復帰摂理歴史の真実 |
|||||||||||
≪ メシア誕生のための内的摂理 | <トップ> | イサク献祭とイサクの家庭 ≫ | |||||||||
■ 第1章 第2節 メシア誕生のための内的摂理
a. アブラハム家庭はノア家庭のやり直し 1. 死を覚悟することは、自我 (エゴ) を消滅させる (1) (霊的)死線を超えて堕落したエバ
「原理講論」 によると、 “死を覚悟” して堕落したのは天使長ルーシェルでした。 では、ここでいう “死” とは“神の愛の圏”から逸脱して“非原理的な愛の圏”に入ってしまうことをいいます。 では、このことによってエバに何が起こったのでしょうか。
天使長ルーシェルと愛によって一体となったエバは、強烈な良心の呵責を覚えました。これは、エバの良心に外圧がかかったために恐怖心として感得されました。これが堕落人間が持つ矛盾性です。
@ 石打ち刑 <参照> ・ 古代イスラエルにおける死刑考―石打刑― (PDF : 聖泉大学 人間学部 人間心理学科 教授 赤井伸之) / 本サイト) さて、摂理を担う人物たちは、この人間の堕落によってもたらされる犯罪行為に対して、どの様に応じてきたのでしょうか。それは“石打ち刑”という刑罰でした。 この石打ち刑は、古代イスラエルにおける死刑の死刑の一形態で、最も一般的でした。それは下半身を生き埋めにして、動きが取れない状態の罪人に対して、大勢の者が投石を行い死に至らしめる処刑法でした。処刑の中でも最も苦痛が多いとされています。 ところで、石打ち刑が適用される犯罪は以下の通りです。
ところで、この様な残酷な刑罰は復帰節理上どのような意味があったのでしょう。これから数ページに渡り、その観点を含めながらみていきたいと思います。 A 自我 (エゴ) の消滅 人間の心に矛盾性をもたらしている本心と邪心は善と悪の真逆の指向性で、互いに引き合っているのではなく、ぶつかり合っています。それは、人間の行為によってある変化をもたらします。 悪を行ったときは、邪心が強くなり、本心を圧迫します。そのことによって、本心は良心の呵責からくる恐怖心を覚えます (左図下)。 これは丁度エバが堕落 (霊的堕落) した直後と同じ状態です。 また、善を行ったときは、本心が邪心を圧迫し、それによって、邪心は恐怖心を覚えます (左図上)。 この善行は良心的善行ではなく、神からの命令ならざる命令に従い行動することです。堕落もその行為によって成立したので、復帰も行為が成立して復帰されます。これが、信仰基台や実体基台の 「基台」 として成立することなのです。 この本心による、邪心の圧迫が強くなると、邪心は消滅の方向へ向かいます。これを原理では 「サタン分立」 と呼んでいます。 ところで、天使長ルーシェルは、死を覚悟してエバを誘惑し堕落しました。堕落したエバはルーシェルからそれらを相続したため、恐怖心を覚え、その解消のためアダムを誘惑し、さらに堕落行為 (肉的堕落) を重ねました (左図右)。 神側で死を覚悟してサタン側に来たので、サタン側で死を覚悟して神側に来なければならなくなってしまったのが、堕落人間の立場です (左図左)。 それゆえイエスは 「死なんとするものは生きる」 と言ったのです。死を覚悟して善を行えば、自我 (エゴ) から解放されるのです。 2. ノア家庭をやり直すアブラハム家庭 (1) 愛の減少感を乗り越える 天使長ルーシェルがエバを誘惑したのは、神の愛の減少感によるアダムに対する嫉妬心にありました。
堕落性本性とは、神の愛に対する一種の減少感によって引き起こされたもので、天使長ルーシェルはその知恵によって自我が芽生えたのです。そのことがアダムに対する嫉妬心となって、エバを誘惑するようになりました。ルーシェルは、エバに誘惑に引かれてくる気配が見えてくると、エバから (神からの愛よりも) 一層強い愛の刺激を受けて、矢も楯もたまらず、死を覚悟してまでも、より深くエバを誘惑して堕落したのです。 @ サラとハガル、正妻と侍女 ・ 創世記15章 → アブラハムの三種の供え物と、その失敗。 ・ 創世記16章 → 産まず女のサラが、仕え女ハガルを夫アブラハムに妻として与える。( 1節〜3節 ) → ハガルは子を孕み、女主人であるサラを見下げた。 ( 4節 ) → サラはアブラハムにハガルを愚痴る。( 5節 ) → アブラハムは、ハガルはあなたの仕え女なのだから、あなたの好きにしなさいと答える。 ( 6節 ) → サラはハガルを苦しめたので、女主人を避けて逃げた。 ( 6節 ) → 主の使がハガルに会い、女主人のもとに帰るように言った。 ( 7節〜12節 ) → ハガルが、アブラハムの子イシマエルを産む。 ( 15節 ) ・ 創世記17章 → アブラムをアブラハム、サライをサラと呼び、アブラハムは99歳、イシマエルは13歳で割礼を受ける。 ・ 創世記18章 → サラに、男の子が生まれるとのお告げあり。アブラハムは、神が背徳の町ソドムとゴモラを滅ぼそうとされるのをとりなす。 ・ 創世記19章 → 硫黄の火によって、ソドムとゴモラは滅亡する。 ・ 創世記20章 → ゲラルの王アビメレクから、アブラハムとサラは兄妹として難を逃れる。 ・ 創世記21章 → アブラハムが100歳のとき、サラがイサクを産む。 ( 1節〜5節 ) → サラは、イシマエルがイサクと遊ぶのを見て、イシマエルが世継ぎとなるべきではないといって、アブラハムはそのようにした。 ( 8節〜14節 ) ・ 創世記22章 → イサク献祭。 三種の供え物で失敗したアブラハムの摂理は、3代まで延長されることになりましたが、そのためには 「信仰基台」 の確立と、それを支えるサラの信仰が必要でした。 愛の減少感を乗り越えるには、正妻と侍女の関係では根本的に限界があったため、神はリベカを導いて、重要な摂理を展開します。そのことは、次のイサク献祭の後に考えることにします。 <参照> ・ 石打ち (ウィキペディア) ・ 死を覚悟すること ・ 自我の捨て方
|