摂理国家の認識とその誤り |
|||||||
≪ 天使長国家が米国である意味 | <トップ> | 父なる神とアダム国家 ≫ | |||||
1. 原理解釈の誤り
b. エバ国家とカイン・アベル国家 1. 摂理の要となる日本 (1) アダム国家は存在しない @ 基本的な間違い
蕩減復帰摂理における要となるのは堕落したアダムを善悪分立したアベルとカインであって、その中でも次子アベルは神側に立つ善の表示体として、「信仰基台」を復帰して摂理の “中心人物” となるべき重要な立場を担っているとされたのである(赤下線@A)。 これは全くの間違いではないが、アベルとカインはどちらも “エバの堕落の実” であること(青下線@A)を見落とした重大な間違いを犯してしまうこととなってしまった。そのため摂理国家観に支障を来し、復帰摂理を完遂することができなくなってしまったのである。 a)カインとアベルはエバから生まれた 堕落によってアダムは神の御言葉と神の愛を失ってしまった。そのためアダムはエバを愛によって正しく主管できなくなってしまったため、アダムは力による主管が常となってしまったのである。 ところで、肉的堕落とは、愛による関係が未熟のまま、アダムとエバが性的関係を結んだことにある。人間は心と体があり、体に感性があるように、心にも感性がある。しかし、この感性には、心と体においてその作用において大きく違うのである。体においての感性はすぐさま反応するが、心においての感性は、悟性を経て理性へと至り、経験と観念によって判断され(『統一思想要綱』p551〜p554)、喜怒哀楽をもって表現される。この心のあり方を “心性” とよんでいるが、仏教では同じ字であるが “心性” とよんでいる。心性は、神が人間の創造において培い結実させようとされた人間の心の本質であり、心性は、それに至るまでのアダム自身の心のを心の特質であるといえる。 では、サタンの主管下に堕ちたアダムから、エバはどのようにして次子アベルを善の表示体として誕生させることが出来たというのであろうか。エバがサタンの主管下に堕ちてアダムと関係したので、アダムもサタンの主管下に堕ちた。このアダムがサタンの主管下に堕ちたことは、エバがサタンの主管下に堕ちたことよりも重い罪となった。なぜなら、アダムは愛の主体者だからである。このようなアダムとエバを父母として誕生したのが長子カインである。子女を善の表示体として誕生させるためには、本来エバの夫となる立場の者は、神の主管下にあるだけでなく、心性の完成に至ろうとする心性を備えていなければならないことから、堕落によってアダムは心性の完成を放棄してしまった立場になったので、アダムの父をその立場に替えて誕生したのが、善の表示体としての次子アベルという事になるのである。ただし、ここで問題になるのが長子と次子の間における主管の問題である。このままでは悪が善を主管することになるから、これをひっくり返さなければならない。これを解決するのが蕩減復帰原理である。蕩減復帰原理は、愛による主管性復帰の原理といえる。 <参照> ・ 心性 ・ ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理 聖母マリアを母とするイエスとトマス。イエスの父はザカリヤ、トマスの父はヨセフで異父兄弟ですが、トマスはイエスの十字架後、キリスト教の信徒となる。キリスト教は英国から米国へ伝承されるが、インドではトマスの宣教によって仏教とキリスト教が融合し、中国を経て日本に伝わった(本編 後編 第1章)。 文先生が誕生されたのは1920年、当時の朝鮮半島は日本に併合されていたので、文先生は日本国で誕生されたことになる。ところが、1941年12月12日勃発した太平洋戦争(大東亜戦争)は、1945年9月2日に日本がポツダム宣言に調印・即時発効に至って終結した。これに伴って、朝鮮半島では朝鮮総督府が降伏した1945年9月9日まで、“大韓民国” が樹立(1948年8月15日)し “朝鮮民主主義人民共和国” が設立(同年9月9日)されるまでは、連合国(米露)2か国軍による占領統治が行われていた(連合軍軍政期)。しかし、このことが1950年6月25日、朝鮮戦争を引き起こしてしまうことになる。 日本敗戦後の12月、ソ連の首都のモスクワでアメリカ、イギリス、ソ連は外相会議を開き(モスクワ三国外相会議)、朝鮮半島問題が議題となった。この席でアメリカは、朝鮮半島における民主主義的な政府の建設を目標として暫定政府を成立させた後に、米英ソと中華民国の4か国による最長5年間の信託統治を提案した。この提案は合意され(モスクワ協定)、12月27日に公表された。その後、アメリカとソ連でその方法を継続して協議することになった。 <参照> ・ 資料:モスクワ協定に定められた朝鮮独立への手順 この手順によると、米・英・中・ソによる信託統治5年を経て朝鮮は独立国となることが計画されていたことから、朝鮮戦争の勃発した1950年6月頃は、日本はまだ連合軍の占領下にあって、朝鮮は日本の一部との認識だったのである。しかし、朝鮮戦争で北朝鮮を支援した中国と、韓国を支援した米国との和解が成立し休戦となった。つまり、北朝鮮と韓国は、中国と米国の支援によって日本から分かれ出た、イサクの双子のエサウとヤコブのような立場である。なお、韓国の大統領制は、国家制度として強力な権限を与えた大統領制を採用した。これは、アメリカ合衆国などとは異なり、1960年以降の韓国には副大統領が存在しない、独裁者とは言わないまでも、それに近い大統領としての権力を有することとなった。これは、北朝鮮に対峙するために成立した、韓国独自の大統領制である。 <参照> ・ 東アジア休戦システムの中の朝鮮半島と日本 (ソウル大学日本研究所教授 南基生: PDF / 本サイト) ・ 第一共和国 (大韓民国) ・ 大統領 (大韓民国) ・ 韓国の政治変動と民主化以後の課題 これは、日本から二つの国が別れ出たことになるので(創世記25章23節)、イサク家庭でイサクの妻リベカから長子エサウと次子ヤコブが誕生したように、日本から北朝鮮と韓国がカインとアベルを象徴した国家として誕生したのである。北朝鮮と韓国の二国が統一国となれば、その統一国こそアダム国であるるする主張は、原理的な摂理観を無視した独断的な発想といえる。 <参照> ・ イエスの誕生の秘密 (下) ・ 宗教改革、そして英国から米国へ ・ 原始キリスト教と融合した大乗仏教 b)摂理国家観が間違った背景
上記(『原理講論』p503〜p504)の赤下線の部分で、意味不明の部分があることに気付かれたでしょうか。 赤下線 @ では、「この(君主主義)時代が、そのような使命を完遂することができなかったので、神は、この(君主主義)“社会を打ち壊し、メシヤ王国を再建するための新しい摂理をされるために、民主主義を立てられた」と言う箇所と、赤下線 A 「民主主義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義の独裁を除去し、メシヤを王として迎えるために、復帰摂理の目的を達成することができる新しい政治制度を立てようとするところに、その目的があるのである」の箇所である。ここにあるように、君主主義を滅ぼさなければ民主主義が成立できないと言うものではない。“君主主義” とは、“君主制” を支持することをいうが、“君主制” とは、一人の支配者が統治する国家形態であり、伝統的には “君主(世襲により国家を治める最高位の人)” が唯一の主権者である体制のことをいう。『原理講論』のいう君主主義とは、天皇が統治する日本国を示しているのである。これを踏まえて、赤下線 Aを言い換えると次の様になる。 「(大韓民国の)民主主義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義(である日本)の独裁を除去し、メシヤを王として迎えるために、復帰摂理の目的を達成することができる新しい政治制度を立てようとするところに、その目的があるのである」。 『原理講論』が劉孝元氏によって執筆(1966年発刊)された大韓民国は、確かに君主が存在しない共和国であった。しかし、初代大統領であった李承晩大統領(在任1948年〜1960年)は、その独裁的暴虐に国民の大統領打倒デモを招き、遂には米国からも見放され、民衆の怒りが頂点に達すると、李承晩体制に終止符が打たれました。李承晩は、養子にとった息子が自殺し、ひとり米国に逃亡することとなったのです。 『原理講論』は、李承晩大統領の第一共和国後の暫定政権となり、議院内閣制が採用された第二共和国を経て、朴正煕を大統領とする第三共和国(1963年〜1972年)時代に発刊されたが、当時の日本に対する韓国の国民感情を、そのまま表現したと思わせる内容が『原理講論』後編の随所にみられる。国民感情とは、言うまでもなく反日感情であり、“用日” という韓国の言葉が率直にそれを表現しています。 <参照> ・ 悪業と非道──李承晩大統領は蛮族の酋長 ・「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由 ・ 日本の"甘い顔"が韓国の"身勝手"を育てた
|