アダムは、第二の神様の位置に良心を立たせているのです。そして、自分自身を中心としては、絶対的な神様として良心を頂いているのです。分かりましたか? もしも神様が、先に知るとするならば、それは神様の体と同じです。神様が神様御自身のことを知っているのと同じように、神様と一体になったものだというのです。しかし、まだ愛の相対として一体になっていません。分かりましたか?(「はい」)。なぜ、良心が先に分かるようになっているのかというと、良心の相対である肉身は、神様の相対ではないからです。良心を中心として、肉身が相対になっているのです。それが先に一つになって、つなぐようになっています。分かりましたか? 良心を中心として、(良心と)体が一つになって、神様につながるようになっているのです。
神様と一つになっているのではないということは、神様の相対の価値、別個の真理体として立たせるために、神様とは別個の中心の基準があるということです。自己完成というとき、自分を中心として良心と肉身が一つになるのが先です。それが一つにならないと、(肉身が)神様の相対としての良心と一つにはなりません。分かりましたか?(「はい」)。そういう面において、良心は、神様よりも先にすべて分かるのです。そのような立場に立っているので、人間は神様の愛の相対の価値的存在になるのです。分かりましたか? 神様をプラスとして、自分はマイナスとなって、プラスの相対の立場に立つのです。ですから、マイナスはマイナスとして、先に分かるのです。これが重要です。
(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』p82〜p83)
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