復帰摂理歴史の真実
黄河文明と長江文明 <トップ> 文先生誕生のルーツと日本の摂理

■ 後編 第一章 第二節 黄河文明と長江文明
     a. 中国古代文明と日本


1. 日本の縄文・弥生・古墳時代

 (1) もう一つの龍族「満州族」

  @ シャーマニズムの摂理的背景

    (@)女真じょしん族とシャーマニズム

 1世紀から4世紀頃まではユウろう、5世紀から10世紀頃までは靺鞨まつかつと呼ばれていた少数民族は北にアムール川、南に黄海、東に長白山脈、西に大興安嶺に囲まれた東北平原を根拠地とし、11世紀から17世紀頃には女真と呼ばれるようになった。ユウ婁は竪穴式住居に居住する古代民族であったが、3世紀頃には隋代との関係が良くなり南下し靺鞨と呼ばれ、北の黒水靺鞨と南の粟末靺鞨に分かれたのである。粟末靺鞨は高句麗が唐代によって滅ぼされると、高句麗遺民と共に渤海国を建国した。黒水靺鞨は後に女真族となって金朝と清朝を建国したが、シャーマン(巫女)を伴って活動するようになったのである。しかし、このシャーマニズムは粟末靺鞨にもあり、その由来は長江文明であったと考えられる。
 では、シャーマニズムの復帰摂理的意義は何だったのだろうか。その前に、シャーマニズムとは何かを明確にしておかなければならない。シャーマンとは、精霊を自らの身体の中に憑入させ、自由に統御することができる人のことである。シャーマンはこれらの精霊を永久に具現化し、適切な状況で支配してトランス状態に入り、精霊を出現させ制御することができる “精霊の宿り場” として表現されている。日本には、これ等の中国南方のシャーマニズムが女神信仰山岳信仰と共に、一種の完成された自然宗教として入ってきたのである。
 天使長ルーシェルはエバを誘惑し堕落させ、堕落したエバはアダムを誘惑し子女を繁殖して、天使長ルーシェルはサタン(この世の神)となってこの世を支配した。復帰摂理はこれとは反対に、アダムは神の御言葉によって再創造され、エバは真のアダムによって真の愛を完成し、その愛によって子女を繁殖するように成るのが神の復帰摂理であるとした復帰原理によって考え合わせると、右図のように考えられる。
 イエスの信仰とその伝統は 霊的なものとして引き継がれた。それを象徴するのが「個人の自由と神の前の平等」としたアメリカ建国の精神である。もちろんその根幹にあるのは、かつて英国から危険な大西洋を渡り、新大陸で新しい生活を始めた清教徒の信仰である(参照「宗教改革、そして英国から米国へ」)。これは、善の天使長復帰の象徴している復帰@
 次に、再臨主の創造と再臨主の相対としてのエバの創造にある。これは、イエス時までにもそうであったように一朝一夕とはいかず長い年月が必要である。それは、ノアの末裔が築いた龍神文化の民族であること。また、エバはアダムから取ったものとして創造された(創世記2章21節〜23節)ように、再臨主の相対となるエバとしての相対(保護)圏も龍神文化を備え、エバとしてのシャーマニズム的性格を併せて備えていなければならないのである復帰A。このシャーマニズム的性格として重要なところは 精霊(神)の言葉に聞き従う” ということであり、人間の本心(創造本然の心)を純粋に受け入れ、従う事の出来る純真な性格を意味している

<参照>
 靺鞨とは
 “アメリカ建国の志”を説いたトランプ演説 開拓の精神は「機会平等」か「結果平等」か
 シャーマニズム研究の現在 (元 足利工業大学客員教授 菅原壽清: PDF / 本サイト
 中国における満族シャマニズム研究の現状王宏剛 著: PDF / 本サイト
 満州族におけるシャーマニズムと女性たち (名古屋大学文学研究科博士課程 楊紅: PDF / 本サイト



    (A)卑弥呼と長江文明



 紀元前2000年頃以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化からは、異様な造形が特徴な青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土している。この文物の発見は 長江文明の古蜀王国の存在を証明するものとなっている。古蜀王国は、紀元前316年に秦に滅ぼされたのであるが、その時、中国四川省の険しい山が連なる大涼山に逃げ込んで、その山頂の秘境において涼山イ族(彝族)の人々がシャーマンを中心とした暮らしを現在でも営んでいることから、当時の長江文明ではシャーマンが文明の重要な立場にあったことが覗える。
 ところで、それから暫くして中国に魏・蜀・呉の(三国)時代があった。蜀は蜀漢ともいい、蜀の臣から季漢と呼ばれ「漢の正統を最後に受け継いだもの」という意味がある。は(220年〜265年)45年間しか続かなかった王朝だが、成立の基礎を作った曹操の時期の政権である。魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる(左図)。
 さて、卑弥呼の行っていたとされる “鬼道” であるが、“” と言うのは仏教用語で “死者” を意味し、この死者は六道輪廻のうちにあり、絶えず飢えているので “餓鬼” という熟語で呼ばれている。餓鬼は細いのどや膨張した腹をもつ気味悪い存在であるが、人間に悪事をふるうほどの力はない。幼児を取って食うという女神ハーリティー鬼子母神と漢訳されている。この女神はのちに幼児の保護者となるが、改悛前の恐ろしい姿が鬼という言葉と結びつけられている。このことから卑弥呼はシャーマンであり、男子の政治を卑弥呼が霊媒者として助ける役割をしていたと捉えるべきである。それは、その後に展開する歴史が物語っている。

<参照>
 四季吉村(PDF)
 スーパープレミアム 「秘境中国 謎の民 天頂に生きる〜長江文明を築いた悲劇の民族〜」
 4000年前の三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝族との関係は?
 秘境中国 謎の民 天頂に生きる〜長江文明築いた悲劇の民族
 古代文明と宗教24〜黄河・長江文明
 四川省で古蜀国末裔の墓地を発見、年代の幅は2千年以上
 古蜀国はどこに行ったか? −三星堆遺跡を見てー
 卑弥呼〜むらからくにへ〜
 ジャパンナレッジで閲覧できる『鬼』の辞書・事典・叢書別サンプルページ



    (B)女真族と山岳信仰



 三国時代以降、魏は王朝が替わり続けるなかで、仏教文化が6世紀頃から日本にも伝播し、唐代に密教として花開いた仏教が、空海によって日本に移植され、撚り一層熟成され味わい豊かな実をむすぶのである。その間、満州民族はユウ婁から靺鞨となって渤海国を築き、長江文化由来のシャーマニズムを取り入れ白山信仰を実らすことになる。名を女真と改め、白頭山を本山とし、シャーマンは日本の卑弥呼のように女性たちが行ったのである。この女真族は中国へ向かい金王朝(1115年〜1234年)を築き、日本の山岳信仰にもその痕跡を残した。
 南の太陽神文化は仏教や道教との関係が深く、これが北の龍神文化と交わったことで、陰陽の関係、つまり龍(男)と鯉(女)の関係がより一層顕著となって、皇帝(龍:男)とシャーマン(鯉:女)の関係が形成されたのである(前頁参照「黄河文明と長江文明」)。女真族は、これを宗教としての白山信仰を築き上げた。その本山とされるのが「白頭山」である。
 日本では、古よりあった山岳信仰とこの白山信仰が結びついて、修験道の山頂には女神が祀られ、宗教的にも自然崇拝や精霊崇拝、巫呪信仰を土台として、神道(八百万神)、道教(無為自然)、仏教(悟りと煩悩解脱)と積み上げてきて、修験道によって過去・現在を修め、未来に対して新しい息吹として再生させる山岳信仰を極めてきたのである。その為、摂理的に備えるため神道を仏教に習合されたと考えられる。しかし、空海の理趣経は一見して修験道と理に反し、密教独自のものとなってしまったのである。そして、神仏分離によって廃仏希釈され、キリスト教も蚊帳の外となって、神道単独となったその行き着く先は大きな過ちを犯してしまうことになったのである。これらすべての宗教を一つにするには、神仏習合のままキリスト教も習合すればよかったのである文先生の説かれた “原理” はまさしくそれである。ちなみに、文先生が執筆されたのは『原理原本』で、『原理講論』は李承晩政権下における韓国キリスト教のために劉孝元氏が再編したものである。

<参照>
 山と宗教(前編) (日本山岳修験学顧問 長野覺: PDF / 本サイト
 白山信仰と朝鮮半島
 李承晩政権の対日外交 −「日本問題」の視点から−
      (慶應義塾大学大学院法学研究科 尹錫貞: PDF / 本サイト



 (2) 縄文・弥生時代から古墳時代へ

 ノアの洪水を気象学的に考察してみると、18,000年前から気温が上昇して氷河が後退し、10,000年前ごろに氷期が終了した。6,000年前ごろにかけて世界中で海面が140メートルほど上昇したため、沿岸部が海に沈んだことから洪水神話が生まれた可能性がある。その後、メソポタミア文明が形成されるまで、またはそれ以後においても争いが絶えなかったが、アブラハムが西に移動したように、多くの人々は東に移動した。その最初に移動した者たちが築いたのが遼河文明であり、その後やってきたのが長江文明を築いた人々である。遼河文明を築いた人々の一部は、ベーリング海峡を渡った者もいるが、その多くはそこに定住し、畑作牧畜社会を形成した。長江文明を築いた人々は、長江流域に留まり稲作漁労社会を形成したことは前にも述べた(参照「黄河文明と長江文明」)通りである。この畑作牧畜社会を形成する人々が日本にも入り込んで、竪穴式住居に居住する縄文時代を築いたことはもちろんであるが、中国南の稲作漁労社会にも侵入し、新しい黄河文明を築いたことも前に述べた通りである。この時、海を渡って日本に逃げて稲作漁労社会の弥生時代として開花したのである。この出発点となったのが、九州南部の熊襲である。黄河文明が滅んでからは、春秋時代の呉越戦争、戦国時代のの侵攻によるの滅亡、さらにはによる中国統一のための侵略により倭人と称される人々が朝鮮半島を経由して直接九州にやってきて邪馬台国を築いた。
 長江の奥地にあった三星堆遺跡は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀国の遺跡であるが、長江文明のシャーマニズムは、古蜀国が秦に滅ぼされた後にも神霊的支柱として重要視され、倭国における争いを鎮めるために卑弥呼が一翼を担ったことはそれを物語る貴重な事実である。
 2世紀頃、失われた10支族(参照「日本へ向かった10支族」)が日本に来て長い時間を要して大和国を築いたのである。この邪馬台国と大和国が並立していた時代を古墳時代と呼んでいる。古墳時代は考古学上の時期区分であり、大和国は文献上の時代区分とされる。文献としては、古事記日本書紀が代表される。

<参照>
 だって大変なんでしょ〜?縄文人がなかなか稲作をはじめない件
 生業からみた縄文から弥生
 ライフスタイルの転換 : 畑作牧畜文明社会から稲作漁掛文明社会ヘ
      (ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 安田喜憲: PDF / 本サイト
 石器・縄文・弥生・古墳時代
 『大災害を伝える神話 ―「ノアの洪水」や「文明消失」は起こったのか―』
 中国トーテム文化の源流を探る:古代の熊は東アジア大陸の神
 古代史・倭の世界
 「倭」「倭人」について (白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員 張莉: PDF / 本サイト
 7 世紀末の倭国(九州王朝)から日本国(大和朝廷)への権力移行について
      (古田史学の会 正木裕: PDF / 本サイト


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