■ 5. 直射光における4つのフェーズ
c. 与えるという自立した願望
ベヒナ・ギメルが行う授与の行為の模倣の中から、新たな識別が生まれます。ここで彼女はもう1つの光の特質を感じます。なぜなら、彼女の行為の特質が実際に “ 創造の思考” そのものであるためです。彼女は到達します。 単に与えることではない、また単にクリエイターが彼女に与えたいと言う願望を実現させるためにある一定の部分を受取るのでもなく、その創造の思考とは、被造物を限りない喜びで完全に満たすことであり、そのあとに彼女は、自分が創造の思考を実現させるために、この光を受け取らなくてはならないことに気づきます。彼女は光の全部を受け取らなくてはならないのです 。よって、ここで光はその中に入り、容器の全体を満たすのです。これは、ベヒナ・ダレットです。ダレットはヘブライ語アルファベットの4番目の文字です。
しかし、それはベヒナ・アレフとは全く異なります。見た目は同じですが、とても違うことがここで生じたのです。なぜなら、ここでベヒナ・ショレシュ、アレフ、ベット、ギメルそれら全てにおける行為は、自主的な行為ではありませんでした。これらは全てクリエイターによって行われた行為です。光の力と、その反応とこれら各々で創造されたその願望はクリエイターの行為によるものでした。このベヒナ・ダレットでは全く新しいことが起きます。これは自立した願望です。これはクリエイターが正確にそこに置いたものに成り、かつそれらを行う自主性 願望のある願望です。よってここ、すべての光を受け取ると言う意図の中に“創造の思考”そのものとの“形状の等価”の可能性が存在してます。この時点で被造物にとってのすべては変わります。ここには制限があり、願望の性質の中に変化が生じます。彼女がしてきたように、直射光を受け取ってこれらを自分の為だけに達成しようとしてきた代わりに、彼女は最後の識別を通じてクリエイターの偉大さを感じます。その時彼女は、もう直射光(創造を執行する部分)を欲しがらなくなり、クリエイターの知性(創造を考える部分)が欲しくなります。彼女はクリエイターとの形状の等価に到達したいのです。
実は、それがクリエイターの最初からの意図だったのです。よってここに、創造におけるその他のすべての始まりと、自立した被造物が存在しているのです。よって、この4番目のフェーズをセフィロートでマルフット(Malchut)と呼びます。マルフットは“王”または“王国”と言う言葉に語源があり、その意味は、ここにある全てのものが願望(欲)で支配されていると言うことです。
ここでは自身のためだけに受け取らないと言う新たな意図が現れます。なぜなら、彼女はクリエイターの偉大さを感じ、受け取ることを恥じるからです。このことを第一の制限(ヘブライ語でチムツム・アレフ Tzimtzum Aleph )と呼びます。そしてこの時点から、彼女は創造の行為ではなく、創造に隠された思考を追い求めるようになるのです。よってここにマルフット(創造の始まり)があり、この容器(4番目のベヒナ)を“オラム・エイン・ソフ”(Olam Ein Sof)と呼びます。その意味は“終りなき世界”です。すべての世界と魂はここから展開します。創造のどの部分もこれと全く同じ形式を用います。このプロセス、このマクロなテンプレートは、4文字から成る神の名称でもあります。
ヨッド(Yod)の先っぽ、
ヨッド(Yod)、
ケイ(Key)、
ヴァヴ(Vav)、
そして下のヘイ(Hey)、
ハヴァヤ(HaVaYaH)です。
この名前は、この力の一連の働きを表しています。カバラにおけるすべての名称と言葉は物理学の公式のようなものです。それらは、光と容器の関係性について説明しているのです。
よって今や、カバリストが上層から下層までの地図を私達に与えてくれたことが分かります。それは、私達がどの様に存在するようになったのかを表すだけではありません。それは、人が上層に上がるときに到達しなくてはならない状態についても説明します。それは私達に、目的と根源とその道のりに沿った各所を与えます。そしてこれが、この制限を行った直後に被造物がすることです。それは自立した願望として、創造の思考の獲得を可能にするために各世界のシステムを構築しはじめ、クリエイターと同等になるのです。
これはライトマン博士からの引用文です。
「人は自分の内面にすべてのものを含んでいます。もしも、人が是正(修正・修繕・更生)を行うなら、それは被造物の全体がそれにともないながら、クリエイターに近づくことを意味します。よって人は、自分自身だけを是正しなければならないのです。上昇する人は、自分と一緒にすべての世界を持って上がります。これが、すべての世界が人の為に創造されたと言われることの結縁なのです。」
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♠ 統一原理との対比
最後に、万世一系としての天皇125代と神の摂理を考えてみましょう。125代目は、現在の
今上天皇です。今上天皇は、1989年1月7日に即位され2019年4月30日退位されます。
この125代は、“
霊的世界125段階”を象徴し、125代今上天皇の即位をもってその霊的世界最上点に立ち、神と同等の位置に立てる時代圏を迎えたことになります。
このことによって文鮮明先生は、1989年8月31日にアラスカで「
八定式」を挙行されました。この「八定式」は、縦的な蕩減と横的な蕩減、8段階の蕩減がすべて終わったことを意味し、翌日9月1日には「
天父主義」が宣布されたのです。“
蕩減が終わった”とは、
苦難や苦痛を伴わずにこの地点に立つことができるようになったことを意味し、受け取る意思に苦しみを感じる(自分のためだけに受け取ることを恥じる)ことなく、授与する意思のために(自分のためだけに受け取らない=他に与える為に)受け取ることができるように転換されたことによって「天父主義」の宣布に至っています。5年後、日本は阪神淡路大震災(1995.1.17)の時からボランティア活動が捲き起こり、このボランティア活動は“
授与する意思”が主導する行為であるといえます。2011年3月11日の東日本大震災の時には、国内はもちろん世界中の人が日本に駆け付け、ボランティア活動は定着するようになりました。