■ 第三部 第一章
g. 日本神話に見る復帰摂理
1.
(1)
<参照>
・ 日本神話と中国神話・伝説の比較考察 (長崎大学大学院生産科学研究科 唐更強 : PDF / 本サイト)
@
(A)天照と「助け手」としての補完関係
また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。(創世記 2章18節)
|
<参照>
・ 聖書的な妻 講座:助け手
(B)「助け手」としての “妻” と “母” としての立場
女がその夫、家庭そして家族のために身を捨てることは、男が主君と国とのために身を捨てるのと同様、自発的かつみごとになされた。自己犠牲 self-renunciation ――これがなくては、およそ人生の謎は解けない――は、男が忠義を果たすのと同じく、女の家庭生活の基本だった。女が男の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷ではなかったことと同じである。女性の果たした役割は、「内助」すなわち内側の助けとして認められた。
奉仕のヒエラルキーのもとでは、女は男のために自分を捨て、これによって男は君主のために自分を捨てることができ、主君はそれによって天に従うことができた。
私は、この教えに欠点があることを知っている。
キリスト教の優れた点は、生きとし生ける者それぞれに創造者への直接の責任を要求することに、もっともよく現れている。それにもかかわらず、奉仕の教義――自分を犠牲にして高い目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中で最大であり、彼の使命の神聖な基調であった――に関する限り、武士道は永遠の真理にもとづいていたのである。(『 現代語訳 武士道 』p157〜p158)
|
<参照>
・ 女性はどのようにイメージ化されてきたか (東京工芸大学芸術学部 基礎教育専任 鈴木万里 : PDF / 本サイト)
<結婚の儀式における会話>
・イザナギ |
「あなたの身体はどんなふうにできていますか」。 |
・イザナミ |
「私の身体は、出来上がって出来きらない所が一箇所あります」。 |
・イザナギ |
「私の身体は、出来上がって出来過ぎた所が一箇所あります」。 |
<結婚の失敗>
<参照>
・ 涙道外来
さらに喜びの内容である相似性には、相補性という一面もある。つまり、主体は対象の中に自分に不足している特性を見て喜ぶのである。例えば、男性は女性の中に、自分に不足しているやわらかさや美しさを見て喜ぶのである。
それは第一に、人間は単独では全一者にはなりえず、神の陽性を属性としてもつ男性と、神の陰性を属性としてもつ女性として分立され、両者が合性一体化することによって、神の二性性相の中和の姿に完全に似るように造られたからである。
ところで、この相補性を一種の相似性として見るのは、人間は誰でも、心の潜在意識の中に自己に不足している部分が満たされることを願う映像をもっているので、現実的にその映像どおりの対象に対するとき、不足した部分が実際に満たされ(相補性)、喜びを感じるようになるからである。そのとき、その対象は鑑賞者の心の中にあった映像と同じであるために、その点において相補性は相似性の性格をもつようになるのである。(『統一思想要綱』p420)
|
<参照>
・ イザナミ
・ 天照大神
・ 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、日本神話で有名な大蛇の伝説とは?
・ クシナダヒメ
・ ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理
・ イサク献祭とイサクの家庭
・『原理講論』にないヤコブ家庭摂理
・ 黄河文明と長江文明
・ 中国文明:先史F 新石器時代 その5 中期新石器時代 後編
・ 紅山文化と中国北方文明の起源について(PDF : 1〜3p, 4〜6p, 7〜9p, 10〜13p 分割 / 徐子峰 : 本サイト)
|