復帰摂理歴史の真実

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■ 1. 人間堕落と三位神と偶像崇拝
     a. 失われた12支族と東洋


10支族の行方とシルクロード


次を参照の上御覧ください。(分立摂理とその変更


 ルベン族ガド族マナセの半部族3支族はアッシリア捕囚後は北方に向かい、しばらくの間クリミア半島にいました。(下図)

 その後、その多くが東方に向かったとされています。

 この3支族こそ、日本に来て出雲大社を築いたイスラエルです。


 左図からもお分かりの様に、エフライム族は12支族のなかでも、特に王族として選ばれた支族と言えるかもしれません。

 ヨセフエジプトの副王になり、人情に篤く、ヨシュアはモーセの後を引き継いで、カナンでイスラエルを導いた信仰ある人物です。


 クリミヤ→キルギスマナセ族の一部が残留します。また、日本の「山幸彦・海幸彦」に似た話が残っているとされています。)→エゼキエル書8章16節にある「東方憧憬」から、さらに東へむかいました。

エゼキエル書8章16節
「見よ、主の宮の入り口に、廊と祭壇との間に二十五人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。」


 ちなみに、日本の天皇家はエフライム族の末裔で、シルクロードの北方ルートのキルギス(弓月国)のあたりに「秦氏一族」が居たとされています。





一神教から多神教へ

  諸宗教の系統

 さて、アダム家庭の堕落によってもたらされた復帰摂理は、ノアの時の洪水審判によって再びノアの一家庭から出発しました。

 ノアの長子セム次子ハム三子ヤペテから全ての人種が出発しています。

 ノアから唯一神教をそのまま受け継いだ長子セムからは、その後も唯一神教としてのユダヤ教キリスト教イスラム教が誕生しました。

 さらに、次子ハムにおいては、ハム自身は唯一神を崇拝していましたが、多神教へと変わってしまいました。

 また、三子のヤペテは、初めから多神教として始まっていったものと考えられ、大きくこの3つに分類することができます。


 ハム
  バアル信仰 ・ アシタロテ信仰 ・ 太陽神ラー信仰オシリス神話マルドゥク神話

 ヤペテ
  バラモン教ジャイナ教ヒンドゥー教仏教ゾロアスター教ギリシア神話グノーシス主義マニ教


 など・・・


 ここで注目しておきたいのはゾロアスター教です。

 ゾロアスター教の創始者はザラスシュトラで、聖典はアベスター

 アフラ・マズダー(「智恵ある神」の意)を最高神として、日常生活の善思善語善行が大切であるとしました。

 アフラ・マズダー全知であり、完善であり、真実と善良の生みの親であり、愛と福をもたらすとしていますが、この世には、スプンタ・マンユ真理の霊)とアンラ・マンユ(虚偽の霊)が存在して互いに対立しているとしました。しかし、アフラ・マズダーは、人間に自由意志を与えたので、人間が自ら判断し、善行によって邪悪を退け、アフラ・マズダーの栄光の下に迎えられ救済されなければならないとしました。

 この様に、ゾロアスター教では、スプンタ・マンユ(善神)とアンラ・マンユ(悪神)の二元論と考えられていますが、終末の時にはアフラ・マズダーが審判を下す最高神とされているので、一神教とも言えるようですが、このアフラ・マズダーは悪を完全に解決するのではなく、善悪の分離、分別する神としての最高神とされているので、正確には善悪二元論と言わざるを得ません。




仏教以前と原始仏教(小乗仏教)

 紀元前1500年頃、アーリア人がインド亜大陸に移住するようになり、バラモン教が発展します。

 バラモン教の聖典は『ヴェーダ』で(知識)を意味しているので、バラモン教では「英知の教典」と言えます。

 バラモン教の祭儀では、火神アグニが重視され、バラモン教の聖典「ヴェーダ」のウパニシャド哲学は、一神教的性格を帯びています。そのため宇宙の本体としてのブラフマン)」を漠然として信仰していました。

 本来の創造主としての「神」から、創造主と被造物が一体であるという観念が生まれ、ブラフマン「宇宙を支配する原理」)』と『アートマン「個人を支配する原理」)』は 一体であると言う『梵我一如』と言う観念に至りました。この事 によって、創造主としての神と被造物との区別はもちろん、被造万物と人間の区別も薄れて、『輪廻転生』の考え方が生じるよう になりました


原始仏教

 仏教は、「仏の教え」のことを言いますが、「仏になるための教え」とも言えます。「仏」は「仏陀」のことで、「(真理に目覚めた人」を意味します。

 【無神論・無霊魂の教えとしての仏教】

 ゾロアスター教では、神を「英知の主」としていましたが、バラモン教では、その宇宙の根本原理であるブラフマンを記した聖典『ヴェーダ』を「教典の英知」として重要視するようになり、原始仏教においては、神的存在に関しては一切触れず、「人間の悟り人間の英知)」のみが論じられるようになったのです。

 人生におけるすべてが「四諦)」であるとして、「苦」は、常に移り変わりゆく(無常の)現在や現世に対する執着心から来るものであり、すべての実体の無い物(無我)であるから、それへの執着心を断てば、それに囚われることのない、それ(苦)から開放された境地(悟り)に至ることが出来るとしました。

 そのためには、一切の欲望(煩悩)に囚われること無く、無の境地にたち、物事の有様を正しく見つめて、正しく認識して、正しい行いを積み重ねていくことによって真実なる報い(結果)を得ること八正道)を基本的思想としました。

 しかし、こうした捉え方は霊魂の存在までも、その実体は無いとした唯物的内容にしてしまいました。

 ところで、このような内容は限られた出家者しか得られず救いに至れないとしたのが「小乗仏教」です。



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