明かされたカバラ
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■ 3. 苦難の道とトーラーと戒律の道
     c. 是正された願望


 あなたの意図と光の意図の差異を感じるには、物質界のように、ただ願望を持ち、それを何らかの喜びで直接満たすという訳にはいきません。私の状態と光の状態(自分の意図と光の意図)における違いを感じるには、光を感知することのできるセンサーが必要です。このセンサーは意図でなければなりません。それは“スクリーン(膜)”と呼ばれています。前回の番組で第六感と言及したものです。このスクリーンが振動体の役割をします。願望と光の差異の箇所に光が引き寄せられ、光は直接入るのではなく、スクリーンに当たり、感覚を生じさせます。差異の感覚、ここの意図と、ここの意図の違い。このスクリーンまたはマサッフ、これはツールです。このようにして、私達の構成物質で唯一使うことの出来る受け取りの意思が全く違うものに変化します。私達は、霊的な世界の意図と一致した意図に応じて、“光”を感じ取れるようになります。
 これは後で説明しますが、これが本当に起きるとき、この感覚・スクリーンの意図が光の意図と同じ時、これを“是正された願望”と呼びます。この差異が私達の中に要求を作り出します。正しい要求・特定な要求、特定な方向に欠乏をつくり、私達が持ってないものを感じたくさせます。それは光の感覚、思考、光に潜む意図です。それは、私達がもっともっと是正のできる方向に移動させます。毎回願望が不正な形から完璧な形に変化するとき、受取る意思から授与する意思への変化、これは私達に永遠を知覚させます。それは私達を、全プロセスに隠された思考にますます連結させます。それは、この特定の願望と一個人の為だけにするのではなく、アダム・ハリションとの連結、相互連結の結果としてこの一番目の人の部分、この一番目の人の中の願望が、ホログラムのように、その他の各願望においても是正され、お互いが再び連結します。
 よって、それは是正する人だけでなく、世界全体を上昇させ、私達の現実の認知、物事の起きる理由、それらに潜む思考、生じている事が良いか悪いか、これは変わります。人は、体系全域の指導に隠れたトータルな善良さを感じることができ、何が善で悪かという肉体的な考えに騙(だま)されなくなります。このプロセスに隠れた“愛の認知” が “本当の悟り” です
 現在の私達の周りには、良い出来事と悪い出来事があります。起きてもらいたい事と、起きるべきではないと思う事。私達が、正しい事または間違った事をするという感覚。特定な事をして罰を受けたり、良い力と悪い力が現実の中に存在しているということ。これは現実ではありません。これは受取る意思の視点からの見え方です。そして、悟りの意味は、物事の見え方にかかわらず、それに隠れる一体化させる真の思考が分かるということ かるということです。




♠ 統一原理との対比



 このセッションでは、結論だけを申し上げておきましょう。
 “是正された願望”は、何が善で悪かという肉体的な考えに騙されることなく、全ての事象に隠された“愛の認知”によって、トータルとしての善良さに至ることが“本当の悟り”であるとしています。これは、完成されたエバを“善悪知るの木”に喩えた本当の意味で、その木に実るのは“創造本然の愛の実”であると言えます。


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