復帰摂理歴史の真実

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■ 1. 人間堕落と三位神と偶像崇拝



 この章は日本を理解する上で省くことは出来ない部分であり、復帰摂理歴史を考察するための重要な部分となります。

 「シルクロードは、単に絹を売り、香料を買う貿易の道ではありませんでした。東洋と西洋の人種が出会い、仏教とイスラーム、ユダヤ教、キリスト教が出会う場だったのであり、彼らの互いに異なる文化が混合して新しい文化が誕生する場でした。」 ( 『 「 世界を愛する世界人として 」 文鮮明自叙伝 増補版 』 344ページ )




聖書の“たとえ”とアダム・エバ


 次の4つの聖句をご覧ください。


 @ 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された(創世記 第1章27節)

 A 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた(創世記 第2章7節)

 B また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。(創世記 第2章9節)

 C そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。(創世記 第2章21-22節)


 さて、上記の聖句と原理を重ねあわせてみます。


 1. @の聖句

 原理では、神を「二性性相の神」としています。

 「本陽性と本陰性の中和的主体」としておられる「神のかたちに男と女とに創造された」となります。



 2. Aの聖句

 命の息

 これは、原理で言うところの善を指向する本心(性相的)」であり良心(形状的)」である人間(として)の心」です

 原理には「良心」につてこの様に説明されています。

 「良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである」

 つまり、良心の主体は神であり、神を主体として授受作用する時、良心のとして作用すると言っています。

 しかし、原理ではこの様にも言っています。

 「堕落人間は善の絶対的な基準を知らず、良心の絶対的な基準をも立てることができないので、善の基準を異にするに従って、良心の基準も異なるものとなり、良心を主張する人達の間にも、しばしば闘争が起こるようになる」と。

 堕落することによって、神の絶対的な基準を失ってしまった人間は、その穴を埋めるべく膨大な時間と広範な経験を要しなければならなくなってしまったので、その為に引き起こされる闘争は、この様な良心の作用があればこそ必然的に生じるものだとしています。

 原理の冒頭にはこの様に記されています。

 「人間は、何人といえども、不幸をしりぞけて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人の些細な出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ等しく幸福になろうとする生の表現に他ならないのである」

 また、み言葉には、良心は両親に優る良心は先生に優る良心は神様に優る とあります。



 3. 先にBの聖句

 あばら骨は男女どちらも12対24本で、欠けても、切り取られても骨膜が残されているならば再生して元どうりになる特徴を有しています。(参考

 脊椎と胸骨の間にそれぞれ12対あるアダムのあばら骨一つを取って、ひとりの女(エバ)を造られたと表現されたのは、アダムのあばら骨はアダム自身で再生しますが、エバの対となるあばら骨はアダムのあばら骨の対として再生される事を意味しています

 つまり、エバはアダムの対対象)としてアダムを主体として創造されたことを意味します。

 さて、創世記15章9節にこの様にあります。

 「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」と神がアブラハムに命じた箇所があります。

 “山ばと”と“家ばとのひな”はになり、“雌やぎ”と“雄羊”もになりますが、“雌牛”にはそのがありません。

 は、一頭では生きられない動物であることを象徴しています。

 つまり、その祭壇に雌牛と対になって並んで供えられる牡牛がいなければならないこと暗示しています。原理ではこの牡牛に相当するのが後に来られるメシヤとして、雌牛をメシヤの花嫁を象徴する表示体としています。



 原理では、を次のように定義しています。

 「まさしく、あらゆる存在の第一原因として、これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない。存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである」
 「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として、すべての存在者の第一原因であられる」
 「神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神をと呼んで、その各位を表示するのである」

 結論として、「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体(父)としていまし給う」としています。


 さらに、人間に対しては、

 「完成するそのときを仰ぎ見ながら成長していた未完成のアダムの願いであった生命の木」とは、「彼が堕落せずに成長して、神の創造理想を完成した男性になること」として、生命の木をこの様に表しています。

 「生命の木とは、すなわち、創造理想を完成した男性である」と。

 また、そばにあった善悪を知る木創造理想を完成した女性を象徴する」としました。


 つまり、@ 創世記1章27節の聖句は、「目に見えない(無形の神様は、自分のかたちに、目に見える(有形の神としての人を創造し、(神は愛の神で、愛ゆえの二性性相の神であるから、)男と女とに創造されたという事になります。

 創造理想の完成とは、生命の木の「愛の種」が、善悪の知る木に「善の実」として実を結び、その実が繁殖して理想世界を築くことでした。それは、親が子を愛する以上に世界を愛する為に生きる)ことによって、親が子を愛する愛以上の大きな愛が、(神の愛として)愛した世界から返ってくる事を意味していました。

 その愛(神の愛)は直短距離(主体と対象の間を結ぶ線に垂直な最短距離)で降りてくると表現されています。




三位神と偶像崇拝


 アダムの完成を「生命の木」に喩え、エバの完成を「善悪を知る木」に喩えましたが、エバの「善悪を知る木」の善悪はその主体によって決定される事を意味していますが、日本の「紀記」にこの 『 』 に関連しているかのように、神様を 『 』 と表現しています。

 つまり、神様は「人間)」の主人で在られるので「木のぬし)=」としています。

 先に記載しました「カバラ」では「」と言う文字が当てはめられていますが同じ意味です。
 これらの内容は、アブラハム以前からあったものと思われます。もちろん、アダムの頃からか、ノアの頃からかは定かではありません。しかし、ユダヤ教の頃から曖昧となっていた内容かもしれませんが、キリスト教においては「三位一体」をして大激論を展開して分裂を起こしました。

 それは、イエスが十字架で独身のまま霊界に行かれたので、その問題が解決されずに残ってしまったのです。

 しかし、「三位一体」と言う議論がなぜそんなにも重要な内容であったかは明確にされないまま、“イエスは神なのか人間なのか”をテーマとして、一神教のキリスト教がなぜその様な問題で深刻なまでに論争しなければならないのか、また聖霊とはどの様な存在なのかは全く論点にされずに今日まで来ました。

 ところで、原理的な捉え方に一番近いのは、当時キリスト教から異端とされ追い出されたネストリウス派の祖ネストリウスの主張するキリスト論と言えるのかも知れませんから皮肉なものです。




堕落と偶像崇拝

 もちろん、原理では神を父なる神としてだけではなく父母なる神としています。

 ただし、神は人間が創造理想を完成した「生命の木」「善悪を知る木」となった上でその主としての柱となって立たれるのですが、人間が堕落してしまったために、その「」は未完成のまま望みと願望の対象となってしまいました

 つまり、偶像崇拝堕落人間この世の君サタン)をとして自分勝手にを創りあげてしまった自己中心の象徴だったのです。

 だからこそ、神は偶像崇拝を最も戒めてきました。また、そもそも偶像崇拝三神から始まっています。




天地創造の神

 「夕となり、また朝となった。」(創世記第1章)

 「完全なるアダムが造られた場合には、完全なるエバが復帰されるというのです。完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになっています。それは創造の原則です。完全なるマイナスになった場合には、完全なるプラスが生まれてくるようになっています。ですから、世界人類の女性と男性の比重はあまり変わりません。天地の理知によってそうなっています。」 ( 祝福を迎える一日 「 御旨と世界 」 694ページ )


 神様の創造は夕から朝にかけて、夜に創造されました。

 さらに、創造された被造万物は昼に成長し完成します。

 この事から、二性性相の神の本陽性本陰性はそれぞれ、創造の神と摂理の神、峻厳の神と慈悲の神、理性の神と法則の神(理法=ロゴスの神)のようにも表現され、原理では「昼の神」と「夜の神」と表現されました。

 この事から、完全なるプラス(本陽性)が現れた場合には、完全なるマイナス(本陰性)が生まれて、完全なるマイナスが現れた場合、完全なるプラス(この場合エバ)が(概念と構想として)生まれ、そのエバとともにアダムと言う概念と構想が生まれたというのです(左図赤矢印)。

 実際の創造はアダムからエバの順序で成され、完成もアダムの完成からエバが完成すること(四位基台の完成)をもって神様の創造理想の完成を意味していました(左図青矢印)。


 さて、実際の創造は、

第一日光と闇とを分けられた。(創世記第1章3-5節)
第二日、おおぞらの下の水上の水とを分けられた。(創世記第1章6-8節)
第三日、天の下の水を「」と「」とに分けられ、地には全ての植物を種類に従って生えさせた。(創世記1章9-13節)
第四日太陽を造り、を司らせた。(創世記1章14-19節)
第五日水に群がるすべての生き物と鳥とを種類に従って創造された。(創世記1章20-23節)
第六日神のかたちに似せて人間を男と女とに創造され人間のために、家畜と獣とに分けられた。(創世記1章24-25節)
第七日、神は創造された全ての物をご覧になられ、「甚だ良かった」と安息されました。(創世記第2章2-3節)

 とされています。

 分かりやすくすると、次のようになります。

第一日、(夜のは「光あれ」と言われて、夜の神昼の神に別れた
第二日、おおぞらの下の水(「有形実体世界」)と上の水(「無形実体世界」)とを分けられ、下の水()に人間のために地球を創造され、植物を生えさせ(大気で覆われ)た。
第三日、下の水()の地球を「」と「」とに分けられた。
第四日、地球に生き物を創造し、その成長と繁殖のために太陽を造り、太陽にはを、月にはを司らせた。
第五日、海や川に生きる全ての生き物(など)と、とを創造された。
第六日人間を男と女とに創造され、人間のために家畜とに分けられた。
第七日夜の神は創造を終えられ、安息された。

 ここで、六日目に人間をわれわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」として、先に天使界を象徴的に創造され、神様ご自身をも含められた“かたち”にかたどって人間を具体的に創造されたことが分かります。

 そして、人間を祝福されました。

 しかし、人間はこのあと完成せずに堕落してしまったと言うのです。

 さて、ここまでの堕落の話を含めると、ある神話に大変よく類似している事がわかります。

 ここで、全ての被造物は二性性相として、陽性実体陰性実体に創造されていますが、天使界だけはその様に創造されていませんでした。それは人間の完成をみなければならなかったからです。つまり、アダムが完全なプラスとして完成すれば、完全なマイナスとして男天使(以前はサタンでした)が生まれると言うことになりますが、同時に完全なマイナスとして相対に立つエバの完成を待たなければなりません

 エバの完成が完全なプラスとなった時に、完全なマイナスとして女天使長が生まれることになります

 ところで、エバの完成はどこで完成と言えるのでしょうか。神と人間は“親”と“子”の関係です。つまり、エバが完成して“”としての人間が最終的に完成することになるので、アダムとエバの“”が完成して四位基台が完成した時、完全な完成と言えるでしょう。これは、エバが昼の神と一体となり、子が夫婦として神と一体なった時とは言えないでしょうか。


 さて、イエスの十字架で、実体的摂理は失敗に終わりましたが、霊的復活によって霊的摂理が出発しました。

 霊的復活を成して、完全なプラスとなった霊的なイエスは、完全なマイナスとしての聖霊を復帰して、メシヤの再臨のときまで、上図の男天使長に代わる使命をイエスが霊的真の父として、女天使長に代わる使命を聖霊が霊的真の母として、ちょうど旧約時代の最初の摂理を神様自身が摂理されて行かれたように、原始キリスト教としての出発においてはイエスが12弟子を始めとして整えて、聖霊の役事によってローマでキリスト教が国教とされたのです。


 神の復帰摂理は、信仰によってとされた愛の善の実として実を結ぶ摂理を通し、アブラハムの家庭においてはヤコブイスラエルとしての種が宿り、ヤコブを愛したラケルの子であるユダににユダヤ教としてのが与えられ、命をかけて神の血統を守りぬいたタマルの愛によってメシヤ誕生の条件が成立したのです。

 しかし、時はすでに圧倒的なサタンの勢力圏の中で、氏族圏から民族圏を越えて、メシヤ誕生の国家的保護圏を確保しなければならなかったのですが、エジプトでモーセが保護育成されたように、イエスはローマの支配下のもとで誕生する事になったのです。

 しかし、一番身近な保護圏となるべき家庭がそうなることができなかった事が、メシヤ再降臨事における最も重要な課題となってしまいました。

 その為、東洋においては西洋におけるこれまでの不足を補うべく宗教の発展がなされることとなったのです。



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