明かされたカバラ
苦しみの唯一の原因 <トップ> 与える存在に対する識別

■ 4. 発達の力と苦悩の意味
     c. 神のところへ行きたいと言う願望


 私達の段階を上昇させて、クリエイターに対する理解と知覚を可能にしてくれる上層の光を引きつけるひとつの方法は、カバラの書物の学習です。カバラの書物を勉強する唯一の目的は、改善する光を引きつけることです。それは知識を得るためではなく、内面の変化を生じさせるためです。この書物を読み始めるにあたって、あなたの最も知りたい質問を思い出して覚えておいて下さい。知的に理解するしないは問題ではありません、あなたに必要なものと、あなたの感覚だけが重要なのです。この記事は、「彼以外に何もいない」と言うバール・ハスラムの発言を彼の息子のラバッシュが書き留めたものです。『「彼以外に何もない」と記されているその意味は、彼に対し何かをできる能力を持つ他の力は何も存在しないと言うことである。そして、人間が目にするもの、すなわち上層に宮廷があることを否定するものが世界にあることの理由は、彼の意思によるものである。』言い換えると、私達に良い事と悪い事があると感じさせるように、ある体系が故意に作られてると言う事です。そして私達は善に対抗する力があると感じます。つまり、私達が気持ちよくなることを妨げる何らかのものがあると言うことです。そしてこれが起きる理由は、上層の力それ自体がそれを望んでいると言うことです。それには意図が有り、それがそうしているのです。なぜならこれを実際に生じさせている力が、それ以外に存在しないからです。
 「左が拒絶し、右が内転する」と呼ばれるものは、是正としてみなされる。その意味は、左が拒絶するものが是正として見なされると言うこと。この意味は、世界には最初から人を正しい道からそらすものがあり、それがその人を神聖から退けるのである
 ここで彼は、クリエイターを直接的に知覚できない経験、そしてこの力が私達を突き放す感覚の経験が「是正(修繕・改善)」と呼ばれるものであると言っています。これは何かを生じさせて私達を変化させる力です。それは指導システムの一部であり、「左が拒絶し(突き放すこと)、右が内転する(クリエイターに近づくように引きつけること)」と呼ばれるものです。ここではクリエイターを知覚したいと願う人について語っています。人生における単なる普段の出来事ではありません。
 自然の全段階が全く同じ原理で機能するため、それらにも同じ構造があるにも関わらず。しかしこの意味は、世界に最初から人を正しい道からそらすものがあり、それがその人を神聖から退けるのである。その意味は人がクリエイターを感じたい、人生を支配している法則を知りたい、神聖を味わいたいと望むとき、それはケデュシャ(Kedusha)です。その意味は、分離すること、離れると言うことです。ケデュシャの特質は授与する意味の特質です。それは完全にこの世界から分離しているものです。それは完全にその上にあるものです。よってこの体系の中に、私達がこの神聖を知覚することを不可能にさせるものが故意に存在しているのです。そして、これらの拒絶の恩恵とは、これらを通じて、人は神に助けてもらいたいと言う完全な願望と欲求を受取るのである。この突き放しは、(一度願望が存在すれば、一度クリエイターを知るという決意が存在すれば)私達がこの自然体系全体の中で目にしてきた事をします。それは私達に欲求を生じさせるのです。その意味は特別な欲求が作り上げられていることです。これやあれに対する欲求(車、富、食べ物、性交、知識、権力に対する欲求)ではありません。それはある特定な欲求を作り上げているのです。これらの拒絶の恩恵とは、これらを通じて、人は神に助けてもらいたいと言う完全な願望と欲求を受取るのである。作り上げられている願望とは、神に直進すると言う願望です。(ヘブライ語でYashar Kel-ヤシャー・ケル)上に在るものへの直進という願望です。
 『さもなくば、彼は途方に暮れると分かっているためである。』
 言い換えると、彼らには万物を支配する上位の力との繋がりが必要であると言うことです。『彼は業においては進歩しないだけでなく、自分が後退していることを目にする。』つまり、これが人にとって必要であればあるほど、更に光が彼の内面状態と光のそれとの相違を示すのです。これを「悪の啓示」と呼びます。何の為にこれが必要なのでしょうか。これが必要な理由は、これが私達の測定方法だからです。私達は対比や相違によってでしか何かを知ることができないからです。私達は愛の範囲、創造の思考の完璧性を、その内側で自己の性質を感知するようになる障壁に比べて測定します。よって、この対比のプロセスは、クリエイターの性質と上層の世界だけでなく、自己の性質も明らかにするのです。
 また、受け取りたい願望が大きくなるほど、それがクリエイターにコンタクトをし、クリエイターを知覚する強さも増して、それを満たすことができるのです。
 『彼は業において進歩しないだけでなく、後退していることを目にする。』
 言い換えると、彼が彼とクリエイターとの違いを目にすると言うことです。
 『そして彼は、たとえそれが彼女の名のためでなくても、トーラーとミツヴォットとを尊守する力を失う。』
 つまり、その人はクリエイターを直接的に感じれないだけでなく、クリエイターに到達することだけの為にそれをしているのだと、自分自身を騙すことさえもできないと言うことです。その人は最も大きな相違を感じますが、それは恩恵です。なぜなら、受取る意思の発達とその是正によって、私達は実際に向上(発達)するからです。
 『理性を越えて、真にすべての障害を克服することで、彼はトーラーとミツヴォットが尊守できるのだ。』
 つまり、彼自身の力でも知識でもどんな概念やセオリーでもなく、実際に光を受け取ることだけによるのです。それは彼の理性よりも上でなくてはならないということです。このつながりは、受け取る意思と欲しいものの獲得方法に関係したすべての考えよりも上なのです。良い、または悪い出来事として私達が経験するこの力が、クリエイターの左右の手であり、普段の生活の出来事を通して、私達を幸せにしたり不幸にしたりして導くのです。これは、直接的に神のところへ行きたいと言う願望を得て、それを正しく理解したときの場合です。
 人生でどんな出来事が起きようとも、この願望を持っているのなら、この特殊な欲求はいずれこの想像上の世界の全体を包み込み飲み込むようになるまで発達し、私達を現実との完全なる接触に至らせます。



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