復帰摂理歴史の真実 |
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■ 後編 第二章 日本の伝統的精神と神の愛 d. 堕落論と即身成仏 1. 煩悩から仏性への大転換(中) (1) 堕落とその愛 @ 堕落の実を結んだ相対関係とは
原理講論では、神は被造世界の創造と、その経綸のために、先に天使を使い(僕)として創造された。そしてまた、天使は神に頌栄をささげる存在として創造されていたとだけ記されている(『原理講論』p106〜p107)。しかし、原理本体論には “ルーシェルは神様の愛を天使世界に仲保する愛の天使長” であり、“天使長にも創造本性として欲望と知能とが賦与されていて、堕落時の天使長ルーシェルは既に完成期にあった” としている。前頁で述べたように、欲望とは目的を実現していくための衝動的な意欲であるが、欲望の本質は神の心情によるものであり、心情の目的は喜びを得ることである。ところで、神はその喜びの対象として、人間を神御自身に似せて男と女を創造された(創世記1・27)。つまり、神は唯一であり二性性相の神で有られるが故に、神御自身も愛による喜びとしての御存在であられるが、霊的存在としての神は、実体的な愛による喜びを得ることを目的として人間を創造された。しかし、天使は霊的存在であり、二性性相としては創造されていない。神の愛を天使世界に仲保するとはいっても、エバを愛する対象としてあったアダムを見る度に、創造本性から誘発た不可避的な副産物とされるアダムに対する嫉妬心は否めない。
ところで、アダムの関心が思うように自分に向いてくれないことに不満を感じていたエバは、ルーシェルの誘惑に思わず反応してしまう。ルーシェルは自分の言葉にエバが惹かれてくるようになると、自身においても神に対する不満や反逆心が掻き立てられ、神の創造とその目的をエバの欲求に乗じて偽って伝え、死を覚悟してまでより深くエバを誘惑するようになったのである。既に完成期にあったルーシェルは、神の意図がどこにあったのかを熟知していたはずであるから、それを偽った愛の関係を結んでしまったので、エバは神の御意が理解不能となって、霊的無知に陥ったのである。 堕落したエバの良心は、堕落性による束縛によって不安と恐怖心が生じた。エバは堕落によって生じた自らを顧みず、この不安と恐怖心から解放に導いてくれるのはアダムであるとの一途な思いから、ルーシェルがエバを誘惑したようにアダムを誘惑したのである。アダムは神の戒めを棚上げにして、エバがルーシェルの誘惑に反応したように、エバの不安と恐怖心に怯えるエバに対応して肉的堕落が起こったのである。結果的に、アダムも神の御意が理解不能となると同時に、神に対する不安と恐怖心が生じた。結果的に神は、アダムとエバを、エデンの園から追放せざるを得なかったのである(創世記3章24節)。
ところで、授受作用を成すためには、相対基準を結ばなければならない(青下線部)。相対基準と言うのは、ある共通目的を中心として主体と対象の関係を築くことであるから、ルーシェルとエバの堕落は、神の目的とは別の目的で授受作用を成して堕落したことになる。これが先に述べたルーシェルがエバを誘惑した偽りの神のみ言葉で相対基準を結び、霊的に堕落したエバとアダムが授受作用することによって霊肉ともに堕落し、堕落の愛の実としてカインとアベルが誕生したのである。実は、このことが堕落の重要なポイントである。 (2) 即身成仏の本質と原理 @ 授受作用の核心
さて、ここで空海の説いた即身成仏を、統一思想的観点からこれまで述べてきたことを基に検証してみることにする。 先ず、空海のいう “身” であるが、身とは六大であるというのは、五大(地水火風空)に “識(心)” を加えたものであるとしていることである。識が心であるならば、五大は体ということであり、“身” とは心と体の統一体ということになる。ここで “識” とは、事物の道理を知って分別できる自我であるとしているところから、“心” または “意” と同義とされる。つまり、明確な方向性をもった心(意思)といえる。これが、心と体が授受作用できる相対基準を持つための “目的” となる。 ところで、即身成仏を目的とする衆生にとっては、その中心とするのは、法身仏としての大日如来となる(左図破線矢印)から、この心と体の統一体となった衆生は、大日如来とも相対基準を結ぶことができ授受作用を成し得るというのが “加持” の持つ意味である。このことは、統一思想でいう神の心情が人間に欲望(仏性)として賦与されることを示している(前頁参照)。このため、煩悩と否定していた欲望を、本性と肯定できるようになったいわゆる成仏である。そういう意味において、天台密教(台密)僧の成した “即身仏” と真言密教(東密)僧の目指す “即身成仏” とは、言葉は似ているが、全く違う内容のものである。 <参照> ・ 「即身成仏義」の思想と構造 (高野山大学教授 村上保壽: PDF / 本サイト) ・ 空海の六大思想 (高野山大学教授 村上保壽: PDF / 本サイト) ・ 曼荼羅
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