復帰摂理歴史の真実

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■ 1. イエス誕生の秘話
     f. イスラム教の誕生と成立


 ユダヤ教の選民意識と堕落観念


  カバラと生命の樹

 イスラム教の話を始める前に、ユダヤ教、その中でもカバラの事に関してもう少し述べて置かなければなりません。それは、イスラム教はユダヤ教がイエスをメシヤとして受け入れられなかったことに端を発しているからです。

 以前お話しした“カバラ補足)”では『生命の樹』として、神が創造した人間の理想像に至るための内容として語られています。当時の原始ユダヤ教としては“語り継がれていた”と言った方が良いでしょう。

 聖書には『命の木』、現在のカバラでは『生命の樹』、原理では『生命の木』と言う文字が当てはめられており、すべて『いのちのき』と読んでいます。

 しかし、これらは若干ニュアンスが違います。これからお話するとこでこの“若干の違い”がご理解いただければ幸いです。


  堕落観念とメシヤ思想

 原始ユダヤ教としてのカバラとユダヤ教でも、人間が堕落したとは捉えていません。堕落したという観念が始まるのはキリスト教からです。

 しかし、キリスト教の堕落観念は漠然としたものでした。堕落はエデンの園の中央にある善悪知るの木の実を取って食べた事によるとした事は良いのですが、取って食べた木の実が何だったのを明確にしていないために、堕落の根本とその本質を理解できなかったことが問題でした。原理ではそれを明確に指摘し解明され、その根本と本質を明示しています。

 ところで、ユダヤ教では『原罪』が存在しません。「人間は神から創造され、努力して命の木に近づく、または命の木となることが神の願いである」から、人間はその様に生きなければならないと説くのがユダヤ教であり、イスラム教もその点に関しては同じです。

 では、メシヤ思想はどこから始まってきたのでしょうか。ユダヤ教においては人間(堕落人間)としての限界を感じ始めた時からメシヤ思想が芽生え始めてきました。ヤコブの勝利以降、イスラエルとしての出発してから数限りなく繰り返した失敗の結果、その悲惨さを増していくのですが、その事によって段々と個人から民族に至るまでの限界を感じ、命の木に対する希望と憧れがメシヤ思想となっていくのです。

 最終的に預言者によってそれが語られる事で明確なメシヤ思想となっていったのです。つまり、堕落観念と共にメシヤ思想が芽生えていったと言えるでしょう。

 イスラム教ではムハマンドの登場こそメシヤが到来したかのごとく捉えて最終的な宗教としていますが、そこには厳格な儀式と戒律に対する信仰はあっても、堕落観念がもたらすメシヤ思想がありません。




 第二次ユダヤ戦争とキリスト教の分裂


 第二次ユダヤ戦争は、第一次ユダヤ戦争後、鬱積していた反ローマ感情が一人の人物の登場によって爆発した戦争です。
 その人物はシメオン・バル・コシェバ。「星の子」(シメオン・バル・コクバ)というメシア称号を自称するようになったため、この戦争のことを「バル・コクバの乱」とも呼んでいます。

 130年ハドリアヌス帝の巡幸はエルサレムの再建と修復を約束することになりましたが、聖地エルサレムが「アエリア・カピトリナ」という名前に変えられることや、エルサレム神殿跡地にユピテル神殿を立てることも含まれていることが判明するとユダヤ人の怒りが極限に達し起こった戦争です。

 当初、ユダヤ人の計画は成功し、イスラエルの復興を宣言するまでに至ったのですが、ローマ軍の巻き返しにどうすることもできず、135年エルサレムはついに陥落する事となったのです。

 ハドリアヌス帝は、ユダヤ教とその文化の根絶をはかり、ユダヤ暦の廃止指導者らを殺害し、律法の書を廃棄しました。
 これによってユダヤ人は世界から追われる民族となり、世界中に離散することとなったのです。

 その後、全盛を振るうようになったキリスト教ですが、313年キリスト教が公認されると、神学論争が始まると(前頁)、考え方の違いなどから様々な集団に分裂するようになり、395年ローマ帝国が東西に分離すると、キリスト教も東方教会(ギリシア正教)西方教会(ローマ・カトリック)と分かれていきました。

 西方教会では、ローマ司教(教皇)を頂点として、476年にゲルマン民族により西ローマ帝国が滅亡しますが、フランク王国などのゲルマン諸国を教化し、国や民族を超えた世界教会として発展していくようになります。




 イスラム教誕生の起源と背景


  起源


 イスラム教は、アブラハム家庭、特にイシマエルを遠因とし、ムハマンドを近因として発生しています。




  ムハンマドの生涯

    * 誕生

 ムハンマド(574〜632年)
 アラビア半島のメッカで誕生し、メッカにはカアバ神殿(アブラハム、イシマエルが建設したと言われている)があり、アブラハムから30代目の人物とされている。
 クライシュ族ハーシム家に誕生し、父アブドゥッラーはムハンマドが胎児の時に死亡し、母アーミナもムハンマドが6歳の時に亡くなった。兄弟はおらず、幼少の時に叔父アブー・ターリブのもとで養育される。
 ムハンマドが25歳の時にハディージャと出会い、ハディージャの家に婿入りすると、3男4女をもうけたが、末娘のファーティマだけを残して他の6人の子供たちはこの世を去った。

    * 神の啓示

 610年、ムハンマドが40歳の時、ヒラー山中の洞窟にいた時、ジブリール(天使ガブリエル)が現れて天からのお告げを受ける。

 汝、アッラーの使徒なり!

 ムハンマドは悪霊に取り憑かれたと思い震えたが、妻ハディージャに励まされ気を取り戻すと、ハディージャに知恵者ワラカ翁(キリスト教徒)のもとに連れて行かれ、ジブリールとは「モーセの時に遣わされた天使」と知り安堵した。
 その後幾度とない啓示が降り続け、ムハンマドの死後、西暦650年聖典『クルアーン(コーラン)』が集成される。


    * 布教と迫害

 一神教のカアバ神殿は、やがて多神教の神殿となっていた。その様な環境の中で唯一神を信仰するムハンマドの布教活動は容易なものではなかった。メッカの血族意識の強い社会の中でイスラームに改宗することは、家族や社会の分裂をもたらし、、やがてムスリム(イスラムの信徒)に対する迫害となっていった。615年、やむなくムハンマドは居場所をなくした信徒が移住することを許可し、信者の3分の1がキリスト教(一神教)国エチオピアに亡命した。

    * メディナへ

 最愛の妻と叔父を失った後は、ムハンマドも居場所がなくなり、メッカをあとにしてメディナに向かうこととなった。ムハンマドがメディナ郊外のクバーに到着したのは622年9月24日で、この年をヒジュラ暦(イスラーム暦)元年としている。
 メディナではユダヤ教徒が多く、ムハマンドらもモスク(集団礼拝所)では、ユダヤ教徒に倣ってエルサレムに向かって礼拝が捧げられていた。
 “旅人を手厚くもてなす”という伝統のあるアラブ社会のなかで、ユダヤ教徒と共存していくために『メディナ憲章』と言う盟約が定められる。

 『メディナ憲章』とは、ユダヤ教徒とムスリムが互いの信教の自由を認めつつ、一定の法のもとで社会を安定させるために相互に扶助し合うことを眼目とし、その基本精神は、同じ唯一絶対の神を奉ずるものは、みな同胞であるというもので、信仰を基盤としたイスラーム共同体の原型となるものです。

    * ジハード(聖戦)

 新天地メディナに移り住んだムハンマドを始めとするムスリムらは、先住民からの不当な扱いを受ける者たちが後を絶たない中、ムハマンドに、「“自衛のための戦い”をアッラーは力強く援助する」と啓示が降り、“神が許された”として始まったのが聖戦(ジハード)である。
 ムスリム軍とメッカ軍は大小60回を超える戦闘を行い、ムハンマドは卓越した軍事的才能を示していく。移住から2年経った頃、「礼拝はエルサレムではなくメッカの方向に変更せよ」との啓示が降り、エルサレムを聖地としていたユダヤ教とは融和へではなく、軋轢が表面化していくようになっていった。
 やがて、ムハンマドはユダヤ人との間で起こった問題に対して極めて厳しい処分をもって対処するようになり、メディナにおけるムハンマドの政治的支配権が確立するようになっていった。

    * イスラーム建設

 630年、メッカに入場したムハンマドは、カアバ神殿の偶像を、「真理が訪れ、虚偽は消え去った」と唱えながら手にした杖で次々と打ち壊し、メッカをアッラー信仰の聖地、メディナをイスラーム共同体の政治の中心地とさだめ、アラビヤ半島はイスラームに統一された。




  イスラム教教理


    * シャリーア

 シャリーアとは、茶道や武士道などの“”のイメージに近く、一般的にイスラム法と訳され、コーランを拡大解釈したもので、一人の人間が生きるために必要な儀礼的行為や社会的行為などや、心情倫理や行儀作法まで含まれている。言わば社会規範と宗教が一緒になったものと考えて良い。
 それは、もともとムハマンドが世俗的であったため、商売、政治、外交や軍事といった才能を発揮し「世俗の王」となったところに起因している。


 イスラム法と西洋的近代法の違いは、左図にもあるように、西洋的近代法では、善悪の判断は“人間の理性”に委ねられるため、人間の理性の成長と発展にしたがって善悪の基準が変化する。これに伴って法律も変更されていくが、イスラム法は元々神の命令の啓示として絶対視され、その理解と解釈は現存するイスラム法の法学者の解釈によるとされているが、イスラム法の規定範囲が広く、それに異を唱えるのは極めて困難であるため、法学者によって変化していくということは極めて難しい


 とは言え、イスラム信徒が増えてき、共同体の数も多くなると様々な問題も出てきますが、それらの合意形成のために左図のような法源論が確立されました。



    * 六信五行


『六信』


1、「アッラー」の存在を信じる

 ムスリムにとって最も大事なアッラーは、森羅万象を創造した、過去・現在・未来・永遠に存在する唯一絶対者としての神であり、慈悲深く、慈愛にあふれた万有の主あられる。
 アッラーは最後の審判を行う主宰者であるので、ムスリムは最後の審判の時まで、自分を正しく導いてくれるようアッラーにお願いする。
 慈悲・慈愛は<ラハマ>といい、イスラームでは正義アドゥル>を並んで大きな徳目となっています。


2、「天使」の存在を信じる

 天使は、神(アッラー)と人間を仲介する存在であり、神(アッラー)の命令を遂行する存在でもある。
 最高位の天使はガブリエル、以下はミカエル、イズラーイール(死を司る)、イスラーフィール(復活の瞬間にラッパを吹く)の4大天使となる。


3、「啓典」を信じる

 啓典は、神が預言者を通じて、人間に下した天啓書のこと。
 モーセ五書、詩篇、福音書をクルアーンとし、アッラーの言葉のみを完全に伝えた存在としている。
 キリスト教徒とユダヤ教徒は「啓典の民」と呼ばれているが、啓典を改ざんしたり、正しい信仰のあるべき姿を変えてしまったので、アッラーはムハマンドへ啓示を与えたとしている。


4、「預言者」を信じる

 ムハマンドは過去の預言者の一人であり、預言者の中でも特別な扱いをされているが、イエスは預言者の一人にすぎない。
 神と人間との間には言葉しかなく、預言者の人格には特別な意味がなく、神の言葉を伝えるメッセンジャーにすぎない。
 つまり、ムハマンドやイエスの人格ではなく、コーランが大事なのである。


5、「未来」を信じる

 やがて世界の終末が訪れ、神による「最後の審判」を経てから、天国または地獄での未来の生活を迎えると説いている。
 正義を行った者のみが天国に行くことができ、悪行を行った者は地獄に送られてしまうとされている。


6、「定命」を信じる

 運命とも言うべき「定命」は、現実にあることは神の意志の表現にすぎないとする意味で、神が望んだことは人間の側からは変えられないという捉え方。




『五行』


1、信仰の告白(シャハーダ)

 信仰の告白『シャハーダ』は、「アッラーのほかに神はなし、ムハマンドはアッラーの使徒なり」と言う意味のアラビヤ語を声に出して唱えることであり、「神は偉大なり」で始まり、偉大な神を称えることによって、アッラーが唯一の神であることを確信し、自らは“神の下僕”であることを確認することで、イスラム共同体に属していることを自覚する宗教的根幹である。


2、礼拝(サラート)

 神への服従と感謝の意思を全身で表現するのが礼拝であり、夜明け正午午後日の入りの1日5回、アッラーが慈悲深く、慈愛にあふれた万有の主で、最後の審判を行う存在であることを確認し、自分を正しく導いてくれるようにお願いする
 “儀式”を通じて神と対峙し、対話することによって自分を取り戻し、自分のブレを修正する重要な時間である。


3、断食(サウム)

 断食は年1回、イスラム暦のラマダン月(第9月)に行われる。夜明け前の礼拝から日没までの間、一切の飲食を避ける。
 断食は貧しい人達の心を知るために行い、同じ時間に忍耐を共有することで、信者同士の連帯感を強めていくのが“斎戒(サウム)”の精神です。


4、喜捨(ザカート)

 イスラム教は、すべての人々に対しいて平等を掲げており、イスラム共同体の中にいる困窮した人達に対する救済を説いています。
 その具体的な行動として、貧しい人達のために1年間で貯蓄した中から喜捨を行う制度化された税金のようなものであるが、その使途はクルアーンに定められており、国家といえど自由に使うことはできない。
 クルアーンでは、困窮者、ザカートの徴収人、イスラムへの改宗者、負傷者などに使うと定められている。


5、大巡礼(ハッジ)

 一生に一度は、聖地メッカへ巡礼に出ることとされている。




    * 終末観

 アラビア語で“カダル”といい、予定決定定命摂理などと訳される言葉がある。
 これは、「この世のあらゆる出来事はすべて神の意志によって起こる」と言う意味である。
 人々がその運命を最も痛感するのが、この世の終末、いわゆる『最後の審判』である。
 クルアーンによれば、「最後の審判」はラッパの響きとともに訪れ、世界は一度滅びる。そして、二度目のラッパの響きとともに、死者たちがすべて復活するとある。彼らは一箇所に集められ、生前になした行為のすべてが記録された帳簿によって天秤で計られる。善悪のどちらのほうが重いかが計算されて天国行きか、地獄行きかが決定されるというのである。


 帳簿に書かれている内容は、天使が収集した情報で、誰にも見られていないと思っても、アッラーと天使の目はごまかすことができないというのである。
 最後の審判とは現世から来世に行く時に、審判され、楽園(天国)と火獄(地獄)に分けられるとされている。
 火獄は炎と熱湯の世界で、死にたいと思っても死ぬことはできず、無限の苦しみが続く世界とされている。






  み言葉より


 イエス様を中心として見ると、右の強盗と左の強盗、バラバがそれぞれ種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔いたとおり刈り入れられるのです。 最初に現れたのが、右の強盗型と左の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏です。その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラーム圏(イスラム教)です。 イエス様によって恩恵を受けられるようになったバラバ型のイスラームは、キリスト教の旧約を中心として出発しました。(イエス様の生涯と愛 244頁)

 イエス様が十字架上で亡くなる時に右側の強盗と左側の強盗がいました。その次に、イエス様の前にバラバがいました。右翼とか左翼とかいう言葉は、今日出てきたのではありません。イエス様の時代に植えたものが実を結ぶ時になって現れるのです。 左側の強盗はイエス様に対して「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と言いながら、イエス様を否定しました。右側の強盗は左側の強盗に「お互いは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」とイエス様の側に立って苦しみを克服し、左側の強盗をしかったのです。 それで、右側にいた強盗はイエス様と共に楽園にいることを、我々は聖書を通して知っています。
 バラバはどのような人かと言えば、イエス様のおかげで助かりましたがイエス様に反対した人です。ですから、そのような文化圏が生じなければならないのです。それが、イスラム圏なのです。イスラム教は片手にコーランを、もう一つの手には剣を持っています。 これは純粋な宗教の立場に違背します。旧約聖書を信じながらも、そのようなことをしているのです。
 体的人にも、心と体があり、心的人にも心と体があります。これと同じように、外的世界と内的世界を見るとき、イエス様は内的立場にいました。内的な立場はイエス様と右側の強盗が一つに組んでおり、外的な立場は左側の強盗とバラバが一つの組みになっています。(神様の摂理から見た南北統一 524頁)

 バラバとは何ですか。イエス様が死地に出ていくことによって、死ぬべき者が生き返ったのです。そうでしょう? そのようなやからがいました。それが何ですか。この世界においてのアラブ圏イスラム教です。イスラム教はキリスト教によって出てきたのです。これは、「恩讐を愛する」という宗教的本質から外れたと言えるのではないでしょうか。それは、「コーランを受け入れなければ剣で切られろ」というカイン的世界宗教の代表、すなわちバラバ的宗教です。分かりますか。
 ですから民主世界を中心にして見れば内的な精神的指導基準がキリスト教であり、共産世界を見れば、現象としての共産世界の内的立場に立っているようなものがイスラム教です。ですからイスラム教とキリスト教は歴史的な恩讐です。そうでしょう? そのように分かれるのです。(神様の摂理から見た南北統一 529頁)

 イエス様が来て、国家的な基準で一度も勝利できなかったので、国家的基準で勝利できる愛的防衛をしなければならないのです。ユダヤ教を四千年間準備してイエス様を送るとき、ローマ帝国の迫害を受けていた歴史時代に、イエス様を中心としてユダヤ教が協助していたならば……。 中東地方は、本来イスラエル民族の十二部族に割り当てられた祝福された地でしょう? その時に、イエス様をユダヤ教が支持していたならば、中東は一つになっていたのです。
 中東が完全に一つになっていれば、中東以外のインドや中国――インドと中国は宗教文化圏です――がそこに吸収されていたでしょう。イエス様が神様の愛の道理をもって来たでしょう? 今日、統一教会が現れ、繰り広げられていくそれ以上の版図をもって、インドの仏教文化圏を吸収し、中国の儒教文化圏を吸収したでしょう。吸収して余りあるというのです。そうなっていたら、ローマは自動的に屈服したのです。そうしてローマに、西の方に行くのではなく大陸に、東の方に進出して……。 地球星の中心は大陸ではないですか。大陸を理想的舞台にしようとしたのです。(イエス様の生涯と愛 299頁)




 イスラム教とその問題点


 聖地イスラムの神殿跡をイエスの体に見立てると、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の立場が明確に見えてきます。
 イエスの体は十字架刑に処せられ、ユダヤ教はイエスを十字架にかけてしまったことを嘆き、キリスト教はイエスの復活によって発生したので神殿跡(体ではなく霊)には無く、イスラム教はイエスの十字架によって発生したので、神殿跡(体)の中に構えた。


    * 聖書観


 イスラームでは、「旧約聖書」と「新約聖書」には随所に誤記や改ざんがあると言う立場をとっている。だからこそ、ムハマンドが「最後にして最大の預言者」として登場する必要があったとされているのである。

 注目される点は、神は6日間かけて天地を創造されたが、7日目に安息されていない点である。イスラームの観点では、神は休んだり、眠ったりすることはない。

 創世記において、クルアーンでは、アダムアーダムと記され、エバはアーダムの妻とあるのみで、名前は出てこない。アーダムは、アッラーの代理者であるが、イブリース(ルーシェル)という天使だけは、アーダムにひざまずいて礼拝することを拒んだ。
 預言者はあくまで限界のある人間であり、完全無欠ではないため、アーダムはイブリース(サタン)の誘惑に負け、妻ともども楽園から追放されたとなっている。

 イブラーヒームは旧約聖書のアブラハムのことで、純粋な一神教徒(ハニーフ)で、ムハマンドにつぐ地位を与えられている。
 イブラーヒームはメソポタミアで、郷里の偶像崇拝を批判したため迫害を受け、故郷を捨ててアラビア半島に渡ってきて、息子のイスマーイール(イシマエル)とともにカアバ神殿を建設したとされている。

 ムーサー(モーセ)はイスラームにおいて重要視され、イスラエル人たちがムーサーに従わない事に旧約聖書では注視されている。

 マルヤム(マリア)とイーサー(イエス)に関しては、マルヤム(マリア)が無事男の子(イエス)を出産すると、その子を抱いて一族の前にやってきたが、一族の人々は、「なんという大変なことをしでかしたのか、おまえの母さんはおまえの様に淫らな女ではなかった」と口々に言った。その時、赤ん坊のイーサーが、「わたしはアッラーの僕です。アッラーはわたしに啓典を授け、預言者にして下さいました…」と言ったとされ、イーサーはマルヤムの子であって、アッラー(神)の子ではないとしている。
 キリスト教での神学論争となった『三位一体』に対して、“イエスは神の子ではない”と明確に否定しているのである。
 さらに、イスラームではイエスの復活も否定している。イエスは預言者として“生をまっとうした”と考えられ、イエスは殺されたのではなく、アッラーが自らのそばに引き上げただけであるとしている。
 そしてまた、イエスはムハマンドの出現を預言したとされ、ムハマンドはキリスト教で言う再臨主と言う事になってしまう。


    * 分派


スンニー派とシーア派

 預言者ムハマンドの没後、誰の権威に従うのかで、2つに別れた。
 一つは、ムスリム共同体の中でも特に信者たちの模範となるべき人物を、預言者のスンナとよんで従った集団スンニー派と、預言者を神と人との仲介者とし、その権威は子々孫々に伝えられると考えるシーア派に大別される。
 大半のイスラム教徒は、スンニー派に属しているが、シーア派はその外に追いやられながら発展してきた。
 シーア派では、政治的抑圧から解放するイマーム(指導者)の再臨思想を持っている。


イスラム原理主義

 今の社会の堕落は、本来のイスラームからの逸脱にあると捉え、本来の最初期ムスリムの時代に改革しなければならないとの考え方を基本としているのがイスラム原理主義である。
 イブン・タイミーヤ(1326年没 スンニー派の思想家)を原理主義の源泉としている。モンゴル軍の侵略が行われていた頃、イブン・タイミーヤはシーア・イスラームに改宗したモンゴル軍へのジハードを認めた。
 シャーリア(イスラム法)が厳格に守られていた最初期に回帰することを主張した。




  摂理的観点から


 ユダヤ教がイエスをメシヤとして受け入れていたならば、現代は今日のような状況ではなかったでしょう。
 ところが、メシヤのために準備されたユダヤ教がイエスをメシヤとして迎えることが出来ず、十字架で殺害してしまったために、イエスの体をサタンが主管し、心を神が主管されて霊肉を分立した摂理を出発されました。

 十字架当時の三人の強盗のバラバの立場に立つのがイスラム教。

 イエスの霊的(心的)復活によって出発したのがキリスト教ですが、キリスト教と同じ方向を取るのが右側の強盗の立場、キリスト教に反対するのが左側の強盗の立場となっていきます。

 ところで、キリスト教は聖霊によらなければ始まることすら難しかったのです。イエスの復活によって聖霊を霊的真の母として出発できたのが、キリスト教の最大の恩賜と言えます。




 本来、イエスの十字架が無かったならば、神が準備した東洋思想を吸収して、ローマを屈服し世界を神のもとに復帰できたはずでした。

 イエスの十字架によってキリスト教は更に西に、東洋の宗教は東日と反対の道をたどる様になったのです。

 その出会いが半島の韓国と、島国の日本であると言うのです。



  神観と原罪観的観点から


 神と人(男性と女性)を分かりやすく、太陽地球に例えてみます。

 イスラム教では(上)、太陽を神、地球を男性、月を女性に例えることができます。

 これは、月が地球の周りを公転し、地球が太陽の周りを公転していると同じに見れば分かりやすいのですが、これは天体の引力万有引力)、人間で言えば力関係で見ているのと同じです。

 イスラム教では、戒律、戒めの遵守が絶対であり、それに従うと言う服従の関係が重要視されています。

 その様な立場から、イスラム教の神様は、まず“絶対者”であり唯一の存在であられます。イスラム教徒はそれに従わなければならないとしています。

 ところで、キリスト教(中)は、「イエスは神か人か」で多くの時間を費やし、分裂と犠牲をもたらしました。

 結局、霊的にもイエスと聖霊を父母として迎えることが出来ず、教派分裂し、神を三位神としてしまったのです。

 原理(下)は、神を二性性相の神とし、父性と母性をその神性の表現型、つまり、無形の神様が、人間世界における父母として、神様の愛を愛として一体となった神の似姿こそが真の父母(有形、実体の神様)あると見ているのです。

 それは、太陽の“”をポイントとして見れば分かりやすくなります。太陽の光は地球を照らして「昼」とします。しかし、光が照らされない「夜」は月が太陽の光を反射して地球の夜を照らします。

 この場合、地球は、太陽の光に夜・昼照らされていることになります。地球は神の第三対象の立場です。

 光を“”として捉えると、発光体である太陽は、愛の主体であり、太陽の光をそのまま地球に反射している月は、その(太陽の)対象と位置づけられます。太陽の光は眩しい限りですが、「月明かり」は実に美しいものです。まさしく光(愛)の授受作用とは言えないでしょうか。



 最後に、「万有引力」と「万有原力」の問題を考えてみましょう。

 物質の最小単位は原子ですが、原子は原子核からなり、原子核には陽子中性子があります。原子核の周りを陽子の数に応じて電子が回っています。

 つまり、陽子(+)の数だけ電子(−)があり、お互いに引き合っているのです。

 この原子が集まって分子になり、物質となって万有引力が生じているのです。

 この様に、万有引力は外的な力であり、陽子と電子の引き合う力は内的な力です。万有原力はその根本となる力のことで“愛の原力”と言えるでしょう。

 まさしくこれが、神様の神様たる所以であり、神は“愛の神”と言えるところです。

 これを無視したのがイスラム教であり、否定したのが共産主義となっていくのです。



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