この外側に存在するもの、エゴの非主観的状態の中には、客観的現実であり、カバリストが “
授与する意思” と言うものです。
授与する意思とは、無条件の利他主義のことです。言い換えると、外側での体験とは無限の存在と無制限の喜びと幸せです。
しかし、そこに到達する手段が無いためこれを感じることはできません。本当でしょうか? 霊的な世界には、物質界とは違う特質が存在します。物質界において動くことは完全に機械的です。つまり、形状と目的の違う2つの物体を手に取り機械的に近づけ、ここには近さがあると言えます。しかし、
霊的な世界における近さとは、全く違う条件を要します。時間も空間もなく機械的なものが存在しないためです。カバリストは、霊的な世界を構成するものは、感覚状態と内的な特質に関係する勢力範囲であると伝えます。
また、
霊的な世界のすべての動きは2つの特質、または、感覚状態の相違または相似から生じます。それを友情に置き換えて説明すると、もし、私の友達がコメディが好きでそれを楽しんでいるのに、私が真面目でコメディに興味がないとしたら、私達が親友になる可能性はとても低いと言えます。もし私がコメディを嫌いなら、私達は離れているとみなされますが、もしコメディが好きで、友達と同じ漫才師と、彼らの演出する映画が好きなら、コメディが好きと言うことに関して、友達と私は感覚的に近いことになります。
言い換えると、
霊的な世界において2つの特質と感覚が類似しているなら近いとみなされ、相違しているなら距離があるとみなすのです。しかし、これは私達にとって最も美しく貴重なことで、実に私達を身体性からスピリチュアリティーに至らせることです。つまり、
もしそれらに全く同じ特質と目的と意図があるなら、それらは同一で、結合しあって繋がっているのです。そして、「形状の同等性の法則」と呼ばれるこの法則は、私達の分離した利己的な状態から、もう一つの感覚を発達させて外に存在するものを感じさせるのです。私達に必要なことは、自分の内側に類似した周波数、類似した性質、授与する性質を持つ、違う感覚を発達させる事です。まだ私達には、それを簡単に感知することはできませんが、カバリストは、現実の中に存在するものは2つしかないと伝えます。
クリエイター(創造主)と被造物だけです。
私達の感知する全てのものは、単にクリエイターの特性と被造物の特性です。
クリエイターは上層世界で、被造物は下層世界です。
クリエイターの特性は “授与する意思”。被造物の特性は “受取る意思”。存在するものはこれだけです。
箱の外側に出ることは、スピリチュアリティーの空間に移動しなくてはならないことを意味します。スピリチュアリティー空間への移動は、ここ(下層世界)の特性の変化を意味します。つまり、
受取る意思と言う被造物の特性が、クリエイターの特性に徐々に類似していくことです。
これらの世界からの降下を通じ全世界が隠されてきた点、これらの世界は、単に受取る意思と授与する意思の比率から成っています。私達は、この世界に降下してきた梯子を登らせる方法は、私達の受取る内的性質、エゴイズム、自己の為に取得する欲望を変化させ、取得ではない、授与する意思の比率を徐々に増やすことです。
これらの1つ1つの状態、梯子の段は、受取る意思に比べて増えていく、授与する意思の割合です。
この類似性を拡大することにより、授与の性質が実際に何で在るかを感じれるようになることにより、存在するもの全てを愛し支えることの意味。自分の内側にその類似性を築くこと、これがカバラの扱う内容です。それは、授与を感じることを可能にし、この特質の類似性を自分の内側に作り上げる方法です。
これが、
隠された叡智の鍵に注目しながら、私達が研究していく内容です。