明かされたカバラ
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■ 3. 苦難の道とトーラーと戒律の道
     a. 是正可能な欲望


 現実がどう人間を進化の道に沿って突き動かすのかについて、上層世界(霊的な世界)を定義する特質と、物質的な世界を定義する特質について、人間の認知する方法の何が霊的な世界を見えなくさせ、それをより大きな現実にしているのかについて、欲望の進行を見てきました。
 肉体的な欲望には4つのカテゴリーがあり、創造の思考の目的とは、被造物を創造し、無制限の喜びに至らせると言うことから、クリエイターは喜びを使って、被造物を進化させるのです。
 よって、創造の思考から始まった進化は、欠乏感と満足感で全てが表現されるのです。欲望は性交、住むところ、家族といった動物的で単純なものから発達し始めます。そしてそれが満たされると、欲望はもっと大きくなり、富への欲望に移ります。富は動物的欲望を集めたものです。しかし、それも空虚に感じます。理由は、人間が常に何かに突き動かされていて、それを美味しさのようなものとして感じ、それを得ようとして近づくのですが、取得すると、その味がなくなってしまうのです。私達を突き動かすものは発達の力です。次に、欲望は富から名声・権力に移ります。それをいったん満たすと虚無を感じ、次は知識欲に移ります。いったん知識も虚無だと分かると、この世のもので自分を満足させるものが無いと感じ、訳が分からなくなります。そして、丁度その時点から全く新しい発達段階に到達出来るようになるのです。


2.苦難の道とトーラーと戒律の道。

 その特別な欲望が授与する意思と言う特質から構成されるスピリチュアリティーから心に入ってくると、人間の心の全てが変わります。
 人間の心(「心」と言う言葉をカバラで使うとき、それは人の持つ全欲望の合計を表わします)、この心はまだ物質界に在る欲望で満たされています。まだ、カテゴリー1、2、3、4の部類です。この欲望はスピリチュアリティーに到達したいと言う欲望です。それは、“イスラエル”と呼ばれます。ヤシャーは“直進”、エルは“神”を意味するヘブライ語がその語源です。神と直接的に繋がりたいと言う欲望。これらの肉体的欲望は、世界の“国家”(ネーション)と呼びます。言い換えると、物質的な世界の欲望です。発達の力・欲望は私達に物質界の上にあるものを実際に感じたいと思わせるようにまでなりましたが、それは無意識なことでした。しかし、ここから先は意識的に起きなくてはなりません。なぜなら、この心の点はスピリチュアリティーの遺伝子、魂の胚のようなものであるからです。そして、魂とは欲望のようなもので、心はこの欲望で満たされなくてはならないのです。それは、これらの肉体的欲望にかかわらず、全部を満たさなくてはなりません。言い換えると、私達の持つ全ての欲望が、変化または正されなければならないと言うことです。そして、これらの欲望を正すことにより、神と直接的に一体化したいと言う欲望が満たされるのです。何故でしょうか?
 私達の最初の状態、魂の根源では“クリエイターと被造物としてひとつに繋がっていました。実は、被造物で存在するものはこれだけです。クリエイターと被造物だけです。ここで私達は、1つに結合した被造物として、クリエイターと一体化されていました。しかし、創造の思考とは、被造物を創造しそれを喜びで満たすと言うことなので、これは単にスタート地点、体系(システム)の始まりにしかすぎません。そしてこの被造物の特質、受取る意思が意図的に膨らみはじめ、この特質―自己だけの為に受取ると言う欲望―の膨張の結果として、クリエイターの特質(授与)と、被造物の特質(受取)の間に差異が生じ、その差異は拡大しました。利己的な意図が膨張するにつれて、1つに統合された最初の被造物、“アダム・ハリション”(「最初の人間」と言う意味)と呼ばれる魂の集合体が、世界の体系を、中の125段階を下降しエゴイズムを膨張させ、魂が肉体を持ったように見える分断された状態にまで至りました。つまり、魂の集合体が粉々になり、60万の断片にまで分離したのです。その各部には、原型の一部があり、それらは欲望でできています。そして、これはまだ過程の中間地点なので、私達はこの壊れてバラバラになった集合魂の状態の中、お互いからの孤立、疎外、敵対心を感じます。それは互いを利用しようとする欲望です。そして、物質界での過程は、中間地点などでいずれこの欲望は是正されるのです。それは、いつか世界の体系のなかを上昇し、クリエイターと結合した状態に戻ります。しかし、全体が一度に戻る訳にはいかず、故意に60万個の部分にまで分断されたのです。そして、この各部の中も同じように613個の欲望に分断されました。つまり、アダム・ハリションの中の個々の欲望は613個の欲望で構成されていて、是正することができるのです。それが小さく分けられたからです。例えると、大きな財宝をコインを一枚ずつ人に渡して分けるような事です。この授与の特質は戻されることが分かっていたからです。この心の点は、この点をその起源に戻すと信用されていて、再び財宝は一つに集められて戻されます。




♠ 統一原理との対比



 このセッションでは、『原理講論』の蕩減復帰原理(p271〜280p)を説明している部分となります。
 上記のカバラでは“イスラエル”とは「神と直接的に繋がりたいと言う欲望」のことを言い、人間と神とは本来繋がっていました。ところが、“受け取る意思”の特質として「自己だけの為に受取ると言う欲望」が膨張して、神と人間との間に“差異”が生じたというのです。丁度、赤子と赤子を産んだ母親の“差異”と同じであるとしています。赤子は自ら何もできない状態で、衣食住の世話を一方的に要求します。それに対して母親は、それを満たしてあげようと無償の思いで一生懸命面倒をみます。この赤子が人間の立場で、母親が神の立場(授与する意思)と同じであると言うのです。そして、その“差異”をを生じさせるのが“エゴイズム”であるとしています。
 ここで注意しなければならないのは、“エゴイズム”に関してです。カバラでは、人間が神との関係を持ったことで生じる“差異”としているのに対して、『原理講論』では、堕落によって神と人間との関係が切れて、人間が神と“異質”な特質を持ったとして、これを“エゴイズム”としています。これを『原理講論』では、“堕落製本性(『原理講論』p122〜p124)”と呼び、下記の4点としています。
  1. 神と同じ立場に立てない
  2. 自己の位置を離れる
  3. 主管性の転倒
  4. 犯罪行為の繁殖
 この4点は、上記の内容から考えると、『原理講論』の「罪」として考えると、下の方は“罪が重く”上の方は“罪が軽い”と考えられます。もちろん、その「罪」は“人間が神の前に犯した罪”としての“堕落による罪”のことです。
 さて、“霊的世界125段階”ですが、この期間は『原理講論』の“サタン分立期間(『原理講論』p271)”に相当します。この期間は、神との関係を妨げる“エゴイズム”を是正する期間として、そこにはトーラーや戒律が必要であるとしています。しかし、“エゴイズム”に反してトーラーや戒律に従うことは苦痛や苦難が伴うとしているのです。
 『原理講論』では、“サタン分立”するためには、「信仰基台」と「実体基台」と言うサタン分立の結果(基台)が必要で、その目的はメシヤを迎えるための“メシヤのための基台”を立てるためであるとしています。


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