復帰摂理歴史の真実
ノアの箱舟以降における摂理 <トップ> 原始キリスト教と融合した大乗仏教

■ 後編 第1章 第1節 ノアの箱舟以降における摂理
     a. バラモン教から仏教へ


1. 原始仏教の成立

 (1) 無神論・無霊魂の教えとしての仏教

  @ お釈迦様

 紀元前5世紀前後の北インドでは、シュラーヴァスティ(舎衛城)を中心としたコーサラ国や、ラージャグリハ(王舎城)を中心としたマガダ国などをはじめとして、多くの部族国家が分立していました。このコーサラ国とマガダ国にはさまれたヒマラヤ山脈の麓に、カピラヴァストゥを都としていた小国ルンビニ国に生まれた釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタ)の父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。バラモンの家系に育つが、王族としてのシッダールタは、数々の人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家したとされている。シッダールタはシュッドーダナ(父)らの期待を一身に集め、16歳または19歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、跡継ぎ息子としてラーフラ1人のみをもうけた。出家したのは、ラーフラが産まれて間もない頃だったという。

<参照>
 釈迦
 お釈迦様のご生涯
 仏教の開祖、釈迦とは?その生涯と“諸行無常”の真理をわかりやすく解説【四聖を紐解く@】
 お釈迦さまの足あと(ブッダの生涯)
 御仏の履歴書 〜えっ、実は謎の人物? 釈迦如来篇〜
 お釈迦様とその時代

  A 悟りの宗教

 仏教は、「仏の教え」のことを言いますが、「仏になるための教え」とも言えます。「仏」は「仏陀」のことで、「(真理に目覚めた人」を意味します。
 ゾロアスター教では、神を「英知の主」としていましたが、バラモン教では、その宇宙の根本原理であるブラフマンを記した聖典ヴェーダを「教典の英知」として重要視するようになり、原始仏教においては、神的存在に関しては一切触れず、「人間の悟り人間の英知)」のみが論じられるようになったのです。
 人生におけるすべてが「四諦)」であるとして、「苦」は、常に移り変わりゆく(無常の)現在や現世に対する執着心から来るものであり、すべての実体の無い物(無我)であるから、それへの執着心を断てば、それに囚われることのない、それ(苦)から開放された境地(悟り)に至ることが出来るとしました。そのためには、一切の欲望(煩悩)に囚われること無く、無の境地にたち、物事の有様を正しく見つめて、正しく認識して、正しい行いを積み重ねていくことによって真実なる報い(結果)を得ること(八正道)を基本的思想としました。しかし、こうした捉え方は霊魂の存在までも、その実体は無いとした唯物的内容にしてしまいました。

    (@)ブラフマンとは何か

 紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られました。その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンズー教へと変化して行きます。ヒンズー教は紀元前5〜4世紀に顕在化し始め、紀元後4〜5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになりました。
 そのヒンズー教によると、ブラフマンとは宇宙の源である。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。ヒンズー教ではさらに、物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の “力” を意味するとしている。つまり、“他に影響を及ぼすエネルギー” であるとしている。これは、先にも述べた「万有原力」(「再創造摂理と復帰摂理の分岐点」参照)に等しい。これがいわゆる、外界に存在する全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実なのであって、宇宙の根本であるととらえた。

    (A)ヴェーダ

 「ヴェーダ」とは「知識」の意で、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称です。いわゆるバラモン教とヒンドゥー教の聖典、文字に記した神学書であり、祭儀書であるともいえる。
 ところが釈迦は、自ら説いた教えを文字に記して遺すことはしなかった。そのため後世の弟子たちは、それを体系化することに苦慮したのである。そのため、仏教はとても解り難いものとなってしまい、大衆化しなかったために、後に小乗仏教として区別されることになってしまったのです。

    (B)苦行から悟りへ

 バラモン教の最も特徴的な思想の一つに「輪廻転生」がある。これは、生死を繰り返しながら、別の人間や生き物といった新しい肉体に生まれ変わることを言います。さらにまた、生前の行為により、解脱によって再生しない神々の道と輪廻再生がある祖霊の道とに分かれるとしています。この解脱において、バラモン教と仏教では大きな違いがあるのです。それは、バラモン教では「苦行」によってのみ解脱が可能であるとしたのに対して、仏教では、苦行で得る「悟り」によってのみ解脱が可能となるとしました。これは、当時の修行僧(サドゥー)にとっては大問題となり、バラモン教からヒンズー教へ、もう一つは仏教へと、インドの古代宗教は大きく二分されたのです。

<参照>
 輪廻転生の意味とは?輪廻転生とは何か、解説いたします
 仏典にはバラモン教の影響あった。



2. 仏教の求めるもの

 (1) 悟りから神へ向かう道

  @ 無常だからこそ無我であるべき

    (@)アートマンとブラフマン

 ブラフマンとは、神聖な知性と見なされる宇宙の源、つまり “” のことである。では、アートマンとは何であろうか、それは “意識の最も深い内側にある個の根源” いわゆる 「無意識の思考」 とも言うべき神来性(神に由来する本来的性質)というものである。

<参照>
 問題解決力を高める「無意識の思考」
 自分の無意識を知る方法



    (A)諸行無常とアートマン

 「諸行無常」とは仏教用語であり、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。存在界が絶えず変化し続けるのは、他の存在との関係性によるものであることから、己という自己としての存在もその関係性に影響され、その時々の思考にも変化が見られ、結果としての行動に様々な差異が生じてしまうことは人間としての常である。
 しかしこのことは、アートマンとしての無意識の思考によるものではなく、現実界に対する意識的思考によるものだと捉え、釈迦は “瞑想” によって自らに内在するアートマンを取り戻すことの大切さを悟ったのである。このアートマンは目に見える実体がないことから “” と表現したのである。 “空” とはまさしく、“有って有る者” である。

<参照>
 空とは何でしょう? ―中観派の教えを学ぶ―



    (B)「苦行」にはどんな意味があったのか

 バラモン教では、輪廻転生から解脱する手段として「苦行」がありました。ここでは、「苦行」が手段であり、その目的は輪廻転生から解脱することにあります。身体的苦痛に耐える「苦行」から仏教では「修行」、これは一切の欲望を断って心身を鍛錬・浄化することを言いますが、これによって悟りに至ることを目的とし、輪廻からの解脱を主眼としています。仏教では、転生することによる輪廻ではなく、人が人に至る道として六道の輪廻を呈しており、そのことからも修行というのは、心としての仏法によって、行い(体)を主管することをいいます。この心が行いを主管できるのは、悟りによってしか得られないと仏教では説いているのです。
 釈迦自身も苦行を実践して悟りに至ったことから、六道において「苦行」は必須なのである。



    (C)「無我」という限界

 原始仏教において、自らに内在する無意識の思考をアートマンとして捉えていたが、全ての目に見えない存在には実体がない(無我)と結論付けて、その究明には一切向かわなかった。仏教では一切の事象としての結果は因縁によるとする縁起を重要視したのである。これらの捉え方は、後に、東洋にキリスト教が入ってくることによって、大乗仏教へ、さらに密教へと大きく変化し、発展を遂げたのである。


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