「第三次世界大戦」について

弁証法によるロシア正教 <トップ>

一、キリスト教の神学的問題と戦争
     4. ロシア正教は唯物論か否か


1. 世界霊魂の概念

<参照>
 プラトンと愛智会、シェリング (日本のロシア文学者 坂庭淳史 : PDF / 本サイト

 (1) 世界霊魂と聖霊

<参照>
 「世界霊魂(Weltseele)」の系譜とドイツ・ロマン派における受容について
   (日本経済大学 能木敬次 : PDF / 本サイト

  @ 宇宙の霊魂
 プラトンにおいて、“神の魂” は、個物の魂として人間各自に分与され、その「理性」としての構成は「激情(怒り)」と「欲望」を具有した人間個々の魂と相互交流する「宇宙の霊魂」へと展開したという思想は、プロティノス(205年?〜270年)の「宇宙の霊魂」として “完全なる魂” へと継承された。
 プロティノスによれば、神はその力の横溢おういつから自らの分身として「理性」(知性)を生み出し、「理性」から「宇宙の霊魂」(人間の霊魂を含み持つ)としての「霊魂」が流出され、この「霊魂」によって、物質界(感性界)における「物質」としてさらに流出し、神の天地創造のための質料・素材となって宇宙は “魂” を持った生命体として創造されたとしている。
 この魂は絶えず自らの中で生命活動を営み、下位の者へ働きかける。このことは、自らの「宇宙の霊魂」に対する “知性” を観照することで、その “知性” によって保有された “ロゴス” に満たされることで「宇宙の霊魂」としての完成域に達することができると説いた。



  A 世界霊魂としての聖霊
 中世ドイツの哲学者であるニコラウス・クザーヌス(1401年〜1464年8月11日)は、キリスト教の三位一体の教理をアリストテレスの質料と形相のカテゴリーで説明する際、「世界霊魂」の概念を用いた。すなわち、世界は「質料」と「形相」と「結合者」の3つの原理から成り立っているが、これらはそれぞれ「父」と「子」と「聖霊」を表す。
 質料は父なる神の力の充溢じゅういつを象徴し、形相は質料そのものに宿る原理として子なる神を表し「世界精神」とも言われる。
 結合者とは、質料と形相を結んで “生命体としての物” に生成変化させる “運動” そのものを意味し、「愛による質料と、形相としての肉体の結合による生産」になぞら、これを「世界霊魂」と呼び聖霊としての神を象徴する(左図)とした。
 さて、これらのことを統一思想の観点から比較すると右図のようになる。
 統一思想によると、神は本性相と本形状の二性性相として居られ、主体である “前エネルギー(エネルギーの前要素)” からなっていて、本形状は本性相との授受作用の力として発生した作用エネルギーと形成エネルギーによって万物を創造した(本編「神道とは何か」参照)としている。
 神は、人間を愛することによって最高の喜びを得ようと、二性性相であられる御自身の姿に似せて心と体とに創造され、男と女に創造された(創世記2章21節〜22節)。神の本質は心情であり、心情とは「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」(『統一思想要綱』p52)であるから、神の似姿として創造された人間も愛を実践することによって喜びを得ることをその目的として創られたのである。
 しかし、ここで神は永遠に “自存される立場” であると同時に “創造主としての立場(左図)” として居られる。前者は心情を中心とし、後者はその目的を中心としている(『統一思想要綱』p85〜p87)。神はこの二つの立場に似せて、人間を男と女に創造された。神は本性相(内的四位基台)を男子、本形状(外的四位基台)を女子として創造されたのである(本編「理趣経と生殖器のみ言葉」参照)。
 さて、右図右側のキリスト教における「世界霊魂」であるが、先に述べたようにそれは父と子の結合者としての聖霊であり、父と子が聖霊による愛で結ばれたことによって、父の質料が生命体としての子に世界精神として結実したことを意味する。これは、弁証法によって矛盾を克服し絶対精神が世界精神へと発展したとするヘーゲルの主張(本編「ヘーゲル弁証法の正しい理解」参照)をキリスト教が代弁したにすぎないと言える。

<参照>
 空海による仏教思想の大転換(本編)



  B シェリングの世界霊魂
 シェリングによれば、絶対者(神)における二つの現象形式である精神(主観)と自然(客観)は無差別的に同一であると主張した(前頁参照)。この自然には、根底で二つの相反する積極的原理としての力と消極的原理としての力が躍動していて、積極的原理を「男性原理」と呼び、消極的原理を「女性原理」と呼ぶ。この自然の相反する対立的二元となる原理は、統一と衝突の弁証法的発展の中で有機的な世界体系を形成する原理としての「世界霊魂」に至る
 こうして “一者” としての神は、至る所で “生を開示” し、“一過性のもの” の中で “永遠の花” を咲かせる。このとき「男性原理」と「女性原理」が、“全能の連辞れんじ” である人間側の●●●●理性」によって、“聖なる紐帯ちゅうたい” として結びつけられた「世界霊魂」が、“一者としての神から現象世界への橋渡しをしいる” と結論付けた。これは、絶対者(神)における精神が主観から客観へと現象化されるときには、「世界霊魂」という “統一と衝突の弁証法的発展という原理” によって有機的世界としての自然へと具現化されるが、絶対者の精神は人間の理性のみがそれを理解できると表現したにすぎない

<参照>
 シェリングにおける哲学と宗教について (日本シェリング協会 岡村康夫 : PDF / 本サイト



2. 肉体(死の肉体)からいぶき(不死の肉体)としての解放(浄化)

<参照>
 ロシア正教会の霊的文献における人間観 (日本ロシア思想史学会 渡辺圭 : PDF / 本サイト

 (1) 神の人間創造と堕落からの解放

 ロシア正教会の見解によれば、1054年に東西教会の大分裂(「ロシア化されたギリシャ正教」参照)が起こって以来、更には東方正教会からの独立以降も、ロシア教会は正統であり続けたと主張している。

  @ 人間創造の本質的把握と神の法ザコーン・ボージイ
 正教会における教義として「人間」の本質の把握が必要とされるとして、東方正教神学では人間は神の像と似姿に従って創造された存在であり、神の像である人間は被造物を統治し、被造物に神を「映す」という使命を帯びているとしたことから、ロシア正教会の霊的文献において、人間はその他の被造物と異なるものとして明確に区別し、人間は単なる物理的な存在、動物的な存在とは見做さないとした。
 また神の聖三位一体性については、父である神は他の位格から生まれず、発出せず、神の息子は父である神から生まれ、聖霊は父である神から出発する。三つの位格において神が一つであることは、神性の内的な秘密●●●●●●●●であるために人間には理解不能●●●●●●●●であるが、キリスト者は疑う余地なき神の言葉●●●●●●●●●●に準じてこれを信仰するとした。
 そして、神以外のものは全て神により無から創造された。天使は霊的存在であり肉体を持たず、不可視の世界・霊の世界は天使に属する。それに対して、神に似せて創造された人間は、魂と肉体を有する。人間の肉体は物質的であり、魂は霊的である。魂にとって霊的であるということは、楽園において人間が神と至福の交わりを持ち、被造物を霊的に観照する状態にあったと結論付けて、人間が神を認識すことによって神を愛し賛美し、それを通じて人間が幸福になるために神は人間を創造したとする神の法ザコーン・ボージイは、人間とその他の被造生命体の差異を強調した。



  A 原罪からの浄化としての贖罪
    (@)「死」とは自由の発露としての “殉教” である
 神が原初の人間(アダム)に与えたものは、「服従の戒律」であった。何故人間は神に服従しなければならないのかと言えば、それは人間自身が神ではなく、神に依存する存在●●●●●●●●だからとしている。その戒律には以下の4つがあるとしています。
  1. 生命の増殖(創1:28)。
  2. 楽園の開墾(創2:15)。
  3. 世界の認識(動物の命名)(創2:19〜20)。
  4. 善悪の木の実からは食べてはならないという禁止(創2:16)。
 アダムとエバは「4」の戒律を破り、エデンの園から追放された(原罪)。このことから、「人間は信仰のために死ぬ」=「殉教」というかたちで “動物的な自己保存本能を拒否することが出来る” と主張し、これは神の像としての「自由」の発露であるとしました。

    (A)罪からの浄化による救い
 正教の死生観では、人間の生は一度限りで、輪廻転生はありません。また魂は永遠であり、敬虔なキリスト者は復活するため、死後完全に無に帰することもありません。
 被造物としての人間は、創造主たる神とは二つの隔壁によって区切られています。それは、“本性の違い” と “原罪という罪” によってです。イエス・キリストは受肉によって自身の神性と人性を一致させ “本性の違い” としての障壁を、また十字架上の死による贖罪によって “原罪という罪” による障壁を取り除きました。そして復活のイエスは、五旬節罪からの浄化●●●●●●における生きた助けとして、聖霊の恩寵を使徒たちに賜ったのです。それ故に、神はご自身の子としての人間抜きで人類を救済することはありません。何故なら、罪は人間の中に生き続け、神と人間を切り離そうとするからです。故に、被造物としての人間の生の営みは、“絶えざる罪” との闘いであって、その罪を東方正教会の伝統では、人間の欲望としての七つの罪( “七つの大罪” としての傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰)を「死の罪」と呼び、人間についての神の企図を歪める許されざる罪としています。



  B 霊と魂と肉体との関係
    (@)クリミアの大主教聖ルカ
 クリミアの大主教ルカ(1877年〜1961年)は、スターリン国家賞を受賞するほど優れた外科医であった。聖ルカは、化膿の外科的手術を確立させ、多くの人の命を救いました。彼の功績から、廉施者れんししゃとして崇敬されています。
 大主教ルカによれば、神は全能の愛のエネルギーであり、愛とはそれ自身の中にあるものではなく、誰かに対して、また何かに対して流れ込みたいという欲求●●●●●●●●●●●であり、この欲求により神は世界を創造したとしました。この流れ出る神の愛が全ての霊的世界、天使的存在の理性の世界、人間の理性、そして霊的心理的な全ての世界を創造したとしたのです。

    (A)人間の霊と魂
 神が人間を創造したとき、神は人間にドゥーフを吹き込みました(創世記2章7節)。神が有機生命体に命としてめぐらせたのがこの “いぶき(息)” なのです。大主教ルカによれば、この霊は物質化するというのです。つまり、霊は成長のプロセスの基盤となり、方向づけながら物質的肉体の形態を創りあげるだけではなく、自らその形態をとり物質化することが可能であるとしました。この神から人間に吹き込まれた霊は肉体の五感を越えたもの(霊感)であり、キリスト教の聖人による予知や透視などは霊の力によるものだと説明したのです。
 意識的活動とは、外界からの刺激が感覚受容体によって感覚として脳にもたらされ、知性によって様々な知覚となって意識を刺激し意志を引き起こします。これらのことによる行動は “” が基となって織り成される行動であり、自意識により統合された器官的感覚的な知覚、思考感覚、想起の痕跡としての動物や低次元に留まる人間においての複合体となります。しかし、低次の魂はその階梯かいていを上がるに従い、その霊性を成長させ、被造生命体の頂点に立つ人間の魂には、高次の “” が参与するという霊・魂観を説きました。

    (B)死する肉体と不死の肉体
 ロゴスが肉をまとったのが神人イエス・キリストですが、磔刑によって肉体から拘束されていた魂は解放されたのです。これは、キリストが無実の罪で捉えられ、苦悩の果てにその身を父である神に捧げ、十字架の上で死を迎えたことによるもので、死は悪魔が蔓延はびこ冥府めいふへの参入となりますが、キリストはその神性の力により “復活” したことを意味します。
 土曜日になり、夜のことです。自らの苦しみと死の後に、主イエス・キリストは自身の神性の力によって蘇りました。イエス・キリストの肉体(死する肉体)は、人間としての本性(人性)を変容(神性と一体)させ、復活体(不死の肉体)となったのです。このことによって、人間を様々な罪へと誘惑する悪魔は、イエス・キリストを自分たちの側(死の側)に引き入れることは叶いませんでした。
 大主教ルカによれば、“時間の外にある霊(世界霊魂)” は、その成長のプロセスの基盤となって方向づけながら物質的肉体の形体を創り上げるだけでなく、自らもその形態をとることが可能であるという「霊の物質化」を唱えたのです。
 外科医としてのルカは、神が人間に吹き込んだというドゥーフいぶきとしてその重要性を強調しましたが、大脳と神経系が根源となる心理という俗悪な唯物論に抗して、それ以前に “霊としてのインパルスがその根源となっている” として唯物論を否定しました。しかしこれは、人間は死する肉体●●から不死の肉体●●へと再生可能であるという、一種の唯物論を生んだことになってしまいます。

    (C)統一思想との違い
 統一思想では、イエス・キリストは人間であって神ではないと主張する立場です。これまで述べてきたロシア正教会の神学は、一見すると非常によく似ていますが、その本質は全く異なるものです。そのことに関する論点は沢山ありますが、ここでは愛のエネルギーとしての世界霊魂に限定いたします。
 統一思想では、神の本質は心情であり、心情は「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」(『統一思想要綱』p52)であるとしています。愛は理法(ロゴス)によって規定され、情的衝動(前エネルギー)が創造目的に従って作用・構成され創られました。そして、森羅万象は固有の関係性を持ち、愛の実現化のための原力(万有原力)を有した万物を創造されたのです。
 特に人間は、神の愛に喜びの対象として対すべく、神の子としての完全な似姿として創られました。ところで、愛とは自由を伴うことによって無限の可能性を持ち、そこから来る喜びも無限となります。そのため人間は、自由による愛を自らの責任分担によって、自らの内に完全なるものとして結実させなければならないとしています。
 ところが、これまで述べた「世界霊魂」には “” の言葉はあっても、その結実は「世界精神」であり、愛による永遠の喜びではなく、“不死の肉体としての永遠性を語るのみでした。



  C 浄化という戦争による殺害の正当化
 ロシア正教の指導者モスクワ総主教キリル1世(左図、右側の人物)は、ウクライナで続く戦争について、「正義と悪の黙示録的戦いに他ならない」と語り、プーチン大統領(左図、左側の人物)は、今回のウクライナ侵攻の目的が「一部のウクライナ人の解放●●」としました。この “一部のウクライナ人” とは、言うまでもなくウクライナ正教会信者のことを意味します。
 ロシア正教は、プーチン氏の地政学的野望を支えるイデオロギーの形成に積極的役割を果たしてきました。その世界観は、現在のロシア政府をロシアのキリスト教文明の守護者と見なすものであり、それゆえロシア帝国と旧ソ連の版図にあった国々を支配する試みを正当化するのです。プーチン氏は、「ウクライナは我々にとって単なる隣国ではない。ウクライナは我々の歴史・文化・精神世界と不可分の存在だ」と語っていました。ロシア正教はこの言葉を信奉し、そこに宗教的色彩を加えました。その宗教的意味合いの中では、ウクライナが特別な役割を担っているのです。
 しかし、ウクライナの正教会信者の多くはロシアが主導する正教会に属していますが、ウクライナにはかなりのカトリック信者の他、モスクワからの独立を求めてきたウクライナ正教会の信者もいます。2018年12月15日、東方正教会の宗教指導者コンスタンチノープル総主教のヴァルソロメオス1世(右図、左側の人物)は、ウクライナの首都キエフ(キーウ)で開催された協議会でウクライナ正教会の独立を認めました。なお、右図の総主教ヴァルソロメオスが、独立教会のトモスエピファニー氏(右図、右側の人物)に手渡した(2019年1月6日)のは、キエフ(キーウ)総主教が独立した瞬間を示すものです。

<参照>
 ウクライナ正教会の独立とロシア正教会の抵抗、その歴史的背景
 モスクワ総主教庁系のウクライナ正教会が「完全な独立と自治」を宣言

 この決定は、東方正教会内に深刻な亀裂をもたらしました。様々な国の教会が、モスクワ側についたり、コンスタンチノープル側についたりしたのです。プーチン氏はヴァルソロメオス1世が米政府の命令に従っていると非難しました。プーチン氏は演説で、「我々は異なる視点を持つ。独自の精神的価値観、歴史的伝統と多民族国家の文化に依拠しなければならない」と述べたといいます。ロシアが “特別軍事作戦” と称して、ウクライナに侵攻を開始したのは2022年2月24日のことです。

<参照>
 プーチン大統領の戦争、背後に「ロシア世界」思想 米メディア「ウォールストリート・ジャーナル」が指摘
 WCC ロシア正教会の除名要請をめぐる重大局面
 共産主義と宗教 : ベルヂァエフの所説について (プロテスタントの宗教学者 久山康 : PDF / 本サイト


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