復帰摂理歴史の真実 |
||||||||||
≪ アブラハム家庭はノア家庭のやり直し | <トップ> | ヤコブの母リベカと妻レア ≫ | ||||||||
■ 第1章 第2節 メシア誕生のための内的摂理
b. イサク献祭とイサクの家庭 1. イサク献祭とサラ (1) イサク誕生とイサク献祭におけるサラ @ イサクの誕生とサラ アブラハムにイサクが誕生した時、アブラハム100歳でした (創世記21章)。 アブラハムがイシマエルと割礼を行ったのが、アブラハム99歳、イシマエル13歳 (創世記17章)。 サラにイサク誕生のお告げがあり (創世記18章 : 下記)、 ゲラル王アビメレクとの一事件 (創世記20章) があります。 これは、前回のパロ王の時とは違い、神がアビメレクの夜の夢に現れて、アブラハムをサラの夫だとアビメレクに明かしていることです (創世記20章 3節)。 つまり神が、サラはアブラハムの妹から、妻としての立場を認めたことを意味します。
さて、子を授かれることに胸をふくらますサラと、家のすべての者の胎を閉ざされたアビメレクがいました。あえて神は、アビメレクがサラに対して姦淫の罪を犯しかねない環境に置き、サラを死の覚悟をせねばならない環境に置いたのです。 サラは覚悟を決め、その環境の中である一定期間を過ごしたので、それがサタン分立の条件となり (前ページ参照)、 神がサラをアブラハムの妻と認めることでサラをアビメレクから解放し、イサクの誕生に至るのです。 A イサク献祭におけるサラの立場
イサク献祭については、原理講論に下記のようにありますが、
アブラハムとイサクを送り出したサラも、イサクを燔祭として捧げることを知っていて送り出したので、 「サタンの侵入を受けた自分自身を殺そうとしたのと同様な立場」 というのはサラにも当てはまることで、サラにその覚悟ができていたからこそ、夫とその子イサクを送り出し、アブラハムもその覚悟ができたのです。また、アブラハムとサラにその覚悟ができていたからこそ、イサクもそれに従えたといえます。 2. イサクの家庭、エサウとヤコブ 失われたイスラエル10支族 ・ ラビ・エリヤフ・アビハイル 著 (学研プラス 発行) ユダヤ人には、遠い昔に分かれた兄弟がいる。世界史上最大の謎とされる 「失われたイスラエル10支族」 は、いったい、どこへ行ったのだろうか。その行方をめぐって、現代イスラエルの特殊機関アミシャーブの人間が世界中を調査してまとめた本格的研究書。 ・ 著者 プロフィール 現代イスラエルの特殊機関アミシャーブの元責任者。失われたイスラエル10支族の研究の第一人者であり、日本にも何度か訪れたことがある。
@ 補完としての存在価値 神はアダムに、アダムにとって相応しい助け手としてエバを創造されました (創世記 2章18節)。 補完とは、 「足りない点を補って完全にすること」 であり、イエスが言われた、 「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」。 マタイによる福音書 5章48節にある “完全” とはこの意味での “完全” なのです。神は二性性相の神であり、その二性性相が心情を中心として完全に調和 ・ 統一されているからこそ、神は 「愛なる神」 として居られるのです。こうして、補完する存在と補完される存在は、互いに唯一無二としての絶対的価値を有するようになるのです。 しかし、それは堕落人間において、陽と陽や陰と陰などの同質的なものではなく、陽と陰というように異質的存在となるため、理解が難しくその調和は困難となります。これに対して、人間は修練されると、自己の長所 ・ 短所を自覚するようになり、自ずとその短所に対する補完の必要性を認める受け入れるようになります。そのため、 「補完者の為」 に、または 「被保管者の為に」 という、愛が誘発されてくるようになるのです。 この修練がある期間必要とされたために、神は 「取って食べるな」 と厳しく戒められたのです。この事は、堕落人間にとって、難行 ・ 苦行としての 「修行」 、復帰においては 「蕩減」 として苦痛を伴うものとなったのです。
|