1. 天使長国家が米国である意味
■ 覇権国となる天使長国アメリカ
1. 神の僕としての天使長国家
神は天地創造において、最初に天使を創造し、その最後に人間を創造した。天使の中でも一番初めに創造された天使を天使長と呼び、この天使長ルーシェルはアダムを堕落させ、神の主管下から奪い取り、自らの主管下に収めた。こうして善と悪が生じ、善の天使長が悪の天使長、サタンとなって神と対峙したのである。ところが、この天使長という言葉の認識に微妙なニュアンスの違いを生み出すことになる。
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ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と直接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。(『原理講論』p430)
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図1
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ノアの子ハムは、「信仰基台」を立てる摂理に失敗し、アベルの立場に立つことができなかった。しかし、ノア以降の人物は、ノアが神に忠誠を尽くしたことによって神の “僕の僕” の立場から神のみ旨を担うことができると言うことであるが、実はアベルの立場に立つための「信仰基台」とは、単に個人が神に信仰のみを捧げるものではない。神の僕である天使の立場を超えて、別の言い方をすれば天使を主管できる立場に立つことによってアベルの立場に立つことができるのである。ハムがアベルの立場にあったということは、ノアが忠誠を尽くした基台によって復帰摂理を行うためにアベルの位置に立てたのであって、ハムが信仰基台に失敗してもノアの恩恵によって “より小さい価値の蕩減条件”(『原理講論』p274〜p275)で「神の僕の僕」の立場から再出発出来るようになったのである。
こうしたノアの「僕の僕」としての立場は、サタン側の僕の僕に位置するのではなく、神側の天使(僕)の僕(図1)の位置に立つアベルとしての外的立場”であり、このサタン側から神側の僕としての立場を復帰したのはヤコブの時からである。
ヤコブは天使との組み打ちに勝利して神側の僕の僕としての“外的立場を復帰”して、エサウの自然屈服をもって神側の僕の僕としての“内外両面における立場を復帰”したのである。こうして、ヤコブは「神側の僕」としての外的立場を復帰することによって正妻としてのカインの立場に立つレアを、妾としてのアベルの立場に立つラケルを迎え、レアとラケルがアベルに立つラケルを中心といて一体化すれば、ヤコブは神の養子としての立場をも復帰してラケルからメシヤの誕生となったかもしれないのである。これもまたレアとラケルの失敗によって、イエスの時まで摂理は延長されたのである。
2. 縦横の八段階復帰摂理と米国
図2
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さて、神の復帰摂理を縦横の八段階から見てみよう。イエスは庶子としての立場に留まったまま結婚せず磔刑となり、イスラエル民族にまで展開できた(図2)が、パウロを中心として世界宣教が始まるや否や問題が生じたのである。それは、パウロを筆頭としたアンティオキア教団とペテロを筆頭としたエルサレム教団との対立と、ユダヤ戦争の最中にエルサレム教団が消えてしまった事件である(「12使徒とパウロ」参照)。以後、ユダヤにはユダヤ教は残ったもののキリスト教はペテロを初代ローマ教皇として世界に拡大した。しかし、これ自体がキリスト教が問題を抱えており、後に宗教改革が起こりカトリック教会は分裂してプロテスタントが生じた。
更にイギリスでは、このプロテスタントが清教徒革命(1642年〜1649年)を起こし、復帰摂理の中核を担うピューリタン達は命がけで大西洋を渡り1776年に米国が建国されたのである(「宗教改革、そして英国から米国へ」参照)。
ところで、米国の建国までに多くのカトリック信者が移民した。しかし、カトリックは単一の組織であるのに対して、プロテスタントは多くの教派に分かれていた。
米国におけるキリスト教アイデンティティは、建国以来の文化的基盤でありながら、世俗化の進行によって権力と結びつき、『聖書』による教義が都合よく解釈され、不適当な部分は削除され、キリスト教における神威が時代の権力者に利用されることにもなった。その結果、キリスト教を中心とした歴史は第一次・第二次世界大戦を招いてしまった。
そこで文先生は、日本を経由して渡米(1965年)し、キリスト教の曖昧な神観を明確化して、神が天地創造のために最初に天使長を創造したように、米国を天使長国家として復帰摂理に備えられたのである(図2)。この事は、文先生のダンベリー収監によって実現(1985年)された事は言うまでもない(「真の家庭における摂理完了の失敗」参照)。
<参照>
・ 宗教と戦争 (防衛省防衛研究所戦史研究センター長 石津朋之 : PDF / 本サイト)
・ アメリカの独立とイギリス
3. 使命から見たアメリカの位置
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神は被造世界の創造と、その経綸のために、先に天使を使いとして創造された。(『原理講論』p106)
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神のみ旨のために天使が活動している例は、聖書の中に、無数に探しだすことができる。それゆえに、黙示録二二章9節では、天使が自分自身を「僕」と言い、またヘブル書一章14節においては、天使を「使える霊」と記録しているのである。そしてまた、天使は神に頌栄をささげる存在として創造されていたという証拠も、聖書の中に数多く見いだすことができる。(『原理講論』p107)
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では、天使にはどの様な使命があるのだろうか。『原理講論』には「神の天地創造のための “経綸”」と「“頌栄” を捧げる存在」としての二つの使命が示されている。
先に「経綸」について考えてみる。「経綸」とは、国家を治めととのえること。天下を統治すること。また、その施策とある。
更に「頌栄」とは、キリスト教の様々な典礼における三位一体への賛美において歌われる賛美歌、および唱えられる祈祷文とされている。
以上のことから、天使長の使命は “神の憲法によって統治された主権国家の成立” にあることになる。いわゆる、天使長的霊的使命としての「宗教」としての最終的使命がそれである。その為に、その国家は覇権国家となって世界にその影響を及ぼす国家とならなければならない。同時に、神の創造理想を “国威” として持ち合わせておかなければならないのであり、その目的に適う国家として建国された国家がアメリカ合衆国である。神の創造目的を実現するのはアダム国家であるが、それを支えるのはエバ国家であり、指導するのが天使長国家となるのである。故に、米国の大統領就任式では、大統領が右手を上げ、左手を配偶者を持ち支え聖書の上に置き宣誓するのである。この時の介添人が天使長国家、大統領がアダム国家を、その配偶者がエバ国家をそれぞれが象徴的に担っているのである。
4. キリスト教精神を国威として
国威とは、国の威力。一国またはその国を治める威力や権威。また、国家が対外的に誇示する威力とあるが、それは、宣誓した大統領に国民が一体となったキリスト教精神であり、その原点は “メイフラワー誓約” にあって、アメリカ合衆国憲法前文にある理念に基づいた結束力である。
We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence,[note 1] promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.
われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。(アメリカ合衆国憲法前文)
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<参照>
・ 神の経綸
・ アメリカ合衆国大統領就任式
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