摂理国家の認識とその誤り

天使長国家が米国である意味 <トップ> 父なる神とアダム国家

1. 原理解釈の誤り
   b. エバ国家とカイン・アベル国家


1. 摂理の要となる日本

 (1) アダム国家は存在しない

  @ 基本的な間違い

(一)信仰基台
 第一に、「信仰基台」を復帰するためには、それを蕩減復帰するための何らかの条件物がなければならない。もともと、@ アダムは「信仰基台」を立てるための条件として下さった神のみ言を、その不信仰のために失ってしまったのである。それゆえ、もはやみ言を神から直接受けることができない立場にまで(価値を失い)堕落してしまったアダムであったので、 その「信仰基台」を復帰するためには、彼が信仰によって、そのみ言の代わりとなる何らかの条件物を、神のみ意にかなうように立てなければならなかったのである。アダムの家庭で立てなければならない、そのみ言の代わりの条件物とは、すなわち供え物であった。
 第二に、「信仰基台」を復帰するためには、その基台を復帰できる中心人物がいなければならない。アダムの家庭における「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、もちろんアダム自身であった。ゆえに、アダムが、当然供え物をささげるべきであり、彼がこの供え物を神のみ意にかなうようにささげるか否かによって、「信仰基台」の造成の可否が決定されるべきであったのである。
 しかし、聖書の記録を見ると、アダムが供え物をささげたとは書かれておらず、カインとアベルのときから供え物をささげたとなっている。その理由はどこにあったのであろうか。創造原理によれば、人間は本来、一人の主人にのみ対応するように創造された。それゆえ、二人の主人に対応する立場に立っている存在を相手にして、創造原理的な摂理を行うことはできない。もし神が、アダムとその供え物に対応しようとすれば、サタンもまた、アダムと血縁関係があるのを条件として、アダムと対応しようとするのはいうまでもないことである。そうなると結局アダムは、神とサタンという二人の主人に対応するという非原理的な立場に立つようになる。A 神はこのような非原理的な摂理をなさることはできないので、善悪二つの性品の母体となったアダムを、善性品的な存在と悪性品的な存在との二つに分立する摂理をなさらなければならなかったのである。 このような目的のために、神はアダムの二人の子を、各々善悪二つの表示体として分立されたのち、彼らに、神かサタンかのどちらか一方だけが各々対応することのできる、すなわち、一人の主人とのみ相対する、原理的な立場に立ててから、各自供え物をささげるように仕向けられたのである
 それでは、カインとアベルは、どちらも同じアダムの子であるが、そのうちだれを善の表示体として神と対応し得る立場に立て、また、だれを悪の表示体としてサタンと対応し得る立場に立てるべきであったのだろうか。@ 第一に、カインとアベルは、共にエバの堕落の実であった。したがって、堕落の母体であるエバの堕落の経路によって、そのいずれかを決定しなければならなかったのである。ところでエバの堕落は、二つの不倫な愛の行動によって成立した。すなわち、最初は天使長との愛による霊的堕落であり、二番目はアダムとの愛による肉的堕落であった。もちろんこれらは、どちらも同じ堕落行為には違いない。しかし、この二つの中でいずれがより原理的であり、より許し得る行為であるかといえば、最初の愛による堕落行為よりも二番目の愛による堕落行為であると見なければならない。なぜなら、最初の堕落行為は、神と同じように目が開けるようになりたいと願う、すなわち、時ならぬ時に時のことを望む過分な欲望が動機となり(創三・5)、非原理的な相対である天使長と関係を結んだことから生じたものであるのに対して、二番目の堕落行為は、最初の行為が不倫なものであったことを悟って、再び神の側に戻りたいと願う心情が動機となって、ただ、まだ神が許諾し得ない、時ならぬ時に、原理的な相対であるアダムと関係を結んだことから起こったものだからである(前編第二章第二節(二))。
 ところで、A カインとアベルは、どちらもエバの不倫の愛の実である。したがって、エバを中心として結んだ二つの型の不倫な愛の行為を条件として、それぞれの立場を二個体に分けもたすべくカインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかったのである。すなわち、カインは愛の初めの実であるので、その最初のつまずきであった天使長との愛による堕落行為を表徴する悪の表示体として、サタンと相対する立場に立てられたのであり、アベルは愛の二番目の実であるがゆえに、その二番目の過ちであったアダムとの愛による堕落行為を表徴する善の表示体として、神と対応することができる立場に立てられたのである。
 第二に、神が創造された原理の世界を、サタンが先に占有したので、神に先立って、サタンが先に非原理的な立場からその原理型の世界をつくっていくようになった。そうして、元来、神は長子を立てて、長子にその嗣業を継承させようとなさった原理的な基準があるので、サタンも、二番目のものよりも、最初のものに対する未練が一層大きかった。また事実サタンは、そのとき、既に被造世界を占有する立場にあったので、未練の一層大きかった長子カインを先に取ろうとした。したがって、神はサタンが未練をもって対応するカインよりも、アベルと対応することを選び給うたのである。(『原理講論』290p〜292p)


 蕩減復帰摂理における要となるのは堕落したアダムを善悪分立したアベルとカインであって、その中でも次子アベルは神側に立つ善の表示体として、「信仰基台」を復帰して摂理の “中心人物” となるべき重要な立場を担っているとされたのである(赤下線@A)。
 これは全くの間違いではないが、アベルとカインはどちらも “エバの堕落の実” であること(青下線@A)を見落とした重大な間違いを犯してしまうこととなってしまった。そのため摂理国家観に支障を来し、復帰摂理を完遂することができなくなってしまったのである。



   a)カインとアベルはエバから生まれた

 堕落によってアダムは神の御言葉と神の愛を失ってしまった。そのためアダムはエバを愛によって正しく主管できなくなってしまったため、アダムは力による主管が常となってしまったのである。
 ところで、肉的堕落とは、愛による関係が未熟のまま、アダムとエバが性的関係を結んだことにある。人間は心と体があり、体に感性があるように、心にも感性がある。しかし、この感性には、心と体においてその作用において大きく違うのである。体においての感性はすぐさま反応するが、心においての感性は、悟性を経て理性へと至り、経験と観念によって判断され(『統一思想要綱』p551〜p554)、喜怒哀楽をもって表現される。この心のあり方を “心性しんせい” とよんでいるが、仏教では同じ字であるが “心性しんしょう” とよんでいる。心性しんしょうは、神が人間の創造において培い結実させようとされた人間の心の本質であり、心性しんせいは、それに至るまでのアダム自身の心のを心の特質であるといえる
 では、サタンの主管下に堕ちたアダムから、エバはどのようにして次子アベルを善の表示体として誕生させることが出来たというのであろうか。エバがサタンの主管下に堕ちてアダムと関係したので、アダムもサタンの主管下に堕ちた。このアダムがサタンの主管下に堕ちたことは、エバがサタンの主管下に堕ちたことよりも重い罪となった。なぜなら、アダムは愛の主体者だからである。このようなアダムとエバを父母として誕生したのが長子カインである。子女を善の表示体として誕生させるためには、本来エバの夫となる立場の者は、神の主管下にあるだけでなく、心性しんしょうの完成に至ろうとする心性しんせいを備えていなければならないことから、堕落によってアダムは心性しんしょうの完成を放棄してしまった立場になったので、アダムの父をその立場に替えて誕生したのが、善の表示体としての次子アベルという事になるのである。ただし、ここで問題になるのが長子と次子の間における主管の問題である。このままでは悪が善を主管することになるから、これをひっくり返さなければならない。これを解決するのが蕩減復帰原理である。蕩減復帰原理は、愛による主管性復帰の原理といえる。

<参照>
 心性
 ユダとタマルの内的摂理完成と外的摂理

 聖母マリアを母とするイエスとトマス。イエスの父はザカリヤ、トマスの父はヨセフで異父兄弟ですが、トマスはイエスの十字架後、キリスト教の信徒となる。キリスト教は英国から米国へ伝承されるが、インドではトマスの宣教によって仏教とキリスト教が融合し、中国を経て日本に伝わった(本編 後編 第1章)。
 文先生が誕生されたのは1920年、当時の朝鮮半島は日本に併合されていたので、文先生は日本国で誕生されたことになる。ところが、1941年12月12日勃発した太平洋戦争(大東亜戦争)は、1945年9月2日に日本がポツダム宣言に調印・即時発効に至って終結した。これに伴って、朝鮮半島では朝鮮総督府が降伏した1945年9月9日まで、“大韓民国” が樹立(1948年8月15日)し “朝鮮民主主義人民共和国” が設立(同年9月9日)されるまでは、連合国(米露)2か国軍による占領統治が行われていた連合軍軍政期)。しかし、このことが1950年6月25日、朝鮮戦争を引き起こしてしまうことになる。
 日本敗戦後の12月、ソ連の首都のモスクワでアメリカ、イギリス、ソ連は外相会議を開き(モスクワ三国外相会議)、朝鮮半島問題が議題となった。この席でアメリカは、朝鮮半島における民主主義的な政府の建設を目標として暫定政府を成立させた後に、米英ソと中華民国の4か国による最長5年間の信託統治を提案した。この提案は合意され(モスクワ協定)、12月27日に公表された。その後、アメリカとソ連でその方法を継続して協議することになった。

<参照>
 資料:モスクワ協定に定められた朝鮮独立への手順

 この手順によると、米・英・中・ソによる信託統治5年を経て朝鮮は独立国となることが計画されていたことから、朝鮮戦争の勃発した1950年6月頃は、日本はまだ連合軍の占領下にあって、朝鮮は日本の一部との認識だったのである。しかし、朝鮮戦争で北朝鮮を支援した中国と、韓国を支援した米国との和解が成立し休戦となった。つまり、北朝鮮と韓国は、中国と米国の支援によって日本から分かれ出た、イサクの双子のエサウとヤコブのような立場である。なお、韓国の大統領制は、国家制度として強力な権限を与えた大統領制を採用した。これは、アメリカ合衆国などとは異なり、1960年以降の韓国には副大統領が存在しない、独裁者とは言わないまでも、それに近い大統領としての権力を有することとなった。これは、北朝鮮に対峙するために成立した、韓国独自の大統領制である。

<参照>
 東アジア休戦システムの中の朝鮮半島と日本 (ソウル大学日本研究所教授 南基生: PDF / 本サイト
 第一共和国 (大韓民国)
 大統領 (大韓民国)
 韓国の政治変動と民主化以後の課題

 これは、日本から二つの国が別れ出たことになるので(創世記25章23節)、イサク家庭でイサクの妻リベカから長子エサウと次子ヤコブが誕生したように、日本から北朝鮮と韓国がカインとアベルを象徴した国家として誕生したのである。北朝鮮と韓国の二国が統一国となれば、その統一国こそアダム国であるるする主張は、原理的な摂理観を無視した独断的な発想といえる

<参照>
 イエスの誕生の秘密 (下)
 宗教改革、そして英国から米国へ
 原始キリスト教と融合した大乗仏教



   b)摂理国家観が間違った背景

 君主主義のあとにきたものは民主主義時代であった。ところで、@ 君主主義時代がくるようになった理由は、既に明らかにしたように、将来、メシヤを王として迎えることができる王国を建設するためであったのである。しかるに、この時代が、そのような使命を完遂することができなかったので、神は、この社会を打ち壊し、メシヤ王国を再建するための新しい摂理をされるために、民主主義を立てられたのである
 民主主義とは、主権を人民におくことにより、人民がその民意に従って、人民のための政治をする主義をいう。したがって、A 民主主義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義の独裁を除去し、メシヤを王として迎えるために、復帰摂理の目的を達成することができる新しい政治制度を立てようとするところに、その目的があるのである。(『原理講論』p503〜p504)


 上記(『原理講論』p503〜p504)の赤下線の部分で、意味不明の部分があることに気付かれたでしょうか。 赤下線 @ では、「この(君主主義)時代が、そのような使命を完遂することができなかったので、神は、この(君主主義)“社会を打ち壊し、メシヤ王国を再建するための新しい摂理をされるために、民主主義を立てられた」と言う箇所と、赤下線 A 「民主主義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義の独裁を除去し、メシヤを王として迎えるために、復帰摂理の目的を達成することができる新しい政治制度を立てようとするところに、その目的があるのである」の箇所である。ここにあるように、君主主義を滅ぼさなければ民主主義が成立できないと言うものではない。君主主義” とは、“君主制” を支持することをいうが、君主制” とは、一人の支配者が統治する国家形態であり、伝統的には “君主(世襲により国家を治める最高位の人)” が唯一の主権者である体制のことをいう。『原理講論』のいう君主主義とは、天皇が統治する日本国を示しているのである。これを踏まえて、赤下線 Aを言い換えると次の様になる。

 「(大韓民国の)民主主義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義(である日本)の独裁を除去し、メシヤを王として迎えるために、復帰摂理の目的を達成することができる新しい政治制度を立てようとするところに、その目的があるのである」。

 『原理講論』が劉孝元氏によって執筆(1966年発刊)された大韓民国は、確かに君主が存在しない共和国であった。しかし、初代大統領であった李承晩大統領(在任1948年〜1960年)は、その独裁的暴虐に国民の大統領打倒デモを招き、遂には米国からも見放され、民衆の怒りが頂点に達すると、李承晩体制に終止符が打たれました。李承晩は、養子にとった息子が自殺し、ひとり米国に逃亡することとなったのです。
 『原理講論』は、李承晩大統領の第一共和国後の暫定政権となり、議院内閣制が採用された第二共和国を経て、朴正煕を大統領とする第三共和国(1963年〜1972年)時代に発刊されたが、当時の日本に対する韓国の国民感情を、そのまま表現したと思わせる内容が『原理講論』後編の随所にみられる。国民感情とは、言うまでもなく反日感情であり、“用日” という韓国の言葉が率直にそれを表現しています。

<参照>
 悪業と非道──李承晩大統領は蛮族の酋長
 「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由
 日本の"甘い顔"が韓国の"身勝手"を育てた


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