02. 初臨のイエスと再臨主
■ 心情を源泉とする愛の神によって創造された被造世界
1 サタン屈服の典型路程となったヤコブ家庭とイエス
@) イエス誕生までのイエス誕生のための摂理
A) エリサベツの怨讐となったマリヤと庶子としてのイエス
B) 洗礼ヨハネの失敗によるイエスの天使に対する主管性復帰と十字架
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さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊≠ノ導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。(「マタイによる福音書」4章1節〜11節)
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人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。(「申命記」8章3節)
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あなたがたの神、主を試みてはならない。(「申命記」6章16節)
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あなたの神、主を恐れてこれに仕え、その名をさして誓わなければならない。(「申命記」6章13節)
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C) 原罪からの重生
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罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。その罪を分類してみれば、第一に原罪というものがあるが、これは人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪はすべての罪の根となるのである。(『原理講論』p121)
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我々がコリントT一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。(『原理講論』p266)
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「原罪」とは、人類始祖となるアダムとエバから受け継がれた罪のこと。
「重生」とは、生まれかわること。死んだ人間が再び生まれてくることを意味する。
2 霊性としての聖霊とキリスト教
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では、具体的に聖霊はどのようなお方でしょうか。エバがもし完成していたなら、実体の母となっていたはずですが、堕落することによってエバの霊性が神様に収められました。そうして、その霊性はイエス様がこの地上で新婦を迎えればその新婦に再臨して実体の形象をまとおうとしたのですが、イエス様の新婦の基盤がなくなることによってその霊性は再臨できず、イエス様は実体の父母の立場に立つことができませんでした。ですから、仕方なくイエス様は聖霊と共に霊的父母の立場になるしかなかったのです。(『神様の摂理から見た南北統一』 79p)
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@) 二性性相の神としての神霊と聖霊と人間の良心
<参照>
・ エバの摂理完了と男性復帰(上)
A) 『原理講論』における三位一体の観点から
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イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。(『原理講論』p268)
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2 蕩減摂理時代から愛援摂理時代へ
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霊界と地上界の歴史を経て、今では太平洋沿岸をみな経、大西洋を経て上陸したのちにアラスカで何をしたのかといえば、八定式をしたのです。八定式は、縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界蕩減路程、八段階縦横の路程を経て定着することによって長子権復帰が起こり、この地の世界の人間の前には、蕩減の路程が解消されるのです。八定式をすることによってそうなのです。先生が宣布したのです。八月三十一日アラスカで。(『宗族的メシヤ』p334)
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長子権が復帰され、御父母様が抱いてあげることにより、父母の愛の圏内で長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛でもって和合できる、蕩減が必要でない時に入ってきたというのです。そのようなことをするためには八定式をしなければならないのです。
八定式をすることによってその息子、娘を、長子と次子を前においた父母が生じて、このような子供たちを許してあげたので、そのあとには父母容赦圏時代が来るのです。
それで愛援摂理時代を宣布するのです。救援摂理ではありません。愛でもって援助する救援時代なのです。今までは、蕩減復帰救援だったのですね? それがなくなるのです。長子権復帰をすることによって、兄弟たちが父母の懐にただそのまま抱かれ得る立場に入ってきて、父母の愛を中心として、父母に許しを受けることのできる環境をつくっておいたので、この地上に統一教会に反対する勢力はなくなるのです。反対する時代は過ぎ去るのです。今、そのようになったのです。アメリカに、統一教会の文先生に反対する人がいないのです。いるといってもそれは、共産党の本当のアカと解放神学の連中のみなのです。全部、世の中を知らない者たちなのです。(『宗族的メシヤ』p335)
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@) 長子権復帰と母子協助による愛援摂理時代
1989年8月31日の「八定式」の制定以降、1990年3月27日に「真の母」勝利宣言が成され、文先生は1991年12月6日金日成と会見すると、1992年4月10日に世界平和女性連合が創設され総裁に韓鶴子女史が就任しています。
3 血統転換を成す本質は真の愛
@) 世界平和統一家庭連合における「血統」の概念における欺瞞
A) 真の愛の実体となる真の母によって誕生する神の血統
神の愛とは、要するに神の絶対愛をいう。神は絶対者であるために、神の愛は絶対的愛である。ここでいう絶対とは、世俗的な意味の絶対とは異なる。ここでの絶対は、永遠不変性、無限性、普遍性をいう。神は永遠的存在であり、存在しないところがないのであって、いつでも、どこでも存在されるのである。したがって神の愛もまた永遠であり、存在しないところがないのである。このような内容をもつ愛が絶対的愛であり、真の愛である。
例えていえば、真の愛は太陽光線のようである。太陽光線は地球上のどこでも照らさない所がなく、常に休みなく継続して永遠に照らしている。それと同じく、真の愛とは、包括的であり、全人類だけでなく、すべての万物に対してまでも、施し与える愛である。被造物全体が真の愛の対象である。真の愛の対象から除外される存在は、この宇宙にはない。普通、愛といえば、人間同士が与えて受ける愛のことをいうが、真の愛とは、人間同士はもちろん、敵までも、ひいては万物までも愛する、そのような愛である。(『統一思想要綱』720p)
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B) 儒教による徳治主義が生み出した韓国特有の「孝」に対する価値観
「孝」は、特に儒教や中国仏教、道教の倫理において、自分の両親、年長者、先祖に対して愛と尊敬を示す美徳である。
「徳治主義」とは、徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきであるとした孔子の統治論に由来する儒教の政治理念・思想。古くは徳化などと呼ばれていた。
儒教における「徳」とは、人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼・智・信の五徳(五常)や孝・悌・忠の実践として表される。そして、徳は人間の道徳性から発展して統治の根本原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられた。
C) 日本型の「忠義」を前提とした「孝」の絶対的必要性
・ 聖書にあらわれた系譜性 (奈良大学紀要 小田丙午郎 : PDF)
・ 東アジアの儒教的経営と不正会計 (大東文化大学経営学部 沢修一 : PDF)
・ 独生女(独り娘)の理解を深めるために ― 真のお母様の無原罪性について
・ 忠義 - 盲目的な服従ではなく、「義」に尽くす覚悟
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