復帰摂理歴史の真実

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ルツ記 <トップ> 統一王国時代 (下)

■ 第二章 第二節 イスラエル12支族
     b. 統一王国時代 (上)


1. サウル王と息子ヨナタン

 (1) サウルとヨナタン

  @ サウル

<参照>
 イスラエル12支族

 サウルはベニヤミン族の出身 (右図 : サムエル記上9章1節) で、父はキシ (キシュ)、背が高く美しい若者であった。ロバを探しに出てサムエルに会い、サムエルは彼が神が選んだ人であることを悟って油を注ぎ王としました (サムエル記上10章1節)。
 父キシは、裕福な人であったとサムエル記上9章1節に記されていますが、キシ (キシュ) という名はメソポタミアのキシュ王朝から名付けたもので、ルツ記のナオミの夫エリメレクを思い起こさせます。キシの子として生まれたサウルは、任期も短く、最後には悪霊に振り回されて王位を退くのです。

 サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた。(サムエル記上13章1節)


 さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました。(サムエル記上16章14節)



 上記の、最初の “” と二番目の “” は全く違うことに注意してください。最初の “主” 神もしくは善神としての “主” であり、二番目の “主” は悪神としての “主” のことです。詳細は、「原理講論」 第二章、第四節 (四) 善神の業と悪神の業をご覧ください。




  A サウル王の不信仰

   a) 契約の箱が奪われる(サムエル記上4章1節〜11節)

 ペリシテ人とイスラエルとの戦いの前に、契約の箱はシロ (左図) の神殿にありました。シロの神殿とは、移動可能な “臨在の幕屋” でした。(サムエル記上2章22節)
 「臨在の幕屋」 とは、移動式の礼拝所のことで、やぎの毛の織物やアカシヤ材の柱でできている組み立て式の幕屋のことです。イスラエルの民が移動の度毎に宿営地に組み立てては分解して運びました。
 そこで、契約の箱は、戦いの勝利を願うために陣地に持ちだされたのです。ところが、イスラエルは大祭司エリの息子であるホフニとピネハスが殺され、契約の箱がペリシテ人に奪われてしまうのです。
 シロがペリシテ人に滅ぼされ、契約の箱が奪われたのがBC1020年頃のことで、契約の箱は7ヶ月程ペリシテのアシュドドに留置されたのち、ベト・シメシュの町に返され、キルヤト・エアリムを経て最終的にエルサレムに運ばれたのはダビデが統一王国の王になったBC993年以降のことです。

<参照>
 ペリシテ人による聖櫃奪取
 シロ


   b) 主の御言葉への不信(サムエル記上13章8〜15章9節)

 サウルはペリシテ人との戦いに怯えるイスラエルをその地から散らさせ、サムエルを待つことが出きず、祭司としてサムエルが行うべき燔祭と酬恩祭を自ら行ってしまいました。(サムエル記上13章8〜15節)
 さて、サウルの子ヨナタンが神と共にペリシテ人と戦った、ヨナタンの信仰による勝利の内容がありますが、サウルはその時どうしていたのでしょうか。(サムエル記上14章6節〜15節)
 サウルは、ヨナタンと兵隊がいない事に気づくと、アヒヤを呼んで大祭司の式服エポデを集めさせ、自分と身の回りの者に着させようとしたところ、祭司と口論となり、辺りの者が騒ぎ出すので祭司に 「手を引け!」 と命令し、祭司を押し切って戦いに出ました。さらに、自分が戦いに勝って帰るまで、「一切食べてはならない、食物を食べるものは呪われる」 とサウルが言ったのでとんでも無いことになったのです。
 その事を知ったヨナタンは飢えて疲れきった民達を見て、王に背き罰を受けることを覚悟の上、辺りに沢山あった蜂蜜をなめさせたのです。そのためイスラエル人は飢えをしのぐ事が出来たので、サウル王を始めとしたイスラエルは勝利を納めることができました。しかし、イスラエルは勢い余って戦利品としての羊や牛を生のままで食べて罪を犯しサウル王に言い付けられてしまうのです。
 さて、サウルがこの様になった原因は何処に在るのかと思案しているところへ、祭司が 「神に尋ねよ!」 と言ったので、サウルが神に尋ねたところ、神の答えは有りませんでした。仕方なく一番問題となる人物は誰かとくじ引きで選び出したところ、ヨナタンに当たってしまいます。そこで、ヨナタンは全てを告白し、死を覚悟するのですが、それに対してサウルは 「神がわたしを幾重にも罰して下さるように。ヨナタンよ、あなたは必ず死ななければならない」。と言うと、民衆は、「イスラエルに勝利をもたらしたのはヨナタンで、ヨナタンは死んではならない。神は生きてヨナタンと共に働かれた」 と言ってヨナタンを救ったのです。(サムエル記上14章16節〜46節)
 また、アマレク人との戦いの時にサムエルが神のみ言葉をサウルに伝えました。

 「万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ』」。(サムエル記上2節〜3節)


 しかし、サウルはその言葉に聞き従わず、アマレク人の王アガクを生かし、羊と牛の肥えたもの、最も良いものを残したことが、神の怒りに触れてしまうのです。
 それに対して、サウルの言い分はこうでした。「わたしは神がサムエルを祝福される為に、わたしは神の言葉を実行しました」。つまり、“神への供え物” として羊や牛を残したと言い訳したのです。(サムエル記上15章10〜21節)
 これには、サムエルが言った次の言葉が、神のサウルに対する心情を端的にあらわしています。

  「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
  燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
  見よ、従うことは犠牲にまさり
  聞くことは雄羊の脂肪にまさる
  そむくことは占いの罪に等しく、
  強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
  あなたが主のことばを捨てたので
  主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。(サムエル記上15章22〜23節)


 そして、神はサウルから離れ去り、新しい王となる人物を捜しあてることになります。(サムエル記上16章1節)



 (2) ダビデを愛するヨナタン

  @ ゴリアテとの戦い

 ゴリアテはペリシテ人の巨人兵士で、身長は6キュビト半 (約2.9m) ありました。
  身にまとっていた銅の小札かたびら) は5000シェケル (約57kg)。
  の鉄の刃は600シェケル (約6.8kg)。
 

 最初はサウルの命令で、エッサイの上の3人の子がゴリアテと戦いましたが、その頃ダビデはベツレヘムで羊飼いをしていました。
 エッサイは、ダビデに兄達の食料を届けるように言い、ダビデはゴリアテと戦う兄達のところへ向かいました。しかし、兄達は苦戦を強いられていたので、その有り様を見たダビデを怒り付けます。そこで、ダビデがサウルに 「私も戦います」 と進言すると、サウルはダビデに 「お前には無理だ」 と言われて止められてしまいます。それでもダビデは、サウルに自分の信仰の証をし、参戦を認めさせたのです。サウルは自分の鎧と剣をダビデに与えようとしましたが、ダビデは 「慣れていないので歩くこともできないから」 とそれを断ると、羊飼いの出で立ちで戦いに臨んだのです。

  ダビデの武器は、羊飼いの武器であると、投石器 (左図) と、川で拾った滑らかな5個の石

 そこで、ダビデはゴリアテに向かって言いました。。

 ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。きょう、主は、おまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは、おまえを撃って、首をはね、ペリシテびとの軍勢の死かばねを、きょう、空の鳥、地の野獣のえじきにし、イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。またこの全会衆も、主は救いを施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」。(サムエル記上17章45節〜47節)


 ゴリアテはダビデに襲い掛かろうとしたとき、ダビデは袋の中から1個の石を取り出して勢いよく放つと、石はゴリアテの額に命中し、うつ伏せに倒れました。ダビデは剣を所持していなかったので、昏倒したゴリアテに近寄って剣を奪い、首をはねて止めを刺したのです。
 ペリシテ人はゴリアテの予想外の敗退により総崩れとなり、イスラエル人はダビデの勝利に歓喜の声をあげたのです。この戦いによりダビデの名声は広まり、サウルの側近として仕えるようになったのです。

<参照>
 なぜ羊飼いは巨人に勝つことができたのか? 旧約聖書のダビデとゴリアテ伝説に見る、“弱者と強者”の本質

  A サウルの魔の手からダビデを逃すミカルと守るヨナタン (サムエル記上18章〜22章)

 サウルの長子ヨナタンは、サウルに語るダビデの言葉に感激すると、ダビデと契約を結んで、ヨナタンは自分の着ていた上着や、いくさ衣、剣、弓と帯をダビデに与えて、自分の命のようにダビデを愛しました。
 ダビデは、サウルが使わす所で手柄を立てたので兵の隊長に任命されたのですが、あるとき、ダビデがペリシテ人を殺して帰ってくると女たちが歌と舞をもってサウル王を迎えたのですが、「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」 と歌った女たちの言葉に激怒し、悪霊が憑き槍を持ってダビデを刺し殺そうとしたのです。
 その後、サウルから離れるようになった神は、ダビデと共におられ、手柄を立てるダビデを恐れたサウルは、ダビデを千人の長として遠ざけてしまいます。そこでサウルは、(北) イスラエルと (南) ユダのすべての人から愛されているダビデを、ペリシテ人の手で殺そうと考え、ペリシテ人との戦いに勝てば長女メラブを妻に与えようと言ったのですが、ダビデの断りもあったため、その時になってサウルは娘メラブをメホラ人のアデリエリに妻として与えてしまいました。
 ところで、サウルの長女メラブはダビデを好んでいませんでしたが、次女ミカルはダビデを愛していました。サウルは再度、ダビデをペリシテ人の手で殺そうと、ダビデがその戦いに勝てば娘ミカルを妻として与えようと言いました。さらに、戦果の証しとしてペリシテ人100人分の陽の皮を望んだのです。
 ところが、ダビデはペリシテ人200人を殺して、その陽の皮を戦果としたので、サウルはダビデを恐れ、ミカルを妻として彼に与えました。
 サウルに悪霊が入って、ダビデの竪琴の音もその心に響かないほどになると、すべての家来にダビデを殺すよう命じたのです。この時、ダビデと共に家に居た妻ミカルは、ダビデを逃がすと、ダビデに見立てた像を寝床に横たえ病気だと偽ったのです。その間ダビデは、サムエルのところまで逃れると、ダビデの居場所を突き止めたサウルは使者を使わしました。しかし、使者たちはサムエルを頭とした預言者の一群に出会い、さらに、使者たちにも神の霊が臨み預言を度重ねたため、やむを得ずサウル自ら向かうと、神の霊がサウルに臨んで、サウルは裸になって倒れたまま、一日一夜預言し続けたのです。
 さて、ダビデはある月のついたちの日に、サウル王と一緒に食事をすることになっていました。ところが、ダビデはヨナタンに全家の年祭のため故郷のベツレヘムに帰るので断ってくれと頼んだのです。ヨナタンは、たとえ父サウル王が怒ったとしても命を懸けてダビデを守ることを誓いました。その日、ダビデが故郷へ帰ったことにサウルは怒りを発し、ヨナタンにダビデを連れ戻し殺すよう命じたのです。これにヨナタンは異議を唱えると、サウルは槍を振りかざし、息子ヨナタンに襲い掛かったのです。
 サウル王から逃亡したダビデが、ノブの祭司アヒメレクの所に立ち寄ったとき、ダビデとその従者に、聖所で祭司だけが食べることのできるパンとペリシテ人のゴリアテの剣を与えたのです。この一件がサウルに伝えられ、アヒメレクはダビデの反乱を幇助した者として、仲間の祭司と共に殺されてしまうのです。

  B 良心に従い、敵を許し愛するダビデ

 サウルが、ダビデを殺そうとしていることが誰の目にも明らかとなってきたとき、ペリシテ人が国を侵しはじめました。、サウルはペリシテ人を追うことをやめて、ダビデの方へ向きなおしたのです。

 その時、ダビデとその従者たちは、ほら穴の奥にいた。ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』 と言われた日がきたのです」。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った。しかし後になって、ダビデはサウルの上着の切ったことに、心の責めを感じた。ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に適して、わたしの手をのべるのは良くない」。ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。(サムエル記上24章3節〜7節)


 サウルを前にしたダビデはこれらのことを正直に語ると、サウルは正気を取り戻してダビデにいいました。

 ダビデがこれらの言葉をサウルに語り終わったとき、サウルは言った、「わが子ダビデよ、これは、あなたの声であるか」。そしてサウルは声をあげて泣いた。サウルはまたダビデに言った、「あなたはわたしよりも正しい。わたしがあなたに悪を報いたのに、あなたはわたしに善を報いる。きょう、あなたはいかに良くわたしをあつかったかを明らかにしました。すなわち主がわたしをあなたの手にわたされたのに、あなたはわたしを殺さなかったのです。人は敵に会ったとき、敵を無事に去らせるでしょうか。あなたが、きょう、わたしにした事のゆえに、どうぞ主があなたに良い報いを与えられるように。またイスラエルの王国が、あなたの手によって堅く立つことを知りました」。(サムエル記上24章16節〜20節)


 その後しばらくして、ダビデがイスラエルの王となります。

 ダビデは王となったとき三十歳で、四十年の間、世を治めた。すなわちヘブロンで七年六か月ユダを治め、またエルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。(サムエル記下4節〜5節)





2. ダビデとバテシバ

 (1) 妻バテシバとソロモン

  @ ウリヤの妻バテシバ

 タマル。あなたたちがタマルについて研究すれば、原理のすべてが分かる。タマルは誰と関係して子供を生んだの? 舅だね。舅と関係して生まれた子供が、いかにしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたか。世の中にそのようなことがあり得るか。ソロモンの母は誰? バテシバ。バテシバはどういう女性か? ウリヤの妻だ。ダビデ王がウリヤの妻を奪い取った。その子供がいかにしソロモン王になるか。ウリヤは何かというと、第二の主人だよ。これが堕落もしない前のエデンの園のその位置に再び帰った立場、すなわちダビデはアダムの立場ウリヤは天使長の立場天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場天使長がアダムの相対者たるエバを、堕落して引っ張っていった。愛によって占領して、盗んでいった。それを蕩減するには、そういう三角関係に立ってもとがえししなければならない。そういう原理的基準に立った条件を成した基台の上に生まれた子供は、天の愛の子供として、栄光の子供として生まれる。(『御旨と世界』75p 「血統的転換」より)


   a) ダビデとバテシバの長子 (サムエル記下11章〜12章)

 バテシバはヒッタイト人ウリヤの妻でしたが、後にダビデの妻となり、ダビデの跡を継いでイスラエル王国の王となったソロモンを産みました。
 ダビデが王宮の屋上を散歩している時、水浴中のウリヤの妻バテシバを見ると、すぐに彼女を呼び寄せ、関係を持ち妊娠させてしまいます。しかし、ダビデは自らの罪を隠そうとして、夫ウリヤを妻バテシバと性交させて、その子供が自分のものだと考えることを期待して、ウリヤを戦闘中の軍から呼び戻すのです。ところが、ウリヤは戦闘中の兵士を律する古来よりの習わしに背く事を望まず、自宅のベッドで寝るよりも王宮の兵士たちと共に滞在する事を選びました。そのため、ウリヤ自身がバテシバを妊娠させたと信じ込ませようとする試みが失敗したため、ダビデ王は彼の将軍ヨアブに、ウリヤを激戦の最中に見捨てて、敵陣に置き去りにするよう命令しました。皮肉にも、ダビデは、ウリヤに彼自身の死を命ずる書状を持って行かせたのです。
 ウリヤの死後、ダビデは未亡人となったバテシバを妻に迎えたのです。

 ところで、上記の 「血統転換」 における御言葉の “原理的基準に立った条件” とはここから始まるのですが、この部分は左図にけるウリヤが天使長 (サタン) の立場バテシバが堕落したエバの立場ダビデが堕落したアダムの立場です。問題は、ここからこの “三角関係を如何にもとがえしするか” ということになります。そこで問題となるのがダビデの立場であって、堕落したアダムの立場から如何にして元返すか、つまり、堕落したアダムの立場にあるダビデを、如何にして堕落前のアダムの立場に元返すかということです。このことが前提となって、バテシバが復帰されたエバの立場に立つことができるのです


   b) ダビデとバテシバの次子ソロモン

 さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。ダビデの家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起こそうとしたが、彼は起きようとはせず、また彼らと一緒に食事をしなかった。七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちはその子が死んだことをダビデに告げることを恐れた。それは彼らが、「見よ、子のなお生きている間に、われわれが彼に語ったのに彼はその言葉を聞き入れなかった。どうして彼にその子の死んだことを告げることができようか。彼は自らを害するかも知れない」 と思ったからである。しかしダビデは、家来たちが互いにささやき合うのを見て、その子の死んだのを悟り、家来たちに言った、「子は死んだのか」。彼らは言った、「死なれました」。そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝した。(サムエル記下12章15節〜20節)


 サムエル記によると、主はダビデの行動に怒り、王を叱責するために預言者ナタンを遣わせました。
 預言者は “貧しい隣人から1匹の小羊を奪った金持ちの寓話” を話し、この寓話の不正な行為に対する王の激しい怒りを起こさせた後、これをダビデのバテシバに対する行為に例えたのです。(サムエル記下12章1節〜12節) すると、王はすぐに自らの罪を懺悔して、心からの悔悟を表明したのです。
 ダビデとバテシバの子供は重病に罹 (かか) り、出生後わずか数日で他界してしまいます。王はこれを自らに対する罰として受け入れたのです。

 この子供が重病に罹り、他界するまでの七日間、ダビデの執った行動は、飲まず食わず地に伏して、ひたすら申し訳を立てて悔い改め、神と談判する祈りを捧げたのです。子供が死ぬことで、自らの犯した罪の重大さを自覚し、心を入れ替えて身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝したのです。
 このことによって、ダビデに神が対応できる条件となったため、バテシバが復帰されたエバの立場に立つことができたので、ソロモンが、天の愛の栄光の子供として誕生することができるようになったのです。

 ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。そして預言者ナタンをつかわし、命じてその名をエデデアと呼ばせられた。(サムエル記下12章24節〜25節)


 ダビデとバテシバの間に生まれた二人目の子供ソロモンBC.991) は、幼名をエデデア (エディデア ; 「主に愛される」 の意) として祝福を受けます。


   c) アブサロムの反抗からソロモンへ

 ダビデには複数の妻がおり、アブサロムは、その一人であるゲシュルの王タルマイの娘マアカから生まれました。アブサロムは妹のタマルを愛していましたが、異母兄のアムノンがタマルを手ごめにしたことに激怒しました。2年の間、機会をうかがっていたアブサロムは、バアル・ハツォルに兄弟たちをすべて集める席を設けて、そこへ手下を送りアムノンを殺害したのです。(サムエル記下13章)
 4年後、アブサロムは周到な準備をした上で父ダビデに対して叛旗を翻し、ヘブロンで挙兵したのです。当初、ダビデは都落ちを余儀なくされ叛乱は成功するかにみえたのですが、ダビデは最大の危機をギレアドに逃れ、アブサロムへの反撃に必要な軍勢を集める時間を稼ぐことができたのです。
 兵を集めたダビデは反撃に転じ、アブサロムの兵士とエフライムの森で激突しました。この戦いでアブサロムの軍勢は完敗し、アブサロムはラバに乗って単身戦場から逃れようとしたのです。しかし、アブサロムの自慢の長い髪が低い枝にひっかかり、木の間に宙吊りになってしまいました。ダビデは部下に対し、アブサロムに手を出さないよう厳命していたため、これを発見した部下は手を出さずに上官のヨアブに知らせたのです。
 ダビデの腹心だったヨアブは、アブサロムのところへ駆けつけると、尻込みする兵士たちの前でアブサロムの心臓に棒を突き刺し、手下と共に止めを刺しました。ダビデは自分に対して叛旗を翻したにもかかわらずアブサロムの死を聞いて慟哭したのです。

 さて、ここで注意しなければならないことは、アムノンが天使長の立場、アブサロムが堕落したアダムの立場、タマルが堕落したエバの立場にあることでしょう。


   c) 成約断食と三日行事

 詳細は避けますが、“成約断食” と “三日行事” は、ダビデにおける一連の内容がもとになって祝福のための蕩減条件として打ち出されたものと思われます。

<参照>
 修練過程と七日断食
 祝福を受けるための蕩減条件
 祝福の聖約B三日行事PDFページ
 


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