■ 第1章 イスラエル選民の成立
第2節 メシア誕生のための内的摂理
1. 信仰の祖先アブラハム
アブラハムはアダムより、もっと絶対的に神様を信じなければなりません。そして、神様と一つにならなければならないのです。そうしてこそ神様の愛を受けるようになるのです。アブラハムは、神様がどんなに引っ張り回しても、恨むことなく感謝する心をもっていたので、神様も彼を愛され、彼に、 「お前の子孫は、天の星のように、地の砂つぶのように繁栄するであろう」 と、祝福してくださったのです。
アブラハムを見てみましょう。神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。神様は、彼を鍛錬し、彼をして、彼自身の民族だけでなく他の民族、さらには怨讐のためにも泣くことができるようにさせながら、摂理を発展させました。
神様は、彼に祖国を離れ、他国に行くようにさせながら、このことをなされたのです。彼は、ジプシーのように流浪していったのです。彼は、いつも切実な心情で泣き、祈祷し、神様が自分の祈祷を通して人々を救ってくださることを願いながら生きました。それで神様が、彼の子孫たちが天の星のように、地の砂つぶのように繁栄するであろうと、祝福されたのです。
聖書を見ると、私たちは、神様がアブラハムを祝福され、彼を無条件に愛されたような印象を受けます。しかし、そうではありません。アブラハムは、愛する家族、祖国、物質的な富、そしてその他のすべてのものをあとに残して、神様が選ばれた未知の地に行き、いつも神様と人々のために涙を流すことにより、サタンから自分を分立しなければなりませんでした。彼は民族のために多くの祈祷をし、国のために多くの苦痛を受けたのです。
そのような条件を通して神様は、アブラハムを信仰の祖先として立てることができ、また数多くの後孫が繁栄するように祝福できたのです。このような内容は、聖書には記録されていませんが、神様が彼に祝福を与えたのは、そのような背景があったからなのです。
アブラハムもノアと同じです。偶像商の息子アブラハムは、サタンが一番愛する人でした。しかし、神様は賢く愛らしいこの息子を奪ってきたのです。アブラハムが願ってきた世界は、彼の父親の思いとは違いました。怨讐の息子ではあったけれども、考えることがその父とは違っていたのです。アブラハムは、自分の家族のためだけでなく、未来のイスラエルを心配する心をもっていたのです。そのようなアブラハムを神様が奪ってきたのですが、どのようになったでしょうか? 成長していた時には、彼の家族や親戚が、自分の味方だと思っていたのに、そのすべてが怨讐となってしまったのです。その上、自分の国と氏族から離れ、自分の父母に反対してからは、アブラハムの行くことのできる家がどこにあり、親戚がどこにあり、国と世界がどこにあるのかというのです。
しかし、そのように追われる行路でも、アブラハムは自分の父母と親戚から愛を受け豊かに生きることよりも、イスラエル民族が自分を呼んでおり、幸福の基盤が自分を求めているということを切実に感じていたので、ジプシーの行路でも夜空の星を見て、ただ神様に願ったことは、望みの天国に行かせてほしいということだけでした。
そのために神様は、アブラハムに祝福をしてくださったのです。彼の前に近づくつらい苦痛と困難な環境は、他の人であれば、自分を呼び出した神様を背信し、自分の立場を嘆くようなものでしたが、アブラハムはそのような立場でも、神様とさらに深い因縁を結び得る心情で侍っていったので、彼の前には幸福の門が開くようになったのです。( 「牧会者の道」 p45〜p48 )
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アブラハムの立場は、
偶像商テラの長男で、サタンが一番愛する人だったのですが、神様にとっては、
賢く愛らしい息子でありました。
アブラハムは、神様からどの様に扱われても感謝の心を持ち、いつも神様と人々の為に涙を流す心情を持ち、未来のイスラエルを心配する心を持っていたので、神様にとっては、 「賢く愛らしい息子」 だったのです。
神様はその様なアブラハムの信仰と心情を鍛錬し、気がつけば家族や親族が怨讐となっていたという程だったのです。
まさしく、ノアの様な環境、事情を通過させて、アブラハムを
信仰の祖、
復帰摂理の中心人物として立てることができたのでした。
(1) アブラハムの信仰路程とサラ
メソポタミア地方、カルデアのウルに生まれたアブラハムは、一族とともに北シリアのハランに移り住んでいました。
ある時、アブラハムは神の命令に従い、妻のサラ、甥のロトとともにカナンの地に移り住んだのです。しかし、カナン地方を飢饉が襲ったため、彼らはエジプトに移住しました。
エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った。 「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。
ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。パロはアブラムを召し寄せて言った、 「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」。パロは彼の事について人々に命じ、彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた。( 創世記12章11節〜20節 )
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アダム家庭において、
アダムとエバは兄妹としての関係にある時、エバが天使長ルーシェルの誘惑に陥り堕落してしまいました。それを蕩減復帰するアブラハムとサラは兄妹として、天使長ルーシェルを象徴するパロの家にサラは召し入れられたのです。しかしサラは、
妻にしようとするパロの誘惑に屈することはありませんでした。ところがパロは、兄であるというアブラハムに多くの家畜と奴隷を与えて、何とかサラを口説こうとしますが、時が満ちて神はパロに疫病を下します。そのことによってパロはアブラハムのもとへサラを返し、多くの家畜と奴隷をそのまま持たせて去らせたのです。
このことは、アダムとエバが堕落することによってサタンから奪われたものを、再び神のもとへ取り戻した立場に立ち、アブラハムの象徴献祭としての
三種の供え物を果たすのみでした (創世記15章)。 しかし、アブラハムはこれに失敗し、やり直すことになります。
・ 創世記13章
→ エジプトを出て、ネゲブに上る。アブラハムとロトが別れる。アブラハムはカナンに、ロトはソドムに住んだ。
・ 創世記14章
→ アブラハムは、ケダラオメルとその連合の王たちを撃ち、
捕虜となったロト、財産および女たち、民とを取り返した。
・ 創世記15章
→ アブラハムの
三種の供え物と、その失敗。
・ 創世記16章
→ つかえめハガルが、アブラハムの子
イシマエルを産む。
・ 創世記17章
→ アブラムをアブラハム、サライをサラと呼び、アブラハムは
99歳、イシマエルは
13歳で割礼を受ける。
・ 創世記18章
→ サラに、男の子が生まれるとのお告げあり。アブラハムは、神が背徳の町ソドムとゴモラを滅ぼそうとされるのをとりなす。
・ 創世記19章
→ 硫黄の火によって、
ソドムとゴモラは滅亡する。
アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュルの間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、アブラハムは妻サラのことを、 「これはわたしの妹です」 と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、 「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。 アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、 「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。 神はまた夢で彼に言われた、 「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのでいま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。
そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。そしてアビメレクはアブラハムを召して言った、 「あなたはわれわれに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」。 アビメレクはまたアブラハムに言った、 「あなたはなんと思って、この事をしたのですか」。アブラハムは言った、 「この所には神を恐れるということが、まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと思ったからです。また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。神がわたしに父の家を離れて、行き巡らせた時、わたしは彼女に、あなたはわたしたちの行くさきざきでわたしを兄であると言ってください。これはあなたがわたしに施す恵みであると言いました」。 そこでアビメレクは羊、牛および男女の奴隷を取ってアブラハムに与え、その妻サラを彼に返した。そしてアビメレクは言った、 「わたしの地はあなたの前にあります。あなたの好きな所に住みなさい」。 またサラに言った、 「わたしはあなたの兄に銀千シケルを与えました。これはあなたの身に起ったすべての事について、あなたに償いをするものです。こうしてすべての人にあなたは正しいと認められます」。 そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻および、はしためたちをいやされたので、彼らは子を産むようになった。これは主がさきにアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの家のすべての者の胎を、かたく閉ざされたからである。( 創世記20章 1節〜18節 )
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(2) アブラハムとサラは異母兄妹
偶像商テラの系図は左に示す通りで、
アブラハムとサラはテラを父とする異母兄妹です。上記の聖句におけるアブラハムの発言は間違っていません。これは先に述べたようにアダム家庭を蕩減復帰する立場として、兄妹関係が必須条件となります。
ところで、アブラハムの孫ヤコブの時から
正妻 (レア) と側女 (ラケル) の関係があります。アブラハムには、
正妻 (サラ) と 「侍女 (つかえめ) 」 (ハガル) の関係があり、それぞれ大きく意味が異なり、蕩減復帰の内容も全く異なります。 (詳しくは次ページで)
<参照>
・ 旧約聖書「ソドムとゴモラ」、「塩の柱」とタブー
・ サラ
・ セムからテラへ、「テラの系図」が意味するもの