復帰摂理歴史の真実

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■ 4. 南北王朝分立と神の摂理
     a. 分立摂理とその変更


BC.931
 「北朝イスラエル王国」と「南朝ユダ王国」に分裂。

 「北朝イスラエル」 首都:サマリア (10支族)
  ルベン族
  シメオン族
  イッサカル族
  ゼブルン族
  エフライム族
  マナセ族
  ダン族
  ナフタリ族
  ガド族
  アシェル族

 「南朝ユダ」 首都:エルサレム (2支族)
  ユダ族
  ベニヤミン族


 左図のように、各支族毎に領地を区切りまとまって行動をとっていたようです。



BC.722
 北朝イスラエル王国滅亡。
 (首都サマリアがアッシリアによって陥落)


 数々の背信行為により、ついにアッシリアに強制移住、われてわれの身となったのです。しかし、全てのイスラエル人が捕囚となったわけでは無いようで、地位のない貧しい人々はその地に残されたようです。ところが、そこに数多くの異民族が強制移住されてきたのです。



BC.701
 首都エルサレム包囲。

 王「ヒゼキヤ」は「ソロモン神殿」に貼られた黄金をアッシリア軍に差し出す。

 南朝ユダ、偶像崇拝。←イザヤ警告
 (フェニキアの宗教の影響)


 さて、北朝イスラエルが捕囚されるや、南朝ユダも雲行きが怪しくなり、王達が偶像崇拝に走りだします。預言者イザヤが現れえて警告するも虚しく…。



 その頃、アッシリアからバビロニアが台頭してきます。かつてのバベルの塔のあるバビロンがその首都になります。



BC.605
 「バビロン捕囚」

 イスラエルは、新バビロニアの宗教、魔術、思想の影響を受け、占星術や偶像崇拝に手を染めた。


BC.586
 南朝ユダ滅亡。
 (ソロモン神殿破壊)


 ついに、南朝ユダも不信仰の極限を迎え、バビロニアに捕囚されることとなりました。



BC.538
 「アケメネス朝ペルシア」が新バビロニア王国を滅ぼす。
 ペルシアの大王「キロス2世」は、捕囚されたイスラエルの帰還を許した。


BC.515
 ゼルバベルにより、ソロモン神殿再建。
 (ソロモン第2神殿)


 さて、時が変わってバビロニアからペルシアが台頭し、大王キロス2世はイスラエルを帰還させ、ソロモン神殿の再建を言い渡しました。旧約聖書のエズラ記にありますが、預言者エズラにより、内的に刷新され、

 その後、預言者ネヘミヤによって、具体的な国造りが成されましたが、このころまだユダヤはペルシアの支配下にあったのです。

 このまま、ユダヤは様々な異国からの支配を受け続け、メシアを迎える時が来ることになります。

 しかし、ここに北朝イスラエルの10支族の姿はありませんでした。「失われた10支族」となったのです。西に帰還したのではなく、東に逃れたのでした。

(ここまでの画像は、「日本・ユダヤ封印の古代史」「図説 聖書の世界」より掲載させて頂きました。)





摂理の変更と新たな問題


 さて、当初の摂理の予定はイスラエルの民を神の国として立て、そこにメシアを迎えて、列強国を吸収して世界を復帰するのが予定でした、そのための分立して善の競争をさせ、確固たる神の基盤を築くための摂理だったのです。

 しかし、当初の予定とは反対に、イスラエルは不信仰の極みをなし、隣接する列強国に捕囚される結果となってしまったのです。

 挙句の果てには植民地化されることとなってしまいました。

 捕囚されることを通してユダヤの人々は数多くの偶像崇拝と不信仰を悔い改め結束していくのです。

 帰還後も“植民地支配”と言う事で、それを背後に背負わせることで、二度と同じ間違いを起こさないようにされたのです。

 しかし、この悔い改めが次なる問題を引き起こしていくのです。
 それは、“旧約聖書の文字の奴隷”となり、その解釈に“人間の勝手な行き過ぎた解釈”をなして、その事によって支族ごとではなく、その解釈の違いによって分派していくことになるのです。

 これらのことに関しては、次回に述べる事と致します。



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