復帰摂理歴史の真実 |
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■ 第三章 第四節 メシヤ再降臨準備時代の幕開け
c. 共産主義の台頭 1. 共産主義の成立過程 (1) カール・マルクス 共産主義といえばカール・マルクス(1818年5月5日〜1883年3月14日)ですが、父はユダヤ教ラビだった弁護士ハインリヒ・マルクスで、彼は1812年にフリーメーソンに入会しています。母はオランダ出身のユダヤ教徒アンリエット。カールは夫妻の第3子(次男)であり、代々ユダヤ教のラビの家系でした。兄は夭折したため、カールが実質的長男でしたが、6歳の時にプロテスタントの洗礼を受けることでマルクス家はユダヤ教からプロテスタントへ家族全員が改宗したことになります。 カールは、1830年の12歳の時に名門ギムナジウムに入学するのですが、その時の校長は熱烈なルソーの支持者であったようです。ユダヤ系ドイツ人としてのカールは18歳の時、枢密顧問官の娘イエニ−(右図)と婚約し、20歳の時父を亡くすと、この頃からユダヤ人の血筋に生まれたことや、両親のキリスト教信仰へ対する恨みを募らせて行く事となるのです。その後の結婚生活は困窮した生活と家族の不幸は、カールの無神論と唯物論に益々拍車をかけることとなったのです。6人の子供の3人は栄養失調で死亡し、2人は自殺しています。とくにロンドンでの亡命生活時代は、貧乏と苦難の中で、エンゲルスの献身的な援助と、当時のニューヨークのイルミナティ支部の中心的人物であるホレイス・グリーレイが発刊した「ニューヨーク・トリビューン」紙への寄稿により、僅かながら生活を維持し、毎日大英博物館に通って経済学の研究に没頭していたと言う。 この様な状況を辿った途上において1847年に起草した「共産党宣言」は、イルミナティの創立者であるアダム・ヴァイスハウプトの理論とその門弟であるクリントン・ルーズベルトが書いた「政府の科学」の焼き直しにすぎないとさえ言えるのです。 <参照> ・ カール・マルクスとその夫人 ・ イルミナティの歴史 (2) マルクスの生涯における思想の変遷 カール・マルクスは、代々ユダヤ教ラビ(聖職者であり神学者)の家系に育った父ハインリヒ・マルクスと母アンリエットの間に生まれました。父ハインリヒ・マルクスは、啓蒙思想をもつ弁護士でしたが、1812年フリーメーソンの会員となってカール・マルクスが生まれる前にキリスト教に改宗しました。彼の最初の作品『クリスチャンのキリストとの一体』において次のように語っています。
カール・マルクスは6歳の頃にプロテスタントの洗礼を受けているので、クリスチャンとして生まれ育っています。しかし、1830年の12歳の時に入学した中高一貫校であるギムナジウムの校長は熱烈なルソーの支持者で、父の影響とともに啓蒙思想の影響を強く受けていました。
さて、熱心なキリスト教徒がなぜ神を憎悪するようになったのか、その背景は謎でしたが、ここから見えてくるものがあります。それは第1に、父親がフリーメーソンの会員であったこと。そして第2に、啓蒙思想に興味を持ったこと。そして第3に、イエニ―との出会いと結婚といえるでしょう。イエニ―はマルクスの姉の友人で、検事総長の娘と言う身分でした。フリーメーソンにしろイルミナティにしろ “上位層の人たち” に伝播した事や、共産主義に傾注していったマルクスをひたすら支え続けた事からしても、マルクス変貌に強く影響を与えたのはその “妻イエニー” と言っても過言ではないのです。 (3) フォイエルバッハ ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ (1804年7月28日〜1872年9月13日) 1824年、ベルリン大学で神学を学び、ヘーゲルの講義を聴きヘーゲル左派となって行きますが、1830年に『死および不死についての考察』を著述してキリスト教を批判して唯物論的立場をとるようになりました。 「人間の自己疎外」と言う概念を生み出して、ヘーゲルの哲学批判を展開し、マルクスに大きな影響を与えた人物です。 @ フォイエルバッハの「人間の自己疎外」 「疎外」とは、人間が作ったものが人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れることで、それによって、人間があるべき自己の本質を失う状態を言います。(左図上) フォイエルバッハは、“神は人間がつくり出したもの” で、その様な(神は存在すると言っている)人たちが集まるようになると、人間から神が離れて、逆に “人間を支配” する様になり、その事によって “人間が本来持っていた「人間としての本質」を失ってしまう” 事を「人間の自己疎外」としました。(左図下) しかし、これには現実的な実証性がありませんでした。そこで、マルクスは当時の “経済社会” と “キリスト教社会の矛盾” を結びつけて “労働” と、それへの “搾取” としてその現実的内容を理論付けたのです。 (4) エンゲルスの「自然弁証法」 フリードリヒ・エンゲルス (1820年11月28日〜1895年8月5日) 1820年、繊維工場を共同出資者する経営者の家庭に、8人兄弟の長男として生まれ、やがてマルクスと同じベルリン大学でヘーゲル左派に加わると、その後は父親が共同出資者であるイギリスの工場で働くようになり、1842年にドイツへ帰る途中マルクスと出会い、一緒に活動するようになります。 エンゲルスは、イギリスの工場で働いていた時に、イギリスの都市中に拡がった貧困に衝撃を受けると、都市の貧困の中で暮らす人々の生活の中に入り込み、取材と調査を進め、都市の人口やその状態の詳細などを考察した報告(Condition of the Working Class in England『イギリスにおける労働者階級の状態』)を執筆しました。 この様に、エンゲルスはマルクスの『資本論』の執筆に対して強いインパクトを与えた人物です。 『自然弁証法』は、エンゲルスの考案していた弁証法で、ヘーゲル弁証法の「絶対精神」を自然万物に置き換えた唯物論で、「正」「反」の闘争的色合いを強調した内容となります。 しかし、エンゲルスはマルクスの遺稿のとなった『資本論』の編集に明け暮れ、自らの『自然弁証法』に対しては著述を諦めています。むしろ『資本論』にその意向が反映されていると言えるかもしれません。 (5) マルクス唯物弁証法 マルクスは、根底にヘーゲル弁証法とフォイエルバッハの「人間の自己疎外」とを組み合わせて、エンゲルスの経済学を当てはめて、当時としては現実味を持った説得力のある理論として構築しました。 まず、その対立軸を「資本家」と「労働者」に置きました。「労働者」が労働で得た産物(商品)が “労働者” から “疎外” されるとしています。つまり、労働者から手の届かない(労働者の影響の及ばない)ところの存在、“資本家の意志に支配されたもの” となってしまって、逆に労働者に対する “圧力” となって労働者を支配してくるととらえました。その圧力によって、労働者は「人間としての自己を失ってしまう」としたのです(左図下段)。 しかし、マルクスの主張はここからがその主張のポイントとなります。つまり、資本家はキリスト教徒であり有力者の立場であったので、資本家達の崇拝する「神」は人間が創造したもので、資本家達の創造した「神」はもはや資本家達のもとにななく、資本家達から疎外され、資本家達を支配していると主張して『唯物論』を主張しました(左図上段)。そのため、資本家は「商品」を支配することで、労働者から「賃金」を搾取しているとしたのです。 もちろん、資本家はこのような主張を受け入れるはずがありません。資本家と労働者の間には対立(矛盾)が生じます。マルクスは自らの考えを実現させるには、この対立(矛盾)に対して『革命』しかありえないと考えたのです。 @ プロレタリアートの独裁論の樹立 ペテロのイエスを裏切った罪悪感と、イエスへの反逆者としてのパウロの回心から、聖霊の許しと癒しの愛によって導かれて出発した原始キリスト教が、いつしか巨大な勢力となった時、人間がその罪を忘れ、神を愛の神としてではなく、力による支配者の神とした時、もはやマルクスの主張を覆すだけの内容はキリスト教にはありませんでした。 原理では、人類始祖アダムとエバが天使長ルーシェルの「偽りの言葉」を受け入れ、それに従い天使長ルーシェルと関係を結ぶことによって人間は堕落して、天使長ルーシェルはサタンとなって人間を支配しているとしています。さらに、人間が堕落したことによって、人間は神の言葉を聞き入れる事ができなくなり、神と人間は断絶した状態に陥り、神は孤立した孤独な立場となってしまいました。故に、神はご自身の言葉を聞き入れる人物を探し求めて復帰歴史が出発したのが神の復帰摂理歴史として、堕落した人間を対象としたマイナスからの再創造摂理歴史であったのです。このことから見ると、マルクスの唱えた共産主義は、堕落人間の現実社会における成れの果てと言えるでしょう。事実、資本家の打倒を目指した革命は、革命の前衛となった共産党が資本家に代わって労働者(プロレタリアート)を支配してしまう立場になったのです(左図)。
この様に、神を否定し、キリスト教信徒である資本家を打倒し、人間解放を大義としたマルクスの共産主義は、力による革命を手段としたことにより、多数としてのプロレタリアートを統率しなければならない必要から、共産党の理想実現のためとして力による独裁が余儀なくされたのです。資本家の支配による「人間の自己疎外」からの「勤労者の切実な利益」としての解放は、共産党の支配による「人間の自己疎外」によって、勤労者における「絶望者の祈り」のような転換だったのです。革命によってもたらされたものは、神がサタンに、資本家が共産党にすり替えられただけのものにしかすぎず、事態は更に深刻の度を増すことになるのです。
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