明かされたカバラ
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■ 2. 現実の認知
     a. 知覚を制限するエゴイズム


 第一回目のレッスンでは、何がカバラで、何がそうでないかを見てきました。カバラは何のためにあるのかをもう一度言うと、それは、「私の人生の意味とは何か」と言う疑問を持つ人のためのものです。ここから始めたいと思います。まずはカバラの定義からどの様な展開になるのか見て行きましょう。
 カバラは、人が上層現実を感じ知ることを可能にする叡智・科学である。このように人生の目的について関連させていますが、疑問も投げかけます。人とは何か? 人間とは? 上層現実とは? 何をもって上層現実を感じ知ることができ、そこに入れるのか?
 前回で使った図を見てみましょう。
 私達は、何からも影響を受けない完全で無限の現実の中に存在していて、その中では、全てが完全に互いに結ばれ、無限の喜びに満ちあふれ、全てを知り、現実に存在する全てのものと触れ合っています。しかし、全体系に到達したカバリストの伝えることは、私達は、ある目的のために、この存在のあり方、複数の“世界”と言う体系を通ってこの存在様式まで降下したと。複数の世界は“オラミム”と言います。ヘブライ語の“オラム”からです。その語源は“エレム”、「隠すこと」「隠されていること」を意味しています。私達はこの現実との完全連結から降下し、障壁と言う交差点に達し、ここ、私達の世界ではとても制限された状態で暮らしています。私達の世界には、これらの世界の感覚は全くありません。
 これら全ては霊的な世界です。ここが物理的世界、または“身体性”です。もし、人生の意味・目的を知りたいのなら、その計画が何なのか知っておくべきです。それは不可能なことにも見えます。人生の目的や答えを知っているなんて、冗談に聞こえます。しかしカバリストはそこから始めます。
 この全体系を到達した人たちは、現実全体と全創造に、計画・青写真があると伝えます。人生の目的とは、被造物を創造し、その被造物を無限の喜びで満たすことだと。それが全部で完全な意味、目的、方向性、今までに起きたこと、起きうること、そして起きるであろう全現象は、その目的のためだけに起きます。創造の裏に隠された思考、意図、そして全現象の法則においても、霊的な世界と物質界を支配する主要な全法則の根本は、その唯一の思考にあります。思考被造物を創造し、その被造物を無限の喜びで満たすこと以外の目的で起きることは、この世界において何もありません。
 では、人が霊的な世界に入ることを阻止するものは何か? 人とは何なのか。理解しなければならないことは、私達がどの様に現実を感知していて、それが私達から物事を隠すことの原因になっているのかです。
 これが人です。五個の穴の開いた、閉ざされた箱です。これら五個の穴は私達の五感です。人の周りにあるものは、上層現実、完全な現実、霊的なものです。その完全な現実から何かが近づきます。外の現実として映っている無形の何かが、人に接近するのです。そして、私達の持つ五感を通じて、それが何か決断します。言い換えると、五感によると現実は何から構成されているのかと言うこと。この霊的な物体がこの箱に近づきます。しかし、ここで変わったことが起きます。それは実際には箱には入りません。箱は閉鎖体系です。何故ならこの物体が入る代わりに、障壁、変換機のようなものに当たるからです。例えば鼓膜、網膜、肌の表面にある神経、味蕾です。外にあるものを捉える代わりに、この物体は軽減され箱のプログラムの中を通過します。そして通過しながらプログラムの中で一定の原理に従い、私達の理解出来る何かに解釈されます。いったんそれがここを通過すると、それが私達の箱、またはこの機械から立ち去り、それは私達の現実を作り出すのです。
 よってこのセンサーの感度は問題にされません。目であるなら、それはハッブル宇宙望遠鏡でもよいし、非常に強い近眼で、目の前の物が見えなくてもかまいません。感度は問題とされません。問題とされるのはプログラミングです。この主観的なシステム、機械の中で起きることです。どんなものがこの中に入ろうが、それはプログラムの決断したものにしか成りません。これが何かではなく、プログラムの理解出来る軽減されたものです。
 では、これを制限するプログラムとは何でしょうか。これが客観的現実です。そして、これが私達の知覚するその一部の制限されたものです。このプログラムはもの「エゴイズム」と呼ばれるものです。それは、自己を配慮すること。私の得るものはそこにあるのか? それは私にどの様な影響を及ぼすのか?
 この結果、人はこれらに対する主観的な見解の中に監禁されます。箱の中で感じることにしか関連できないのです。そして、箱の外に実在するものを感じることはないのです。よって問題があります。なぜなら、五感のどれもが同じプログラムで働いているからです。五感は、そのプログラムの外側に存在するものについて、何も教えることができないのです。




♠ 統一原理との対比



 主なる神は土のちりで人を作り、命の息”をその鼻に吹き入れられた。そこで人は“生きた者”となった。(創世記2章7節)


 旧約聖書の創世記2章7節には、神は人の鼻から「命の息」を吹き入れたことによって、人は「生きた者」となったとあります。「生きた者」とは、生物学的な“生き物”としてではなく、「命の息」によって活動する“人”のことを言います。人は、鼻で呼吸を行うことによって生命活動を行います。「鼻から命の息を吹き入れた」とはそのことを意味し、人は神霊によって生命を営むことによって、「生きた者」として神との関係を結んで存在するということになります。
 ところで、空気を呼吸するように“無意識に取り入れるべき命の息がなぜ障壁(マクソン)”となってしまったのでしょう。カバラでは、神と人間との間に“障壁”があることの理由を説明していません。また、なぜこの障壁を超えてまで、その先にある“授与する意思”へと向かおうとする欲望があるのかも説かれていません。『原理講論』では、その欲望は創造本性としての“本心”による欲望であり、それに対する障壁は“堕落”によって生じたものであると明確に説いています。


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