空想して話しを作り、理解可能な事柄だけに従うしか仕方がありませんでした。正しい教えも、その理解を可能にする適正な内面性を持たないまま、こうした理由 で、多くの神話ができたのです。これについては、カバラの他の基礎概念の説明の時にもっと詳しく説明しますが、2つの主要な誤解をあげると、カバラが“ユダヤの神秘主義”であるというものです。それは、宗教でも、神秘主義でもありません。カバラは宗教に先行する叡智”です。宗教とは上層の力と分断されたことの現象です。宗教はカバラに対する誤解と憶測です。たとえカバラとの形式的類似性があっても、それは単にカバリストが私達が聖典とみなすハラーハーなどの書物を作ったからです。私達の伝統などもそれに由来します。しかし、それらの目的や 意味など、聖典の書かれた本当の理由と本当の内容について、私達はほとんど理解していません。よって、カバラ とユダヤ教の関係は、カバラと記憶喪失のようなことです。




♠ 統一原理との対比



 カバラはエノクの信仰(創世記5章22節)によって天から与えられたものと考えられます。エノクは、アダムから7代目、ノアから3代前(参照:「原理と復帰摂理歴史の再考」)になります。詳細は省きますが、カバラには『原理講論』にある「堕落論」は無く、「創造原理」と「蕩減復帰原理」を合わせた様な内容と考えられます。
 カバラは長子の嗣業として継承され、ノアのような義人を育て上げて洪水審判が挙行されたのです。その後、長子セムに引き継がれ、セム族からは様々な宗教が発祥することとなりました。しかし、長子に引き継がれていったカバラは、アブラハムの孫ヤコブによってイスラエル12氏族が編成されると、カバラはその中の第4子であるユダに継承され(参照:「ユダの覚悟と十戒」)、モーセ以降ユダヤ教として発展していくようになります。
 さて、このセクションでは、カバラは“上層の力”との繋がりを可能にすることであるとしています。“上層の力”とは宇宙を創造し維持しているエネルギーのことを言い、神による“万有原力”(参照:「再創造摂理と復帰摂理の分岐点」)を表しています


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