復帰摂理歴史の真実

無料カウンター
ローマ教皇庁からイギリスへ <トップ> 宗教改革

■ 2. 大航海時代と南北アメリカ
     e. フリーメーソンと文芸復興


1. フリーメーソンとは何か

 ここでなぜフリーメーソンを採り上げるかと言えば、カイン型人生観をもたらした思想家達や、共産主義が出没するまでの地下水脈の様な役割を果たしていたのがまさしくフリーメーソンと言えるのではないかと思えるからです。

 旧約聖書に端を発し、ローマ教皇庁の腐敗と淪落の副産物とも言えるフリーメーソンは、まさにキリスト教徒指導者らによって始まったのですが、やがて自らのもっとも厄介な抵抗勢力となって、ローマカトリックはその勢力を衰退させて行くことになるのです。




a. フリーメーソンとは

 フリー(自由な)メーソン(石工)、つまり「自由な石工」の発端は、旧約時代に神殿などの建築などに携わっていた人たちのことで、ソロモン王時の神殿建設に携わったツロの王“ヒラム”とツロの住人である金属細工師“ヒラム・アビ”の二人のことに由来します。 (「大航海時代と南北アメリカ」参照)

 「そこでツロの王ヒラムは手紙をソロモンに送って答えた、『主はその民を愛するゆえに、あなたを彼らの王とされました』。ヒラムはまた言った。『天地を造られたイスラエルの神、主はほむべきかな。彼はダビデ王に賢い子を与え、これに分別と知恵を授けて、主のために宮を建て、また自分のために、王宮を建てることをさせられた。
 いまわたしは達人ヒラムという知恵のある工人をつかわします』。」
 (歴代志下 2章11〜13節)

 ツロとはカナン語で“陸から数百メートル離れた岩の地(島)”ことを意味し、海岸都市として有名なフィニキアでした。ここに住んでいたのは、バール神を崇拝するカナン人だったのです。

 神のみ言葉では、
 「すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約ををもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。また彼らと婚姻してはならない。・・・」 (申命記 7章2節〜)
 と戒められていたにもかかわらず、神殿建設そのものを通じて戒めを犯すことによって、フィニキアの偶像崇拝がイスラエルにはびこっていくことになったのです。

 この様に、ソロモンの時に建設された神殿が第一神殿。そのソロモンの神殿はバビロンの捕囚のときに破壊され、その後バビロンから帰還したユダヤ人によって建設されたのが第二神殿。現存する第二神殿はユダヤ戦争の時に破壊され、現在ユダヤ人が祈る「嘆きの壁」はその基礎石の部分にあたります。

 ユダヤ教によると、メシアは世の最期のときに降臨し、ソロモンの神殿を再建して(第三神殿)、ユダヤ人を中心とした理想世界を建設するとされています。そのメシアは“愛による救い”をもたらす救世主ではありません。実際、二千年前には“神は愛である”と宣言し、ユダヤ教の腐敗ぶりを批判したイエスを十字架で殺害してしまったのです。




b. “ヒラム”に象徴されたサタン崇拝

 さて、ヒラムに関して記載した聖書の箇所があります。 (「ソロモン」「大航海と南北アメリカ」参照)

 ツロ王ヒラム・・・

 主の言葉がわたしに臨んだ、
  「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、
  あなたは心に高ぶって言う、『わたしは神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と、
  しかし、、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない。
  見よ、あなたはダニエルよりも賢く、
  すべての秘密もあなたには隠れてはいない。
  あなたは知恵と悟りとによって富を得、金銀を倉にたくわえた。
  あなたは大いなる貿易の知恵によってあなたの富は増し、
  その富によってあなたの心は高ぶった。」 (エゼキエル書 28章1〜5節)


 この様に、ソロモン王によって建設された神殿。しかし、その神殿建設と同時に信仰を失い、南北に分立して摂理しなければならなくなったイスラエル民族。

 はたしてソロモンがツロの王ヒラムに神殿建設を託したことが間違いだったのでしょうか。それではなぜ神様は、出エジプトの目的地をあえてその様な危険性を伴うカナンの地とサれたのでしょうか


 こうして傲慢極めた王ヒラムの統治するツロの町は、東西の貿易の要となった所ですが、天災によって海の下に沈んで滅びてしまいます。

 また主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え、主なる神はこう言われる、
 あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。
 あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。
 ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・
 これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。
 わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。
 あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。
 あなたは造られた日から、あなたの中の悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった
 あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。
 それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した
 あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見世物とした。  あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によってあなたの聖所を汚したゆえ、わたしはあなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすべての者の前であなたを地の上の灰とした。
 もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。
 あなたは恐るべき終わりを遂げ、永遠にうせはてる」。
 (エゼキエル書 28章11〜19節)


 このエゼキエル書はツロ王ヒラム対して神様が語られたところではありますが、上記下線部分の「知恵に満ち、美のきわみである完全な印」や「自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚した」などのところは堕天使ルーシェルそのものです。つまり、神様から見ればツロ王ヒラムこそ、堕落した天使長ルーシェルの典型的なこの世の雛形だったのです。

 なぜ、ヒラムがこの様な存在になってしまったのか、当時のソロモン王がその信仰と愛によってヒラムを正しい方向に教育と指導ができなかったところに問題があるのです。むしろ、ヒラムのその輝きに魅せられてソロモン王の方がその影響を全面に受け、信仰を失いイスラエルを南北に分断させてしまった中心人物と言えるでしょう。

 この様に、ローマ教皇庁がこの世の支配者たる王たちを本来のキリスト教が掲げてきた信仰と愛によって指導できなかったことが、結局イギリスにおいてフリーメーソンとして実を結んだのです。


 フリーメーソンのシンボルマークにコンパスと直定規が組み合わされているのも、この世の君としてのサタンが意のままにこの世界を作り上げて行く建築道具としての象徴です。


 サタンの三大試練の最後に、

 イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 (マタイによる福音書 4章8〜9節)

 とイエスを試練した事を思い起こさせます。




「技術者メーソン」から「思想的メーソン」へ

 さて、この様にツロ王ヒラムを起源とするフリーメーソンは中世に始まりましたが、もう少し具体的にみていきます。

 中世において、神殿、大聖堂、教会、城などの建築が盛んになると、それに携わっていた建築家や土木工事者などが情報交換や技術取得のため親睦を兼ねて集まりの場所を設けました。そこは、卓越した技術者の場であるため、その秘密保持のため外に漏らすことは固く禁じられていたのです。その様な場所をロッジ(集会所)と呼んでいました。

 これが始まりでしたが、その様な技術者は上層階級の人たちとの交流がある中、当時の先端技術の持ち主であった彼らの知的欲求から、オカルトや秘教といった世界にまでその範囲を拡大していったのです。結局“思想的メーソン”として、知識人や思想家、王族や政治家などの人たちが主導的になって行きました。

 そして、ついに1717年6月24日イギリスのロンドンにおいてグランド・ロッジが誕生して、近代メーソンが出発したのです。




a. フリーメーソンの神観


ジョン・テオフォル・デザギュリエ (英国国教会の聖職者、法学博士)

 メーソンは、自然の石から教会や建物を建てる実務メーソンではなく、“理性である精神から神殿(テンプル)を建てる思想メーソン”にならなければならないと主張しました。

 デザギュリエの意向により、1723年プロテスタント説教師だったジェームス・アンダーソン博士(神学・哲学者)によって「フリーメーソン憲章(アンダーソン憲章)」が出版されました。

 デザギュリエは、神を“理性の神”であるとしました。

 理性の神の導きによって、人間は進化したとし、人間はもともと粗野な理性をもっていて、その人間の理性が“理性の神の照らし”によって磨かれ、自らが神殿となっていくのだと主張したのです。

ジェームス・アンダーソン博士

 これは、当時イギリスの哲学者ジョン・トーランドの「理神論」や「汎神論」の影響によるものでした。

 このジョン・トーランドの著書神秘的でないキリスト教」(1696年刊)では、神の啓示が中心となったキリスト教を排除して、神の啓示の代わりに理性的な自然法を置き換えました。

 つまり、神は天地を創造しましたが、その後は人間社会に恣意的に介入することなく、自然に内在する合理的な法(自然道徳や理性)に基いてのみ、宇宙を統治するという考え方であり、もはや信仰の神ではなく、理性によって宇宙を創造した最高の神ということになってしまったのです。

 これはキリスト教の正当性を、彼らながらの「一般的で理性的な道徳と宗教の一致」に求めたものですが、これに目をつけたのがジェームス・アンダーソンだったのです。

クレメンス12世

 ところが、これはキリスト教から見れば、三位一体と神とイエス・キリストの否定につながる全くの“異端”であるとみなされ、ローマ・カトリック1738年4月28日クレメンス12世によって、メーソンに入会するものを破門すると言う回勅がだされました。


 フリーメーソンの主張する“”は、神の子としてのメシアという人間の形をとって、神様自身の愛を示すものではなく、人間の理性的能力に内在する“自然の光(イルミネ)”として顕現されると主張し、この光を正しく志向して、その光によって自らを照らし、磨き、新たに生まれ変わらなければならないとしています

 しかし、この様な“理神論”も後のフランスメーソン“グラントリアン(大東社)”では、この神の概念までも憲章から削除してしまったため、フランスやラテンアメリカ系のメーソンには無神論者が少なくありません。



 ところで、メーソンの組織は左図の様になっていて、これまでの内容の様な情報は30階級以上のメンバーにのみ知らされており、

「メーソン団の信仰は、高階位に属するわれわれ全員の手でルシファーの純粋な教義を維持することにある!」

とされています。


 29階級以下の多くのメンバーらには、“自由平等兄弟愛”のスローガンを掲げ、自分たちの生活態度や行動を律することとされてだけされています。

 以上のようなことからも、フリーメーソンは“神秘教団”の“秘密結社”であると言えるでしょう。





イギリスからアメリカ、フランス、ドイツへ

 イギリスではじまったフリーメーソンは、フランスで成熟させ、アメリカやドイツに波及しました。アメリカに関することは後の「アメリカ独立戦争とキリスト教」のところで述べることと致します。




a. イギリス王室とメーソン


フレデリック・ルイス (1707年2月1日〜1751年3月31日)

 イギリス王ジョージ2世の長男で、1737年11月5日にロンドンのキュー宮殿で、デザギュリエが主催する「臨時ロッジ」で入会したとされています。

 メーソン最初の王子。


エドワード・オーガスタス (1739年3月25日〜1767年9月17日)

 フレデリック・ルイスの息子で、1762年に入会。


ウィリアム・ヘンリー (1743年11月25日〜1805年8月25日)

 フレデリック・ルイスの息子で、1766年入会。


ヘンリー・フレデリック (1745年11月7日 - 1790年9月18日)

 フレデリック・ルイスの息子で、1767年に入会。



ジョージ4世 (1762年8月12日〜1830年6月26日)

 1787年2月6日、「オカジョナル・ロッジ」入会。

 英国メーソンの“大保護者”として君臨し、メーソンに名誉と格式を添えました。

 アヘン戦争によって巨額の富を得ました。


 こうしてジョージ4世以降、英国王室は代々メーソン入りする様になったと言われています。


 やがて、メーソンは近代科学と自然科学を追求することによって、従来の信仰を否定し、理神論によるメーソンの神を確立しようとしました


 1. デカルト 理性的合理主義

 ニュートンの様に物質界に神の力やアンマ(魂や生命)が内在することを否定して、自らの理性的思考のみに依存するという理性的人間の自立性を説きました。

 これは、のちの“啓蒙主義”の原点ととなって、メーソンの基本的思想のひとつとなりました。


 2. アイザック・ニュートン 合理主義を否定したニュートン力学

 ニュートンは、宗教的な絶対者としての神の存在を否定しませんでした。




b. メーソンと啓蒙思想

 デカルトからさらに・・・

【イギリス】
 ・ロック (1632年8月29日〜1704年10月28日)経験論
 ・ヒューム (1711年4月26日〜1776年8月25日)経験論
 ・トーランド (1670年〜1722年)理神論
 ・コリンズ
 ・チェインバーズ (1680年?〜1740年5月15日)百科事典編纂者
   百科事典はメーソンの啓蒙思想の中から生まれています。
   このことは、神の啓示(聖書)に対する人間の理性の優位性を主張することとなりました。

【フランス】
 ・モンテスキュー (1689年1月18日〜1755年2月10日)
 ・ヴォルテール (1694年11月21日〜1778年5月30日)
 ・ルソー (1712年6月28日〜1778年7月2日)

【ドイツ】
 ・ライプニッツ (1646年6月21日〜1716年11月14日)
 ・ヴォルフ (1679年1月24日〜1754年4月9日)
 ・レッシング (1729年1月22日〜1781年 2月15日)
   人間の教育の目的は、神の啓示を超える人間の理性の自律、つまり人間の成熟にあると述べるとともに、
   啓蒙とは自律的な生き方を勧めるものであり、啓蒙思想こそ人類に最も必要な教育であるとしました。
 ・メンデルスゾーン (1729年9月6日〜1786年1月4日)
 ・カント (1724年4月22日〜1804年2月12日)観念論
   「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書で有名。


 『啓蒙思想』とは、「理性の光」を輝かせて、宗教的伝統や封建的恩讎によって張り巡らされた暗闇を照らしだすと言う意味を持っています。この「理性の光」こそが、メーソンの光イルミネ iluminism)が語源となっています。

 やがて、この啓蒙思想はフランス革命に火をつけることになります。




c. フランス革命


 1789年7月14日、共和国思想が強く、革命思想に燃えていたパリの民衆は武装蜂起し、バスティーユ牢獄を襲撃しました。

 「自由、平等、博愛」のスローガンを標榜しながら、多くのカトリック教会を破壊し、罪のない修道士や、司祭、司教などの聖職者を殺害すると、1789年8月26日、憲法制定国民議会は「人間および市民の権利宣言」いわゆる「人権宣言」を採択ました。

 その後、「聖職者民事基本法」を採択することによって、国家を通して教会統制し、教会活動を骨抜きにしてしまうのが目的でした。


 左図は「人権宣言」を刻んだものですが、上中央にある天使に間にある円形の中に見えるのは、“万物を見通す神の目”、ここでは“ルシファーの目”が燦然と光を放っています。

 そして、宣言文の中央上(ルシファーの目の下)にはフリジア帽が槍の上にのっています。この帽子は、古代ローマの奴隷解放に起源をもつとされています。

 つまり、ローマから生まれたキリスト聖職者からの開放を目指したメーソンらによって引き起こされたのがフランス革命であるとも言えるでのです。


 さて、この「自由、平等、博愛」の“博愛”ですが、“博識”や“博学”などの様に、「広く」または「広範囲に」と言っても“愛のあり方”を規定するものではありません。たとえそれが利己的な愛であってもです。本来の神の愛に相当する言葉に“慈悲”と言うことばがあります。

 『慈悲』とは仏教用語ではありますが、下から解釈すると、『自らのず。他の(他の心を自らの心とする)する』と理解することができます。つまり、“自分を愛する如く他を愛する”と言う意味です。

 そこには“区別”や“差別”がありません。自分が他であり、他が自分であることに他なりません。これが、本来の博愛主義であるはずですが、フランスで起こった「自由・平等・博愛」には、自他を区別する明確な認識の違いがありました。

 イエスが説いた「自分を愛するように、あなたの隣人を(区別なく)愛せよ」とはまさしくこの慈悲と同じ意味の言葉なのです。





イルミナティと共産主義


a. 神の存在の批判から否定へ


 1776年5月1日、ドイツ・バイエルン地方で、アダム・ヴァイスハウプトによって「イルミナティ」創設されました。

 少年時代にイエズス会の修道士に教育を受けましたが、その厳しい戒律のため反宗教的な意識を募らせ、27歳の時インゴルシュタット大学の法学部長となった彼に対する凄まじい嫉妬から自分を守るために秘密裏に会合を持つようになったのがその始まりであった様です。

 しかし、多くの賛同者が集まってくるようになると、以下のような7つの目的のもとに結成されたのが「イルミナティ」です。

1.あらゆる統合政体(国家)の廃絶
2.私有財産の撤廃
3.相続権の廃絶
4.愛国主義の廃絶
5.すべての宗教の廃絶
6.結婚の廃絶を通じての家族制度の廃絶
7.世界政府の樹立

 この目的達成のためには暴力革命も辞さないと言うものでした。


 余談ではありますが、これらの内容が、アメリカのドル紙幣に隠されていることは、あまりにも有名なこととなっています。

 赤丸の部分を拡大すると下図となりますが、・・・


 左図の赤線の部分の文字は「MDCCLXXVI」をアラビア語にすると“666”の悪魔の数字になると言われています。



b. イルミナティを思想化した共産主義

 イルミナティとの接触を持ち、理論的に体系化されたのが共産主義であり、隠されていたものが世に出た無神論主義の最終的産物と言えます。


 さて、共産主義といえばカール・マルクス(1818年5月5日〜1883年3月14日)ですが、父ハインリヒは1812年フリーメーソンに入会しています。代々ユダヤ教のラビの家系で、母アンリエットもユダヤ教のラビの家系です。

 ところが、カールも6歳でプロテスタントの洗礼を受けることでマルクス家はユダヤ教からプロテスタントへ家族全員が改宗したことになります。

 カールは、1830年の12歳の時に名門ギムナジウムに入学するのですが、その時の校長は熱烈なルソーの支持者であったようです。

 ユダヤ系ドイツ人としてのカールは18歳の時、枢密顧問官の娘イエニ−と婚約し、20歳の時父を亡くすと、この頃からユダヤ人の血筋に生まれたことや、両親のキリスト教信仰へ対する恨みを募らせて行く事となるのです。

 その後の結婚生活は困窮した生活と家族の不幸は、カールの無神論と唯物論に益々拍車をかけることとなったのです。

 6人の子供の3人は栄養失調で死亡し、2人は自殺しています。

 「カール・マルクスとその夫人」宮本百合子著

 とくにロンドンでの亡命生活時代は、貧乏と苦難の中で、エンゲルスの献身的な援助と、当時のニューヨークのイルミナティ支部の中心的人物であるホレイス・グリーレイが発刊した「トリビューン紙への寄稿により、僅かながら生活を維持し、毎日大英博物館に通って経済学の研究に没頭していたと言うのです。

 1847年に起草した「共産党宣言」は、イルミナティの創立者であるアダム・ヴァイスハウプトの理論と門弟が書いた「政体の科学」の焼き直しにすぎないと言えます。



ローマ教皇庁からイギリスへ <トップ> 宗教改革