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01. 原理と復帰摂理歴史再考の必要性


■ 文先生の御言と復帰摂理

このページにおける内容は、『聖書』と『原理講論』と『統一思想要綱』を一通り理解した上で、文龍明先生の「説かれた」、或いは「解かれた」観点から、人類歴史を神の復帰摂理として再検証する内容である。「説く」と言う観点から言えば、『原理講論』によって『聖書』の摂理的奥義を説かれているのであるが、文先生御自身の歩まれた路程を “説く” ものではない。文先生御自身が御言として語られるとき、それは御言の実体として段階的に勝利された「 “解かれた” 新しい真理」としての内容である。この「解く」というのは、「堕落によって失った “真の愛” 」を『原理講論』で説いた原理に従って歩み、“復帰された「真の愛」の完成に近づく過程での御言” と “それを成就する為の原理” に他ならない。


1 御言に見る日本の摂理的立場とその失敗

 どうしてこの世界地図上で日本民族がこのように急進的に発展をしたのかといえば、失敗した英国に相当する立場でアジア的代身国家として立てた国が日本なので、日本が西欧文明に反対的な立場に立って、そのような祝福を受けるようになるのです。
 このアジアにおいて英国と同じ立場に立った国が日本なので、アジアを育て、アジアのための日本にならなければならないのです。しかし、そのような日本となることができず、自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場になってしまったのです。
 それゆえ日本は英国と違わないというのです。英国文明をアメリカが受け継いだのと同時に、アジアでは英国文明を日本がそのとおりに受け継いだのです。(『神様の摂理から見た南北統一』p109)
 神様は英国の祝福を蕩減するために日本に祝福を与えたので、日本は英国が失敗したことを蕩減しなければなりません。したがって、神様が日本を明治維新以後、経済大国として発展させたのは、英国の立場を蕩減して世界を救いなさい、というみ旨からでした。ところが、日本がつゆほどでもそのような考えをもっていましたか。むしろ彼らは神社参拝問題を中心としてキリスト教を極度に弾圧し、戦後は共産主義の活動舞台にしたではないですか。(『神様の摂理から見た南北統一』p111)

 @) 失敗した英国とは

図1
ライデン(オランダ)
「失敗した英国」というのは、イングランド国教会を浄化(Purify)しようとした清教徒(Puritan)をカトリック教会が迫害し追い出してしまったことを言います。
清教徒の中でも、イングランド国教会の改革は不可能との結論に至った分離派ピューリタンの一部は、1609年に宗教的自由を求めてオランダのライデンに移住しました。彼らはライデンで約11年間生活し、信仰の自由を得てコミュニティを維持しました。この指導者の一人がジョン・ロビンソンであり、彼らの墓がライデンに残っています。
ライデンでの生活は安定していましたが、厳しい労働や子供たちがオランダ化することへの懸念、そして信仰を広めたいという思いから、彼らは新大陸への移住を決意しました。1620年、ライデンを出発したグループはイギリスを経由し、メイフラワー号でアメリカのプリマスへ渡り、植民地を建設しました。

同じころ日本では、江戸幕府が17世紀(1630年代〜1640年代)にキリスト教の禁止と貿易・対外関係の統制を目的として確立した鎖国を開始したが、1854年の日米修好通商条約によって日本を本格的な開国と貿易へと向かわせた。その後の明治維新(1868年)は、神の復帰摂理の一環として捲き起こった。

 A) 日英同盟の締結

1902年の日英同盟は、東アジアで満州・朝鮮半島へ南下するロシアの脅威に対抗するため、日本とイギリスの利害一致により締結した同盟です。日本はロシアとの開戦を見据えた資金・技術援助を求め、イギリスは「光栄ある孤立」を脱してロシアの東アジア進出を阻止する目的がありました。
当時、朝鮮から満州にかけての地域は、大国の食指が及んでいない権力の空白地帯で、清国、ロシア、日本がぶつかる地点となり、東アジアの趨勢を図る上で非常に重要な場所でした。日本は、日英同盟により英米から膨大な戦費調達が可能になり、孤立無援のロシアに対し強気な外交と開戦(1904年)に踏み切れました。日本は日露戦争に勝利し、朝鮮半島、満州南部の権益を確保しました。1910年の「韓国併合」は、日本の安全保障政策においてロシアの南下を阻止・防衛する目的が大きく関与していました。当時の国際社会では、ロシアだけでなく英国や米国も、日本による韓国の保護・支配を承認していました。

 B) ロシア連邦の建国と日英同盟破棄

ソビエト連邦の樹立(1922年)と日英同盟の破棄(1923年発効)は、第一次世界大戦後の国際秩序の劇的な変化(ワシントン体制)を示す象徴的な出来事です。これらは、ロシア革命による共産主義国家の誕生と、アメリカ主導によるアジア太平洋地域の勢力均衡への再編という脈絡で関連しています。
1917年のロシア革命(ボリシェヴィキ政権誕生)を経て、1922年12月30日にロシア、ウクライナ、白ロシア、ザカフカースの各ソビエト共和国が統合され、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。当初、西欧諸国や日本はソ連を承認しませんでしたが、国際的に孤立したソ連は、その後、中国など近隣諸国との関係を模索し、共産主義の拡大(コミンテルン)を試みました。

第一次世界大戦後にワシントンD.C.で開かれたワシントン会議(1921年11月12日〜1922年2月6日)は、国際連盟の賛助を得ずに実施され、太平洋と東アジアに権益がある大日本帝国・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9カ国が参加、ソビエト政府は会議に招かれなかった。アメリカ合衆国が主催した初の国際会議であり、また史上初の軍縮会議となった。
そこで米国は、「対華21カ条要求」などによる日本の中国大陸での権益拡大を警戒し、日英同盟を日米対立の温床と見なして破棄を要求した。これに対してイギリスは中国権益を維持しつつ、日本の軍事的影響力拡大を抑え、アメリカとの関係を優先する必要があった。1921年12月に英米日仏での「四カ国条約」締結されると、ロシアの脅威は完全に解消され、ロシアの南下政策に対抗して結ばれた日英同盟の破棄が決定された。
これによって、日英同盟というアジアでの軍事的支柱を失った日本は、対米・対ソ協調(ワシントン体制)への転換を余儀なくされ、ソ連の成立(共産主義の脅威)に対し、日本はアメリカ・イギリスと共同で対応する枠組みが薄れたため、“単独でソ連(や中国の共産主義勢力)に対峙” することに加えて “英米主導の平和体制(ワシントン体制)” という新しい対立構造が生じたのである。

 C) 明治維新後の日本における摂理的準備

図2
1871(明治4)年、幕末の不平等条約改正のため欧米に派遣された岩倉使節団の一行は、日本がキリスト教の禁制と迫害をやめないかぎり欧米諸国との条約改正の交渉が問題にされない事を知り、政府にキリスト教解禁を上申した。これによって1873(明治6)年2月24日、明治政府はキリスト教禁制の高札を撤廃した。これは条約改正の為の措置であって、信教の自由公認とはほどっといものであったが、これによってキリスト教の教宣活動が行えるようになった。

日本におけるキリスト教の公認は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法による “信教上の自由権” と、それから10年後の1899年(明治32年)の「神仏道以外の宗教宣布並堂宇会堂に関する規定」(明治32年7月27日付の内閣省令第41号として制定されたキリスト教の宗教活動を規律する法規)によって正式に認められることになった。
この事に伴い、国際連盟事務次長(1920年〜1926年)を務めた新渡戸稲造による『武士道』が刊行(1899年)され、内村鑑三等による再臨運動(1918年〜1919年)が展開された。

この間、1912年より政府主導での「神仏耶三教会同」は、明治政府が国家の安定と国民教化(道徳の涵養)を目的に、従来の宗教政策を転換し、キリスト教を神道・仏教と同等に扱って協調を図った政策的イベントが開催されたが、日本国憲法第20条が定める「政教分離の原則」におて大問題となって影を潜め、1923年9月の関東大震災を機にその姿を消した(図2)。そもそもこのイベントは、1910年に明治天皇の暗殺が計画された大逆事件としての明科事件あかしなじけんを発端に、全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧・冤罪事件としての「幸徳事件」後の社会情勢に打った手であるとされている。

 D) 韓国併合時の日本における朝鮮政策失敗と戦後の朝鮮半島分断

朝鮮半島は、1910年に日本に併合(韓国併合)された。文先生は、1920年2月25日(陰暦1月6日)に当時の日本国に生誕されたことになる。

併合された朝鮮半島では、反キリスト教政策が鮮明になる中で、学校において天皇の写真に敬礼する儀式を強制され、1919年3月1日には「三・一独立運動」が起こった。これによって日本の植民地支配に反対し、独立を求めた全土規模の非暴力デモであり、軍事的な武断政治から文化政治への転換を迫った。後の神社参拝は、1935年秋以降から始まり、1937年の日中戦争勃発後には、皇民化政策の一環として、学校や公的機関、日常生活において厳しく求められた
朝鮮における皇民化政策は、日中戦争から太平洋戦争終戦にかけて、植民地朝鮮の人々が日本の天皇に忠誠を誓う「日本人」へと強制的に同化させた政策の一つである。内鮮一体(朝鮮と内地の融合)を掲げ、創氏改名、神社参拝、日本語常用、徴兵・志願兵制度などを通じて、朝鮮人としての民族的アイデンティティを解体し、戦時動員に組み込むことを目的としたものである。

 日本が世界を救おうという使命を果たしたでしょうか。果たせなかったのです。ここで神様の摂理は他の所へと移るようになって、半島文明圏を中心として成し遂げられるようになります。そうして、イタリア半島文明と同じ韓半島文明時代へと移り、イエス様が体を失わなかったなら築いたであろう世界的なアジア文化圏時代に移ってくるようになります。ですから、韓国にメシヤの再臨という言葉が可能になるのです。(『神様の摂理から見た南北統一』p112)

文先生が語った上記の内容は、韓国が世界を救おうという使命を持ったということではない。“文先生を中心とする神の復帰摂理は、韓国という半島文明から始まった” ということを意味している。まさしくキリスト教を中心とする復帰摂理は、ユダヤ人たちの失敗によってイタリア半島から出発したようにである。
392年にテオドシウス1世によってキリスト教がローマ帝国の国教とされたように、文先生は自らの思想とする「原理」を中心にキリスト教の統一を目指して伝道を開始されたのである。しかしその摂理も失敗し、1948年2月に文先生は興南強制労働収容所に収監され、肥料工場で過酷な強制労働に従事し、朝鮮戦争の勃発によって解放された。

ところで太平洋戦争の終戦直前となる1945年8月9日、ソ連軍による満洲侵攻によって満洲国と関東軍は瞬く間に崩壊した。日本が防共(共産主義の防波堤)の一環として建国した満洲国は、皮肉にも共産主義勢力(ソ連軍およびその後の中国共産党)の手に渡るこになった。そして、戦後間もない1946年には、蔣介石率いる国民党毛沢東率いる共産党が中国の主導権を争った国共内戦が勃発した。米国の支援を受けた国民党が優位に始まったが、インフレや汚職による信頼喪失で敗北。共産党が農民の支持を得て勝利し、1949年に中華人民共和国を樹立、国民党は台湾へ逃れた。

こうした状況下で、1950年6月に始まった朝鮮戦争によって朝鮮半島は南北に分断された。この様な結果を招いてしまったのは、米国の朝鮮戦争における戦後処理の失敗によるもので、米国は和平条約ではなく1953年の「休戦協定」のままで戦争を凍結させ、恒久的な平和体制を築けなかった点にある。これにより朝鮮半島の分断が固定化され、冷戦の最前線として緊張が続く「終わらない戦争」となってしまった

 E) 朝鮮戦争へ向かわせた太平洋戦争後の米ソ関係

日露戦争(1904年2月6日〜1905年9月5日)の勝利を通じて日本は、米英露と次のような同意を築いて朝鮮併合へ向かった。まず第一に、日露戦争中の1905年7月29日、桂・タフト協定によって、アメリカがフィリピンを、日本が韓国を優越的に支配することを相互に認めた。日本はこの協定を足がかりに韓国の保護国化(第二次日韓協約)を確立し、韓国併合への重要な布石となった。更に1905年8月12日には、第二次日英同盟によってイギリスが日本の韓国に対する支配・指導・保護の権利を承認した。そして日露戦争後、1907年7月30日の第一次日露協約において、ロシアが韓国における日本の支配的地位を認めた。しかし、日本の太平洋戦争の開戦によって、日本の立場は一挙に引っ繰り返ったのである。

1943年12月に、米英中首脳によるカイロ宣言では、将来的に朝鮮を独立させる意志が示された。しかし、その構想の前提となる朝鮮自体が抱える政治的独立に対する能力への不信感と、経済的自立の可能性に対する悲観的評価が存在したことで、1945年2月4日から11日にかけて開催されたヤルタ会談米英ソによる連合国首脳会談)での口頭合意に従い、米英中ソの4カ国による合同協定を通じて朝鮮における信託統治機関を準備し、国際連合の監督を受けることとなった。
1945年9月2日に日本が降伏文書に調印すると、朝鮮半島の北緯38度線を境界線として以北はソ連極東軍司令官に、以南は米国太平洋陸軍最高司令官に降伏することが規定されたのである。その延長線上に、1946年3月20日から米ソ共同委員会が開始されたが、米ソの見解相違のため決裂に終わった。その後になってようやく米国は、ソ連の脅威を根本的に “共産主義の脅威” であると捕らえ始めたのである。

トルーマン
金日成
この時すでに、南部朝鮮の政治環境は、左派が活動の余地を残し、金日成は1946年7月22日に祖国統一民主主義戦線を結成し、同年8月末には北朝鮮労働党を創建した。同年11月には南朝鮮労働党が結成され、南部朝鮮での共産化を目指していた

1947年3月、トルーマン大統領(在任:1945年4月12日〜1953年1月20日)の指示の下で、日本をアジアにおける基軸要素と位置づけ、南部朝鮮など近隣地域と日本との新たな統合をめぐる政治的方向性を明示した。日本は、共産主義の行進に対する真のイデオロギーの堤防として、日本の復興が東アジアの共産主義の拡大を阻止するために必要とされたのである。


2 『原理講論』の不完全性


 ここで発表するみことばはその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。(『原理講論』p38)
 我々は、第一次世界大戦が終了したあとから再臨期が始まったと見なければならないのである。(『原理講論』p561)

原理講論』は、1966年5月1日に韓国で刊行され、日本語訳版は1967年に刊行された。『原理講論』では、人類歴史を神の復帰摂理歴史として、人類歴史を蕩減復帰原理によってイエスの再臨を立証だてる内容として記されている。再臨の時期は、“第一次世界大戦終了後” として明確にしていないが、大凡おおよその時期は、「摂理的同時性の時代の対照表」によると西暦1930年頃(400+400+120+400+210+400=1930)と言うことを示している。第一次世界大戦が終了したのは1918年である。

ところで、ここで問題となるのは「一層深い真理の部分が継続して発表されることを待ち望む」と言う一節である。『原理講論』で説かれている “蕩減復帰原理” で摂理される歴史は再臨期までであり、“蕩減復帰原理” となる「メシヤのための基台」を言い換えれば「メシヤを迎えるためのアベルとカインによる基台」と言うことができる。これはアベルが「信仰基台」を立てて、「実体基台」を復帰する中心人物となって、アベルが「信仰基台」をもとにしてカインを愛によって自然屈服させ、“アベルを中心にしたカインとの一体化” が「メシヤを迎えるための基台(=実体基台)」となることである。
つまり、『原理講論』は文先生以前の歴史を復帰摂理歴史として説いたものであり、再臨主として歩まれる文先生の摂理路程上で語られる内容を “一層深い真理の部分” として表現されているのであるが、文先生が「真理」として語られることにおいては、『原理講論』で記された範囲に関することにおいては必要に応じて詳しく語ることはできても、文先生が自ら担われる未踏の摂理においては、それを実体化できるまではそれを「真理」として記述することはもちろん、口述すら出来ない立場である。そのことを踏まえての「発表されることを待ち望む」であることを明確に認識していなければならない。


3 カインとアベルによる蕩減復帰摂理の本筋

 アベルを中心にして見るとき、アベルもカインと同じ精誠で供え物をささげました。しかし、アベルはその出発点から神側であるため、神様は受けられたのです。ですから、アベルは神様が自分の供え物を受けられたとしてもただ「ありがとうございます」と言いながら温柔謙遜でなければなりませんでした。そうしたならカインが殺そうとしますか? しかしアベルは、神様が自分の供え物だけを受けられたので、カインの腸が煮えくり返るほど、度を越えて喜んだのです。どんなにうれしくても一人で喜んで黙っていたなら良かったのに、兄に自慢したのです。皆さんもうれしいことがあれば自慢したいですか、したくないですか? 自慢したいでしょう? 同じようにアベルも兄にそれを自慢したのです。ところが自慢が度を越えて「お兄さんの供え物は受けないで私の供え物は受けた。だからお兄さんより私が、より勝っただろう!」、このようなことまで話したのでしょう。ですからカインの顔は真っ赤になったでしょうし、憤らずにはいられなかったのです。そのように考えることができるのです。
 アベルは神様の恩恵を受けたからといって、うれしいと自慢をしてはならなかったのです。恩恵を受けたならむしろ自分の不足を悟り「お兄さん、すみません」と言わなければなりませんでした。そうしたならカインが殴り殺しますか? 殺さないでしょう。これがアベルの失敗です。(『牧会者の道』p837)
 皆さんはアベルが好きですか、カインが好きですか?(アベルです)。私はカインも好きでなく、アベルも好きではありません。どうしてでしょうか? @ アベルが、カインすなわち兄と共に供え物をささげた時、神様が自分の供え物だけ受けて兄の供え物を受けなかったとしても、兄に純粋に対さなければなりませんでした。兄のことを考えなければなりませんでした。そして「ああ、お父さん、なぜ私の供え物だけ受けたのですか?」と言って泣きわめいて、兄のところに行って「私の供え物だけ受けた神様は嫌いです」と言ったなら、神様はどうされたでしょうか? 間違いなくカインを愛さずにはいられなかったでしょう
 カインとアベルは、供え物を同じように準備して神様の前にささげたことでしょう。カインは穀物を、アベルは羊を一年間精誠を尽くしてささげたのです。精誠を尽くすことはいいというのです。ところで誰が精誠をより尽くしたかという問題を離れて、供え物を受ける受けないという問題を見るとき、神様はアベルの供え物を受けざるを得ない立場であるから受けたのです
 ところで、アベルは神様が自分の供え物だけを受けられたので、自分ができが良くて、神様は自分だけが好きなので受けたのだと思って「お兄さん、見てよ。私の供え物は受けられたよ」、そのように自慢したのです。間違いなくそうしたのです。そうしなかったなら、じっとしているカインの顔がなぜ赤大根のように真っ赤になりますか? アベルが黙っていたのにそうなったのでしょうか? 間違いなくアベルはカインの前に行って「お兄さんが何だ、私の供え物を受けただろう」と言って両手を振りながら歩き、ねちねち振る舞ったでしょう。アベルは驕慢では駄目だということです。謙遜でなければなりません。それだから殴られて死んでも当たり前だというのです。殴られて死ぬようになっています。(『牧会者の道』p837〜p838)
 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。
 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです

 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。(『文鮮明先生御言選集55』p236)

 @) 人類始祖が堕落によって失ったもの

図3
人類始祖となるアダムとエバが堕落によって失ったものとは、アダムは「神の御言」を失ったがゆえに信仰基台の条件物は神の御言となった。これによってアダムは、「御言の完成実体」となることができなかったのである。
また、エバは、天使長ルーシェルの “偽りのことば” によって不倫なる愛の関係を結んでしまった。これによってエバは、自己中心的な心情を発露とした愛の関係を結んでしまったために、「四大心情圏」による愛の関係を結ぶことが出来ず、“堕落の実” となった子女による “血統” として今日に至っている(図3)。血統は “夫婦の愛の結実” としての、子女へ連結される “命の源泉” であるとも言える。

この「四大心情圏」とは、“神の心情に由来する利他的な心の衝動” である。『統一思想要綱』(p52)によれば、神の心情とは「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」であるとしている。これは、先ず対象を愛することによって喜ばせ、その対象の喜びを自らの喜びとするということであって、妬み、嫉み、嫉妬といった相手の喜びを奪おうとするものではなく、またハンという心情的概念は有っても、「怨讐」として相手を憎む概念は全くありません。文先生が表現する「怨讐」とは、“神の復帰摂理を著しく妨げるサタン的概念含んだ存在” として、サタンと対峙する文先生の立場から表現された言葉となります。

 A) 2つのカイン・アベルの蕩減復帰摂理

堕落は、アダムとエバが共に堕落したように、復帰もアダムとエバが共に復帰されなければなりません。植物の種が土壌に撒かれ芽を出して育つように、堕落した人間も、先ずアダムが復帰され、アダムの精子(種)が土壌となるエバの胎中で受精して、まもられた環境と十分な栄養を吸収して子女が誕生し、父母の愛によって成長していきます。ですから、まず初めに堕落の痕跡のない神の御言通りに完成した、神の心情と一体不可分の真のアダムとしての存在がなければ真のエバも、真の子女の存在も成り立ちません。そこで、蕩減復帰摂理も “真のアダムを復帰するカインとアベルの摂理” と、“真のエバを復帰するカインとアベルの摂理” として2つあることを認識しておかなければなりません(図4)。

図4
第一のカインとアベルにおける復帰摂理は、“男のカインとアベルにおける復帰摂理” であり、アベルにおける信仰基台とカインの実体基台の成立によって “メシヤ(真のアダム)を迎える条件を立てる” ことを言う。

次に、真のアダムを中心とした “女のカインとアベルによる復帰摂理” となるが、カインは長子でアベルは次子であったように、女のカインは正妻で女のアベルは正妻の次となる妾の立場となる。

ここで、女のカインとアベルが男のカインとアベルと違うところはどこかと言えば、男のカインとアベルは、アベルが御言に対する信仰を取り戻しカインに対する愛を復帰することであり、いわゆる “長子としての愛を取り戻して長子権を獲得すること” にある。真のアダムは、その長子権を暗に所持した立場で誕生するのであるが、これを明示できるのは女のカインとアベルの復帰摂理によってである。それは、真のアダムとして真の愛を長子権として権威付けることによって真のアダムは正妻の前に真の夫となり、正妻は真の妻となって、子女の前に真の夫は真の父となり、真の妻は真の母となって、真の父母が成立することによって真の子女を迎えて真の家庭が完成するのである。
では、何が真の愛に長子権としての権威付けを成すのであろうか。それは、真のアダムから発せられる御言によってである。結論を言えば「正妻の四大心情圏が、妾の御言によって裏付けられる」ことである。これは、正妻と妾という怨讐関係が、青下線@と同等の意味として)「怨讐のない姉妹関係」として確立する” ことによるものである。

この様に築かれた “真の愛” は、「奉仕の精神」を持って天使長圏を愛することができるので、神の復帰摂理は再創造摂理に自ずと昇華されるようになる。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書7章12節)


  朝鮮半島における冷戦の起源(神戸大学大学院法学研究科 萩藤大明 : PDF / 本サイト



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