復帰摂理歴史の真実

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■ 1. 人間堕落と三位神と偶像崇拝
     d. 秦氏と東洋


 さて、話はだいぶ前に戻らなければなりませんが、「秦氏」は東洋の(特に日本の)歴史の中心軸となる内容になりますので、ここまでの内容はその周辺の出来事ととらえても過言ではありません。

 「ペテロ・パウロと原始キリスト教」の所で簡単な説明で終わったユダヤ戦争の頃に戻らなければなりません。


 イエスの復活後の弟子たちに、ペテロパウロがいましたが、当時のシリアには「アンティオキア」と言う都市がありました。

 早い時期から原始キリスト教の布教が行われていました。そこへ、異邦人を伝道するために元のエルサレム教団から離散してヘレニスト(ギリシア語を使うユダヤ人キリスト教徒)たちが結集して来ました。

 これがパウロを筆頭とする「アンティオキア教団」ですが、ペテロの「エルサレム教団」は従来のユダヤ教の律法を尊重して、ソロモン第二神殿への礼拝を欠かさず、ユダヤ人に対して布教を行なっていたのに対して、「アンティオキア教団」は異邦人に対して布教を行なっていたのです。

 パウロはもとの名を「サウロ」と言い、原始キリスト教を迫害していましたが、イエスの霊に出会い回心すると、「パウロ」として原始キリスト教に改宗しました。

 しかし、エルサレム教団のメンバーとなったパウロを殺そうとたくらんでいたユダヤ人ユダヤ教徒がいることを察知したパウロは、エルサレムを離れてアンティオキア教団のリーダーとなりました。

 その後、エルサレム使徒会議の結果、ペテロを中心とするエルサレム教団はユダヤ人に対して、パウロを中心とするアンティオキア教団は異邦人に対して布教することが決まり、異邦人キリスト教徒が爆発的に増えていきました

 ところが、その事によって問題が起こりました。一般にユダヤ人は異邦人と同じ食事をとることはできませんが、アンティオキア教団では、ユダヤ人と異邦人が区別なく同じ食事をとっていました。そこにたまたまペテロが来て、異邦人と同じ食事をしていたのです。

 そこへ、エルサレム教団の使者がやってきて、その時、異邦人と同じ食事をとっていたペテロがそれを見られたくないとして、突然態度を変えてしまったのです。これを見たパウロは、ペテロを強く非難して、ペテロとパウロの教団の対立は決定的となってしまいました。


 紀元37年、古代ローマ帝国の皇帝に「カリグラ」が即位すると、自らが神であると宣言しました。

 偶像崇拝を拒絶するユダヤ人に対して激しく皇帝崇拝を強要しましたが、自らを神として認めず、崇拝しようとしないユダヤ人に対して徹底的な弾圧を加えました。

 次の政権である「クラウディウス」の時になってもユダヤ教徒やキリスト教徒に対する迫害が続く中、パウロとペテロはローマに上って本格的な異邦人に対する布教が行われました。

 紀元64年、皇帝「ネロ」の迫害は熾烈を極めました

 そして、ペテロの殉教後、エルサレム教団はユダヤ人キリスト教徒と言うだけで、様々な迫害や弾圧、差別を受けていました。

 しかし、紀元66年第一次ユダヤ戦争が勃発すると、その戦争の最中にエルサレム教団の姿が消えていたのです。

 第一次ユダヤ戦争が本格化すると、ユダヤを出国したエルサレム教団こそが「秦氏族」だったのです。


 ソロモン第二神殿で祈りを捧げていたエルサレム教団は、戦争の前に啓示を介してその地の敬虔な人々に与えられたある託宣によって、都を離れペレアペラという町に住むように命じられました。

 しかし、すぐにまたこの地を後にし、更に東へと向かうのです。




 古代ローマ帝国と激しく対立していた「パルティア」には、バビロンの捕囚から開放された時、戻って来なかったユダヤ人たちが住んでいました。

 ここに、第一次ユダヤ戦争から戦禍を逃れたユダヤ人も加わり、パルティア領内には数多くのユダヤ人がいました。ここを「大秦」と呼んでいたのです。

 この様に、“弾圧や戦争を避けてやってきた流民” としてのエルサレム教団らは、自らをキリスト教徒とは言わず「秦人」として更に東の朝鮮半島に向かいました。





 紀元一世紀の頃、朝鮮半島に「秦人」が流入してきました。

 その後、「秦韓辰韓)」を打ちたて、「新羅」となっていきます。

 しかし、秦氏が中国を渡ってくる間に、多くの異民族が集まって「秦人」となると、「秦韓」と「弁韓」を建国してそれぞれ12か国に分かれました。

 「大秦」は古代ローマ帝国を、「新羅」は東洋の新しいローマのことを表していますが、「大秦」から「秦韓辰韓)」、「新羅」への変遷の過程で、イスラエル7支族とイスラエル3支族、さらにエルサレム教団が、つまり、失われたイスラエル10支族残されたイスラエル2支族が朝鮮半島に渡って来た事になります。

 まず、「パルティア」で失われた7支族とエルサレム教団が出会い、「弓月王国」で失われた3支族と出会い、結局イスラエル12支族朝鮮半島に、朝鮮半島から日本に渡って来たことになります。

(「失われた12支族と東洋」「仏教とキリスト教」を参照)


 ちょうど、秦人が朝鮮半島にやって来た頃、トマスがインドに来たことになっていますが(「仏教とキリスト教」参照)、その頃からキリスト教の影響を強く受けていましたが、特に仏教道教に大きな変化をもたらしました。

 その後ネストリウス派が「」の時代に「景教」として発展しましたが、845年武宗道教保護のために起きた「会昌の廃仏」事件のために仏教マニ教ゾロアスター教と共に弾圧を受けて消滅しました。

 「秦氏」はユダヤ人ユダヤ教徒ユダヤ人原始キリスト教徒が姿を変えて、戦禍を逃れて東の果てを目指してやって来たイスラエル選民だったのです。




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