復帰摂理歴史の真実
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■ 中編 第二章 日本の伝統的精神と神の愛
     e. 内村鑑三の武士道とキリスト教


1. 内村鑑三の武士道とキリスト教
 (1) “二つのJ” に対する内村鑑三と新渡戸稲造の違い
  @ 内村鑑三の贖罪による人としての発展
    (@)基礎となった札幌農学校
 内村鑑三は、5歳から儒学を学び、次いで、高崎藩の英学校(12歳)、有馬英学校(13才)、東京英語学校(16歳)、札幌農学校(17歳)というコースを辿った。実質的には創設当初の札幌農学校の教育風土によって、内村の人格が培われたといえる。
 札幌農学校は明治9年、ウィリアム・スミス・クラークを初代学長に迎えることにより、殖産興業に寄与する技術官僚を養成するという日本側の思惑を越えて、キリスト教精神と広い教養に基づく人格形成の場として発足した。それはマサチューセッツ農業大学に範を取ったものだが、教育理念は、アメリカにおける高等教育の近代化の波に逆らって、敬虔な福音主義とリベラルアーツに支えられた人格形成の理想を保守しようとした、クラークの母校アマースト・カレッジにまで遡れる。札幌農学校の学課に歴史・哲学・心理学・英文学などが加えられたのもそのためである。内村は二期生としてクラークなき後の農学校に入学したが、クラークの残した教育理念は、個人主義的で簡素な信仰と「自修心」を重んじるその倫理的態度と相俟って、内村のような克己的で向学心に燃えた日本の武士の子弟の精神的要求によく応えるものだった。

    (A)自己修養によって抱える矛盾
 内村鑑三は「修養」とは “人たる道を学び真人間に成ること” であり、人が人である以上不可欠であって、人間にふさわしい学びであるとしたのである。ところが彼の「修養」概念は宗教的修行や精神鍛錬のイメージから離れ、主体的な人間形成を指すものへ移行する兆しとなった。
 内村は、修養の基本にある「自省」の壁を破って、自己意識からの解放を伴った自らの向上を可能にするものこそ信仰であるとした。このことは、自省による “罪の自覚” こそがキリスト教徒としての修養が完成され、“無限的成長の生涯” が可能になるとしたのである。

    (B)進化としての発展
 内村が “無限的成長” とするのは、札幌農学校で魚類学を専攻し、そこで生物進化論に出会ったことに始まる。
 19世紀後半のアメリカは進化論の時代であり、それが旧来の超自然的な宗教的世界観を大きく後退させつつあった。この社会思想の変動期におけるアメリカから、信仰をめぐって相対立する二つの生物進化論がほぼ同時に日本にもたらされた。1877年から東大で教鞭を取ったエドワード・S・モースの無神論的な進化論であり、他方は札幌農学校を中心とする有神論的なものである。
 内村において、聖書の他に『種の起源』を繰り返し読む中で、キリスト教徒であると同時に進化論者として生きていくようになった。進化論は、人間を含む宇宙万物が無限に進歩発展する観念を与えた。内村にとっての「進化」とは、彼の向上心を “生命の自発性” とした上で、人間性に含まれる成長への衝動として了解したのである。彼は、人間と動物の区別や人類の系統発生などの問題に深くこだわることはなかったと言えるが、この “生命の自発性” こそ人間を “人たらしめる” こととして動物と区別すべきところと言うべきである。

<参照>
 進化論の衝撃

    (C)罪を犯す者としての自己と福音信仰
 内村には、進化論を土台として「無限に発達する人間」という観念が作られた。しかし、2回の「回心」を経てキリスト教への信仰が確立したという。最初の回心は1878年の札幌における入信であり、次が1886年の米国での福音信仰の獲得に拠るものである。それは、内村が創造神を受け入れ、真剣な修養の中での罪の問題に突き当たってのキリスト教の真髄たる “罪を犯すものとしての人間観” であり、それは「罪を犯す人間でありながら無限に成長する人間」という矛盾であった。
 ところで内村は “自己犠牲” を難しいものにしているのは、貧しさでも卑しい労働でもなく罪を犯す人間としての「利己心」であることに気づき、そのことを解決するのはキリストの贖罪の力に対する信仰” によって “義人として生きる” ことであって決してその行為によるものではないとした。このことは、キリストによる十字架の贖いが人間始祖の堕落以前における清浄と純潔とに連れ戻すという、イエスの死と共に自己の罪に死し、神の子として再生するという “十字架と復活による救い” に対する信仰によるものである。
 内村は1888年、4年間の滞米を終えて帰国し新潟北越学館に仮教頭として赴任し、生物学と聖書講義を担当していた頃、信仰の形成を発達の一段階として捉え、自己修養による葛藤をそれに先行する段階として重視していた。そして、自己修養による葛藤は人としての理想と倫理性を高め、キリストの救いに対する “罪を犯すものとしての信仰” に至ることを可能にした。そして、その信仰によって得る「福音(真理)」によって、その理想と倫理性の達成に向かう “無限進歩” という2つの人間観に微妙な均衡が保てることを確信したのである。

<参照>
 内村鑑三の自己形成と教育観の構造 (東京大学大学院生 木戸三子 : PDF / 本サイト



  A 「贖罪の信仰」と「悲哀の崇拝」
    (@)悲哀は愛に変わる
 内村鑑三と新渡戸稲造は、共に武士の家に生まれ札幌農学校でキリスト教の洗礼を受けたが、両者の信仰の性質には違いが見られたことが矢内原忠雄の回想によって知られている。矢内原は、旧制一高の学生の時、師である新渡戸稲造に内村との宗教の違いを尋ねた。それに対して新渡戸は「僕のは正門ではない。横の門から入ったんだ。横の門というのは “悲しみ” といふ事である」と答えたという。これについて矢内原は、正門とは内村鑑三先生の中心である贖罪の信仰のことであり、それに対して新渡戸先生の信仰生活の主な点は贖罪よりも悲しみということにあるという意味に解釈している
 この新渡戸の悲哀に対する崇拝は、新美南吉の「悲哀は愛に変わる」(昭4・4・6 日記)という言葉からその真意を理解することができる。『武士道』の翻訳者である山本博文氏は、その『現代語訳 武士道』の解説の中で次のように述べている(『 現代語訳 武士道 』p203)。
 しかし、同時に新渡戸は、武士道は、滅びた後にもその灰の中から甦る不死鳥のように、日本の将来を照らすだろうと預言している。そのキーワードは、キリスト教の「愛」だった。

これは、創造主である神と、被造物としての人間始祖となるアダムを「愛」という関係でみるならば親と子の関係である。“贖罪” とは神に対して罪を犯した人間側からの言葉であり、“悲しみ” とは、人間の堕落によって我が子を失った神の心情を表現する言葉である。特に、内村におて武士道の “忠” は下から上への献身と忠誠という一方向的な理解にすぎないが、新渡戸の『武士道』では ” という神的存在を背景に持った “上からの不変的愛” を前提としての「培われた日本の伝統的精神が著されている。
 内村は、日本人の “孝” がキリスト教の受容に発展するが、目上の者への “忠” に対する拒絶観は、当時の時代的背景を危惧してのことと考えられる。新渡戸の武士道は、キリスト教の十字架よりも先に慈善行為の実践を唱えるような西洋のキリスト教にそのまま吸収される面があり、キリスト教の本質とは言えない “忠” は、特に社会体制維持の道具として扱われると捉えた。また、新渡戸は『武士道』において西洋近代への批判を展開しておらず、世界がその方向に進むことを容認しているとした。内村は、新渡戸の武士道を「キリスト教化された武士道」とすることで、新渡戸の『武士道』が結果的に本来のキリスト教精神から離れている西洋近代に追従する日本政府の方針を支える原理ともなり得ると捉えていたのである。

<参照>
 新美南吉の言葉

    (A)“二つのJ” における台木(接木)
内村鑑三と再臨運動黒川知文くろかわともぶみ 著)

 再臨運動を内村の信仰形成史の中に位置づけ、同時代人の受容と批判、さらに内村のユダヤ人観との関わりなどを通して多角的に考究。
 【著者について】1954年,香川県小豆島に生まれる。東京外国語大学卒業、同大学院修士課程を修了後に政府奨学生としてヘブライ大学に留学する。エール大学大学院博士課程に留学し一橋大学大学院博士課程と東京大学大学院博士課程を修了する。文学博士(東京大学)。専門は宗教史、特に宗教運動の研究。現在,愛知教育大学教授。慶應義塾大学講師、東京外国語大学講師。
 高松高校2年生の時に入信し、1972年に高松聖書教会においてTEAM宣教師R.カックスにより受洗。東京神学校、エール神学校、東京基督神学校で聴講し、2001年に聖書キリスト教会尾山令仁牧師により按手礼を受け、現在、非常勤牧師として礼拝説教を担当する。

 キリスト教国であり、文明の到達点でもある米国に来た内村は、そこで目撃した人種的偏見、金拝的傾向、私刑、犯罪等に驚き、失望した。(『内村鑑三と再臨運動』p79)

 グロースター滞在中に書かれ、一八八六年一月に米国雑誌に掲載された論文「大和魂の道徳的特徴」は、内村の日本再評価を示すものである。この論文は、内村が要約しているように、『大和魂』がその精神において本質的にいかにキリスト教的であるか、そしてキリスト教宣教師は、わが同胞を最も純粋にして神聖な救い主……へと導くにあたり、大和魂からいかなる利点を引き出すことができるかということ」を示すことにある。具体的には「親への孝」、「目上の者への忠」、「目下の者への愛」を挙げている。(『内村鑑三と再臨運動』p79〜p80)

 「二つのJ」は、内村鑑三の思想のひとつであり、内村が信仰する「Jesus」すなわちイエス・キリストと「Japan」すなわち日本の二つのことを指す。キリスト教の無教会主義は、この思想のもと内村が形成したものである。
 内村鑑三は、アメリカのアマスト大学の卒業後、ハートフォード神学校に入学する。しかし、伝道事業が職業と化していたことなどからくるアメリカのキリスト教への失望と、不眠症の悪化により退学。日本へと帰国することとなる。また、内村がキリスト教に回心したことは、日本に対してうしろめたいことであり、日本に対しても配慮した形のキリスト教への考えを作り上げる必要があった。そのため、内村が元々持っていた日本への愛国心とアメリカのキリスト教ではないキリスト教そのものへの信仰をあわせて、「二つのJ」を信仰するようになった。
 内村は、キリストの十字架による贖罪を通して「赦された罪人」という新しい人間観に目覚めたことにより、武士道に対する見方を改めた。その武士道は、まだキリストに出会っていないがゆえに台木にすぎないが、その中にキリスト教の本質と結びついてそれをさらに輝かせるような新しい可能性を持つもの、すなわちキリストの十字架ゆえに一人ひとりの人間を尊ぶキリスト教の中で生きて働くものであるとした。日本の武士道を台木としキリスト教を穂木ほぎとして接ぎ木すれば、キリスト教国である米国で目撃したような矛盾は生ぜず、それよりも高い道徳性を有したキリスト教国となれることを確信し再臨運動に臨んだのである。

<参照>
 内村鑑三における武士道とキリスト教 (法政大学人文科学研究科 佐藤明 : PDF)
 たまたま木(気)になる、りんごのおはなし

    (B)内村の再臨運動
 一二月一三日に英国がエルサレムを占領してオスマントルコ帝国から奪還した。この日発行された『聖潔之友』には「殊に今月中かの聖地に於る出来事に細心の注意を払ふべきである。また主は聖徒を空中に携へ挙ぐるために来り給ふ事は近々の中である」と述べられた。(『内村鑑三と再臨運動』p105〜p106)

 艱難の時代にイエスの空中再臨があり、信者は天に携え挙げられ、千年王国が訪れる。これが主の日に起きることだとされた。(『内村鑑三と再臨運動』p106〜p107)

 イエスの空中再臨に関して、『原理講論』には次のような記述がある。
 預言者マラキは、メシヤ降臨に先立って、既に昇天したエリヤがまず来るであろうと預言したのであった(マラキ4・5)。したがって、イエス当時のユダヤ人たちは、昇天したエリヤその人が再臨するものと思っていたから、当然エリヤは天より降りてくるであろうと信じ、その日を切望していたのである。ところが、意外にもザカリヤの息子として生まれてきた(ルカ1・13)洗礼ヨハネを指して、イエスは、彼こそがエリヤであると、明らかに言われたのである(マタイ11・14)。(『原理講論』p563)

 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。(マラキ書4・5〜6)

 確かにラクダの毛衣を着て、腰に皮の帯を締めていた(列王記下1・8)預言者エリヤは昇天した(列王記下2・11)。しかし、昇天した預言者エリヤを遣わすということと、ダニエル書7章13節にある「見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて」というメシアの降臨の預言が当時のユダヤ人たちにとんでもない混乱を招いた。天から遣わされたと言う預言者も、空中から降臨したとされるメシアも一切存在しなかったからである。
 イエスの空中再臨は、ダニエル書7章13節も勿論であるが、ヨハネの黙示録1章7節にある「見よ、彼は、雲に乗ってこられる」という聖句がそれを示すところとなっている。しかし、イエスの誕生も母マリアの胎からであったにもかかわらず、再臨主は母親からの誕生ではないとでも言うのであろうか。キリストは神人であるから、孫悟空のように雲(筋斗雲きんとうん)に乗って突然現れることも可能だとの主張するのであろう。
 内村鑑三の再臨運動は、当時としては重要な運動となったことは確かであるが、すでに時代は日本国の分岐点にさしかかっていた。

<参照>
 孫悟空 vs イエス・ キリスト: その 驚愕 の 共通点 とは!?
     (著者:中村友彦 KARIS翻訳サービス代表 / Kindle版)



 (2) 新渡戸稲造の『武士道』を再考する意義
  @ イエスのキリスト教と文先生の思想
    (@)古い酒と新しい酒の結びつき
 日本におけるキリスト教の受容に関して、代表的な研究『土着と背教』(1967年)を著した武田清子は、内村鑑三と札幌農学校同期であった新渡戸稲造のキリスト教受容について、興味深い分析をしている。それは、「古い皮袋に新しい酒をもる」という表現で、武士道にキリスト教が接ぎ木される意味を示している。
 古い皮袋にもられた酒はその中にひめられた醗酵素のゆえに、いつの間にか新しい酒に代わっており、しかも、新しい酒は皮袋を破ることなく、皮袋をもやがて新しい皮袋にと変容してゆく。そこには、日本文化に対する新しい価値(新渡戸の場合はキリスト教)の接ぎ木型土着方法のみごとな例がみられると言えるのではなかろうか。

 これは、マタイによる福音書9章17節以下の『新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする。』をモチーフにした類比である。
 ここで、武田の言う「新しい酒」としての意味は、“外から加わる全く新しい酒(b)” と “古い酒(a)変化して新しくなった酒(a')” の2種類が考えられる。しかし(b)は当然ながら新しい酒であるが、(a')は(a)が変化して新しくなった酒であって、(b)も袋の中で変化し別の酒(b')となるから、袋の中で混じり合った酒(a'+b')は「新しい酒(c)」となって区別がつかないとしているところである。寧ろここで注目すべきは、葡萄酒の方にあるのではなく革袋の方にあると言っているのである。古い革袋(d)は、「新しい酒(c)」が作用して “新しい革袋(d')” になるとしているのである。
 では、新渡戸の言う「古い酒(a)」と「新しい酒(b)」、さらに「革袋の(d)と(d')」は何を譬えたのであろうか。「古い酒(a)or(a')」は “キリスト教” を、「新しい酒(b)」は新渡戸の言う『武士道』を譬えたに他ならい。そして「革袋」とは、それらの “エキス” を蓄えるところとして表現されている。ここでのエキスとは、“愛” のことである。
 ところで、キリスト教がたどり着いたのは “自己愛” であり、武士道のそれは “利他愛” である。しかし、“自己愛” は “利他愛” が無ければ利己愛になりかねず、“利他愛” は “自己愛” なくして困難となる。隣人愛が、あたかも自己犠牲の上にしか成り立たないかのように考えられることがある。しかし、それは正しい見方ではない。自虐的な態度で自己を犠牲にしたり、自己を軽視したり蔑視したりするような人間の心象は、マゾヒズムに過ぎない。マゾヒズム的人間には、隣人を愛することなどできはしない。自分の満たされない思いを、相手に服従することで充足させようとするからである。したがって人を愛するには、まず自分を愛することができなければならない。
 利他主義とは非利己的な愛によるものであり、その愛の対象としては、自他を区別しないところにある。他人のためだけに生きているという人間は、自分が自分自身を重要なものだと考えていない。もちろん自己中心的な愛は退けるべきであるが、“自己愛” とは私自身を含むすべての対象に対して、同じ態度で向けられる基本的な愛なのである。マタイによる福音書22章39節の『隣人を自分のように愛しなさい』というイエスの御言葉は、まさしくこのことに尽きるのである。

<参照>
 内村鑑三の「武士道に接木されたキリスト教」に関する間文化的哲学における一考察
     (西南学院大学人間科学部教授 深谷潤 : PDF / 本サイト
 自己愛と利他愛のむすびつき (長崎ウエスレヤン大学 現代社会学部准教授 吉野浩司 : PDF)
 実はとっても深い「結び」という言葉。そのルーツは日本神話に?

    (A)自己愛としての修養
 新渡戸稲造は『修養』においてその概念を「修身養心」とし、次のように規定している。
 先ず「修身」とは、“克己こっきなることがもととなって、肉体情慾の為に心を乱さぬ様、心が主となって身体の動作又は志の向く所を定め、整然として、順序正しく、方角を誤らぬ様、挙動のみだれぬ様、進み行く意” としている。
 また「養心」とは、“各自の預って居る、柔和な、少しく荒く扱へば、息の根も絶え易い、その代り、懇切に養へば最も能く馴づく仔羊の如き心に食物を与え、寒い時には温みを与へ、暑い時には之を涼しうし、横道に踏み迷はんとする時は、之を呼び止めて、正道に反らし、有らゆる方法を用ゐて正道に従ひ養育するの意” とした。
 つまり『修養』とは、「心」に「道」を内在化し、その「道」を日常のなかで顕在化させることによる自己支配であり、「心」をその根本に据えることで、その「心」の「内なる光」によって照らされた「道」を正しいと思へば何処迄もことだとした。
 そして、その「内なる光」を照らすのは「宇宙意識(神 or 天)」としての “宇宙の神霊” であり、人間が「自分の(良心における)“神霊” 」が、その行動によって “宇宙の神霊” と「霊的交渉」が始まり、「新しい精神的な力」や「心の純化」がもたらされる。この「新しい精神的な力」による結びつきこそが、自己と他者を結びつける「愛」、「友情」であり、それを基盤とする社会を構築することによって宇宙意識としての「神のこころ」は可視化されるとした。こうした “良心の声を明らかにすること” も、『修養』における重要な概念のひとつである。
 文先生は、「生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として、我々の良心と一つになり、理想的な自分をつくり上げる動機的心です」(『天国を開く門 真の家庭』p162)と語られたことは、新渡戸の言う「自分自身の神霊と宇宙の神霊との交渉によって得る “新しい精神的な力” が、“正道” としての目的 に向かって動き、自己と他者を結びつけるのが愛、友情である」とした内容でより明確となる。

<参照>
 新渡戸稲造における「修養」と「宗教」
     (お茶の水女子大学比較日本学研究センター客員研究員 森上優子 : PDF / 本サイト
 ジョン・ウェスレーの信仰思想(19) (青山学院大学 国際政治経済学部教授 深町正信 : PDF / 本サイト


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