復帰摂理歴史の真実

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宗教改革 <トップ> アメリカの独立と戦争

■ 2. 大航海時代と南北アメリカ
     g. 神の希望とアメリカ


イギリスの北米進出

 1607年北米に、ヴァージニア植民地が設立されました。1619年議会が開設され、1624年タバコ栽培のために必要だとされて、黒人奴隷の輸入が決定され、1624年王領植民地となったのが始まりです。

 ヴァージニアの地域名は、当時の処女(バージン virgin)であったエリザベスにちなんで付けられています。 (「新大陸発見−北米編」参照)

 1616年には、イングランドで入植者の募集が行われたことにちなんでニューイングランドが、1629年マサチューセッツ湾植民地ニューハンプシャー植民地1636年ロードアイランド植民地など各地に自冶植民地がつくられました。

 入植者らによって、キリスト教の布教はなされたものの、狩猟用のために与えた“”が争いの武器となって長い間「インディアン戦争」が続いたり、樹木がむやみに伐採され森林破壊がなされました。




神の国と神の義を求めたメイフラワー号


 国教会を純化(ピューリファイ)するよう求めたことから「ピューリタン」と呼ばれるようになった清教徒。

 カトリックは教会の権威主義と世俗化に流れる中で、宗教改革に対しで迫害が激しくなり、イギリス国教会も中途半端な改革にとどまると、ピューリタンの“ある一団”が信教の自由を求めて、イギリスを離れオランダに移住しますが、深刻な生活苦にみまわれました。たまたまアメリカの植民地の話を耳にした彼らは、新大陸への移住を決意し、ピルグリム・ファーザーズらは1620年9月16日に帆船メイフラワー号に乗って一路アメリカに向かいました。

 三本マストの帆船はもともと人を乗せる客船ではなく、フランスからイギリスへ、ワインを運ぶ使い古した小型の商船でした。冷たい季節風が吹き荒れる中で、船は木の葉のように揺れたのです。雨風が吹き込む死と隣り合わせの航海でした。

 乗客102人(内29人が女性)、乗員25〜30人は約2ヶ月をかけてマサチューセッツ植民地(現在のニューイングランド地方のマサチューセッツ州プリマス)のプリマス港にたどり着きました。今でも清教徒上陸記念像(左図)やピューリタンが創立したアメリカ最古のハーバード大学などが当時を物語ります。

 移民団の一人、ウィリアム・ブラッドフォード(当時30歳)は、「かくも大海原を押し渡り、幾多の苦難を乗り越えて来たるに、出迎える友もなく、波風に打たれし身体をいたわり休める宿もなく、よるべき家も、ましてや町もなく・・・、見渡す限り恐ろしく淋しき荒野にて、(中略)・・・夏は去り、万物はすさまじき形相にて立ちはだかりき、・・・」と綴っています。 (関元著「アメリカの原像」毎日新聞社)

 自由の天地アメリカに理想の都をと、ピューリタンは「メイフラワー誓約」を基に確固たる信念でアメリカ社会を建設して行きました。

メイフラワー誓約
 神の名において、アーメン。
 下に署名した我々は、グレートブリテン、フランスおよびアイルランドの神、国王、信仰の守護者、等々の恩寵によって、崇敬する君主である国王ジェームズ1世 (イングランド王)ジェームズの忠実な臣民である。
 神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした。
 これを制定することにより、時々に植民地の全体的善に最も良く合致し都合の良いと考えられるように、公正で平等な法、条例、法、憲法や役職をつくり、それらに対して我々は当然の服従と従順を約束する。君主にして国王ジェームズのイングランド、フランス、アイルランドの11年目、スコットランドの54年目の統治年11月11日、ケープコッドで我々の名前をここに書することを確かめる。西暦1620年。

 乗船客41人の署名が、「ニューイングランドの記念碑」に載っています。

 「メイ・フラワー号」参照


 み言葉より

 中世のローマ教皇庁を越えて神様を自由に信じ、より大きく世界へと進むことのできる教会を夢見た群れが、新教運動を主導していた人たちでした。そうした中、アメリカ大陸があるということを知り、ヨーロッパ的、教条的、全体主義的な教団よりも、もっと素晴らしい自由の国、信仰の自由世界を夢見て立ち上がった人たちが、このアメリカ大陸に初めて渡ってきて暮らすようになった「ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)」ではありませんか。彼らはそのような国があることを知って、自由な大陸に行って神様が願う自由の天国をつくり、神様が願われる世界でより自由な信仰生活をしようと立ち上がった群れなのです。

 大西洋を渡るということは当時、命懸けの冒険です。信仰の自由を見つけるために自分の愛する父母とも離別し、愛する故郷を捨て、家庭を捨て、さらには、国まで捨てようという覚悟で、神様だけを愛し、信じ、頼りながら立ち上がった冒険の道でした。

 彼らは、長く険しい航海路程で困難にぶつかったとき、自分たちを出発させておいてこのように苦労させ、すべて死んでいくように捨てておくのかと神様を恨みはしませんでした。彼らは台風が来ても、神様にすべてのものを任せ、神様が願う自由信仰の国を建設して神様に永遠に侍ろう、という覚悟と決意をもって前進した群れでした。

 航海する一行は病気にかかれば神様のために祈祷し、神様を中心として完全に一つの心になりました。殉難の道を克服しながら、終わりまで耐えて神様を慰めるそのような場面を見るとき、神側でも決心したはずです。

 「歴史始まって以来、このように私のために冒険した人たちはあなた方が初めてであり、家庭を捨て、民族を捨て、国を捨てて立ち上がったので、私があなた方が捨てたものよりも、もっと素晴らしい国と民族と氏族とすべてのものを与えよう」と神様が決心しただろうと思います。

 皆さんはメイフラワー号がニューイングランドに到着したことをよく知っていらっしゃるはずです。冬に到着しました。十一月に到着したので、寒く、食料はなっくなり、みな飢え死にする事態が展開されました。彼らが素晴らしかったのは、食べるものがないのに、明くる年に蒔く種を残しておいて、飢え死にしていったという事実です。

 彼らには、神様が未来のために行べき道を開いて、自分たちのために神様の願った祝福の国と自由天国を築いてくださる、という信仰がありました。それゆえ、後孫たちのためにその種を残しておかなければならないという心をもって、死の道を喜んで行ったと考えます。このような苦労の道を選んでいきながら、後代のために福を願うことができたのは、その人たちに、ひたすら神様を愛する信仰心があったので可能だったのです。彼らの中で残りの四十一名が協定書を書くときも、神様の名前で宣誓したことを皆さんはよくご存じです。皆さんの先祖たちが、この世を離れる最後の瞬間までも、神様の名前をつかんで信仰を死守したという事実は歴史的な事件でした。

 信仰による出発でなかったならば、ほとんどの人々が死んでいくときに神様の前に感謝できたでしょうか。皆さんの先祖たちは、出発しながら、寝ても覚めても、どこに留まっても、一切を神様をお迎えした中で行おうと努力したという事実を知らなければなりません。さらに、ローマ教皇庁が腐敗したことをご存じの神様は、皆さんの先祖にたいして祝福をしてあげざるを得なかったのです。

 皆さんの先祖が故郷を離れるようになった動機が、他の移民の場合と違う点が何かといえば、世界を救うことのできる国と、自由信仰の祖国を追求したという点です。これは偉大なことです。ローマ教皇庁を越えて世界を救おうというこの思想がまさに、神様が願われる思想と一致したので、祝福をしてあげざるを得なかったのです。 (「神様の摂理から見た南北統一」 101頁〜103頁)


プリマス植民地

 ピルグリム・ファーザーズらによって設立されたイギリスの北アメリカにおける最も初期の植民地で、マサチューセッツ湾植民地と合併して比較的短期間で消滅しました。

 インディアンとの関係は最初の頃は良かったのですが、互いの理解不足からの誤解が小競り合いを生み、小競り合いがついには戦争となって、プリマス植民地インディアン戦争で最も血なまぐさいところとなってしまいました。

 そもそも、インディアンとの争いは中米におけるコロンブスの金採集のための奴隷化から始まっています。

 異民族や白人と黒人との人種間の問題が根深いものとして残っているのもアメリカ大陸の大きな課題と言えるでしょう。


 み言葉より

 清教徒団は目的と希望とにあふれてこの地にやってきました。彼らは自分たちの命を全うするより、彼らの目的のほうが重要であることを知っておりました神への信仰を除いて何が彼らにこの勇気、献身、犠牲の精神を与えたでしょう。彼らがプリマスに着いた時、航海に耐えた四十一人の男は一緒になって政府に対する彼らの考えをまとめました。「メイフラワー盟約」は神のみ名によってアーメンと結ばれ署名されました。これは本当に素晴らしい話です。この小さなグループは神に希望をおいてヨーロッパをあとにしたのです。彼らは神のもとにあって病にかかり死んでいきました。そして神のもとで生きのびたのです。彼らは最初の政府をつくりその公式文書に“神のみ名によって”と署名しました。

 アメリカの清教徒の話は神の歴史の一つです。それは歴史上の義人アブラハム、イサク、モーセ等のパターンのうち、これらの清教徒たちは現代歴史のアブラハムの家庭に当たります。ですから「メイフラワー盟約」がサインされたのちも多くの苦労に立ち向かっていかなければならなかったのです。

 アメリカでの最初の冬、大胆なメイフラワーの生存者は最初の人数の半分になっていました。来る日も来る日も、その冬は愛する者との心を引き裂くような別れの日々でした。これらの勇敢な開拓者が次々に死んでいきました。しかし、朝から晩まで、晩から夜明けまで彼らの生活は神のみ意を中心としていました。神が彼らの唯一の慰めであり、彼らの唯一の希望であり、彼らの唯一の安全でありました。神が彼らにとって第一の仲間であったのです。ここにまれなる純粋な神の人の一団の例があったのです。彼らはあくなき信仰を証明し、神は代わりに力と勇気を与えられました。彼らは決して神への信頼を失わず未来の展望を失わなかったのです。アメリカに来ることの目的は神を中心とした国をつくり、神が住むことのできる、そして本当に親交を分かち合い神と共に親交を喜ぶことのできる天地をつくり上げることにあったのでした。これはすべて神の摂理の中にあることでした。なぜなら神は最終的な永遠の世界救済のため、神の闘士として仕える一国を必要とされているからです。

 それから、もう一つの奇跡が清教徒たちにもたらされたのです。辛うじて彼らが生き残り彼らの人口が半分になった時、インディアンの一撃は簡単に彼らを全滅させてしまうことができたのでした。しかし、ここでも神は彼らの盾となりました。メイフラワー号の生き残りの人々が出会った最初のインデアンは敵ではありませんでした。インデアンは、移住者を歓迎しました。もしその時清教徒たちが殺されたとしたら神のためのアメリカは多分存在しなかったでしょう。神はここアメリカでも神の人々を救うため介在されたのです。これは私の信念です。神は、彼らが定住することを望まれたのです。そして清教徒にその機会を与えられたのです。

 人口が増すにつれて、彼らは自分たちの植民地を拡大するためにインデアンを追いやらなければならなくなりました。もちろん、この地はもともとは新しいアメリカ人のものではありません。インデアンはこの地の住民であって清教徒たちはインデアンの目から見れば侵略者であったに違いありません。それでは、なぜ神はこれらの新しい移住者に大きなチャンスを与えたのでしょう。私の説明はこうです。神はアメリカの移住者に味方されました。それが、神の御計画の中にあったからです。さらに、これらのアメリカの移住者たちは神の要求に見合い、真に神への揺るがない信仰を証明したからです神は彼らに約束事を与え、その約束事を成就せずにはいられませんでした (「アメリカに対する神の希望」御旨と世界296〜298頁)




アメイジング・グレイス



 「アメイジング・グレイス」を日本語に訳すると「すばらしき恩寵」となります。ジョン・ニュートンによって作詞された賛美歌です。


 ジョン・ニュートンは1725年イギリスのクリスチャンの家系に生まれました。母親は幼いジョンに聖書を読んで聞かせる敬虔なキリスト教徒でしたが、ジョンが7歳の時に亡くなり、商船の指揮官である父のもとで育ち船乗りとなって、奴隷貿易で巨万の富を得たのですが、当時の奴隷船の環境や奴隷への待遇は劣悪でとても人間に対するものでは無かったようです。

 奴隷たちを扱っていたジョンに1748年5月10日22歳)に転機がやってきました。船長として任された船が嵐に遭い、大変危険な状態になった中で、母の影響で幼い頃を過ごしたジョンは初めて心の底から神に祈りを捧げたと言うのです。そうすると船は奇跡的に嵐を脱することができて難を逃れることができました。

 1755年に病気を理由に船を降り牧師となったジョンは、奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それを許された神の愛に対する感謝を切々に感じたのを詩にして1772年「アメイジング・グレイス」が生まれました。

 <参考> アメイジング・グレイス(Amazing Grace):すばらしき恩寵



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