復帰摂理歴史の真実

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日本へ向かった10支族 <トップ> ローマ属州でのヘロデ神殿とユダヤ教

■ 第二章 ユダヤと失われた10支族
 第四節 ユダ王国の再建からローマ支配へ

1. 第二神殿時代(前編)

 (1) エルサレムへの帰還と神殿再建

  @ 神殿再建

 ユダ王国の王をはじめとする有力者たちがバビロニアに捕囚として連行され、約半世紀が経過した。紀元前539年、新興国ペルシアの王キュロスは、バビロニアの首都バビロンを征服。その直後、勅令を発布し、ユダヤ人のエルサレムへの帰還と神殿の再建を許可した。さらに、戦利品の神殿祭具を返還し、神殿再建のための財政援助も約束した。
 王キュロスの命令で、ダビデ家出身の首長シェシュバツァルが神殿祭具を託され、第一陣としてエルサレムに帰還する。神殿の基礎工事は、シェアルティエルの子ゼルバベルと、ヨツァダクの子イェシュアが指揮した。
 ところが、サマリアの人々からの共同建設の申し出を断ったために、彼らから建設の妨害を受け、神殿の再建は約20年にわたって中断された。
 紀元前515年、ダレイオス王の治世6年に神殿は完成した。人々は喜び、奉献式と過越祭を行った。こうして共同体の中心となるエルサレム神殿は再建されたものの、その後は優れた指導者に恵まれなかった。
 そんな状況下で登場したのが、預言者エズラとネヘミヤである。彼らは、さまざまな困難を克服し、宗教的・社会的な秩序を再構築していった。(『完全版 図説 聖書の世界』より)

  A 預言者エズラとネヘミヤ

 預言者エズラは祭司であり、またペルシア宮廷の書記官でもあった。アルタクセルクセス王の時代、彼は王の命令を受けて捕囚地からエルサレムに帰還する。祭儀規定を施行し、律法の書を中心としたユダヤ教を再興することが彼の使命であった。帰還する捕囚民を引き連れてユダの地にたどり着いたエズラは、この地で1年間活動し、住民の間で進んでいた異民族との婚姻関係を解消させた。
 預言者ネヘミヤは、アルタクセルクセス王の給仕役であったが、エルサレムの城壁修復工事の責任者、ユダ州の総督としてエルサレムに派遣される。再建の作業中ネヘミヤは、民とその妻たちから「王が税をかけるので、畑もぶどう園も担保にして金を借りねばならない。息子や娘を手放して奴隷にせねばならない」という嘆きを聞いた。民の負債を帳消しにさせた。
 総督ネヘミヤのもと、エズラが取りだした律法の書が広場で解き明かされた。民は皆、律法の言葉を聞いて涙を流し、喜びを分かち合って大いに祝った。
 さらにネヘミヤは、ユダ地方から住民を移住させ、エルサレムの都市機構を整備し、神殿行事を刷新し、安息日の遵守外国人との結婚禁止を布告した。この改革によりユダヤの民は、ペルシヤ帝国の支配下ながら、神殿と律法を中心に結束した。これは今日のユダヤ教に受け継がれている。(『完全版 図説 聖書の世界』より)
 
  B ユダヤ教伝承の律法

   a) トーラーとタルムード

 伝承されてきた律法とは、「トーラー(モーセ5書)」と「タルムード(口伝律法)」のことです。
 ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』の冒頭の5書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ 五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれる。
 さらに、モーセが神から授けられた法で、成文化されずに口伝で伝えられたものがあり、西暦2世紀末ごろ、当時のイスラエルにおけるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシー(ハナシーは称号)が、複数のラビたちを召集し、口伝律法を書物として体系的に記述する作業に着手した。その結果出来上がった文書群が「ミシュナ」である。本来、口伝で語り継ぐべき口伝律法があえて書物として編纂された理由は、一説には、第一次・第二次ユダヤ戦争を経験するに至り、ユダヤ教の存続に危機感を抱いたためであるともされる。
 この ミシュナと、ミシュナをラビが解釈した「ゲマーラー(「伝統から学んだもの」という意味)」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生きざまを記したものが「タルムード」である。
 タルムードは、6部構成、63編から成る文書群で、「ラビ(教師)の教え」を中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている“選民思想”と共に、もう一つの特徴が「終末にあたって救世主が再臨し、正義と平和が支配する理想世界が訪れる」とする“救世主(メシア)思想”、言い換えれば“終末思想”である。

■ タルムードの6部構成とは、
  1, 農業
  2, 祭事
  3, 女
  4, 民法、刑法
  5, 寺院
  6. 純潔と不純
 の6部である。

<参照>
 タルムード
 タルムード(「隠された真実」より)
 タルムードとは
 ユダヤ人の成功の秘密はタルムードにある?その内容や意味とは?

   b) シナゴーグ

 シナゴーグ(集会所)で、律法の学習と、勤行が行われた。シナゴーグとは、ギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来するユダヤ教の会堂のことである。聖書には「会堂」の名で登場し、ユダヤ教会と俗称されることもある。キリスト教の教会の前身であるが、役割はやや異なる。もともとは聖書の朗読と解説を行う集会所であった。エルサレム神殿破壊後はユダヤ教の宗教生活の中心となる。
 現在では祈りの場であると同時に、各地のディアスポラのユダヤ人の礼拝や結婚、教育の場となり、また文化行事などを行うコミュニティーの中心的存在ともなっている。

<参照>
 ・ シナゴーグ:その成立と異議について 羽田功 慶應義塾大学教授(PDF本サイト

   c) 家庭「堂」について

 本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのですが、それができていないので、蕩減する過程においてどのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで、家庭堂を立ててそれを遂行しているのです。(文鮮明師、IIFWP世界指導者サミット閉会式講演文「再創造の主人より。2003年8月15日、リトルエンジェルス芸術会館)


 文鮮明師の語る「」には次のような名詞としての意味があります。
 1. 神仏をまつる建物。
 2. 多くの人の集まる建物。
 3. 客に接したり、礼楽を行なったりする所。正殿。
 (左図は、「堂」の字源。上記1〜3と左図は、「ウィクショナリー」より引用。<参照>
 これは正しく、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)であり、キリスト教の教会である。これらを最も小さくした“家庭”において、子女が父母を通じて神の心情を体恤して、神と喜怒哀楽を共にできる家庭が「家庭堂」の成就すべき内容なのです。
 「侍る」とは、“身分の高い人(神)のそばに付き従っている”という意味であり、「体恤」とは、“心にかける”ことで、特に「」は、“あわれむ”や“憂える”という意味があり、“神様を父母として侍って暮らす家庭”とは上記の様なこととなるでしょう。

  C ペルシアにおけるゾロアスター教

 さて、このころのユダ王国は、アケメネス朝(紀元前550年〜紀元前330年)ペルシア(右図)に属していました。そのペルシアの王が、なぜユダヤ人をエルサレムに帰還させ、神殿の再建を許可したのでしょうか。そのころのペルシアの宗教はゾロアスター教でした。(左図は、ゾロアスター教の守護霊「プラヴァシ」)
 ゾロアスター教は、世界最古の預言者といわれるザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)を開祖として(紀元前1600年頃から紀元前1000年頃にかけて生きた人といわれる)、教義は善と悪の二元論を特徴としますが、善の勝利と優位が確定されている宗教であり、一般に「世界最古の一神教」と言われています。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれていて、全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝します。また生涯において善思善語善行3つの徳(三徳)の実践を求められていて、人はその実践に応じて、臨終に裁きを受けて、死後は天国か地獄のいずれかへか旅立つと信じられてきました。
 ところで、ゾロアスター教では、異教徒がゾロアスター教に改宗することは、基本的には認められていません。元々、善を優位とする善悪二元論であるため、悪の立場となる異教徒の存在を認める宗教的立場から、エルサレム神殿の再建を許可したものと考えられるのです。

<参照>
 ゾロアスター教
 【光の神と闇の神】ゾロアスター教ってどんな宗教なの? 研究者に聞いてみた
 マズダ・ヤスナの会



 (2) ヘレニズム時代

  @ ギリシアからエジプト、そしてシリア支配時代

 ペルシア王ダレイオス1世はその勢力を拡大すると、エーゲ海東岸、北を黒海、南を地中海に挟まれた地小アジアで、住民の反乱からペルシア戦争が起こりました、紀元前492年のことである。この戦争は、紀元前479年のダレイオス1世の跡を継いだクセルクセス1世のときにギリシアの勝利に終わっています。
 紀元前333年に、マケドニア王国のアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)がペルシアのダレイオス3世を打倒すると、ユダヤ地方もギリシアの支配下に入り、ヘレニズム国家の影響を受けていきます。
 このヘレニズム国家による支配は紀元前143年まで続きますが、ギリシアの自由政策のもとユダヤ人による自治と宗教の自由は守られ国内の商業も盛んとなりました。(左図は、紀元前270年ごろのヘレニズムの王朝)
 この時代のヘレニズム文化の代表的なものとして、哲学において禁欲を重視し理性の大切さを説いたゼノン(紀元前335年〜紀元前263年)のストア派快楽を重視したエピクロス(紀元前341年〜紀元前270年)のエピクロス派だが、快楽は肉体的な快楽ではなく、精神的快楽です。自然科学では、「幾何学の父」と称されたエウクレイデスや、アルキメデス、「第2のプラトン」とも呼ばれたエラトステネス太陽中心説を最初に唱えたアリスタルコスなどの人物がいます。
 アレクサンドロス大王が逝去すると、その領土は将軍たち(ディアドコイ)によって分割され、その支配をめぐる争いが起きました(ディアドコイ戦争)。ユダヤを含むシリア地方南部ははじめ、エジプトを領したプトレマイオス朝の支配を受けましたが、この地方に手を伸ばすセレウコス朝(シリア)との間で何度も戦いが繰り返されたのです。
 紀元前175年にはセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスがプトレマイオス朝を圧迫し、アレクサンドリアも陥落寸前となった。ここにおいて急速に勢力を伸ばしていた共和政ローマ中東における巨大勢力の誕生を危惧して、中東情勢に介入したため、プトレマイオス朝は滅亡を免れました。このアンティオコス4世は、ユダヤにおいてもヘレニズム化政策を強引に押し進め、エルサレム神殿での異教崇拝などを強要したため、ユダヤ人の反感は高まっていきました。


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