復帰摂理歴史の真実

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ペテロ・パウロと原始キリスト教 <トップ> イスラム教の誕生と成立

■ 1. イエス誕生の秘話
     e. ローマ帝国国教とキリスト論


 パウロの伝道

 ローマの市民権を生まれながらに有するユダヤ人パリサイ派のユダヤ教徒。(使徒言行録22章6節)
 イエスの使徒らを迫害し続けたが、復活したイエスに出会い盲目にされ、聖霊の感動を受け盲目から解放され。アナニアより洗礼を受け回心する。
 ローマの市民権を有していたので、ローマ帝国から保護される立場にあった。復活したイエスより、異邦人への伝道の使命を命ぜられる。
 旧約聖書を深く理解し、神学者でもありました。




 第一次伝道旅行

 サウロ
 (使徒言行録9章19〜30節)
  ダマスコで宣教
   ↓
  エルサレム
   ↓
  カイサリア
   ↓
  タルソス


 第二次伝道旅行

  この頃からパウロと呼ばれはじめる。(使徒言行録13章1節〜14章26節)

  アンティオキア(シリア州)→セレウキアサラミスパフォスペルゲ
   ↑                                     ↓
  デルベ←------------------------------------------アンティオキア(ピシディ州)
                                        ↑ ↓
                                       イコニオン
                                        ↑ ↓
                                        リストラ
                                        ↑ ↓
                                        デルペ


 エルサレムで使徒会議(使徒言行録15章)


 第三次伝道旅行

 さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。(使徒言行録16章6節)

 トロアス→(船出)→ネアポリスフィリピテサロニケべレアアテネアレオパゴスコリントアンティオキア

 エフェソでの話し。

 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは内陸の地方を通ってエフェソに下ってきて、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、 彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた
 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした
 この人たちは、皆で十二人ほどであった。
     (中略)
 アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。(使徒言行録19章1〜10節)

 デメトリオという銀細工師が、アルテミス(ギリシャ神話の女神)の神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御存知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなく、アジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、 たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。(使徒言行録19章24〜28節)

 ギリシアフィリピトロアスアソスミティレネミレトスティルスプトレマイスカイサリアエルサレム


 ローマへの船出

 パウロがローマに行くようになった経緯は、使徒言行録21章から記されていますが、パウロは弟子たちの反対を押し切ってエルサレムに向かいました。途中フィリポの家に泊まっているとき、アガボと言う預言者がエルサレムに上がらないように念を押すのですが、 パウロは、「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟している」(使徒言行録21章13節)と言って振り切り、エルサレムを訪ねたのです。
 エルサレムではユダヤ人の間で、パウロの伝道が大問題になっていたのです。それは、異邦の地でパウロは『子供に割礼を施すな、(ユダヤの)習慣に従うな』(使徒言行録21章21節)と言って伝道していたのですが、その事がその地にいたユダヤ人の間で噂になり、エルサレムまで届くと、ユダヤ教徒はもちろん、ユダヤ教からキリスト教に改宗した人の間にまで問題が大きくなっていたのでした。
 結局、パウロは逮捕されることとなり、パウロは必死の弁明をします。自分が熱心なユダヤ教徒だったことや、かつてイエスの弟子らに対して迫害の先頭に立っていたこと、ところが、イエスと出会い回心し、イエスがメシアであることを知ったことなどのこれまでの一部始終を証したのです。
 しかし、この事がますますユダヤ人の反感を増し、ユダヤ人はパウロの暗殺を企てるまでに至りました。結局、パウロはアグリッパ王の前に引き出され、再度の弁明をすると共に、王に向かってキリスト教の信仰を勧めたのです。これに対してアグリッパ王は、パウロに罪は認められないとしながらも、辺りはそれを良しとする状況にはなかったので、やむを得ずローマで最後の結審をするためにパウロをローマまで連行することになったのでした。
 使徒言行録27章からがその船出の内容になります。途中、暴風に襲われ船は難破し、マルタ島に漂着し、そのままローマに向かい、ローマでの伝道が開始されるようになりました。





 ネロの迫害と、ペテロの殉教


 ペテロの「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒言行録2章38-39節)という言葉より産声を上げたキリスト教は、 異邦人の伝道に対する、「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神があなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」(使徒言行録15章7-9節)というペテロの言葉が賛同を受け、異邦人への伝道が精力的に開始されたのです。

 その先頭に立ったのがパウロだったのですが、その為に異邦人がたくさん伝道され、“ 増え広がった事によって迫害が起こってきた ”のですが、み言葉には“ 迫害によって増え広がった ”と言う内容のみ言葉が数多くみられます。
 これは、迫害によって、信徒の信仰が深まり、結束が強まったので、それによって伝道がすすみ、多くのキリスト教信徒が増え広がったと言えるのでしょう。
 しかし、そこには最も大きな迫害の壁を超えていかなければなリませんでした。紀元64年に起こった皇帝ネロの大迫害です。
 ヨハネの黙示録13章18節にある「666」はユダヤの数秘術によれば、皇帝ネロのことを指すようですが、その当時の内容を小説化したのが19世紀の作家シェンキェヴィチの代表作『クオ・ヴァディス』です。

 1951年映画化(アメリカ映画)されました。

 さて、その小説の一節を見てみます。


 ペテロは立ち止まって言った。
 「あの明るいものが見えるかね。わたしたちのほうへ近づいてくるようだが」
 「何も見えません」ナザリウスは答えた。
 しかし使徒(ペテロ)はすぐに片手で目をおおって言った。
 「だれかが日の光の中をこちらへ歩いてくる」
       (中略)
 ナザリウスはびっくりして使徒を見た。
 「ラビ! どうなされました」彼は心配そうに叫んだ。
 ペテロの手からは旅の杖が、はたと地に落ちた。目はじっと前を見つめている。口があいて、顔には驚きとよろこびと恍惚の色が浮かんだ。
 突然彼は両手を前にひろげてひざをついた。口からはしぼり出すような叫び声が洩れた。
 「キリスト! キリスト! ……
 彼はだれかの足に接吻するように頭を地につけた。
 長い沈黙がつづいた。やがてむせび泣きに途切れる老人の言葉が静寂を破ってひびいた。
 「クオ・ワディス・ドミネ?(ラテン語。「主よ、どこへ行かれるのですか」の意味)
 その答えはナザリウスにはきこえなかったが、ペテロの耳は悲哀を帯びた甘美な声がこう言ったのをきいた。
 「おまえがわたしの民を捨てるなら、わたしはローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」
 使徒は身動きもせず、一語も発せずに、顔をほこりの中に埋めてまま地面にひれ伏していた。使徒が気絶したか、それとも死んだかと思ったほどであった。けれどもペテロはやがて起き上がって、ふるえる手で巡礼の杖を取り上げ、ひとことも言わずに7つの丘の都のほうへ向き直った。

シェンキェヴィチ作 木村彰一略 クオ・ワディス(下) 岩波文庫 265-266頁


 このようにしてイエスと出会ったペテロは悔い改め、決心して、方向を180度転換し、刑場の方へ向きを変えたのです。
 その後、ペテロは逆さ十字架の刑に処せられ殉教していくのですが、映画ではその市場面が描かれています。

 ペテロの、
 「主と同じ方法で死ねる。身に余る光栄だ。」
 そして看守が、
 「同じではない…」
 という言葉の次にその刑の状況がわずかに描かれているのです。

 <参考>ドミネ・クォ・ヴァディス教会




 み言葉


 神様が何のためにユダヤ教を苦労してつくり、また東洋に仏教と儒教をつくったのでしょうか。メシヤが降臨したのちに、傍系的な立場でメシヤに協助することのできる間接的な基盤を築いておくために、 世界の全域に宗教文化圏をお立てになったのです。ところが、ユダヤ教がそのような時代的な配慮までした神様の摂理を無視し、イエス様を不信したので、ユダヤ民族は歴史上例のない、二千年間血を流す民族となったのです。 そしてまた、キリスト教は四百年間ローマの迫害を受けながら犠牲の代価を支払う蕩減歴史を通して、ローマ帝国を中心としたキリスト教文化圏を形成せざるを得なかったのです。
 このようになって、イスラエルに下された神様の祝福はどこに行ったのでしょうか。イタリア半島に移されていったのです。
 イエス様が死ぬことによってイエス様の心と体が分かれました。そのようになって、それ以後の文化圏も肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムと、心の文化圏である神本主義のヘブライズムとして分立されたのです。 イエス様の肉身をサタンが取るようになり、文化の発展が逆さまに出発するようになることによって、当時のイエス様の体の役割を果たしていたローマがまずヘレニズムを受け入れて、サタン主管圏に立つようになったのです。 ですから、キリスト教はローマから四百年間迫害を受けるようになります。四百年間イタリア半島を中心としてキリスト教文化圏を形成して、ここから世界をまとめる道を築くというのが神様のみ旨でした。 しかし、キリスト教が責任を果たせないことによって、世界を一つのキリスト教文化圏としてまとめることができませんでした。
 神様は当初、ローマで四百年間の迫害と殉教の血を流す代価を支払わせ、苦難を克服してローマ人たちに感化と感動を与えた基盤の上に初めて、キリスト教が国教として公認されるようにしました。 ところが、キリスト教が公認されて以後、キリスト教の封建社会が来るようになるのですが、その当時教区長たちはどのようにしましたか。 キリスト教の使命は世界を救うことであるにもかかわらず、教派主義と教権主義にとどまって民族と国民さえも超越できませんでした。

1980.11.18 神様の摂理から見た南北統一92頁




 キリスト論としての三位一体論の成立



   313年 コンスタンティヌス帝(異教徒)がミラノ勅令を発布
        →ローマ帝国内部における信教の自由が保証される。(キリスト教公認)
         (異教徒の皇帝が、キリスト教の根本教理を定めた)

   325年 ニカイア公会議
        →三位一体説をとるアタナシウス派を正統とする。
        →アリウス派(イエスの人間性を強調)を退ける。
        →ニカイア信条が採択。(御父と御子は「同質」)
         (ニカイア公会議を主催したコンスタンティヌス帝はアリウス派?)

   392年 テオドシウス帝がすべての異教を禁止して、キリスト教をローマ帝国の国教とする

   395年 テオドシウス帝の死とともにローマ帝国、東西に分裂。<地図解説

        西の首都ローマ、東の首都コンスタンティノープル。

   431年 エフェソス公会議
        →ネストリウス派(イエスの神性・人性を区別)を異端とする。(→景教)

   448年 コンスタンティノープル教会内の教会会議(地方教会会議)
        →コンスタンティノープル主教が、単性説派を異端と宣告。

   449年 エフェソス公会議(強盗公会議)
        →単性説派を正統と認める。
         (単性説派が、巻き返して、皇帝 テオドシオス2世を説得して公会議を開催)

   451年 カルケドン公会議
        →単性説(イエスの神性のみを認める)を異端とする。
        →キリスト両性論が確定。

   476年 西ローマ帝国滅亡
        ローマ教会は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と対立関係にあったフランク王国との関係を深める。

公会議のまとめ (個人のブログですがぜひご覧下さい)


 宗教上の最も大事な教理を定める、ましてやイエス様の各位を定める重要な公会議でもあるにもかかわらず、世俗的な政治が絡み内的には歪んだものとしてキリスト教の歴史が始まっていくことになるのです。



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